第11話 喫茶店の逢瀬
レトロ雰囲気の趣味の良いカフェに入る。
「――で、こんなもので呼び出して、どういうつもりかな?」
待っていた彼女にひらひらと花びらの便せんを振って見せる。校舎は大学式で靴箱などない――が、今日に限っては”あった”。創法か何かで作ったのだろうが、悪目立ちすることこの上なかった。そして、霊王宛と書かれ、隠されたそれを人目も気にせず抜き取った。
そんな奇想天外な方式で彼を呼び出したアガサは本を開いて優雅に紅茶を飲んでいる。似合ってはいるが、靴箱がないから”置く”などということをやらかした人間だと言うことを考えれば不思議な心地になるだろう。
「あら? 男の人はそういうのをもらうと喜ぶものでしょう」
くすくすと笑う。本を閉じて横に置く。題名は「名前のない怪物」。こうして見るとおしとやかで無害な少女にしか見えない。読んでいた本はともかく。
「ラブレターのつもりだったら、呼び出すのは屋上かと思うがな」
霊王は椅子に座る。店員を呼びコーヒーを頼む。
「いえ、そこは校舎裏の木の下でしょう?」
二人とも、聞きかじりと言うより漫画やネットの知識で語る。その話方はどこか人間として致命的にずれていた。
「――そういうものかね」
「さあ?」
笑顔を交わす。もっとも、その裏で殺意を交差させていることには誰も気づかない。アビスではこんなところに通えるのは上級に位置する人間だけなのだが――この二人はそんな”人界に属する”存在ではない。数少ない喫茶店の客はまだこの二人が”何か”気付かない。
「で、呼び出した目的は? こんな恋文など、出された方としては鳥肌しか立たんがな」
「お気に召しませんか。作家の名前を借りているのですから、少し創作活動をしてみたのですよ。設定は先輩に憧れるけなげな後輩の女の子……間違いがないからこそ王道というもの。……でしょう?」
「ふざけているのは分かった。だが、そもそも後塵を拝んでいるのは俺の方だろうにな。……なあ、婆さん?」
「女の人に年齢を伺わせる発言はマナーがなってないと言わざるを得ませんよ?」
店員が来て、サンドイッチとパスタ、コーヒーを置いていく。すでに食事の注文をしていたのだろう。
「……よく食うね」
呆れた目で見た。
「あなたの分ですよ?」
一瞬、虚を突かれた顔になる。クスリと笑う。気遣いのできる優しい女性、というには少しお節介の気が過ぎるか。
「――要らないんだが」
霊王はと言うと困った顔になってコーヒーをすする。まさか、毒を盛られているとは思えないが。もっとも、信頼ではなく効果があると思うほど愚かには見えないというだけだ。なぜなら、夢使いを害するならば現実の物質ではなく夢でなくてはならないが、それを隠すのは不可能に近い。
「ああ――これも演出か? 恋愛ものではサンドイッチとパスタを食べるのが王道だったりするのか」
心底腑に落ちない、という表情で聞いた。完全によくわかっていない。戸惑っているとしか言いようがない。完全に予想の範疇外で、どうしていいかわからないといったような。本来ならこんなものは些事と気にもしないが、どうしても気になってしまう。
「……ふふ。さすがに硝煙の香りを漂わせた方とのラブロマンスはジャンルが違いますわね」
「あ、そう。消す?」
ちょっとした挑発を返した。匂いを消すのはリアルだと少し難しい……より強い匂いで書き換えるしかない。けれど、夢ならば匂いそのものを消せる。もちろん、夢を使うのは宣戦布告でもある。
「ご随意に。そこまで求めませんし、何よりただの余興ですから」
「――ふうん」
挑発は受け流された。霊王は最後までよくわかっていない様子で、硝煙の匂いを一瞬にして消す。夢を使った――危険な行為だが、彼女はこれも笑って流す。
「では、本題に入りましょうか。【メフィストフェレスの悪魔】、星薙霊王」
「ああ、元よりそのために来た。[機関]のハイ・エージェント。アガサ・クリスティよ」
雰囲気は変わらない。が、警戒はしている。二人とも、”すでに戦闘体制に移行している”――アガサの深く腰掛けた姿勢は、実のところ射法を主力とするためにむしろ動く必要がないからだ。そして、霊王の方は浅く腰掛けている。人外の筋力があれば立った状態と何一つ変わらず首を刈れる。
「あのどうしようもない【戦争狂】が、頼まれもせずに先陣を切ってくれるものかと思っていましたが、どうやら違う者が紛れたようなのですよ」
