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仮面

作者: 春野天使

 遙か遠い昔のこと。

 ある国では、十五才になった少年達が、『成人の儀式』を行う習わしがあった。その日を境に、彼らは少年から一人前の男として認められる。それは、大人になるための儀式であった。

 一年に一度、国中はお祭り騒ぎとなり、その年に十五になった少年達は、一日中人々からもてはやされる。宴は朝から晩まで続き、国中が喜びで溢れる。

 中でも最大の呼び物は、少年達による闘技大会だ。剣を用い、一対一で試合を行う。最後まで勝ち残った少年は、英雄となり、後世まで語り継がれていく。その後の人生にまで影響を及ぼすことになるという、まさに人生をかけた闘いでもあった。もちろん、剣は真剣ではなく木の剣を使うが、少年達の気迫ある闘いは迫力があり、毎年何人かの少年が大ケガをすることになる。

 少年達にとっては、命を懸けた闘いであった。




「どうした、イドシア! 腰が引けているぞ!」

 白昼の公道で、二人の少年が木の剣を交じ合わせていた。背が高く逞しい体つきをした少年と、小柄で華奢な少年。二人の体型を見れば、勝ち負けは容易に分かる。イドシアと呼ばれた細い少年は、額から大粒の汗を流し、肩で荒い息をしている。二人の直ぐ脇では、一人の美しい少女が指を組み、心配げに二人の様子を見守っていた。

──今日は僕の誕生日。今日で僕も十五だ。明日からは大人になる。

 『成人の儀式』を受けるのは、その日の前日までに十五になった少年達だ。イドシアは、ギリギリで今年の儀式に参加することになった。

──闘技大会で恥じをかきたくない! フィリーネのために。

 イドシアは傍らに立つ少女に目を向けた。

 と同時に、鋭い一撃がイドシアの剣をとらえ、木の剣は大きく飛ばされた。

「お前にはスキがありすぎる!」

 高らかな少年の笑い声。イドシアは茫然と、道に転がった剣を見つめた。

「ペトゥラ、少しは手加減しておやりよ」

「イドシアはまだまだ子供なんだから」

 道行く人々が面白そうにヤジを飛ばしながら、通り過ぎていく。皆、明日の儀式の準備でせわしなく動き回っている。

──今日は誕生日なのに……。

 イドシアはガックリと肩を落とす。イドシアの誕生日は毎年儀式の前日。人々は翌日の準備に忙しくて、家族にさえ誕生日を祝ってもらったことさえなかった。

「明日の闘技大会の優勝者はあんただね」

「ペトゥラは今年の英雄だ」

 皆がペトゥラに声をかけていく。同じ十五才だが、二人はあまりにも違い過ぎた。

「イドシア、大丈夫?」

 俯いたイドシアの前に、木の剣が差し出された。顔を上げると、フィリーネが優しく微笑んでいた。いつも優しく側にいてくれるフィリーネ。彼女はイドシアの許嫁いいなずけだ。生まれた時から両親によって決められていた、将来の花嫁。

「……」

 イドシアは無言で、乱暴に剣を掴んだ。屈辱が彼を襲う。フィリーネは、とうに自分に愛想を尽かしているのだろう。こんなに弱い花婿など愛しているはずはない。悔しさと恥ずかしさがこみ上げ、気付いたらフィリーネに背を向け走り出していた。

「イドシア!」

 後ろでフィリーネの困ったような声がしたが、イドシアは振り向かず走り続けた。




──強くなりたい! ペトゥラのように……否、もっと、もっと強くなりたい!

