第6話 ファーストコンタクト
”扉”を創り、下層へと赴く。その技術は創法に分類されるが、世界の層を移動するのは夢使いにとっては難しいことではない。
「――さて、あっさりとここまで来れたか」
もちろんメアは置いてきている。そして、ここは悪夢の第二層――『ラツィエル』。各国政府の人間ですら知らない、アビスには宇宙衛星からでは見えない”異なる位相”が存在するということを霊王は当然のように知っていた。
「ここはすでに米軍の支配領域だったな……はは」
嘲笑を交えた声。”どうせ自分が来たことなど感知できないだろう”という嘲りに満ちた悪意の微笑だ。そうとも、[米軍]などというのは規模だけ馬鹿でかくても”外の世界”頼りの7勢力で随一の弱小――面倒な”表”の管理を引き受けてくれる奇特な奴らだから生かされていると言うからくりだ。最も、王である奴も本国に従っているとすら言えない有様だが。
「しかし――面倒なことをしているな、あいつら」
射法で視界を”飛ばす”。要はドローンだ、戦闘中にできるほど器用なわけではないが――まあ、見るだけならば問題ない。
そして、見えたのは巡回する兵士たち。ただの銃で倒せるような魔物だが、一応は猛獣より強いそれが瞬く間に制圧されている。彼らによって安全を保たれた”この層”ならば一般人でも生きていけるだろう。あの悪趣味なくまのぬいぐるみを始めとしたナイトメアの襲撃を受けないで済むのだから。
とはいえ、ここに来れるのは夢を使える人間だけなのだから世界はうまく回っていない。
「さてさて、人殺しの経験を積もうと思ったが――こうも無防備でいられるとやる気をなくすね。カモを撃つのは気が引ける」
銃を弄ぶ。半ば確信じみた思い、”己はすでに戦いの道を選んでしまった”という強力な強迫観念。顧みる気どころか、なぜか喜び勇んで乗ろうとする気持ちが止まらない――しかし、まずは自分が人を殺せるか確認しておかなくてはならないだろう。祭りに参加する資格を手にしなくては。
一般的に思われていることとは逆かもしれないが、実は人間はヒトを殺すようにはできていない。同族を殺さないための、本能による制約がある。もちろん本能なんてもの、テロリストが良くやるように顔に麻袋でも被せて背後から殺せば無効化できる程度の代物ではあるのだが――それでも、それは”本能”には変わりない。それに逆らえばしっぺ返しが来る。
一方で人には多様性というものがある。躊躇せずに人を殺せるような異常性ですら、多様性の一言で片づけられる。普通に日本で生きる分にはただの表に出ない欠陥でしかないが、このアビスではそんな”普通”など弱点でしかないのだから。
「物騒なことを言うものだ。黄色い猿は現実と夢を区別できんようだな」
「――おや。俺の隠形が見破られるとはね。……君はもしかして、夢使いかな?」
つまり、馬鹿にしている。夢使いには見えないほど弱そうと、皮肉を言っているわけだ。ここにいて、わざわざ敵意を持って声をかけてくる者に戦う力がないはずがないのだから。……剣を構えて斬ると宣言した敵に、剣を扱った経験が? などと聞くのが嫌味でないはずがない。
ちなみに、霊王が言った隠形などはただの気休めだ。夢使いに通用するなんて、本人すらも思っていない。乖法ですらない夢の一かけらでしかないのだから。
「ほう、一丁前に挑発を吐くか。ここは我ら[米軍]の支配領域――有色人種の汚い足で踏みいれることは許されねえ」
そして、目の前の男は簡単に切れた。だが、冷静さを失うほどではない。殺すと誓い、敵意をむき出しにして……目の前の敵の戦力を冷静に測る。
「許されないなら、どうするのかな?」
だが、霊王は馬鹿にしたような笑いを続けるだけだ。
「無論、始末する。――テュポーン小隊、参集せよ」
疾風のように機関銃を構えた男たちが参上する。その数、15――彼を入れて16人、4人一組のエレメントが4つというわけだ。
「……」
霊王は馬鹿にしたような笑みを崩さない。そいつらの実力は見抜いている――良くてE、それも矛法や射法に限るとあっては。まあ、人間としては優秀とは言えるだろうが。
「卑怯とは、言わないだろう?」
敵は数を誇るようにそう言った。
「もちろん」
むしろ卑怯なのは霊王の方だ。迅法Cを使えば負けるわけがないのだから。ゆえに重要であるのは霊王が化け物であるかどうか、人を殺すのを躊躇しないかだ。万が一、メッキがはがれるようなことがあれば力は一瞬で最下層を意味するFにまで落ちるだろう。夢での戦いとは精神力の戦いである。
「――全員、構え」
