鬼の目
真っ暗な闇。自分の足元が見えない、周りも見えない、何一つ見えない。家の近くの川原で寝そべっていたら、こんな世界に引き込まれた。
とにかく、ここに来る前の事情なんてどうでもいい。それより、この闇。何も見えない。隣にいたはずのあの人の手も触れない、周りの空気は凍るように冷たかった。
ふと、手を空中に浮かせてみると、なにかぷにぷにと柔らかいものに触れる。それは太い縄のような大きさで、縋るものがなかったので、思わず掴んでしまった。
「きゃっ……」
ぬめぬめとした、気持ち悪い感触。生暖かい液体が手を伝い、袖の間から服に入り、肩の辺りにベトベトしたそれが触れる。
私が掴んだもの、それは鬼の尻尾だった。ぬるぬると手から滑り落ち、鬼がふりかえって私を睨んだ。暗いせいか、目しか見えない。そのギラギラ光る目はこちらをじろり、と睨んだ。一つ二つと目が増えていく。本当は2つずつ増えるはずの目が、なぜか一つずつ増えていく。すべて逸れることなく私を見つめる。
鬼の目が、後ろから、前から、左右から、斜めから私を睨む。何も言わず、尾を引っ込め、私をジトジトと見つめる。その目は何を伝えているのか、意図がまったく分からなかった。深い悲しみを奥に秘めているような漆黒の眸は瞬きもせずにただ私を睥睨する。
鬼の目は私を見ていた。突き刺すような目で一ミリも視線を動かさず、私を見ている。もう恐怖はなかった。鬼の尻尾は暗闇に隠れ、光る目しか見えなくなっていた。
面白い、なんて思っていたとき、不意に鬼の醜貌な手が頬を荒く撫でた。
とっさに私はその手を握り返した。鬼は驚いたように私を見る。
私はその時、初めて鬼の涙を見たのだった。