6-4. 時を駆けるローズマリー
騒がしさに村長宅から起き出してきたローズマリーは、村の外れに赤黒く粘着いた炎を見た。
何処か不吉な印象の炎は少女を包み。それが消えた後には何も残らなかった。
眼球の裏を叩くような痛みが走る。
「ッ……ああああッ!」
ローズマリーの頭に、過去の――あるいは未来の――情景が蘇った。
***
ローズマリーが家を追われてから5年。
修道院での祈りの日々と並行して、彼女は魔法の修行を続けていた。
「シスター・マリー、またボーッとして。年相応の落ち着きをもってはどうですか?」
「あっ、シスター・ユラ。すみません。今、良い所だったので」
「ボーッとするのに、良い所も何もありますか……」
呆れて肩を竦める先輩修道女に笑い返し、割り振られた清掃作業に戻る。
良い所、というのは嘘ではない。たった今、ローズマリーの【時魔法】スキルはレベル10に達した。それにより「属性親和」の制限が解放されたのだ。
「属性親和」は自分のスキルの属性に耐性を持つ効果で、【火魔法】使いなら火に耐性が付き、【雷魔法】使いなら電流に耐性が付く。
【時魔法】なら例えば、速さの異なる時の流れの中で身体を動かしても、身が引き裂かれることはなくなる。生家で最後に使った≪アクセラレーション≫の魔法も、これで漸く無傷で扱えるようになったのだ。
そして、スキルが一定のレベルまで育つことで制限の解放される機能は、単純な字面以上の応用性を持つ。
「5年かけて、やっとここまで来たのね」
その日から彼女は未来のことを考えて、己の身の内に流れる時間を固めて溜めておくことにした。
ローズマリーが家を追われてから、60年の歳月が流れた。
彼女は未だに修道院で祈りと魔法の修行を続けていた。
自分自身に流れる時間を奪って固め、老いの影響を受けなくなった彼女は、55年前の姿のままで変わらずにいる。
「シスター・マリー。貴女はいつまで経っても、ボーッとする癖が抜けませんね」
「マザー・ユラ。今日は、お身体は大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃありません。だから早く貴女が院の管理を引き継いでください。管理職なら、多少はボーッとする時間も取れますよ」
長い付き合いなのに年齢を教えてくれない先輩修道女は、それでも平均的なヒュームの寿命程度になるだろう。
ローズマリーが出会った頃と比べて背も縮んだユラは、それでも背筋を伸ばして、皺だらけの顔で笑う。
「あはは……すみません。でも私。そろそろ此処を出ようと思うので」
ローズマリーは苦笑を浮かべながらも。固い意志の籠った眼でそう返した。
その日、レベル50に達したローズマリーの【時魔法】スキルは、「生成」の制限を解放された。
「生成」とは文字通り、既に存在する物の「単純操作」ではなく、【水魔法】なら水を、【地魔法】なら土や岩を魔力により創り出す能力だ。魔力消費量は単純操作より遥かに大きく、そのまま【時魔法】で活用するのは現実的でない。
しかし「生成」の逆用により、「魔力を時間に変換」するのではなく、「時間の流れを魔力に変換」できるようになった。
それは魔法系スキル共通の指南書に書かれていた、魔法使いにとっては一般的な手法。【水魔法】なら周囲の水を、【地魔法】なら土や岩を、【猫魔法】なら猫を魔力に変換することで魔力を回復し、瞬間的に扱える魔力量を増やし、経戦能力もまた高める技術。
【時魔法】で魔力に変換できるのは、「属性親和」により時間操作の耐性を持つ術者自身、その中を流れる主観的な時間のみ。欲張れば最悪、時間軸を喪失した周囲の空間が崩壊する危険もある――とスキルに刻まれた、過去の魔法の記録が示している。
だが、元になるのが「時間」という莫大なエネルギー源である以上、限られたリソースであっても、人類程度の魔力とは比にならない。レベル50に達することで、【時魔法】使いはやっと真面に魔法を使うことができる、と言っても過言ではない。
ここへ至ることが、彼女が家を追い出された日からの――否、【時魔法】というスキルを得た日からの、目的であった。
60年も暮らした修道院は、彼女の心の内で、既に生家よりずっと大きな位置を占める。
それでも。過去の自分が人生を賭けて叶えたいと思ったことがある。これは若き日の己への義理、というより、呪いの類であった。