銃を向けられる。特に緊張はしない……敵は夢を纏ってはいるが、薄い。やはり、この程度か――強化くらいで、現実を歪める力などない。
「こちらも、やってみようか」
霊王もまた銃を取り出す。もはやハンドガンと呼べないほどに太く、大きな――荘厳とまで呼べる銃。それが相手にするべきは人ではなく戦車であるべきだろう。そも、人が持つ代物ではない。撃てば引き金を引いた方の腕が壊れる。
「撃て!」
耳をつんざく銃撃音が連鎖する。
「――残念だが、その程度の夢では通らない」
出現した八角形のバリアが全ての銃弾を跳ね返す。射法の力――霊王は銃で遊ぶと決めている。ゆえに射法……そして、敵はまだ”現実を生きている”。アビスでの法則を理解して利用できてはいるものの、しょせんはそこまで。人間らしくある限り、化け物にはなりえない。
「いかにそいつが化け物でも、攻撃する瞬間には隙ができる! 交代で弾幕を絶やすな!」
敵の前で作戦を叫ぶ――まあ、この場合は特に問題ないだろうが。
「それは、ある程度実力が伯仲している場合に限るだろう?」
銃を向け――
「え……俺……?」
間抜けな声を出したのは兵士の一人。適当に見繕って目を合わせただけの、最初に犠牲者に選ばれた哀れな男。もっとも、一番幸福だったかもしれないが。
「……」
特に言うことはなく、そのまま引き金を引いた。
「……っが!」
脳漿が吹き飛び、血が飛び散る。まるで体内で爆弾が炸裂したような。凄惨な地獄絵図――女性であれば失神してもおかしくないし、男でも震えて恥ではなかろう。しかし、その痛ましき屍山血河 を作り上げた霊王はと言うと。
「なるほど。勝算はあったが――人殺しなど、やはりこんなものか。どうやら俺には優しさなど無縁のようだね」
さらに一人、もう一人と”視線を合わせて”撃つ。いたずらに殺人予告をして怖がらせる結果となっているが、これは純然たる実験だ。人間の本能は”それ”を拒否するはずだった。それでも、生きている人を凄惨な血袋に代えてなお、霊王の表情には微塵の揺らぎもない。人間の本能として最も忌むべきはずの同族殺しを、相手の顔をしっかり見据えながらも脳裏に刻むことなく実行する。
「おのれ……ッ! おのれおのれおのれェ! なぜだ!? なぜ、奴の攻撃が通じるのにこちらの攻撃が通らない!?」
「それは、俺に聞くことではないだろう。――単にそういう性質を与えたと言うだけの話。こんなもの、アビスでは児戯でしかないというのにな。想像力が足りんぞ、小僧」
「――き、貴様ァ!」
激昂する。はたから見れば青二才は霊王の方だ。もっとも、実を言えば年が上なのは霊王の方――リーダーを務める彼もまた新兵でしかないのだ。ゆえに外見相応……20代後半に見える厳つい顔はそのままの年齢を示している。霊王の顔は未成人の日本人、ことによれば高校生に見えるが、その顔にはアビスで生きた10年は刻まれていない。
「では、余興は終わりとしよう」
銃を撃つスピードが早くなる。目を合わせる実験はもう要らない。抵抗さえできずに一発撃たれるごとに一人が死ぬ。こんな有様では後退すらできはしない。もはや無意味なことを承知で銃を撃ち続けるしか――
「残すは君だけだ。ええと、何と言ったかな……いや、名前は聞いてなかったか。うん、そうだったそうだった。――まあ、どうでもいいことか」
殊更にゆっくりと構え――
「死ね」
引き金を引いた。
「――よくもォ、あいつらを! あいつらをォ!」
ありえざる事態が起こる。回避した。絶対に不可能であったはずなのに。窮地でパワーアップなど、そんな正義の味方でもあるまいし。
「いいや。なるほど、仲間の死を力に変えたか」
よくあるレトリック、けれど現実ではそんなものに物理的な意味はありえない。感情的な爆発が引き起こすのは破滅的な自滅のみ。――こんな”覚醒”などありえない。そう、”現実なら”。
「ここはアビス。仲間の想いを背負って物理的に強くなることもありえるのか。――なるほどね」
撃つ。撃つ。撃つ。――リロード。
「貴様だけは、この手で倒す! リックも! ベスも! こんなところでゴミみたいに殺されていい奴らじゃあなかったんだよ!」
向こうは己のパワーアップに気付いてはいないようだ。それでも、5mくらいの距離があるとはいえ迅法で銃弾を切り払えている――人外への第一歩。もっとも、その程度など霊王はアビスで目を覚ました瞬間には超越していた。
「強くなったのは嘘じゃない。信念が力を寄越すのも間違いじゃない。だが、それでいつでもどうにかなると思うのは甘すぎる。これで行くぞ」
