4-10. 納得するジロー(第四章完)
「で、何か朝になったら【催眠】スキルが解除されたのか、皆普通に起き出してさ。
宿屋の人に泥棒扱いされて、そのまま逃げて帰ってきたんだ」
出張先から帰ってきた商人見習いジローは、同居人エリーの顔を見ながら、「守秘義務」という概念について考えていた。
守秘義務とは、現在一部の商家の間で生まれつつある考え方だ。情報は資産であり、武器であり、弱点でもある。従業員や取引相手からの情報漏洩を防ぐため、罰則付きで規定するのが守秘義務契約だ。
低級位には破落戸紛いも多い配達者ギルドでは浸透していないが、上級位者への依頼では契約時に個別に指定される場合もあるらしい。
エリーは気付いていないが、話を聞いて推測する限り、その黒幕という男は……スキルで他人を操り、動物や家具(?)として扱うことに興奮する、特殊性癖の持ち主と見える。
ジローには全く理解できないが、そんな価値観が存在することは知っている。少なくとも、本人の許可なく大っぴらに話して良い趣味とは思えない。
「せいぜい2泊3日程度のつもりだったのに、帰ってみたら7日も経ってたし。びっくりだよ」
「キュッキュー」
とはいえ、相手は私欲で1つの町を機能停止させ、子爵領内の経済を混乱に陥れた、単なる犯罪者だ。経過日数を鑑みるに、エリー自身も自覚以上の被害を受けている可能性さえある。(ジローもエリーも知らないが、実際にソファ、机、シャワー、メイドを遍歴している)
貴族や宗教指導者、大商人の秘密を暴露すれば問題もあろうが、今回は直接的な害もあるまい。
一応後でそれとなく注意しておこう、とジローは思った。
「どうしてスキルを解除しちゃったんだろ。
お陰で私、朝からすごい怒られたんだけど」
「不法侵入で無断宿泊ですからねぇ」
「素泊まり料金くらい置いてったら良かったかな」
薄く延ばして焼いた干し芋を口に運びつつ、エリーは少し反省した。
予定より帰るのが遅れ、何日も放置していた干し芋だが、適切な調理によって十分美味しく食べることができた。
≪ホーリーホットサンドメーカー≫。
浄化の炎の熱で髪を整える魔法、≪ホーリーヘアアイロン≫を改変した、エリーのオリジナル魔法だ。
食材に両面から圧力と熱を加えることで、高速かつ確実な加熱調理と脱水処理が可能となる。
スキルによって作られた魔法は世界に、精霊の記憶に刻まれる。そして、同じスキルの保有者に共有される。
≪ホーリーホットサンドメーカー≫は、レベル60で開放される「効果付与」を用いた浄化効果に、レベル100で開放される「属性変質」による火の硬化を組み合わせた高度な調理用魔法だ。今後レベル100以上に達した【火魔法】スキル保有者は全員、この魔法の知識を得ることになる。
干し芋を炙るのにも便利だ。
「でも、エリーさん。
どうしてそんなヤバそうな人を放置してきたんですか?」
ジローはパリパリの干し芋を齧りながら尋ねる。
「どうして、とは?」
「キュー?」
エリーは首を傾げた。
顔がいいな、とジローは思った。
「町1つを不当に支配するテロリストですよ。
今回はエリーさんも危ない所だったみたいですし」
「て言っても、何すればいいの? ギルドには報告上げたしなぁ」
「エリーさん、気に入らない相手は躊躇なく殺す派じゃないですか」
「……いや、相手によると思うけど?」
ジローからの自分の印象を知り、エリーは少なからずショックを受けた。
エリーの感覚では、放置しても自分にとって直接的な不利益がない相手を「気に入らない」程度の理由で殺した覚えはない。
家の近所で暴れているとか、直接襲われたとか、無差別大量虐殺に巻き込まれかけたとか、知人が傷付けられたとか、生死を問わずの依頼で生きたまま捕縛するのが面倒臭かったとか……殺すには殺すなりの理由があるのだ。
そう自分で思い返して。
中には酷い理由もあったな、とエリーは深く反省した。
これは確かに、子どもの教育に宜しくない。