 丘を駆け上がり、イドシアはひたすら走り続ける。このままどこかに逃げ出したかった。明日の儀式が怖かった。闘技大会が怖い。結果は目に見えている。両親やフィリーネの悲しむ顔。諦めのため息。

 いっそこのまま消えてしまえばいい。このまま大人にならず、イドシアは自分の体を消し去りたかった。流れ落ちる汗が、瞳から溢れ出る涙と混ざり合う。

 イドシアは小高い丘を抜け、いつの間にか深い森に入っていた。晴れ渡っていた青い空は、生い茂った高い木々に消され、光りを失った真夏の暑さはなくなり、肌寒ささえ覚える。夜のような暗闇が、静寂の中に広がる。と、闇の中で羽音が聞こえ、不気味な鳥の鳴き声する。

 イドシアはビクッと体を硬直させ、立ち止まる。ひんやりとした森の空気に、額の汗はいつしか乾いていた。暗闇にさえ怯える自分を、イドシアは今更ながら情けなく思う。

──死んでしまおうか……。

 絶望的な思いが彼を包む。

──この森で誰にも知れずひっそりと……。

 大粒の涙が、彼の頬を伝って流れ落ちた。だが、彼は分かっていた。自分には死ぬ勇気さえないと……。イドシアは肩を震わせ地面を蹴った。

──力が欲しい! ペトゥラに負けない強い力! 誰もが恐れるような大きな力。僕は英雄になりたい!

 イドシアが心の中で強く願った時、暗い森が一瞬光りをおびて明るくなる。と、静けさを突き破るような鋭い雷の音が響いた。その後、暗い森が一層暗さを増し、虫の羽音さえ聞こえてきそうな程の静けさが辺りを支配する。

『お前の願い、叶えてやっても良い』

 突然響いてきた男の声に、イドシアは心臓が止まりそうな程驚く。それは、地獄の底から響いてくるような、低く太い感情のない声だった。イドシアは怯えながら辺りの暗闇を見渡すが、そこに人の気配はなかった。しばしの沈黙。空耳かと思った矢先、大地を揺するようなくぐもった笑い声が響く。

「だっ、誰だ!」

 イドシアは体を震わせ、目を見開く。

『お前が欲しいのは、強い力ではないのか? 私がお前の願いを叶えてやろうと言っているのだ』

「どっ、どこに!? お前はどこにいる?」

『暗くて見えないか?』

 声の主は、怯えるイドシアを面白がっているように笑う。

『人間の視力とは役に立たぬものだな。私はお前のすぐ下にいる』

 イドシアは飛び上がり、視線を落とした。

「どこに……?」

『お前ほどの小心者は見たことがない。足元を掘ってみろ』

 イドシアは身を屈め、震えながら木の剣を使って地面を掘る。柔らかい土をしばらく掘っていくと、剣の先が何かに当たり小さな音を立てた。

『気をつけろ。私を傷つけてはお前の望はかなわぬ』

 イドシアは剣を脇に置き、土を払ってそれを持ち上げた。楕円形の丸い物。彼はじっとそれを見つめる。暗闇に目が慣れてくると、イドシアの目にもはっきりとそれが見えてきた。頭からすっぽりかぶる兜のような形をした仮面。目と鼻と口の部分がくりぬかれた古くて不気味な鉄の仮面だった。目の穴も口の穴もつり上がっており、その表情は、まるで人をバカにして笑っているかのようだった。

「これが……?」

 それは、何の変哲もないただの古い仮面だった。

『私の力を疑っているのか?』

 しばらくして、鉄仮面から声が響き、イドシアは再びビクリと身を縮める。

『試しに私を被ってみろ』

 イドシアは少しためらった後、恐る恐る仮面を頭から被ってみる。自分には大きすぎると思った仮面だが、つけてみるとピッタリとおさまった。一瞬、ずしりと重い感触が頭に伝わったが、次の瞬間には何も感じなくなった。

