8-5. 【地図作成】のチーザス
とある地下施設にて。
ゴゥゥン……ゴゥゥン……。
一定のリズムで響く低い金属音。
何の音かと言えば、当然、奴隷達が棒を押して回す音である。
大樹程もある金属柱から四方八方に突き出た長い棒を、棒に沿って並んだ奴隷達が一定方向に押して、柱の可動部を回転させているのだ。
ゴゥゥン……ゴゥゥン……。
一様に髪は乱れ、粗末な衣を纏った老若男女の奴隷ヒュームらは、いずれも死んだような目で無心に棒を押している。
ふらり、と1人の奴隷の身体が傾いだ。白髪の男奴隷だ。
白目を剥いたその奴隷は、過酷な労働に耐えかねて意識を失い、音を立てて床に倒れ込んだ。
「奴隷共ッ! しっかり働いておるかッ!」
そこへ長い鞭を振るいながら現れたのは、この施設の監督役。
魔王軍『地の四天王』候補の1人、【地図作成】のチーザスだ。
小休憩中であった奴隷達が速足でその靴を舐めに集まるが、チーザスは足元へ視線を送ることすらなく、不機嫌そうに周囲を見渡し、倒れた奴隷を目に留める。
靴を舐める奴隷達を邪魔そうに払いのけ、カツカツと音を立ててその場へ近付き、大きく鞭を振り上げた。
「起きろッ、この愚図がッ!!」
「ぐっ、ううっ……!」
倒れた奴隷は鞭の1打ちで小さく呻いたが、そのまま再び意識を失う。
「奴隷の分際で、【魔王】陛下によって与えられた仕事を放棄するとはッ!
このッ! このッ! 起きろッ! 回せッ!!」
ゴゥゥン……ゴゥゥン……。
その間も、振るわれる鞭を避け、倒れた同朋を踏まないように、他の奴隷達の手によって棒は押され、柱は回り続けていた。
感情の消えた顔。
倒れた奴隷から完全に反応がなくなったことに気付いたチーザスは、不愉快げに鼻を鳴らす。
そして、再び靴を舐めに集まった奴隷の1人に命じた。
「おいッ! このゴミを片付けておけッ!!」
「ぺろぺろぺ…………」
命じられた奴隷は舌の動きを止めてスッと立ち上がる。
そのまま返事をすることすらなく、ただ無心で死体を引きずり、部屋の隅の穴へと放り込んだ。
「……クソッ、忌々しいッ! どうしてこの俺様がッ、こんな雑事をッ……!!」
「ほう。【魔王】陛下からいただいた職務を、貴様ごときが雑事と申すか」
「……!?」
独白のつもりであった言葉を聞き咎めたのは、白く色の抜けた髪と髭を刈り込み、顔中に深い皺の刻まれた老齢のヒューム。
チーザスの直属の上司、『地の四天王』たる【地団駄】のジダンであった。
チーザスの靴を舐めていた奴隷達は、流れるような動きでジダンの足元へ向かい、その靴を舐め始めた。
「へえっ! こ、これはこれは閣下、こんな所までよくぞいらっしゃいましてッ!」
「“こんな所”だと? ここは【魔王】陛下の肝煎りで造られた、我が魔王軍にとって重要な施設。それを、貴様ごときが“こんな所”と申すか」
「へへえっ!! 大変失礼をいたしましたッ!!」
この施設――通称「奴隷が棒を押して回す施設」。
これは【魔王】がレベル上げのために作り上げた、何かしら魔王っぽいことをするための施設であった。
四天王や他の配下のほとんどは、この施設で棒を押して回すことにより、何が為されているのかを知ることはない。監督役を任じられたチーザス、その上司にして四天王の一角たるジダンですら知らない。
ここで棒を押すことで回された柱、そこから生まれる動力は、魔王軍の糧食たるパンを焼くための小麦を粉に挽いたりすることに使われている。
棒を押して回す施設の関係者は粉挽き工場の存在を知らず、粉挽き工場の職員らはその動力が「奴隷が棒を押して回す施設」から来ていることを知らないのだった。
なお、現在の【魔王】は施設建造当時の記憶が曖昧になっているため、この施設の存在自体を覚えていない。
レベル999になった今となっては施設を閉鎖しても問題ないのだが、存在を忘れているのでそのような指示も行われない。
施設の存在、用途、意義、現状を全て把握しているのは元『水の四天王』リーン‐ジャクリーンのみであるが、既に四天王を外れた彼女は魔王国行政の最高機関たる四天王会議で新たな議案を上げる権限を持たず、やはりこの施設に関する提案が行われることはなかった。
「貴様の仕事は、ただ魔王陛下にいただいた職務を忠実にこなすことだ。余計なことはするな。わかったな」
「へへえっ! ご指導ありがとうございましたッ!」
特に何の用事もなく暇を潰しに来たのか、そのままジダンは施設を去ってゆく。
奴隷達はまたチーザスの足元に群がり、その靴を舐めた。
「クソッ、あの老害めがッ!! 本当ならばこの俺様がッ!! 『地の四天王』の座を手に入れたはずがッ!!」
苛立ちを吐き捨てながら振るう鞭に、無辜の奴隷の背が打たれ頽れる。
「手柄が……ッ! 結果が必要だッ! 俺様の実力があの爺を上回っていると示すことができればッ!! 『地の四天王』の座は俺様の物だッ!!」
チーザスはスキルがレベル999に至ったことで、根拠のない自信に満ち溢れていた。
実の所、かつて【時魔法】のローズマリーが巻き戻す前に存在した時間軸において、【地図作成】のチーザスは彼女の地元であるパースリー子爵領の領都、パースリー市を襲撃している。この施設から距離的には最も近く、大した軍備も治安維持組織もない、狙い目のカモであったためだ。こちらから攻め滅ぼすのは容易ながら、その領主一族は攻撃魔法に優れ、逆に攻め込まれれば面倒な相手だった。
その功績によりチーザスは『地の四天王』補佐を任じられたのだ。
しかしながら、今回の歴史ではパースリー市には大規模な治安維持組織が新設され、気軽に攻め込むのは躊躇する程度の防衛力を有している。
それでも結局他に手はないし、やはり己の力に対する自信は溢れている。
「生意気なパースリー子爵領が……ッ!
跡形もなく焼き滅ぼしッ! 地図を書き換えてやるッ!!」
チーザスが凶相を浮かべ、鞭を矢鱈めったらに振り回す。
特に理も利も意義もなく、数人の奴隷が倒れ、残りがその死体を引きずって下がっていった。