「……”はぐれ”かな?」
「ええ、我ら7大勢力。そして、あなたたちとも違う第三者の勢力――と言えば聞こえが良いですが、実体は野良の狂犬が精々と言ったところでしょう」
「アレらがまともな情報網を持っているようにも思えない。第三者と言っても、まとまってすらいないだろう? ただの突然変異が集団にもなれずに彷徨っているのみ。そんな哀れな彼らの一人に渡したのは……ああ、[米軍]の連中かな?」
「あら? 遠慮なさらずとも大丈夫ですよ。ええ、渡したのは[機関]です。そんな弱くて健気な彼の本名はトミー・ボーデン、戸籍はアメリカですね。その主な襲撃相手は米軍――もっとも、まともに見つけられるのはそれくらいでしょうけどね」
嘲りを含んだ言葉。霊王が殺したような連中はいくらでも補充が利くとは言え、それでも敵対組織の一つがいい様にやられているのは、これ以上なく面白い見世物なのだろう。
「ま、正攻法でもないやり方ではBが精々かと思うけどね。さすがに弱すぎる奴を舞台に上げるような真似はしないだろう? 雑魚で体力を削れるなんて楽観はやめてほしいね、だれる」
学園では学年が上がるにつれてレベルがアップする。もちろん、それは便宜的な言い方でステータス表などがあるわけでもない。しかし、カリキュラムとして現実の肉体を夢に置換する工程をこなす。
「――その言い方、自分が正攻法で力を得たと自白していらっしゃる? 戦争を経験したこともないくせに」
もちろん、それは一面。戦争を経験しないと強く離れない――7大勢力がほとんど戦争英検者なのが大きい。ナチスの残党である【戦争狂】などその筆頭だし、他もアビス黎明期からの凄惨な殺し合いを体験している。霊王などは新顔も新顔なのだ。
「さて、ね。記憶を失う前の俺ならその辺の講義もできたかもしれんが、今は無理だよ。そこまで覚えていない」
「ま、そこはいいでしょう。正直、そこはそれほど興味を持つことでもありませんし。ええ、ですからそれは置いておいて――【再生者】を相手にぬいぐるみに見せた以上を期待させてもらっても?」
「くっく。どうだろうね。たかが突然変異、手札を切る価値があるものかね?」
「ダメでしたら、それこそ【戦争狂】が動くでしょう。どちらにしても、あなたは逃げられない。運命の車輪が回転を始めた、悲劇と凄惨の歯車が噛み合った。いつあなたが轢き潰されて粉々に砕け散るか、皆楽しみにしているのですよ――こんな序盤で挫けないでくださいね?」
彼女が笑う。少女のように。老練な悪意と殺戮の殺意を裏に秘め。
「当然だ。俺が始めた――ゆえに逃げん。覚悟しろ、勝つのは俺だ」
霊王も笑う。野心を剥き出しにした若者の野獣的なそれ。
「いいえ。いいえ。勝つのは私、私がすべてを手に入れる」
互いに笑みをかわす。はた目には恋人同士に見えるだろう。――だが、どちらも本気で譲る気はない。手加減の一切はなく、ただ目的を果たすためだけにまい進する闇の住人。
「「――」」
もはや語る言葉は尽くしたとばかりに互いにカップを手に取る。
「……ふふ」
そして、彼女はサンドイッチを口にする。
「――」
そして、霊王は無言。はた目には穏やかな時が流れ。たっぷりと5分は経った後。
「味がお気に召さない?」
霊王の前形すら崩されずにただ冷めるがままに任せされていたパスタの皿を指で差す。
「……ん? ああ、別に嫌いというわけでもないのだがな」
面倒くさげに少しフォークで山を崩す。フォークに巻きつけたりもしてみるが、一向に口に運ぶ様子がない。
「せっかく頼んだのにもったいない。シェフが泣きますよ」
「しょせんNPCが作ったものなど大量生産品と変わらんだろう。そも、泣くNPCがいるかよ」
「酷い言葉ですね。彼らも殴れば泣きますよ」
「プログラムだな。少し頭を弄れば、それで喜ぶようにもできる」
「――はあ。まったく、そんなんだからあなたは人の心が分からないなんて言われますのよ?」
「ふん、これでも人間心理については詳しいほうだと自称しているのだがな」
「そんな、理屈でしか語れない人間だからあなたは駄目なのですよ」
「なるほどね、とでも言っておこうか。よく言われるが、その言葉に学ぶことは何もないな。要は自分は知ってるという自慢話だろう、それは」
「そういう解釈もありますね。で、食べないんですの?」
霊王は無自覚ながら苦い顔をする。先ほど宙に上げたフォークの先を皿に戻したばかりだ。逆にアガサの方は美味しそうにサンドイッチを食べている。サンドイッチをつまんだ指を舐める仕草が妙にエロティックだ。
