3-2. 配達するエリー
エルフのエリーはエルフ領からの追放以来、ヒューム領で配達者として働いている。
以前の拠点だったリエット侯爵領の領都リエット市を離れ、エリーは此処、パースリー子爵領の領都パースリー市へやってきた。
ヒューム領全体の中でも最果ての辺境であるリエット侯爵領は、広い領内で生産も消費も完結していた。
だが、パースリー子爵領はそれより規模が小さく、周囲を他家の領地に囲まれていることもあって、領を跨いだ物の動きが多い。
黒鉄級のエリーでは領外への配達の仕事は滅多に受けられないが、赤銅級まで上がればそういった仕事も増えるだろう。
最近読んだ親ヒューム派エルフの旅行記によれば、エルフ領は閉鎖的で、排他的で、前時代的で、差別思想が根深く、生の草や獣肉ばかり食べ、迷信的で、進歩とは縁遠くて、どの里も大した違いはないそうだが、ヒューム領は地域によって様々な特色があるという。
「楽しみではあるけど、不安でもあるなぁ」
「何がです?」
思わず漏らした独り言に反応し、同行者がエリーを仰ぎ見る。
ヒュームの少年、ジロー。
エリーよりは背が低いが、ハーフリングの友人より高い。
エルフのエリーにヒュームの年齢はよくわからないものの、まだスキルを持たない彼が、未成年なのは間違いない。
「ん、何でもない」
「そうですか。でも、改めて見て思いましたが……顔がいいですね!」
大袈裟な賛辞はスルー。
まずは宿泊施設を探さなければならない。
途中の村や町で依頼をこなしつつ、数日かけてリエット市からパースリー市までやってきた。ジローを抱えたまま、今日も3時間は魔法で飛行した後だ。
既にジローは「飛びながら食事や仮眠をとる」ほどの余裕も身に付いたらしく、到着時点から元気一杯だった。
特に体調を気遣う必要はないと見て、エリーは自分の思考に戻る。
新天地。楽しみではあるが、不安でもある。
配達者としてヒュームの町や村を周っていたエリーは、最近、変なスキルで暴れている人にばかり会うのだ。
【耳年増】に【健康サンダル】、【オケラ召喚】、【保温】、【掌返し】だったか。
その全員がレベル999で、全員が暴力に特化している。
レベル999に至ったスキルは「概念操作」が解禁され、そのスキルに関連することであれば――そのスキルに関連するとこじつければ――魔力の消費次第で、何でもできる。
概念操作は、こじつけさえすれば万能なのに。
こじつけの方法が、しょっぱい。
それに、婚約破棄されて落ちぶれた貴族令嬢が、復讐のために街を破壊するなんて、こう……どうなのか。
エリーには政治はわからない。ヒュームの価値観もまだ勉強中なので、具体的にどうすれば良いとは言えないが。
どうも、地元を襲った【鼻毛カッター】からツキが無いように思う。
あれですら王位簒奪を考えただけマシだった気もしてきた。
まあ、ここは魔窟リエット侯爵領から遠く離れたパースリー子爵領。
いくらなんでも、ここまで外れスキルレベル999が大量発生しているはずもあるまい。エリーはそう、楽観的に考えることにした。
「いい街だったら、しばらくお金を稼いで、家でも買おうか」
「大丈夫ですか? また大規模スキル戦闘で街が吹き飛んだりしません?」
「宿でいっか」
楽観論は吹き飛んだので、見つけた宿泊施設でとりあえず3日間、2人部屋を取った。
リエット市で受けた人捜しの依頼は、完了報告前に街が吹き飛んだので仕方なく拠点を移したが、道中の町のギルドで、完了報告は済んでいる。
成功報酬も入った。当面の生活費はある。
それでも仕事は必要だ。
「私が仕事してる間、ジローはどうする? 留守番?」
未成年のジローにはまだスキルがない。
多種族が集まる配達者の登録に年齢制限はないが、スキル無しだとそれなりの戦闘力を示す必要がある。ただのヒュームの少年には土台無理な話だ。
しかしジローは少し考えるようにして、
「そうですねぇ。ちょっと街を回ってみます」
と笑って答えた。
