4-4. 町を支配するアート
アートは昔の夢を見ていた。
数年前の、成人の儀式――スキル授与の儀式の日の夢だ。
彼の生まれ育ったガーランド町は鉱山の町だ。
その住民の大半は種族的に鉱業への適性が高いドワーフであり、鉱山開発のためにヒューム領内各地の廃鉱から掻き集められて以降、何世代にも渡ってこの町で鉱山労働に従事している。
鉱業も他の産業と同様、時代の推移に沿って関連技術が向上し、生産性と同時に、作業における安全性も格段に向上した。
それらを加味した上でも、鉱山労働は危険な仕事であり、鉱山では事故が起きる。数は減っても、確実に。
一度の事故で発生する死傷者も多く、左程大きくもないこの町でも、孤児院から人が絶えることはない。
同年生まれの子どもを集め、教会で行われた成人の儀式。
儀式を終えて教会から孤児院に戻ったアートを、同じ院で育った年下の子ども達が出迎えた。
アートより1つ、2つ年下の3人は、いずれも顔に笑みを浮かべている。相手を侮り、蔑むような笑顔は、決して好意的な表情には見えないが。
裏口から入るべきだった、とアートは思った。
「おい、ヒョロガリのアート。その手に持ってるモンを寄越すズラ」
儀式を終えたアートが授かった物は、スキルの他にもう1つ。紅白饅頭だ。
薄紅色と黄味がかった白、2色各1個の饅頭を小さな箱に修めた、成人祝いの甘い菓子である。
「あれトヨ? 饅頭トヨ? すったらモン、お前には必要にゃートヨ」
「ヒャヒャヒャ! ヒョロガリの胃袋には入らねーワサ!」
ドワーフの父とヒュームの母を持つ交雑種のアートは、背丈は同年代のドワーフと大差ないが、体格はヒューム並。つまりヒュームとしては小柄、ドワーフとしては細身であった。
アートは同年代は疎か、年下の女子より力が弱く、稀に寄付される菓子類も喧嘩で奪われることが間々あった。
ついでに言えば、成人を迎えたドワーフ男子なら生え揃っているはずの髭もない。これもまたアートが軽く見られる理由の1つだった。
「どうしたズラ、ヒョロガリアート。黙ってっとラリアート食らわすズラ」
「ブヒャヒャヒャ! 最高にライムだトヨ!」
「DJだワサ! 完全にこれDJだワサ!」
今思えば支離滅裂な発言ではあったが、自身も同等の環境で、同等の教育を受けて育ったアートだ。当時の彼は、言葉自体に違和感を抱くことはなかった。
ただ、その意図する所に対し、強い拒否感はあった。
成人を迎えたアートは、国法に従い、一両日中に孤児院を出ていく必要がある。
しかし、この時に至るまでガーランド町内での仕事は決まっておらず、この町に彼の担うべき役割は無かった。どうにか都市部まで出て仕事を探すべきだ。
移動中の食糧として、保存性の高い紅白饅頭は、渡すべきではない。
彼は授かったばかりのスキルを試してみることにした。
彼の【催眠】スキルは、対象を半分眠った状態にし、意のままに操る技能系スキルだ。
操るというのは難しそうだが、相手を眠らせるだけでも有用性は高い。道具や状況を整えた方が効果は高いようだが、咄嗟にそんな用意は不可能だ。
「眠れ」
「なっ……!?」
手を翳して、3人組のリーダー格の少年にスキルを行使する。
「な……何ともねー、ズラ」
「何トヨ! 脅かしやがってトヨ!」
「ヒャヒャヒャ、何の効果もない外れスキルだワサ!」
スキルは不発。
低レベルで、道具も環境も揃っていない状況だ。このスキルには相性もあり、相手によっては効果が薄い場合もある。後から確認した所、この3人は比較的耐性が高い方でもあった。
不発は道理だし、仮にリーダー格の1人に効いた所で、残りは2人もいるのだ。この時点で詰んでいた。
「ちっ、脅かしやがってズラ……社会に出る前に、目上への態度ってモンを教え直してやるズラ」
その日のアートは年下の3人組の暴力に屈し、あっさりと紅白饅頭を強奪された。
当時の彼は、そういう役どころだったのだ。
場面は変わり、海の見えるお屋敷の前。
“先生”の家で、教室だ。
ガーランド町を出てから、この家に連れて来られるまで。現実では2年程の開きがある。
餞別に渡されたなけなしの小銭を叩いて、領都への定期貨物便に同乗したアートは、それから丸2年を市内の裏路地に住む物乞いとして過ごす。
外見はヒュームの幼子にも見えるアートは、そうした役を演じることで、度々小銭を投げてくれる常連も付き、同年代の同業者より多くの収入を得ることができた。これは彼の生存において、若干なりと有利に働いた。
