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R値についての歴史 あるジャーナリストの手記


 R値というものを聞いたことがある人は日本では少ないように思う。それは、おそらく世間というものがあの陰惨な戦争を“夢の世界”としてどこか遠くにやっておきたいからと言う心理が働いたからなのだろうと私は思う。

 かの悪逆非道なナチスの残党が、派遣しておきながらその存在を教会に否定された第十次十字軍が、今や先進国として後進国を支援する日本の“かつてあった暗部”等々が闇の中でうごめき血の花を咲かせる戦争が今もなお続いていることなど、誰も知りたくないのだ。

 だが、現実に(アビス)はあるのだ。かの学園都市アビスでは大洋の中にぽつんと存在するその小島では現実にはありえない超常の能力でもって大戦争が行われている。【R値1以上】の世界に住む我々とは異なる法則で生きている人々がそこに居る。


 ――では、R値とは何なのか? と聞かれたとしよう。私はこう答える。すなわち「悪夢と現実を隔てるもの」と。かの量子物理学の権威、ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクが提唱した”それ(R値)”は、如何なる原理によって働いているのか、説いた本人ですら理解できてはいない。

 ……それを疑問に思う者が居るだろうか。

分からないものを説明することなどできるわけがないと言うだろうか。エアコンが部屋を冷やす原理、テレビが映像を映す方法、そんなものは知らないしどうでもいいが、作っている人はちゃんとわかっているはずだ――と。実際、その原理を説明できる人は希少種に属すると思うが、それでも文明の利器を使えている。

実際にエアコンは熱力学だし、テレビはある種ピタゴラスイッチのような連続した原理でそのことは説明されている。数式で証明だってできている。

上に上げた二つは分かっているから作れる、典型的なものだろう。だが、諸君らはトリニティ実験というものを知っているだろうか。それを知らなくても、世界で最初に行われた核実験だと言えば、なるほどと納得した気になってもらえるだろう。だが、その実験はどこまで被害が広がるかわからなかったと言えば? 地球そのものが焼き尽くされるかもしれない、そんなシミュレーションさえされた。

つまり、“分からない”ものを“分からない”まま作るのは決して現実にないことではないのだ。アビスも同じ、なぜか”そうなる”。

 ……なにが言いたいのか分からない? では、こう言おう。“R値という法則を理解できる者はいない”。実際、それはそういうものと言うしかないのだ。例えば、光は波と量子の二つの側面を持つことは実験から証明されているが、それをモデルにできた人間は皆無である。波の側面だとこう、量子の側面だとこう、で二つに分けて説明しているに過ぎない。それにしたって、やってみたらこうだと言うことが分かったと言うだけの話で本当の理解ではない。再三、言ったとおりだ――R値は理解できない。

 結局、それは量子力学と同じく人間にとって理解できないものだ。ただ、現実をもって知るのみだ。つまり、「R値1未満の世界は地獄だ」と。


 初期において“夢”を現実に持ち出す試みを最も熱心に行ったのは米軍だった。第二次世界大戦後に一番余裕があったからと言えばそれまでだが、やはりアメリカは新しいものは強いと言う国民思想があるのだろう。それはともすれば新しいものにすぐ飛びつく尻軽と言われてしまうだろうが。

 かの“無名”なジョージ=クリスティンがその言葉だけ有名となった、「研究には成果が必要だ。結果、データ、モデル――なんでもいい“新しいもの”があれば。だが成果の出せない研究に意味はない」という言葉。彼は自分でも己を責めたが、この言葉をもってさらに責め立てられる羽目になるとは彼も思っていなかったに違いない。

 彼はR値1.002の人間を発見し研究した。随分と喜び勇んで論文も発表した。この時期はアビスのことでも各報道機関が取り扱ったし、今でもpdf化されたデータがアメリカ国防省のペンタゴンからダウンロードできる。ただし、英語だが。見つけ出された彼はアビスから現実に帰っても平気だった――アビスでも現実と同じことしかできなかったし、触れたものは砕けたが。そんな彼がいるくらいだから、すぐにアビスからの帰還を可能にできると思われた……が、結果は暗澹(あんたん)たるものだった。そんな手段は見つからないし、そもそも二人目も見つからない。突然変異では意味がない――化学は再現性がなければ意味がない。ワンオフと呼ばれるものだって、同じだけの手間と金をかければ作れるのだ。

 アビスにて有名な科学者はいない。“かつて”有名な科学者だった者もいるが――そういう彼らは概して寿命と戦う人間だ。病、もしくは年齢のせいで現実の区別がつかなくなったのだろう。夢の世界の研究成果は現実に役立たない。というか、法則そのものが刻一刻と変化していくのだ。疑似科学が法則として通用する世界のことを、どの学会誌もまともに取り合わなかったのである。

 かくして、アビスは研究者にとっては不毛の地となる。上で挙げたジョージも意味のあるデータを取れることはなかった。

 

 かつてアビスへ赴く人々を見ていると、ゴールドラッシュを思い出したものだ。当時はすべてが手に入ると信じて希望に目を輝かせた人々が殺到した。

 誰もが思っていた。夢の世界に行っても、コーヒーでも飲めばすぐに目は冴える。と。それは言いすぎだが科学の発展を妄信して、「今は駄目でもすぐにできるようになる」とアビスに多くの人々が赴いた。しかし、結果はご存知の通り、誰一人として帰ってこれなかった。

 科学進展の妄信は珍しいことではない。今日ですらいつか技術が開発されると信じて、原発によりはるか未来まで消えることのない負の遺産を次々と生み出している。別に私は原発反対論者ではないことをここに記しておこう。人間の無責任さというものは、これはもう決して消すことのできない本能ではあるまいかと私は思うのだが。

 それは置いていただくとして、彼らが帰ってこれなかったのはただの純然たる事実である。

 R値1未満の世界から1以上へ。”それ”は想像を絶する隔たりだった。私はその境界の写真を見たことがあるが、ただの何もない海にしか見えなかった。それでも、夢から現実へ帰れば黄金は土くれへ、財宝は崩れて砂と消えた。

 人間に至っては悲惨の一言に尽きる。腫瘍ができる。夢は現実には持ち帰れないものゆえに、R値が1になればその力は消える。そればかりか夢に侵された体は呪いに変わる。一言で言えば癌の類、悪性腫瘍である。アビスに踏み込めば最期、末期の重病人になるのを覚悟しなければ外の世界に帰ることができない。よって、誰も帰れない。いたとしても9割がたが船上で命を落とすだろう。もしかしたら生命装置に繋がれならば生きられるかもしれないが――それは声も出せず痛みが全身を支配する“ただ生きているだけ”の状態だろう。

 多くの研究者がその謎に挑んだ。なぜそうなるのか、実験を積み上げて理解しようとした。しかし、結果は何をしようと無駄。誰一人としてアビスから現実へ人を連れ帰すことに成功した者はいない。もはや誰もが諦めた。無理だった、と。


 研究は打ち切られた。現実に夢を持ち出すことはできない、それを列強が悟るまでにはずいぶんと時を必要とした。けれど、時は過ぎてもう20世紀。それまでには彼らにも理解できた。

 夢は現実に持ち出せないと言う単純な事実を。



 最後に、R値というのが生み出したのは悲惨と負債の二つだけだったと私は語ろう。そんなものに夢を見たのは愚かだった。あんな異常に興味を持つのは間違いだ。誰も知らない、それはとても正しいことなのだろう。――ゆえに、我らが日本を見習ってもらいたい。アビス(悪夢)など、忘れて見向きもされなくなるべきだ。




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