「あっ……!」

 イドシアは自分の顔を手で触り、驚きの声を上げる。確かに顔につけたはずの仮面が、なくなってしまっている。つけた仮面は消え、手の先には自分の顔の感触が伝わった。

「仮面が消えた!」

『驚くことはない。私はお前の中に宿ったのだ』

 仮面から響いていた声が、今度は自分の体の中から響くのに気付き、イドシアは心底驚いた。仮面はイドシアの顔の中で高らかに笑う。

『どうだ、気に入ったか? 他人には仮面をつけていることが分からない。お前の望み通り、私はお前に力を与えることが出来る』

「仮面を外すにはどうすればいい? まさか、ずっと僕の中にいる訳ではないね?」

 消え去った仮面に、イドシアは不安を覚える。

『心配するな。私はお前の体を乗っ取る訳ではない』

 仮面はフフンと鼻で笑った。

『お前が私にご褒美を与えてくれさえすれば、私はずっとお前に力を与え続けられる。普段はお前の体の中で休ませてもらおう』

「ご褒美って?」

『今に分かる。お前は明日英雄になれるぞ』

 仮面は低い声で続けた。

「英雄に……」

 イドシアは傍らに落ちていた木の剣を拾い、一振りし空を切ってみる。さっきまでとは違い、木の剣が軽く感じられた。山道を走り続けた疲れも、嘘のようになくなっている。体中から力が沸いてくるかのようだ。もう、真っ暗な森など、ちっとも怖くはない。

 イドシアはニンマリと微笑んだ。

「僕は強い。誰よりも」

 体の中から勇気が沸いてきた。自信をなくしていた自分が馬鹿みたいだ。イドシアは声を立てて笑うと、剣を振りかざしながら森を引き返して行った。

 森を抜けた時、上空にはさっきと変わらない青空が広がっていた。眩しい夏の陽を浴びながら、イドシアの心は喜びに満ちていた。あの仮面の声は、もう聞こえない。




「イドシア! イドシア!」

 丘を下りかけた時、愛しいフィリーネの姿が見えた。彼女はイドシアを心配して後を付けてきたのだ。

「イドシア、どこに行っていたの?」

 フィリーネはイドシアの元に駆け寄って来る。

「突然いなくなって、心配したわ……」

 彼女は荒い息を吐き、青い瞳を潤ませてイドシアを見つめる。顔色が悪く、少し具合が悪そうだ。イドシアは『成人の儀式』のことで頭がいっぱいで、あまり気にかけてなかったが、最近の彼女はどことなく元気がない。イドシアは彼女に微笑みかけ、そっと彼女の両手を握った。

「ごめんよ、心配かけて。君の目の前でペトゥラに負けたのが悔しくて。でも、もう大丈夫」

 これからは、自分のことばかりでなく、フィリーネのことも気遣ってあげなくてはいけない。そう考えられるくらい、イドシアには心の余裕が出来てきた。体の底から自信がみなぎってくる。ほんのさっきまでの気弱な自分が嘘のようだ。今なら、ペトゥラとの試合に楽勝出来そうな気がする。フィリーネも、そんなイドシアの変化に気付き、口元を弛めた。

「さっきのは練習試合だもの、負けたってどうってことないわ。大事なのは明日よ」

「そうだね。明日はきっと勝ってみせる。闘技大会で優勝して、英雄になってみせるよ」

 イドシアは澄んだ緑色の瞳で、真っ直ぐフェリーネを見つめ返す。

「イドシア、どうかした?」

「え?」

「何だか、いつもの貴方じゃないみたい」

「そう? 僕はいつもの僕だよ」

 仮面のことは、フィリーネには黙っておこうと思った。見えない仮面を被っているのだと話しても、信じてはもらえないだろう。

「今日で僕は十五才、明日はいよいよ『成人の儀式』だ。僕はもう一人前の大人だからね」

 フィリーネは、イドシアに握られた手を強く握り返した。

「イドシア、儀式が終わったら私達……」

 フィリーネは少しはにかみ、言葉を切る。

「成人の儀式の後は、婚礼の儀式だね」

 イドシアは、彼女の言葉を続けて言った。フィリーネは顔をほころばせ、こくりと頷いた。イドシアは改めて、彼女を愛しく思う。頼りない自分をいつも励まし、側にいてくれた優しく慎ましやかな少女。彼女の花婿になることにずっと自信がなかったが、今ならハッキリと確信できる。必ず彼女を幸せに出来ると。

「愛しているよ、フィリーネ」

「私も……」

 イドシアは、初めて躊躇なく愛の言葉を言えた気がした。彼は優しくフィリーネを抱き寄せると、そっとその柔らかな唇に口づけた。イドシアにとっては初めての口づけだったが、ためらいも戸惑いもなかった。それは、仮面のせいではないと、彼は思う。