だからこそ、外れスキルの持ち主を探す【魔王】に拾われるまでしぶとく生き残り、“先生”の元へも送られたのだ。
夢の中のアートは、先生の教えに従い、自分の眼前で延々と振り子を振っていた。
紐に吊るされた穴開き硬貨は、一定の速度で彼の前を往復する。
「……お前はだんだんレベルが上がる……お前はだんだんレベルが上がる……」
硬貨を見つめながら、自分自身に言い聞かせる。
これは“先生”に教わった、自己催眠という修行法だ。
自分自身に【催眠】スキルをかけることで枷を外し、強制的にスキルを鍛える。レベルが上がれば耐性の方が高くなり、使えなくなる方法だが、ある程度までは効率的にスキルレベルを上げることができた。
「アートくん。調子はどうかしら?」
「……はい、先生。今日中にはレベル50に達すると思います」
「そうですか、素晴らしいですね! レベル50では用具生成能力が解放されますので、より効率的なスキルレベル上げができると思いますよ」
「ありがとうございます。全て先生のお陰です」
生徒の役を与えられたアートは、模範的な生徒であるべく、“先生”の教えに忠実に従った。
同時期に“先生”の教えを受けていた他の生徒――【毒耐性】や【生活魔法】達と比べても、アートの成長には目覚ましい物があった。
「【催眠】スキルは育たないと効果が判らないのでハズレ扱いされるパターンと、育てば危険だから排斥されるパターンがありますのよ。
後者なら、最悪スキル判明直後に殺される場合もありますので、アートくんは幸運でしたわね」
「ありがとうございます」
「私もアートくんのような生徒を持てて幸いでしたわ」
「どういたしまして」
“先生”の言葉に、アートは模範的な生徒の顔で頷いた。
スキルレベルを上げて、やりたいことがあった訳ではない。
ただ漫然と、幼い物乞いとして「他人に徳を積ませる役」を担っていた頃、この役はいつまでも続けられる物ではないと気付いた。だから【魔王】に誘われて素直に従い、“先生”の与えてくれた新しい役を享受した。それだけだ。
再び場面は変わり――これは“先生”の教室から卒業する日だ。
アートの前には檻に入った虎と、檻に入ったヒュームの男がいる。虎もヒュームも【魔王】が何処からか連れて来た、初対面の相手だった。
アートは“先生”と【魔王】が見守る中、檻の中で牙を剥く虎と、それに怯えるヒューム。
夢の中のアートは緊張した様子でその前に立ち、夢を見ているアートは、他人事のようにそれを眺めている。
「虎だ……お前は……」
まずはヒュームに向けて右手を翳し、【催眠】スキルを発動する。
小さく身を震わせたヒュームの目から、少しずつ怯えの色が消えてゆく。
レベル999のスキルが働かないはずもないのだが、レベルアップ直後のアートは、初めて使う「概念操作」の効果を扱い切れずにいた。カンストレベルへの到達により、スキルの制限は完全に解除され、その使用法も漠然と理解している。
しかし、【催眠】スキルの誕生以来、このスキルでレベル999に至った先駆者はおらず、具体的な用途・用法までは自分で考えなければならない。“先生”にもスキルの育て方はわかっても、使い方はわからない。
今では一瞬でかけられる【催眠】も、当時は探り探り使い方を確かめていたのを覚えている。
ヒュームへの【催眠】に手応えを感じたアートは、右手をそのままに、左手を虎に向けた。
「お前は虎に、虎はお前になるのだ!」
そして、両者へ同時に【催眠】をかける。
虎とヒュームの身体が、大きく躍動した。
そして、両者が吠えた。
「がーお!!」
「がおがお、がおがおっがおー!?」
ヒュームは両手両足を檻の床に付け、歯を剥き出しに、檻の隙間から顔を突き出そうと暴れている。
虎は後足で立ち上がり、困惑するように自分と周囲を見回している。
虎とヒュームとの「精神交換催眠」は、見事に成功した。
後に人類同士でも試して確認したが、これは思考制御による単純な思い込みではなく、実際に双方の記憶や思考が入れ替わっている。
まさにレベル999の所業。アート自身、理屈に合わない話だと思うが――レベル999とはそういうものだ。
「ンフフ……お見事です。卒業試験は合格ですわね」
“先生”は小さく拍手しながらアートに告げた。
「ククク……フフフフ……ハーッハッハッハ!
