8-9. 空を見上げるドルガンドス
ドルガンドスは小さな国の小さな町で生まれ育った、何処にでもいる普通のヒュームの少年だった。
同世代の少年達より少しばかり大柄で、それなりに顔が整っており、運動も勉強もそこそこ出来る。
友人はまあまあ多く、親や周囲の大人からの評判も割と良く、成人までの間に2人の異性と交際した経験がある。
特に珍しくもない能力と経歴を持つ、普通のヒュームだ。
強いて言えば、他人より動物に好かれやすい節はあったが、それも異常な程ではない。普通の個性の範疇だった。
彼が【魔王】のスキルを得たのは、今から20年前。
当然ながら彼が成人を迎えてすぐ、スキル授与の儀式の時の話である。
〈新たなる成人、ドルガンドスのスキルは【魔王】です〉
【魔王】と聞いて、周囲がざわついた。
1000年と少し前、魔物を操り大陸中を蹂躙し、人類種を滅亡寸前にまで追い込んだ、史上最悪のテロリストのスキルが【魔王】だ。
騒乱以降、どうにか国家体制を保った人類種の国々が、種族の壁を越えて制定した国際法でも「【魔王】スキルの保有者は発見次第処分して良し」と決まっている。
実際、100年に1度ほど生まれる【魔王】スキル保有者は、これまで漏れなくスキル授与直後に捕縛、処刑されてきた。
ドルガンドスがその場で殺されずに済んだのは、誰かの慈悲や愛情によるものではない。
彼がスキル名を聞いた際、聞き返したり、否定したりせず、即座に逃走へ移る程度の理性を残していた為。あとは運だった。
そういう訳で、【魔王】ドルガンドスは人々に追われる身となったのだ。
町を出て、近くの森に駆け込み、木の上で眠れぬ夜を明かし、翌朝気付いたら、頭の両側に、2本の小さな角が生えていた。
今のような鋭く大きな角ではなく、寝癖で隠れるような小さな角だ。
それでも、自分が【魔王】になったことを否応なしに理解させる証だった。
「あー……何で僕が、【魔王】なんだろ」
片手で角を弄りながら、木の葉の隙間の空を見る。
小鳥が飛んでいる。人の気も知らず、呑気なものだ。
角を離して手を伸ばせば、それに気付いた小鳥が舞い降りて指先に停まった。
「ピピピッ、チュン」
「野鳥の癖に人慣れしすぎじゃないか?」
ドルガンドスは以前から動物に懐かれやすい性質ではあったが、流石に野鳥が餌付けも無しに寄って来るほどではない。
「【魔王】スキルの影響か……?」
魔王が魔物を配下にするというのは、御伽噺でもよくある話だ。
単なる動物と、動物系の魔物の違いは、スキルの有無だけ。【魔王】が動物を操れても不思議はないのだろうか。
「右翼を上げろ」
「ピッ!」
「左翼を上げろ」
「チチッ!」
「右翼を下げずに左翼を下げろ」
「チュン!」
「十分だ。楽にしろ」
「ぴぴぃ~」
小鳥はドルガンドスの指示通りに動く。
野生動物が人語を介するはずもないので、ドルガンドスの意志に直接反応しているといった所か。
これだけなら単なる【動物使役】や【魔物使役】スキルと変わりはない。
「他に【魔王】スキルで使えるのは……闇魔法か。
いかにもって感じだな」
あらゆるスキルは、過去と現在の使い手がどのようにそのスキルを活用したか、部分的な記憶を共有している。
今まで意識的に触れないようにしてきたスキルの記憶を探れば、レベル1の【魔王】スキルで出来ることが脳裏に浮かんで来た。
低レベルの闇魔法でできるのは、闇の「単純操作」と「本質理解」。
影を動かして目隠しをしたり、夜闇に紛れやすくなったり。後は影を操作して文字を書く程度だが、レベル1では操作できる量も知れたものだ。
「感覚的に、今のレベルじゃ動物は使役できても、魔物の使役は難しそうだな。効果の幅が広い分、専門のスキルより性能は低いと見ていいだろう」
生き残るにも、まずはレベルを上げるべきだ。
ドルガンドスは小鳥を追い払い、枝の上から飛び降りた。
***
1ヶ月ほど森に隠れ住み、闇魔法や動物使役を繰り返したが、あまりにレベルの上がり方が遅い。近所に住んでいた年上の者達は、真面目にレベル上げをする者ならレベル5程度までは数日で上がっていた。
ドルガンドスは未だレベル3。身体能力の強化幅が大きく、意識すれば2回行動も可能。技能系スキルの「動作補助」もあり、レベルの割に戦闘能力は高い、が、それだけだ。
「スキルはレベルが上がる程に出来ることが増える。
今のままでは、単純にレベルの高い相手や、多人数に囲まれた時は勝てない」
実際、【魔王】ドルガンドスを討伐するために、既に何組かの刺客がこの森を訪れている。
不意打ちで仕留めることで、どうにか生き延びているが、そんな戦闘もレベル上昇には反映されない。
「一体何が悪いんだ?