「……いつ頃の予定ですか?」
ユラは引き留めるでもなく、そう尋ねる。
「そうですね。先輩をお見送りしてから、にしましょうか」
ローズマリーは冗談めかした本心を返す。
「そう。それなら、あと10年は先ですね。荷造りはのんびりなさい」
呆れ顔を作って答えたマザー・ユラが死んだのはその年の冬で、ローズマリーは葬儀のすぐ後に、修道院を発った。
ローズマリーが家を追われてから、1000年の歳月が流れた。
自分の時間を魔力に変換することで、ローズマリーは老いどころか、あらゆる外的な影響を遮断することが可能となった。
体内で固めて保存していた「時間」も、一度魔力に変換してから更に圧縮した「時間」に変えることで、1000年分を丸ごと収めることが出来ている。
「……?」
1000年間、人跡未踏の海底で只管に魔法の修行を続けたローズマリーの表層意識は、人の言葉を忘れかけていた。
「……!」
意識に残していたのは2つ。
1つ。魔法の修行をすること。
そしてもう1つ。レベル999に達したら、自分の精神に掛けた時間停止を解除すること。
精神の大部分の時を止めているため、その部分を解凍すれば、言葉や知識等は戻って来る。主観的な認識も当時のままだ。
どれだけの時間が経ったのか、ローズマリーには自覚がない。【時魔法】なら時間経過や現在日時を知る魔法があるが、海底では発声による呪文の詠唱ができない。
エルフ等が精霊と呼び、ヒューム等が神という存在。その記憶に魔法をアーカイブとして残すためには、音声言語が必要となる。故に、あらゆる魔法は基本的に、発声ができなければ使えないのだ。
だから、彼女もまずは、地上に上がろうと決めた。
「……ぷはっ。えぇと、≪クロノメーター≫」
地上に出るやいなや、精密時計の魔法を行使する。
時の流れには影響を与えない、情報を得るだけの比較的コストの軽い魔法だ。それでも体内魔力は3割程も削れた。
「嘘でしょ、1000年後!?」
厳密には、彼女が海底に沈んでから940年後。
とにかく魔力効率の悪い【時魔法】。レベルが上がる程に効率は上がるが、次のレベルまでも遠くなる。
妥当と言えば妥当かも知れないが、それでも思った以上の時間経過に、ローズマリーは驚愕した。
「と、とりあえず、修道院と……それから、パースリー子爵領の様子を見てみなきゃ」
修道院は文化遺産として観光地になっていた。何度か立て直しもされたらしく、建物に当時の面影はない。住んでいる者は誰もおらず、通いの管理人が清掃に来るだけ。
パースリー子爵領は――というより、その属していたフルリニーア王国は、とうの昔に滅んだらしい。
それはそうだ。1000年も経ったのだから。そういうこともあるだろう。
地図を借りて地形を確認し、ローズマリーは、かつてパースリー市があった辺りを訪れた。何もない更地だ。考古学者でもなければ、ここに都市があったと言われても、誰も信じないだろう。ローズマリー自身、簡単には信じられなかった。
「≪ロケーションアクト≫」
だから、改めて位置を確認した。
【時魔法】には標準と定めた日時と太陽の位置から、現在地の正確な緯度経度を算出する魔法も存在する。
繰り返し使えばすぐに魔力が枯渇するので、休み休み、何度も使い直した。
「……間違いないわ。ここが、私の生まれた場所」
都市の跡地とは思えない平原の、少しだけ小高くなった丘。
1000年経てば跡形もなく消えるような家に、今更戻ってどうするのか。
そう思えば馬鹿らしくもなったが。
1000年程度で消えるほど、その呪いは生易しいものではなかったのだろう。
大魔法使いとして小さく名を刻んだ【時魔法】使いは過去にも幾らか存在した。
それでも、執念でレベル999に至った者は、ローズマリーが史上初めてだった。
「≪レトログレード≫」
可視化されるほどの濃密な魔力が大きく広がり、消費される。
レベル10に達した日から995年間溜め続けた時間を全て魔力に変えて、ローズマリーは、995年前のこの場所に戻ってきた。
***
何もない所から突然現れた修道女の正体は、5年ぶりに現れた、追放された元令嬢。数人の使用人が気付いたことで、子爵家は大騒ぎになった。
聞けば、本人は【時魔法】で未来から帰ってきたという。
ローズマリーのいない5年の間に父は戦場で亡くなり、当主は兄へと代替わりしていた。
