6-1. 義憤に燃えるローズマリー
公的な年齢と比べて大人びたように見える横顔に、大粒の汗が流れる。
焦燥感に対して、無意識に祈りの印を切った。
少しだけ気分が落ち着き、大きく息を吐き出す。
「世界征服…………世界を滅ぼす……………………」
「……………………嫌な物だけ焼き尽くして…………」
「…………【魔王】って…………」
駆け付けた警邏兵が、遠くから断片的に聞き取れた情報。それは、ローズマリー・アシュレイ・パースリーの不安に、ある程度の確信を与える物だった。
新米兵士がそれ以上近付けなかったことを責めるつもりはない。
一帯を昼に変えたかのような照明魔法は、ローズマリーの寝室の窓からも見えていた。翌朝には、4人いたという被害者が1人を除いて骨も残らなかった焼け跡も見た。近付いて職務質問をしろというのも酷だ。
隠れていることに気付かれ、火の玉に追い立てられて『外れスキル狩り』の前に飛び出した兵士に後始末を命じると、彼女は照明と火の玉を消し、被害者の青年1人を残して、夜の闇に消えていった。
兵士は青年に息があることに気付くと、すぐに近くの治療院に運び込み、青年は一命を取り留めた。丸2日眠り続けた上で、目が覚めるといつの間にか姿を消してしまったが。
『外れスキル狩り』。
あるいは『燎原のエルフ』。
【火魔法】スキルを使う女エルフ、名はエリー。
パースリー市内で宿暮らしをする黄金級配達者。
強力な【火魔法】で弱者を虐げ、通った後には灰すら残らないと聞く。
自身もまた「外れスキル」として蔑まれ、一度は家を追放された……そして、未来であの光景を見たローズマリーにとって。
そのエルフへの感情は、単なる義憤の枠を超えていた。
***
ローズマリー・アシュレイ・パースリーは、パースリー子爵家の第2子にして、長女であった。
兄が1人と妹が1人。子爵夫人であった母は妹を産んですぐ亡くなった。ローズマリー自身、2歳の頃の話だ。記憶に残る母の顔は、肖像画で見たそれに塗り替えられ、いつも同じ角度でしか思い出せない。
国内でも、多くの貴族家では直系の長子継承/長男継承/長女継承のいずれかを採っているが、パースリー子爵家では代々、「最も優れた魔法系スキル保有者」が家督を継ぐことになっている。
パースリー家では遺伝的に代々魔法系スキルが発現しやすく、魔法の大家として国内外に名を馳せている。厳密には「戦闘用魔法の大家として」だが、当のパースリー家にとって魔法とは戦闘用魔法以外の何物でもなかったため、この点が問題とされることは無かった。
故に、「最も優れた魔法系スキル保有者」とは、継承権を持つ者同士による魔法戦闘での格付けで決まる。
当然、先に生まれた方がスキルレベルも高くなり、戦闘技術も磨かれ、継承権争いでも有利にはなる。しかしそれ以上に、スキル自体の強さは覆し難い力の差を生む。
兄は成人の儀式を受け、神より【蟲魔法】のスキルを授かった。
虫の類を操る魔法は、低レベルの内から扱いやすく、応用も利く。本能に沿った単純な思考誘導であれば多数の虫を操ることも可能で、暗殺は勿論、正面切っての打ち合いでも相応に強い。
更に言えば、ローズマリーも妹も虫が苦手であったため、真面に立ち合えば戦いにすらならない。この時点で、次期子爵はほぼ自動的に兄に決定した。
その2年後、成人したローズマリーは神より【時魔法】のスキルを授かった。
【時魔法】とは名の通り、時を操る魔法だ。
「うひょー! めっちゃ強そう」
「最強だろこれ最強マジで」
「ローズマリー様やべー」
周囲からも大いに期待の声が挙がった。
ローズマリー自身も、これは強いスキルだと思った。
レベルが上がれば。
初めて父の前でスキルを使った時。
詠唱から数秒の後、ローズマリーは体内魔力の枯渇によって倒れ伏した。
「ぜーっ……ぜーっ……!」
「何だ? 今、何かしたのか?」
「自分と、その、周囲の、時を……止め、ました……」
「ほんの数秒、突っ立っていただけだろうが?」
父は何が起こったのか理解できず、ただ「もう一度やれ」と言った。
できるはずがない。時を操るような大魔法が、ヒューム1人程度の魔力量で軽々しく扱える訳がない。
成人したばかりの少女の魔力では、レベルが2に上がる程の時間すら魔法を保てなかった。
それから何度か、1人の時に魔法の練習を行った。多少はレベルが上がった。体表から薄皮1枚ほどまでの時間を止めていた魔法は、薄皮2枚ほどの厚みまでを止められるようになった。それだけだ。
使えばただ魔力が枯渇するだけの、無意味な魔法。【時魔法】にはそんな評価が付けられつつあった。
「これが最後の機会だ。新しい魔法とやらを見せてみよ」
レベル2。毎日魔力を枯渇させ、ようやくレベル2だ。