僕にとっては格上の相手との、スキルを駆使した死闘だ。
戦闘関連のスキルならレベルが上がらないのはおかしい。
恐らくこの【魔王】スキル、だっ、て……」
独り言を口に出して、ふと嫌な予感がする。
「まさか、不意打ちは魔王のすることじゃない、ってことか?」
そんなことあるか? と思うが、無い話ではない。
スキルのレベルは、そのスキルを使うことで上がる。
魔王らしくない行動は、【魔王】スキルを使ったとは言えないのかもしれない。
「何だそれは……過去の【魔王】スキル持ちも、みんな御伽噺みたいな魔王ムーブでレベルを上げたって言うのか? 馬鹿馬鹿しい」
馬鹿馬鹿しい。とは思う。
が、可能性があるのなら、それを試さなければならない。
***
討伐隊らしき、冒険者? 探索者? とにかくその手の殺戮請負業の連中が、森の奥深くまで侵入してきた。
ヒュームの男の4人組。壁役らしき盾持ちに、片手剣、弓、杖持ち。【魔王】が住む森にピクニックということもあるまい、恐らくは【魔王】討伐のためにやってきた連中だ。
「ククク……愚かなる人類共よ!!」
「なっ、何だ貴様は!」
「こんな所で何をしている!?」
闇魔法で薄暗い森の奥から浮き上がるように、大柄な人影がゆっくりと姿を現す。
慌てる殺人集団に、人影は余裕を持って答える。
「ククク……フフフフ……何だ、とはご挨拶だな。
貴様らは余を探しに来たのだろう?」
ここで顔に掛けていた闇を完全に散らす。
といっても、先程闇を纏うために唱えた魔法の効果は切っていないので、引き続きその分の闇を操作は可能だ。
漆黒のオーラ的な物に見えるよう、良い感じに蠢かせる。相手の顔に脅えが走った。良し、と内心で頷く。
「そんな……」
「ま、まさかお前が……!」
「ククク……フフフフ……ハーッハッハッハ!
余こそは【魔王】ドルガンドス! 余に歯向かう愚か者共、貴様らに地獄をくれてやる!!」
ドルガンドスは相手が僅かな脅えで動きを鈍らせている隙に、自分の背後から駆けて来た猪に飛び乗り、その勢いで距離を詰める。
あくまで正面突破なので、十分に魔王らしい。はずだ。
「ククク……闇に飲まれよ! ≪ブラックダークネスブロウ≫!」
闇が巨大な拳の形を取り、先頭の盾持ちを盾ごと飲み込む。
「ぐわーっ!?」
所詮は闇が動いているだけなので攻撃力はないが、拳の形をしているので、つい防御してしまう。あと、少しだけひんやりする。そんな魔法だ。
過去の【魔王】が使っていたようだが、こんな低レベルな魔法は記録にも残っていないのだろう。
ちなみに、魔王の魔法は名前が大袈裟になるほど威力が高まる。
「ブラック」と「ダークネス」はどっちかで良いだろ、とはドルガンドスも思ったのだが、明確に効果範囲が変わるのだから仕方がないのだ。
「うわああああ! な、何だこれは! か、身体が冷たい!? 俺の身体はどうなったんだ!? 目は! 腕は! 足は! うわあああああ!!」
「たっ、タテヤーク! おのれ魔王め、よくも仲間を!」
盾役の男は真っ黒な靄に包まれているだけで、特に何があった訳でもないのだが、必要以上に混乱してくれるなら好都合である。
「ククク……雑魚が1匹、闇に飲まれただけだろう。
それより、仲間の心配をしている暇があるのか?」
「なんだと!」
「ククク……フフフフ……集え、眷属共よ!
