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第2話 アガサ・クリスティ



「こんにちは、私はアガサ・クリスティと言います。少しあなたには借りがありましたのでね、お返ししに参りました」


 そのように、こちらを助けた女が名乗る。逃げられたかと言えば、まあ簡単だったが助けられたのは事実だ。少なくとも戦い方を碌に覚えていない状況で、あれ四体を相手にメアを傷一つなく守り切れたかと言えば難しかっただろう。


それに、見た目の美しい女を邪険にするほど霊王はヒトを超越していない。少なくとも、10年の記憶を失った今では。


「とりあえず、礼は言っておくよ。けれど、どうやら記憶喪失らしくてね。僕としては君とは初対面としか思えないのだが」


「そうですの。まあ、こちらの気分の問題ですから、そういうのはいいのですけどね」


 解析する。矛法F 迅法C 射法B 癒法Ð 乖法F 創法F。どうやら中々の使い手の様だ。先の攻撃は射法――力場そのものを投げつけた。見えないゆえに厄介だが、感知する術ならばいくらでもある。


「しかし、あなたのような人に貸しを作るなんて記憶を失う前の僕はどんな人だったんですか? 我がことながら想像できませんね」


「ふふ、さて。私よりもそちらのお嬢さんの方が詳しいのでは?」


「……メア?」


「――」


 悲しそうに首を振る。それだけで問う気が無くなってしまった。なんなのだろう、この気持ちは。どうやら自分がメアのことを大切に思っているのは間違いないようだが――そこから先が全く分からない。というか、誰だ? この子。


「ふふ、そちらのお嬢さんには本当に甘い。あなたらしくもない、いえ――あなたらしいのかしら」


 そして、アガサはただたおやかな笑みを浮かべているだけだ。ここだけ見るならば普通の女の子にしか見えないが、しかし“ここ”は血と臓物で汚れたスプラッタ現場だ。こんな場所でそんな笑みを浮かべられる時点で只者ではない。というより、Bを持つ者が人間であるはずがない。


 知っているという自覚さえなかったが、霊王はそのクラスがあればこの学校程度は一撃で吹き飛ばすことなど容易いと知っている。兵器ならば核くらいは持ってこなければ倒せないだろう。ミサイル程度では逆に撃ち落とされるだけだ。


「そんなもの、僕に聞かれても知るはずがないだろう。けれど、こんな可愛らしい子を邪険に扱うなんてことは誰にもできないと思うけどね」


「まあ、あなたはそうでしょうね。あなたは人の世なんてどうでもいいように見えて、実際にどうでもよくても――真摯に救いを求める手には、割かし応えていましたものね」


「――へえ」


 言葉の端々から僕が大人物だったのごとき匂いが上ってくる。……この、僕が? 違和感この上なく大きいが、しかし突っ込むことでもないだろう。


「……メア、僕たちはこれからどうしようか」


「おうちに帰ろ?」


「家、ね。そんなものがあったのか」


 ああ、まったく分からないことばかりだ。まさか、自分が家など持っているとは。さて、どんなボロ家か見物ではあるが……ボロだとこの子がかわいそうだな。


「そう、あなた拠点があったのね」


「クリスティ、あなたでも知らなかったのか?」


「別に親しくしてたわけでもなし。色々知っていることはあるけれど、それは秘密にしておくわ。日が暮れるし、何よりもあなたに私を味方と思ってほしくないのよ」


「――そう。理由を聞いても?」


 特に驚きはしない。普通、こんなことを言われたら驚愕してしかるべきだ。土台、人間なんてものは周囲が味方と疑ってかからないものだろう? だが、僕は――どうやら他人を味方など思っちゃいないらしいね、どうにも。


「普通の理由よ? 私は私のために動く。あなたのためじゃないのよね、でも――それで裏切られたとか思ってほしくないのよ。知っているでしょう? それとも、忘れたのかしら。それが人間というものよ。だから、私があなたのママじゃないってことは了解しておいてほしいの。ね、記憶喪失さん?」