──フィリーネのためなら何でも出来る。フェリーネを一生愛し続ける。

 丘の上を爽やかな風が吹き抜け、抱き合う二人の背中を撫でていった。




 翌日の『成人の儀式』の日も、空は晴れ渡り、真夏の太陽と青空が広がっていた。国中は、朝早くからお祭り騒ぎのような賑わいを見せていた。数十名の十五才の少年達は、午前中、祭殿の間で静粛に『成人の儀式』を執り行い、正式に大人の仲間入りをした。

 一晩明けても、イドシアの自信と勇気は体中に満ちあふれていた。あんなに恐れていたはずの儀式さえ、一つ一つ楽しむことが出来た。

 最後に、一人一人に真剣が与えられた。本物の真剣を手にして、あのペトゥラさえ緊張気味であったが、イドシアは大人が使う真剣さえ、木の剣のように軽々と手にすることが出来た。キラリと美しく光る剣に見とれるほど、気分が高揚した。

「イドシア、剣を鞘に収めなさい」

 あまりに長く真剣を見つめていたせいで、司祭に注意された。

 こんなに剣が美しいものだとは、イドシアは思っていなかった。木の剣さえ怖く思っていたのに、気付かぬうちにすっかり剣の虜になっていた。

──早く、闘技大会で試合をしたい。剣を使いたい。

 真剣を鞘に収めながら、イドシアは強く思った。試合で使うのは、もちろん木の剣だが、今の自分なら真剣でも戦える気がする。

──仮面の言った、『ご褒美』とは何だろう……?

 昨日、仮面が語っていたことを、イドシアはふと思い出す。力を与える代わりに、仮面は『ご褒美』を欲しがっていた。未だにそれが何なのか分からない。自分の体の中に溶け込んでいるはずの『仮面』は、ずっと沈黙を守っている。彼は眠っているのだろうか? それとも、イドシアの体の中に消えてしまったのだろうか? 

 いつまた、『仮面』が語り出すか、イドシアは少し不安だった。しかし、午後になり、真夏の太陽が空の真上に昇った頃には、彼の不安はすっかりなくなっていた。




 いよいよ、闘技大会が始まった。多くの観衆が見守る中、試合は一対一の勝ち抜き戦で行われていった。

 イドシアには自信が満ちあふれていた。自然と力が沸いてきて、負ける気がしない。だが、昨日までのイドシアを知る少年は、一回戦で彼と当たったことに喜んでいた。「弱虫のイドシアなら楽に勝てる」誰しもそう思っていた。

 しかし、結果は、予想に反してイドシアの一撃で勝負がついた。相手の少年は剣を振ることさえ出来なかった。呆気ないイドシアの勝利に対戦相手の少年も、観衆も唖然とする。ただイドシアだけは、当然の勝利だと思っていた。