余の住処に踏み込んだ愚か者を蹂躙せよ!!」
ドルガンドスの合図と共に、昏い森の中から無数の光る目が現れた。
「なんだこれは!?」
「まさか、魔王の操る邪悪な魔物か!」
「そんなっ、完全に囲まれている!!」
なお、ドルガンドスのレベルではまだ魔物を使役することはできないので、今彼らを包囲したのは森の動物達であった。
森の動物と一口に言っても、猪や狼、熊などはスキルがなくとも戦闘力が高い。数の暴力で戦闘職のヒュームを圧殺することは可能だ。
「うわーっ!」
「た、たすけっ……ぐふっ」
「ぎゃああ!」
「こ、こんな所で……」
森の動物達は、闇に包まれていただけの盾役も含め、4人パーティをきっちり仕留めてくれた。
「ククク……フフフフ……ハーッハッハッハ!
これが余に歯向かった者の末路だ! 己の浅はかな選択を、地獄で悔いるが良い!!」
最後まできっちりと魔王らしく締めた所で。
ドルガンドスは自分の内側を覗き込み、スキルのレベルを確認する。
「レベル5か。2も上がってるな」
つまり、方向性としては間違っていなかったらしい。
「……面倒臭いなぁ」
ただでさえ大陸中の国家から命を狙われる外れスキル、【魔王】。
どうやらそれは、ドルガンドスが想像したのとは別の方向でも、面倒くさい外れスキルのようだった。
***
「ククク……どうも最近、レベルの上昇が鈍って来たな?」
最早独り言でも含み笑いで話始めるほどに魔王らしい(と本人が信じている)口調が板についたドルガンドスだったが、レベル10を超えた頃から、口調や振舞だけでは簡単にレベルが上がらなくなってきた。
「ククク……何か、より魔王らしいことを考えねばならんな」
しかし、簡単に魔王らしいことなど思い付くものではない。
「ククク……世界征服、人類虐殺、邪神召喚……流石に今のレベルでは不可能だろう。
比較的難易度の低い王女誘拐すら難しい。
そう簡単には思い付かぬものだな……」
温かな日差しを浴びながら、のんびり林道を歩く。
道があるということは、その先に人里があるということだ。
ドルガンドスは隠れるのをやめた。
森に隠れ住む自分を狙う刺客は、幾度も返り討ちにしてきた。しかし、このままでは徐々に刺客のランクが上がり、レベル上昇の鈍いドルガンドスはその内に殺されてしまうだろう。
早急にレベル上げの手段を見付けなければならない。
山沿いにカーブしていた道の先で森が開け、村が見える。
町という規模ではないが、村にしては大きい方だろう。
「ククク……フフフフ……とりあえず、村でも滅ぼすか」
これは人類種とドルガンドス個人の生存競争だ。
理不尽に殺されるくらいなら、理不尽に殺す方がマシだろう、とドルガンドスは思った。
「ククク……フフフフ……ハーッハッハッハ!
獣風情が、この【魔王】に逆らうからこうなるのだ!」
「うにゃにゃ、邪悪なる【魔王】めぇ……にゃぐふっ」
村長でもあった虎獣人が血を吐いて倒れる。
ここは猫系獣人だけが集まった村だった。身体能力の高い猫系獣人は、その多くが優秀な戦士でもある。とはいえ所詮は一般人、【魔王】の敵ではない。
「ククク……もう終わりか?