やるではないか、【催眠】のアートよ!
愉快も愉快、これぞ正に混沌、真の狂気なり!!」
【魔王】は愉快そうに高笑いをしていた。
そんな【魔王】を気にするでもなく、“先生”はアートに語り掛けた。
「さて、私の下から卒業するアートくんは、これから幾つかのことを忘れます。
ここでの修行法のこと。この場所のこと。この場所に来た理由と、それに直接関係する出来事。そして、私自身のこと」
「そうなのですか。何故でしょう」
驚いたような表情で問い返す。
当時のアートは、特にその質問の答えが知りたかった訳ではない。
単に“先生”が聞いて欲しそうな顔をしていたので、自分の役を全うしただけだ。
「私の教えは門外不出ですのよ。生徒のスキルに纏わる精霊の記憶にすら刻まれないのですわ」
「なるほど」
アートは真剣な顔を作って頷いた。
“先生”の説明欲が満たされたのを感じ取り、彼は自分が本当に知りたかったことを尋ねることにした。
「ここを出て、何をすれば良いのでしょう」
“先生”の生徒の役が終わるのだ。
目的も目標もないアートは、レベルが990を越えた頃から、卒業後の進路を考えていたが、この時に至るまで何一つ思い付いていなかったのだ。
「さぁ?」
“先生”は興味無さげにそう答えた。
「私は育てるのが仕事で、導くのは私の領分ではありませんのよ」
興味がないのは質問の内容だけではない。
レベルがカンストしたアートに、“先生”は完全に興味を失っていた。
心底から困り、心底から困った顔になったアート。
そこへ、同席していた【魔王】が提案する。
「ククク……【催眠】のアートよ。
貴様の欲望を曝け出すのだ。手に入れたい物、無力故に諦めた物。何かあるだろう」
「特にないです」
望みがあれば、アートはこれほど困ってはいなかった。
当時のアートには、力を得てもやりたいことが無かった。
力を得る前から、やりたいことなど無かったのだから。
「ククク……なるほどな……。
ならば、復讐したい相手等いるだろう?」
「いません」
「ククク……そ、そうか……。
では、単純な憎悪だ……例えば、不快な記憶の染み付いた土地等あるだろう」
「ないです」
「クッ……クク………そうかぁ………」
真剣に提案してくれる【魔王】を見て、夢を見ている方のアートも罪悪感を思い出した。
あの時の【魔王】には、本当に悪いことをしたと思う。
やりたいこと、自分の望みなんて、今なら簡単に言えるのに。
「ククク……フフフフ……ならば、あれだ。支配だ。
自分の生まれ育った町を、その力で支配してみせよ。
支配はいいぞ。特に支配後の展望がなくとも可能だからな」
当座の具体的な役をくれた【魔王】に深く感謝し、その後、アートは“先生”の教室から放逐された。
修行に纏わる記憶が消える際、それに深く関わった【魔王】の記憶も消えるのだと、【魔王】自身が言っていた。だからアートは、記憶が残っている前にと、何度も何度も礼を重ねた。
結論として、記憶は1つも消えなかったのだが。こうして、過去の情景を夢に見ているのが何よりの証拠だ。
高レベルの【催眠】スキル保有者であるアートは、精神操作に関する耐性があったのだろう。
アートは【魔王】の提案に従ってガーランド町へ戻り、町長を始めとした町民全員に片っ端から【催眠】をかけ、町の支配者となった。