エリーは少し考え、努めて優しい声で、自分の基準を言語化し始める。
「ジロー。自分の価値観に合わないからって、異文化を何でも否定するのは良くないよ」
「あ、はい」
「今回の事件は、地方の風習と似たようなものでしょ。
私の知らない町で、町の人が何をしていたって、別に私の利害と競合する訳じゃないし」
「キュー」
異文化。そう、異文化だ。
【催眠】スキルによって支配された町は、エリーにとって田舎の奇祭と大差ない存在だった。
伝統はなくとも、他所の風習に部外者が介入するのは如何なものか。
「町の人達も、よくわからないことをさせられてはいたけど、皆健康状態は良かったし。誰かが傷付いたり、悲しんだりもない……究極のスローライフみたいな? あれはあれで1つの文化だよ」
口にするまでは自分でも半信半疑の妄言ではあったが、話している内に、段々と確信が芽生えてくる。
自己催眠。少なくとも、今この瞬間のエリーにとって、この言葉は真実であった。
今回エリーが出会った【催眠】のアートは、スキルの応用という面では、特に目新しいことはしていない。同じことはレベル999でなくともできる。結果自体は低レベル時の【催眠】の延長線上だ。
しかし、その用途は――ある意味――平和的かつ文化的で、部外者が暴力で破壊するのは忍びない。
「ガーランド町が封鎖されてると、子爵領内の都市に鉱物資源が不足するんですけど」
「私、普段金属とかあんまり使わないし……私物の金属なんて、硬貨とギルドカードくらいだし?」
「キュイキュイ」
どうだろう。
最後がちょっと怪しかったけれど、ジローは納得しただろうか。
頑張って言い繕った割に、ジローの表情は尊敬する大人を見る目付きではなかったが、エリーの意図は伝わったらしい。
小さい頃のエリーは、アリの観察が好きな幼女だった。
実家の近所の家ではペットに犬を飼っていたが、エリーの家にそんな余裕はない。だから庭先で手軽に観察できるアリは、ペットの代わりでもあったのかもしれない。地面に落とした食べ物を、巣の近くに置いてあげたこともある。
しかし頂き物の米を保管していた米櫃にアリ達が巣を作って以来、全てのアリは彼女の敵になった。
小さい頃のジローは、野生のネズミを愛でる幼児だった。
しかし、厨房で貰って楽しみに取っておいたベーコンの切れ端を食い荒らされて、食べ残しにカビまで生やされて以来、ネズミは彼の敵になった。
人は自分の利害に関わらない相手には甘くなれるが、同じパイを取り合う相手や、自分に危害を加える相手には容赦しない。
結局は、経験の有無だ。
そして、それこそが文化の根源。文化の正体。
自身に不都合のないと思える文化を積極的に破壊しないのがエリーの主義であるなら、自分もそれに倣ってエリーの主義を尊重しよう。何せエリーは顔がいいのだ。
ジローは全面的に納得することにした。
「ところで、エリーさん」
「なに?」
「キュー?」
「さっきからキューキュー言ってる、このドワーフのおじさんは何ですか?」
「さっき話した、ゴリラからイタチになった人だよ。
懐かれちゃったのか、数日かけてここまで追いかけて来たみたい」
「キュイー!」
「イタチって思ったより賢いんだねぇ」
「スペックはイタチじゃなくて人類ですからねぇ」
とぼけた顔で感心しているエリーも顔がいい。
ならばこれも1つの文化なのだろう、とジローは受け入れることにした。
以上で第四章完結です。
お読みいただきありがとうございます。
これから五章を書き始め、
四章最終話公開日までに五章が書き上がれば、
そのまま続けて1日1話投稿です。
間に合わなければ書き上がり次第、
1日1話投稿となります。
毎回ギリギリなので、そろそろ怪しいです。
ここまで楽しんでいただけましたら、
ブックマーク、★評価(※下の方にあります)をお願いいたします。
(既にしていただいた方は、誠にありがとうございます)