「――アガサ・クリスティ」


 ああ、面白い人だ。顔が勝手に笑みを浮かべる。後ろ手にナイフを隠し持って相対する緊張感が心地いい。殺意と殺意が交差する感覚……懐かしい。


「……?」


「偽名、もしくは仇名(あだな)のようなものかな。それは虚構()に魅力的な殺人事件を作り上げた作家の名前。……貴女はこの(アビス)に不可能犯罪でも作り上げる気かな」


「ふふ。あははははは! なるほど、そこで名探偵とならないところがあなたらしい。ええ、私は彼女と同じく(ここ)に死体を積み上げて見せましょう。我が栄光のために。私のために。だから、あっけなく潰れないでくださいね?」


 彼女もまた笑みを浮かべる。霊王と同じく――闇に蠢く者、人外の笑みだった。きちきちと高まる邪気、そこに”人間”がいたら気が触れてしまうだろう。極限の緊張、それを好むのだとしたらヒトとして壊れている。


「善処しよう」


 君を殺せるように。とは口に出さない。そんなことは口に出さずとも互いにわかっている。ゆえにこそ面白い、と二人の世界で笑みをかわす。


「では、ご忠告をひとつ。ラスト・バタリオンには気を付けなさい。あの戦争屋どもは気が狂っている。その子を守りたいのなら精々守ってあげることね。でないと、こういうことになる」


 窓を指した。


「――」


 注意はそらさない。それでも知覚の密度が下がったことは事実。こう言われては全周囲を警戒するしかない。そう、全周囲を警戒した。なのに。


「――消えたか」


 クリスティは消えていた。


 迅法ではない。同クラスならば感知くらいはできていたはず。……偽装? その考えが浮かんだがすぐに否定する。上げたとしたら分かるし、そもそも上げるのに時間がかかる。本来ならAクラスのところをCクラスにまで下げるのはたやすい、が元に戻すのは時間がかかる。


 この偽装は見抜けない。なぜなら、その瞬間ではそれが真実だからだ。けれど、真実だからこそ、その瞬間は本当にそのステータスになっている。一瞬で偽装を脱ぎ捨てられるような都合のいいことはないというわけだ。


 ――実力は向こうの方が上だとまざまざと思い知らされた。


「思い出す必要がある――か」


 霊王は厳しい目を虚空に向けた。




「――」

 

 未だ消えないかすかな殺気。霊王とクリスティの睦み合い。ぞくぞくと身体が震えて――


「むぅ」


 袖を引かれた。しかも、かわいらしく声を出して。


「メア? どうしたの。もしかして、痛い? 怪我はさせてないはずだけど」


「ううん。お兄様が守ってくれたから。でも――」


 霊王は首をかしげる。そこらへんはよくわからない。そもそも人間関係とやらがよくわかっていない。霊王は日本人でありながらアビスにいる。現実において一般人は一般人でしかないが――このアビスでは、心が人から外れていれば人外になる。


 彼もまた現実では一般人でしかなかった。けれどその心は人間のものではなかった。霊王に人間のことなど分からない。友も家族も、記号としては解析できても、その本当のところは理解などしていない。そもそもにして友などいなかった。霊王には他人の気持ちなど分からない。現実に居れば社会不適合者になっただろう。


 だから二度と帰れぬ地に躊躇なく足を踏み入れた。電波が通らない、ということがないにもかかわらず外と連絡したことがない。


「そう、傷がないならよかった」


 霊王はそれで興味をなくしてしまった。メアはぷうっとかわいらしくほおを膨らませた顔で、そっぽを向く。


「……むぅ――」


 メアは不満げに霊王の袖を握りしめる。


 ここでトラウマの兆候の欠片も見えないのが、この子も所詮は人から外れた”異常”だと示している。守ってくれるから安心、と思っていたとして異形のくまモドキ、そしてあの殺意の坩堝に触れれば気が触れないはずはないのだから。


 そして、メアの表情はもう笑顔に変わっている。まあ、子供の表情は変わりやすいというが、ここだけは年相応に見えるのだった。



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