──相手が弱すぎて、話しにならない。僕にはもっと強い相手が必要だ。

 剣を空で切りながら、イドシアはため息をつく。仮面の言うとおり、簡単に英雄になれそうだ。次の相手も、その次の相手にも、イシドアは楽々と勝利することが出来た。

 予想外の展開に、誰しもが戸惑いの表情を浮かべている。

「イドシア、いつの間にそんなに強くなったの? 昨日までの貴方とは別人みたい」

 フィリーネもイドシアの強さに驚いている。

「対戦相手が弱すぎたんだよ」

 イドシアとフィリーネの元にペトゥラが現れる。ペトゥラも順調に勝ち進んでいた。

「だが、今度はそうはいかない」

 ペトゥラはキッと、イドシアを睨んだ。

「次の相手は俺だ」

 一瞬、イドシアは顔と頭にズシリとした重みを感じた。あの仮面をつけた時に感じた重み。思わず自分の顔を触ってみたが、仮面は現れていない。

「どうした? 怖じ気づいたのか?」

 ペトゥラが口を曲げて笑う。彼は隣りに立つフィリーネを一瞥した。

「まさか……今日は絶対負けない」

 イドシアもペトゥラを睨み返す。

「頑張って」

 フィリーネはイドシアとペトゥラを交互に見つめる。

「僕は必ず優勝する」

 ペトゥラに勝てば、優勝だ。イドシアはフィリーネの手を取ると、そっとその甲に口づけした。

「英雄になって、君と結婚する」

 彼女はイドシアにゆるく微笑みかけた。と、またズンッと頭に重みを感じた。『真剣なら良いのだが』、心の奥であの仮面の声が低く響いてくる。イドシアはギクリとして、辺りをうかがうが、ペトゥラとフィリーネ以外、側には誰もいない。

「さぁ、試合が始まるぞ」

 ペトゥラに肩を小突かれる。声はイドシアにしか聞こえないようだ。イドシアは木の剣を掴み、観衆の前に進み出た。沸き上がる歓声。誰もが二人の少年に注目する。

 彼は木の剣を構え、ペトゥラを睨む。

『剣を真剣に替える気はないのか?』また、声が響いた。

──黙って。試合に集中出来ない!

 イドシアは心で答える。体の中で、小馬鹿にしたような低い笑い声が聞こえてくる。

『調子に乗るな。今まで勝ち進んでこれたのは、私のお陰だ。私がいなければ、お前は一度も勝てはしなかった』

──黙れ! お前なんかただの仮面じゃないか!

『フン、強くなったな。憎しみは最大の力を発揮することが出来る。もっと、憎めが良い。目の前の相手にお前の憎しみをぶつけるのだ』

 やがて、試合が始まり、イドシアとペトゥラは剣を交える。静まりかえった中に、剣を打ち合う鋭い音が鳴り響く。今までの相手とは違い、やはりペトゥラは強い。仮面の力を借りてさえも、一撃では倒せない。

『そろそろ、褒美が欲しくなってきた』

 突然、低い声で仮面は呟く。

『真剣ではないが、構わないだろう。私が力を貸してやる』

──褒美? 褒美とは……?

 ペトゥラに体を打たれそうになり、イドシアは慌てて剣で応戦する。

『油断するな! 負けてしまうぞ。良いか、奴の首を狙え』

──首? ペトゥラの首を……?

『さぁ、イドシア! 今だ。憎しみを込めて、奴の首に剣を振り下ろせ!』

──ペトゥラの首!