その兄が慌てて修道院に連絡して確認すれば、本人は大勢の目の前で忽然と姿を消したらしい。未来のローズマリーが戻ってきたことで、現在のローズマリーが消えたのだ。
そんな仕様だとは知らなかったローズマリー本人もこれには慌てたが、1000年の(実質的には60年の)人生経験をもってすれば、内心を隠すことなど容易い。平然とした表情で報告を聞き、ゆったりと微笑んで見せた。
ローズマリーは兄の提案した模擬戦で、【鉄魔法】を授かった妹を。また【蟲魔法】で既に戦場にも出ていた兄をも圧倒し。
魔法の力こそ全てとされるパースリー子爵家の習いによって、貴族籍へと復帰する。
ローズマリーは子爵である兄の補佐として、領政を手伝うこととなった。
時間を溜めつつ、1年間学ぶだけ学び、そこから1年前に戻る。そんなサイクルで、屋敷の本は読めるだけ読んだ。
祈りと魔法の修行しかしてこなかったローズマリーに、領政の知識などない。かつて学んだ貴族的な知識も、修道院生活で擦り切れてしまった。全て学び直しだ。
【時魔法】は度外れて魔力効率が悪く、時を戻るための魔力を体内魔力で捻出するのは実質的に不可能だ。過去に戻れるのは溜めた時間の分だけ。「時間を溜め始めた時点」までしか戻れない。持ち帰れるのは知識のみ。
また、時間を溜めている間は、体内魔力以上の魔力は使えない。使える魔法も、せいぜい時間を調べたり、測ったりする程度だろう。肉体の時間が停止している間は内外から傷付けることも不可能なので、護身に関する心配はないのだが。
その周回の終わり頃、ローズマリーは確か、領地の歴史について学んでいた。
建国からの事件や出来事、歴代当主の活躍、他国や魔物との戦いの歴史。史実に脚色があるのか、娯楽小説のようで、いつもより熱中してしまった。飲食も睡眠も不要なので、参考資料を並べて読み込んでしまった。
予定していた1年間の期限が過ぎ、そこから1ヶ月程も経った頃。
何だか周囲が明るいな、と思い、ローズマリーは本から顔を上げた。
書庫は燃えていた。
慌てて外に出れば、屋敷は焼け落ちていた。
時の止まったローズマリーは、身体を害する高熱の影響も受けない。
また、火災に強く作られた書庫にいたため、気付くのが遅れたのだろう。
「誰か! 誰か生きている者は!」
大声で呼び掛けながら、街を駆け巡る。
美しかった街並みは既にない。
木造の建築物は柱が僅かに焼け残るのみ、石造の家すら崩れ落ちている。人の焼ける悪臭と、未だ消えない炎の熱気が顔を叩く。
ローズマリーは感覚中枢の時間を止めて、熱と臭いを遮断した。恐怖、憎悪、そういった感覚も止めた方が良いか迷ったが、それはしない。生存者を探して、既に廃墟となりつつある街を駆け巡った。人影を見つけたと思えば、黒焦げの死体に、肉の燃え尽きた白骨に。それでも彼女は走り続けた。
「うぅ……お、おかあさ……」
「生存者! 何処にいるの!?」
崩れた建物の隙間から聞こえる子どもの声。急いで駆けよれば、下敷きになった幼い男の子が呻いていた。
「大丈夫? 何があったの!」
今助ける、とは言わない。
この時間軸ではローズマリーに彼を助ける方法はないからだ。
幼児にはっきりとした意識はない。
朦朧とした中、譫言のように呟いた。
「……まおう、が……」
それだけ言って、事切れる。
5年の、60年の、1000年の時を経て、それでもなお呪いのように残っていた強迫観念。
領主家として領民を守り、幸福を与えるという願いが、炎に巻かれて燃えている。
ローズマリーは胸の前で、神への祈りの印を切った。
今一度周囲を見回し、その光景を目に焼き付けて。
「≪レトログレード≫」
魔力が膨らむ。
1年1ヶ月前へと立ち戻った。
***
追想を抑え込み、ローズマリーの意識は現在へと戻る。
視界の内。待ち伏せていた村の外れ。
ローズマリーの叫び声が聞こえたのか……たった今、罪無き村人(推定)を焼き殺した悪魔のようなエルフが、こちらに首を向ける。
距離があるため、その表情は伺えない。怒り、歓喜、嘲りだろうか?
何だって良い。遂にその悪行の現場を捉えたのだ。
「『燎原のエルフ』……『外れスキル狩り』の魔王、エリー!」
エルフはローズマリーの声に反応するかのように、身体ごと振り向いた。
「この領地を、貴女の思い通りにはさせないわ!!」
それを聞いたエリーは。
何かいつの間にか、知らない二つ名が増えてるぞ、などと思っていた。