ならば、後はそこで何もせずに仲間が死ぬまで突っ立っていた愚かな猫共を皆殺しにするか」
魔王は村を焼くものであるし、大都市ならともかく、村程度の規模なら基本的に皆殺しにするものである。
「にゃひっ!? い、命ばかりはお助けにゃ……!」
「ククク……フフフフ……死にたくなければ足掻くが良い。
隠れている者も1匹残らず狩り出してくれよう」
そういうわけで、1つの村が滅んだ。
ドルガンドスの側も、全人類に命を狙われているのだから、やり返すのは妥当である。
村を焼いた際に生き残りを出すと、それが将来的に復讐に来たりするそうなので、老若男女皆殺しも已む無しだ。
とはいえ、気を付けていても生き残りは出るし、生き残りは復讐者になってしまう。
少しでも狩り残しが無いように、建造物は端から火を付け、叩き壊して行くことにした。
そんな破壊活動の中で、それを見つけたのは偶然だった。
村の外れ、倉庫のような薄汚れた小屋の辺りを歩いていると、足元から妙な風の流れを感じた。流れを辿れば、格子の填まった穴がある。
「ククク……地下室……いや、地下牢、か?」
小屋に火を着ける前に、扉を壊して中を確認すれば、地下へと続く階段があった。
その奥からは、黴と湿った土の臭いに紛れ、僅かに饐えたような臭い。死臭の手前の、生きた人の臭いだ。
「ククク……罪人でも囚われているのか?
ならば、特に意味もなく解き放てば、世に混沌を齎せるやも知れぬ」
世に混沌を齎すのは、なかなか魔王らしい。レベルの足しになるかも知れないし、上手く行けば積極的に牢獄を襲撃するのも良い。
あまり期待はせずに階段を降りると、すぐに木造格子に閉ざされた、粗末な牢があった。
天井には空気孔と採光を兼ねた幾つかの穴があり、木漏れ日のような光に照らされて、床に丸まった小さな陰が見える。
猫獣人の子供だろう。とても大罪人には見えない。何か悪さでもして、反省のために閉じ込められたのだろうか。
何にせよ、期待通りの展開とはならなさそうだ。
「ククク……外れか」
そう小さく呟いたドルガンドスの声に、囚人の尖った耳がぴくりと反応し。
ゆっくりと顔を上げた。
「……呼んだ? ……だれ……?」
暗がりで真円に開かれた黒い瞳孔、その周りを細く囲む薄青の虹彩。
地下牢に囚われていたのは、何処にでもいる普通の猫獣人の少女だった。
***
天井の穴から星空の覗く玉座の間。
地下牢とは真逆の場所で、ドルガンドスは追憶する。
初期の頃に魔王軍に加わった者達は、出会いも全て覚えている。
しかし、最初の四天王が揃って3年目頃、それ以降に加入した者達については、記憶が曖昧な部分がある。
間違いなく魔王軍の人員として共に過ごした記憶はあるが、所々歯抜けのようになっている。
ドルガンドスが腹心の猫獣人に尋ねれば、その加入の時期も経緯も詳しく説明してくれるし、記録にも残してくれている。
思い出そうとすると頭痛がすることもあり、深く考えることは止めにした。
思えば、突然レベル上昇の間隔が早まったのも、その頃からだった。
今やレベル999の【魔王】スキルだが、レベル100を超えた頃のことも曖昧だ。
スキルの記憶を辿っても、ドルガンドス以前にレベル100以上に達した【魔王】スキル保有者は過去に存在しなかった。その事は覚えている。
「ククク……フフフフ……ハーッハッハッハ!
余こそが、最強! 最強のスキルを、最強にまで鍛えた!
忌むべき外れスキルと追放された余が、この余で最強なのだァ!!」
そんな台詞を彼自身が口にしている光景が、断片的な記憶の中に幾つもある。
【魔王】スキルのレベルが上がることで、【魔王】的な精神に近付いている自覚もあった。
ふと気付けばレベル999に至っていたドルガンドスは、自身にはっきり残っていた幾つかの記憶と比べて、随分と自然に魔王らしい振る舞いができているように思う。
初代の四天王と牧歌的に街を焼いていた頃は、そこに反社会的行動に伴う娯楽性のような物があったが、今はむしろ【魔王】としての義務で街を焼いている。
「ククク……まるで余自身が【魔王】という装置になったようだな」
冗談のつもりで呟いた言葉が、妙にしっくりと来た。
思えば、今は亡き元『火の四天王』こと【火事場泥棒】のバルトロなどもそうだ。レベル999になってからは、焼いた街の後を強迫的に漁っていた記憶が、薄らと残っている。
その最期は、街を焼いたバルトロを討伐に来た軍勢に囲まれる中、執拗に焼け跡から金品を探している所を討たれたのだという。
「ククク……フフフフ……。
ならば【魔王】の最期も、予想できるというものか」
玉座に深く腰掛け、ワイングラスを小さく水平に回しながら、ドルガンドスは夜空を見上げて呟いた。