 イドシアはありったけの力を込めて、ペトゥラの首をめがけ、木の剣を振り下ろす。イドシアは、ようやく理解出来た。仮面が欲しがっていたものを。仮面のご褒美を。

 剣がペトゥラの首に当たった瞬間、木の剣は真剣のように鋭くなり、容易にペトゥラの首をはねた。首は血しぶきをあげながら、ボールのように弧を描いて飛んでいく。

 大歓声が一瞬にして沈黙に変わる。唖然とする人々。そして、悲鳴。混乱。逃げまどう人々。

 ペトゥラの血を全身に浴びたイドシアは、剣を握ったまま茫然と立ちつくしていた。

『よくやったぞ、イドシア。見事な剣さばきだ』

 満足そうな仮面の声。仮面はペトゥラの首と血の褒美を喜んでいる。

「まさか……まさか木の剣で」

 ふと我に返ったイドシアは、震える手で血を吸った木の剣を投げ捨てた。

「ペトゥラ……ペトゥラ!」

 取り乱したフィリーネが、首のないペトゥラの胴体に近づいて来る。

「フィリーネ……」

「何故? 何故こんなことに?」

 フィリーネはペトゥラの体を揺すりながら、涙を流していた。

「何故、ペトゥラを殺さなきゃならないの!?」

「それは、あの仮面が……」

 イドシアは口ごもる。ペトゥラが憎いと言っても殺すつもりはなかった。これは闘技大会。木の剣で首をはねるなどとは、思いもしなかった。

「フィリーネ、これには訳が──」

 フィリーネの側に屈み込んだイドシアは、突然脇腹に鋭い痛みを感じる。

「フィ、フィリーネ……」

 脇腹には短剣が刺さっていた。それは、ペトゥラが護身用にいつも腰に下げていた短剣。

「どうして……?」

 刺さった剣を押さえ、イドシアは悲痛な表情でフィリーネを見つめる。体からはドクドクと赤い血が流れ出していた。

「私は、貴方など愛していない!」

 フィリーネの美しい青い目が、怒りでつり上がる。

「私が愛していたのはペトゥラよ」

「……」

 イドシアは目を見開くと、そのまま前のめりに倒れ込こんだ。

『愚かな者だ、愛していた者に裏切られていたとも知らず。だが、たった一日で私の住処がなくなるとは……』

 朦朧とする意識の中で、イドシアは仮面の低い声を聞いた。愛しかったフィリーネに最後の力を振り絞って手を伸ばしたが、その手が握られることはなかった。

 やがて、イドシアの顔と頭から重みが消え、コトリと音を立ててあの仮面が姿を現した。 フィリーネは、突然現れた仮面に驚く。

『お前は顔に似合わぬ強い心を持っておるな』

「……誰?」

『恐れることはない。私は昔、戦士の首と共に切り落とされたただの仮面だ。今では主が誰であったのかも覚えていない』

 フィリーネは恐る恐る、不気味な古い仮面を手に取った。

『お前は許嫁を殺せはしたが、残念ながら剣で首を切り落とすことはできまい。だが、お前の腹に宿る子供なら、私に褒美を与えてくれそうだ』

「……私の子供? 私には子供などいないわ」

『隠さなくても良い。私には全てお見通しだ。お前の腹の中には既に新しい命が芽生えている。お前の愛した男の子供だ』

 仮面は面白そうに低く笑う。フィリーネは唇を噛むと、俯いた。

『お前は強い女だが、この先子供を産み、人で生きていくのは大変だろう。どうだ、私と取引をしないか? 私がお前とお前の子供の手助けをしてやっても良いぞ』

「……それは、どうやって?」

 しばらくして、彼女は仮面に聞く。

『ただ、私を被れば良い。心配しなくともお前が被れば私の姿は消える。お前のその美しい顔を隠すことはない』

 仮面は笑う。フィリーネは怖ず怖ずと不気味な仮面を手に取った。

『私がいれば大丈夫だ。お前の息子はイドシアとは違い、真の英雄となり、私にたくさんの褒美を与えてくれることだろう』

 仮面は満足そうに言い放つ。

『さあ、私を被りなさい』

 フィリーネは意を決し、仮面を頭から被った。ズシリとした重みの後、仮面はフィリーネの顔の中にスッと消えていった。イドシアとペトゥラの遺体が転がり、混乱する人々の中、フィリーネはゆっくりと立ち上がった。

──お腹の子供の父親は、イドシアよ。そのことだけは忘れないでね。

 フィリーネはそっとお腹をさすり、自分の中に消えていった仮面に念を押すように告げた。仮面は沈黙を守り、その声はもう聞こえない。

 フィリーネは二人の少年の遺体を残し、静かに立ち去って行った。            終









参加出来るかどうか微妙でしたが、どうにかギリギリで投稿することが出来ました……。三日くらいで考えた作品で、まだまだ修正したい個所もありますが、今夜しか投稿出来なかったもので、取り敢えず投稿します。

毎年、日本のホラーを書いていたんで、今回は洋物に挑戦してみました。誰しも本心を隠し、仮面をつけているのかもしれませんね。本当に怖いのは人間なのかも。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 大変テンポがよく読みやすかったです。さっぱりとしていて、後味が良かったです。全員悪玉なのが怖かったです。 [一言] これからも頑張ってください。
[一言] 春野天使さん、こんにちわ。 相変わらず上手ですね。 短期間で、これだけのストーリーをまとめられるのは才能以外の何物でもないですね。 ホラーとは言っても、全世界ロードショーの大作ファンタジー作…
[一言] 小説を拝見さしていただきました。 ええ、人間誰しも仮面を持っているものです。 ことわざでは、猫をかぶるとか言いますしね。
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