「わかった。それじゃ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
そういう流れで、エリーは1人配達者ギルドに向かった。
***
魔物素材の調達・配達依頼というのは、野生の魔物を狩り、その毛皮や肉、角や骨、その他を回収して納品するまでをセットにした仕事だ。
要は魔物を狩って素材を納めろという話だが、「配達者」という職種の法的根拠――建前として、「何かを何処かへ届ける」という形式で依頼内容を作成しなければならない。
護衛依頼や捜索依頼も「人を目的地へ届ける」という名目だし、依頼書にはその様に記載されている。
が、それは管理者側の都合であって、配達者の間では、魔物素材の調達・配達依頼も単に「討伐依頼」、「狩猟依頼」と呼ぶことが多い。
退治が主目的なら討伐依頼、素材が主目的なら狩猟依頼と、何となく分けられている。
今のエリーにとって、討伐依頼や狩猟依頼の最大の利点は、人里を離れられる点だろう。
人里離れた山奥ならば、復讐に燃えるレベルカンストテロリストに出会う可能性も低い。
街道沿いには野盗も出るだろうが、最初から空を飛べば問題ない。
少なくとも行き道は何の問題もなく、狩場へ到着した。
「≪ヒートヘイズ≫」
軽く魔法を唱えて一息。
周囲を見回し、視線を止めた。
「にゃーん、にゃにゃーん♪」
相対するのは、2足歩行の猫だ。
両の前足を胸の高さに掲げ、交互に上下へ振りながら、尻尾を揺らして近付いてくる。
「にゃんにゃこにゃん♪」
明るい声音で甘えるように、小首を揺らして寄ってくる。
屈んで手を伸ばせば届く距離。
猫の目付きが、鋭く変わる。
「オラッ、死ねェニャアッ!!」
猫の魔物は一呼吸で身を縮め、低い姿勢で跳ね、掌ほどまで伸ばした前肢の爪でエリーに斬りかかった。
獣の俊敏性は人のそれを大きく上回る。
加えて、種族スキルの【ひっかく】による動作と威力の補正。
油断していれば躱す間もなく、当たり所が悪ければ致命傷。
「あぎゃああああッ!?」
そんな一撃は、先程エリーが張った≪ヒートヘイズ≫の不可視の熱壁で受け止められ、魔物の体内は沸騰した。
即死だ。
「ネッコシーの素材部位は爪と毛皮と眼球……だけど、眼球はこれでいいのかな」
白く濁った眼球を見て首を傾げ、少し迷いながらも、一応解体用のナイフで回収する。【火魔法】にも切断用の魔法はあるが、熱に弱い素材を取るには普通の刃物が必要だ。すっかり蒸し上がったこの眼球については、今更のようにも思ったが、エリーは練習も兼ねて丁寧に解体をおこなった。
猫型魔物のネッコシーは人を襲い、食らう以上に、戯れに殺す危険な魔物だ。毎年猫好きの民間人を中心に犠牲者が出る。
肉は食用には向かないが、爪は靴のスパイク等に、眼は魔法薬の材料等に、毛皮は衣服等に使われる。
「えぇと、袋はこれが硬い物用、これが壊れ物用、大きいのが毛皮用……」
エリーには≪物がたくさん入る火≫という収納魔法があるが、起動に多くの魔力を必要とする。とりあえず袋に纏めておき、帰る前に魔法の中へ放り込む算段だった。
「まずは1匹。目視で探すのは面倒だし、≪ファイアビット≫」
特に意味もなく指を鳴らすと、エリーの周囲に8つの火の玉が現れる。
「魔物の群れを探してきて」
特に必要もなく口頭指示を出すと、火の玉は8方向に散開した。
索敵用の≪ファイアビット≫を飛ばして少々、火の玉の1つが、エリーの元に戻ってくる。
そして、空中に文字を描くように飛び始めた。
「徒歩2分の距離にイヌルト14匹の群れ、だね」
なお、やろうと思えば≪ファイアビット≫の確認した情報は、遠隔から直接エリーに共有することも可能だが、これは魔力の節約と――気分の問題だ。
エリーはふんふんと軽く頷き、残りの≪ファイアビット≫を遠隔指示で呼び戻す。
サイズを縮小し、周辺警戒のために周囲に飛ばすと、鼻歌交じりに歩き出した。
何ということはない、簡単な仕事だ。エリーはそう思った。