父の前で、ローズマリーは今の自分に使える、最も見た目に判りやすい魔法を行使した。
「≪アクセラレーション≫!」
行動加速の魔法。目の前にいながら、気付かれない程の速さで父の背後に回り込む。
「がっ……はっ!?」
その途中で全身の筋肉を断裂させ、血を吐いて倒れた。
「……何かと思えば、また自滅魔法か」
父はつまらなそうに溜息を吐き、倒れ伏すローズマリーを置いてその場を去った。
傷が癒えたその日に、ローズマリーはパースリー家の籍を剥奪され……領外の修道院へと送られることが決まった。
「マリー、身体を大事にするんだよ。いつか必ず戻っておいで」
兄はローズマリーの肩を優しく叩いた。
「うふふ、お姉さま、もとい、元・お姉さま! お姉さまのドレスも、宝石も、縫い包みも、お友達も、みんな私にお任せくださいまし! お姉さまの代わりに大切にして差し上げますわ!」
妹は楽し気に腰をバシバシ叩いた。
父は見送りにも現れなかった。
***
父が没し、兄の代になり、色々あって子爵家に戻ったローズマリー。
領政に携わる彼女には、領内の様々な情報が集まる。
自身の打ち立てた治安維持策や経済振興策。大小様々なそれにより――領都パースリー市を中心に――領内は着実に安定と繁栄の未来に近付きつつある。あるいは、そうあったと、彼女は自負している。
パースリー子爵家には代々魔法系スキルを授かる者が多く、その戦功によって地位を高め、領地を治めて来た。魔法系スキルの戦闘能力こそが全ての脳筋ならぬ魔法脳の家だ。
ローズマリーはそんなパースリー子爵家に生まれながら、魔法以外の技と力をもって領地を発展させるべく、可能な限りの知識を学んだ。
元から屋敷の書庫にあったのは魔法技術関連の本ばかりで、内政関連などロクな資料がなかった。そのため、どうにか仕入れられた少ない本を参考に学ぶしかない。
所詮は聞きかじりと独学の知識に過ぎず、幾つかは全く成果が出なかったが、全体的に見ればそれなりの結果は出た。
力押しの防衛政策、100年止まった経済政策、萌芽もなかった福祉政策、他領からの搾取に気付いてもいなかった外交政策。それらに比べれば革命的な進歩であり、領民からは『パースリー家の賢者』などと大袈裟な二つ名で呼ばれるまでになった。
流石に元が悪すぎたのだとは、理解している。とはいえ、彼女自身でも、それなりの満足感があった。
ところが、最近は問題も起き始めている。
都市内での大量殺人や建造物破壊事件の頻発、郊外での盗賊団の発生、鉱山資源や金属製品を始めとした流通の乱れ。順調だった発展が停滞し、これまで回っていた部分も回らなくなってきた。
これも恐らく全て、『外れスキル狩り』などのテロリストのせいだろう。
「―――討伐よ。『外れスキル狩り』を討伐するわ」
討伐せねばならぬ。
賢者等と呼ばれても、魔法戦闘のみで勝ち残ってきたパースリー家の末裔である。武力制圧こそが最短にして絶対の解決法だと、ローズマリーは精神の根底で理解していた。
歴代と比べれば些かなりと物を考える能力を持つ彼女は、まずは各所で情報収集を行った。
どうやら『外れスキル狩り』は物騒な名の割に、犯罪者としての前科や手配は受けておらず、なかなか上手く立ち回っているらしい。
やはり現場を抑えるしかない。ローズマリーは標的の動向を密偵に探らせた。
「何か今、長期休暇中らしっすね。で、何日か後から、しばらく旅行に出るみてーっす」
密偵の報告に、ローズマリーは眉根を寄せて頷いた。お気楽なことだ。
だが、これはローズマリーにとっても好都合だった。市街戦闘では被害が大きくなる。
「で、えー、待ち伏せは不可能っすわ。エリーとかいうやつ、馬車で往復10日くらいの距離を日帰りするくらい速ぇーそうっす。ひゃぁー、パネェー」
「えっ……それ本当?」
「うぃー、マジっすマジ。今回は目的地がリエット侯爵領リエット市ってことで、馬車で片道20日程度すかね。途中で食事や宿泊の休憩は挟むかもっす」
「そうなの。流石に往復40日以上もこの街を開ける訳には行かないし、途中で捕まえたいわね」
「てっても、何処で泊まるかも判んねっすよ?」
「ま、それは何とでもなるわ。ご苦労様」
「おっつ、失礼しゃーしたー。んじゃまた何かあればー」
密偵が跳び上がって天井上に消え、ローズマリーは部屋に1人残された。
相手の動向は知れた。
しかし、部下に見張らせても焼き殺されて終わるだけだ。
直接戦闘になっても対応できるレベルの者……自分自身が直接追う必要がある。
子爵領内の平和と、罪無き外れスキル保有者を守るため、ローズマリーは旅装を整えた。
何としても暴虐を止めねばならない。
「神の名の下に、邪悪を討ち果たす」
この【時魔法】レベル999という、絶対的な力を用いて。