「――もったいない、という精神があるのは俺の祖国だったか」
立ち上がる。ただならぬ雰囲気を感じて気づかれないようにただ縮こまっていた別の客の元へ。
「やあ、悪いが遅い昼食を食べたばかりでね。良かったらこれを食べてもらえないかな? 少し崩してしまったが口はつけていない」
パスタの乗った皿をその客の前に置いた。
「え――は……あ、はい」
一瞬にして、その男の顔面が蒼白になった。
「おや、体調が悪かったかな? それでは別の客に頼んだほうはいいかな……」
とはいえ、他に客の姿は見当たらない。運が悪いのは言うまでもなく、けれど世界の最下層が集まるアビスでは喫茶店はかなりの贅沢なのだ。いつも、居てニ、三人といった程度なのは彼も承知していた。そして、比較的”上”の人間だからこそ、霊王の顔を知っていた。――こんな危険人物が来るとは予想だにしていなかった。
「いえ、食べます。食べさせていただきます――」
震えながら、ゆっくりと噛み締めるようにしてパスタを食べ始める。その男の胸中は――
(糞! なんでだよ、どれだけ運がねえんだ俺は――ッ! なんで……ッ! なんで、【悪魔】がここに居やがる!? このアビスを支配する複数の巨大組織、その全てと関わりがあるとされる超弩級の危険人物……ッ!)
最悪、というにも生ぬるい状況だった。この男も年間数ドルという収入から、アビスに着て喫茶店にも通える身分にまでなった成功者だ。修羅場は潜り抜けているーーが、”ここまで”は初めてだった。
(俺は、俺は【ハーメルン】とすら呼ばれた悪党だぞ!? でもな、ダメだ。こいつに関わっちゃダメだ。本能で理解した。こいつ、俺のことを路傍のゴミとすら思っちゃいねえ! ありえねえぞ、騙すことにかけては右に出るもののねえ俺だが、こんな”人間外”は見たことねえ)
【ハーメルン】……ハーメルンの笛吹。彼はネズミ退治を請け負い、達成するも対価を支払わない村人に怒り子供たちを攫って売っぱらってしまった。そして、この異名を持つロバート・フリクスというこの男は”子供を騙して金を稼ぐ”。
(――食わなきゃ、殺される)
置かれたパスタを口に運ぶ。子供をだまして命を落とさせたことは数知れず。けれど、いつだって自分の命は安全圏に置いてきた。それが、今や風前の灯火。霊王は口はつけていないなどと言ったが、そんなことを気にする余裕などない。毒か何かが入ってるかも、と疑うことすらできやしない。
機械のように、味のしない段ボールのような味を噛み締めて、ひたすら己が命が未だこの世に残っていることを感謝する。
「――で、話は終わりか? なら帰るぞ。食べ物を無駄にしないアテも見つけたしな」
「ええ、楽しい劇を期待しています」
二人は死にそうな顔をしている彼のことなど歯牙にもかけない。凶悪な笑みを交わして別れた。
「――兄さま、お帰りなさい」
そして、帰るとメアが抱き着いてきた。ここまで甘えてくることはさすがにあまりない。手をつなぐ、くらいはよくするが……
「ああ、ただいま。……?」
というか、ぎりぎりと締め付けてくる気がする。明らかに全力で絞め殺そうとしている――夢も使わなければメアは子供以下の腕力しかないため、別に苦しくはない。むしろ柔らかい感触が伝わってくるだけだ。
「……」
「ええ……と。メア……?」
困惑する霊王に抱き着きながらぽつりとつぶやく。
「他の女の匂いがする」
「メ……メア……?」
必死に抱き着いてくる彼女にため息、一つ。もう諦めて好きにさせることにした。半分ぶら下がる彼女が歩きやすいようにゆっくり、歩幅を小さくする。どうせ、家の中で急ぐ必要はない。
(しかし、女の嗅覚というのはよくわからんな。匂いなど、するものか? 向かい合っていただけで――)
ああ、そうだ。と悪い笑みを少し浮かべて。
「メア、少し頼みがあるんだけど良いかな?」
「なあに? お兄様」
くっついているのはそのままに。とても、機嫌がよくなった。
ちなみに喫茶店の食事は普通においしいです。日本のファミレスレベル。哀れな彼がまずく感じたのは”気のせい”です。死の危険を感じて味覚がおかしくなったということです。
さらにtip。アビスでは嫌がらせは挨拶のようなものです。アガサは霊王がアビスに入って拒食症になったのを知って、あれをやっていました。




