いま・ある・もの
今年の秋はいつもより短い気がしますね。
私は調剤薬局で薬剤師として働いています。
私はそこで毎日、患者さんたちから多くのことを学ばせてもらっています。
病との向き合い方、生きる姿勢、心の持ちよう……。
――この人のような歳の重ね方をしていきたい――。
と、私の心をわしづかみにしてしまうほどの、底知れぬ人間力をお持ちの方もいらっしゃいます。
こっそり自分の人生のお手本にしようと、その方の一挙手一投足を注意深く観察していることは秘密です。
そんな秘密のお話ついでにもうひとつ。
普段の仕事の傍らで、密かな楽しみにしていることがあります。
それは、白内障手術をした患者さんに、術後の見え方をお尋ねするというものです。
は? それの何が楽しいの? と思いましたか?
ちなみにこんな感じでお聞きします。
「あ、白内障の手術されたんですね? どうですか? よく見えますか?」
特にひねった問いはしません。
あとは待つだけです。というより待たなくてもすぐです。
その質問をしたあとの、患者さんの表情を見るのが、私はとっても好きなんです。
皆さんそれはそれはとても輝いた――すごくいい表情をしているから――。
定期的に私の薬局に来られる患者さんは、ほとんどが生活習慣病――つまりは進行性慢性疾患の患者さんです。
完治することはありません。
発症後はひたすら合併症予防のために、服薬の継続が必要となります。
病と自分との、長い長い戦いが続きます。
そんな中で、劇的に改善して喜んでいる患者さんの姿を見ることは、とても救われます。
だから、やめられません。
先日、白内障の手術をしたばかりのおばあさんにお会いしたので、いつものように質問してみました。
するとこんな答えが返ってきました。
「もう……っ、とってもよく見えるの! 紅葉なんて……もう磨いたみたいで……すごく綺麗で……!」
少女のように、顔いっぱいの笑顔を浮かべて、彼女は私に喜びを伝えてくれました。
――――『磨いたみたいに綺麗な紅葉』――――。
私はその表現が、とても美しく、素晴らしいなと感動しました。
そして頭から離れなくなってしまいました。
磨いたような紅葉って、どんな紅葉なんだろう。
さっそく探しに行きました。
しかし、すでに暦は12月目前。紅葉は旬を過ぎています。
……ああ、やっぱり遅かったかぁ。あんまりきれいじゃないや……。
私は残念な気持ちで、枯れた木々を見上げていました。
褐色に褪せた葉をぼんやり眺めていると、ふと気づいたことがありました。
あのおばあさんだったら、いま私が見ているこの景色でも、きっと目を輝かせて喜んだのかもしれない、と――。
私にとっては当たり前で――どちらかというと物足りなく思えるこの景色が――、あのおばあさんにとっては、輝きであふれた世界に見えているのかもしれない。
失われていた光をようやく取り戻して、世界のすべてが輝いて、きらめいて、美しく見えているのかもしれない。
私とそのおばあさんが目にしている世界は同じなのに、私はいつからこの世界に輝きを感じなくなってしまったんだろう。
朱を朱と――、黄色を黄色と――。
色彩をそのまま見ることができる幸せ。
小さな文字でも読むことができること――。
読みたい本が読める幸せ。
大切な人の笑顔を、同じように笑顔を浮かべながら、見ることができる幸せ。
それは当然ではなく、幸せなこと。
失われていないことに感謝しなければいけないことなんだな、と気づきました。
病は誰しも身に降りかかるもの。
もちろん、死も同じ――。
だからこそ、今をどのように生きるのか。
どう生きたいのか。
メメント・モリ。
そんな言葉が、私の中にしっかりと根づいたように感じました。
結局私はその日一日、磨いたように美しい紅葉と出会うことはありませんでした。
でも私はその日、何かとても大切なものを手に入れたような気がしました。
目には見えない、とても大切な何かを――。
あなたが今年見た紅葉は、どんな色でしたか?
あなたが見ている世界は、今どんな色をしていますか?
白内障のお話をしましたが、日本人の失明疾患ダントツの1位は緑内障です。
自覚症状なしに進行しますので、定期的な眼科検診をおすすめいたします。