銃、もう一つ。そもそも霊王は一丁の時も片手で撃っていた。普通に銃撃の基本から見れば両手で構えるのが当たり前であって、片手でなど狙えたものではないのだが。それでも霊王は人外だ。ただ人外であるからこそ片手で撃って、そして当てた。
「今更、そんなものでェ!」
手数が二倍に増えた――それはとてつもない脅威である。元々霊王は遊んでいた、ゆえに二丁拳銃になろうとも狙いはぶれない。人外であるからこそ、その程度はハンデにもなりはしない。
ゆえ、彼の命運は尽きた……かに見えるがそうではない。
「この俺を、ただの銃弾ごときで殺せると思うなよ!」
肉が抉れ、血が弾ける。だが、彼の部下たちを殺した爆裂現象は起きていない。その手品のタネはすでに見切られていた。それは銃と言う兵器の機能的欠陥であるのだ。銃と言うのは”対人”と”対物”で威力を両立できない要素がある。どちらへの威力を重視するかのトレードオフ。
霊王のは対物を目的としたものだった。ゆえに人を殺すには骨に当てなければ意味がない。あの爆裂は砕いた骨を炸裂させていたのだ。ゆえに肉に当たるだけならば、弾はすっぽ抜けるだけだ。筋肉と皮膚を抉って、それだけで弾は貫通してどこかに行ってしまう。
「――へえ。中々の根性だ、見直したよ。名前を聞いてやってもいい」
「っふざけんなァ!」
特攻。かわした弾は12発。霊王のリボルバーの装弾数は片方8発、つまり――
「残りは4発、勝負と言うわけか」
「殺す! 貴様だけはァ!」
4発で敵を仕留めなければならない――ならば、常道は敵を引き付けること。いたずらに撃っても距離が遠くては対処される。近づいたところを狙い撃つ。基本、奇策に頼るのは戦力として劣等の方だ。
しかし、霊王はいきなり両手の銃を撃った。
「――この……ッ!」
普通は躊躇する。この滅茶苦茶な思いつきとすら呼べる突飛な行動をとってしまうのが霊王だ。そして、それは考えなしでも怯えに先走ったのでもない。力に振り回される敵の意思が攻撃に切り替わる瞬間の隙を狙って針を通すように。
「っがあああああ!」
だが、敵も霊王が一筋縄ではいかない相手だと言うのは分かりきっている。完全な予想外と言うほどでもない。意識の間隙を突くくらいはやってくると思っていた。だからこそ、極限の集中をもって……二つの銃弾を切り裂いた。
「はい、よくできました」
”やった”と思った瞬間の一撃。まだ残りがあると知ってはいても感情はそうもいかない。極限の集中を見せた後だからこそ、それを乗り切れば安心してしまう。生理的反応がゆえに逃れ得ない。
「――ッチィイイイ!」
人間心理を突いた二重の陥穽。ゆえにかわせない。だから。
「なめん……なァ!」
腕で強引に受け止めて、ずらす。銃弾が骨に当たり破片が腕をずたずたに引き裂く――だが、その後ろに胴体はない。致命ではあっても、必殺ではない。
「――む」
最後の一発を放つ。わざわざ相手に余裕を与える意味もない、タイミングとしては適当。
「そんな苦し紛れが通じるかよ!」
だが、そんなものは正道だ。ゆえに読める。――彼は苦も無く銃弾を切り裂き、前へ。たとえ癒法に適性を持たず、ボロボロになった身体は何分ももたない寿命であっても。
「チ」
霊王、舌打ち一つ。
「終わりだ!」
リロードはできない。二丁拳銃のもう一つの弱点、片手で撃つには化け物じみた腕力が必要――というだけではなく、リロードには当たり前に自由に使える手が必要だ。
今更片方を捨てても遅い。けれど霊王は空になった二丁の拳銃を彼に向けて。
「馬鹿が! ついにイカれたか。空になった銃を後生大事に抱えて地獄へ落ちろ!」
「だから、お前たちはマヌケと言うのだよ」
引き金を引いた。
「――は?」
頭がはじけ飛んだ。
「しょせんは夢に使われているだけで、”夢使い”ではないな。部下を犠牲にしてパワーアップしたのなら、たかが15人程度で済ませるなよ。射法による空間転移なんて、誰でもできるだろう」
リロードのために空いた手など必要でなかった。一丁のときにそれをやっていたのは、ただの”遊び”。空間転移を応用した瞬間的なリロードに空いた手など必要ない。興味をなくして背を向けた。
「……」
倒れる影が途中で止まる。――壊れたマネキンのように。
「――ッ!?」
バネのような動きで頭のない死体が迫る。瞳も、口も――ぽっかりと空いた赤い孔の中に消えている。それでもなお感じるのは殺意。
「キュィィィアアアアアア!」
耳障りな昆虫の羽音めいた声が聞こえる。
「悪霊……! 先のあれは力を貸したというより、”憑りついた”……ッ!」
そこで霊王は判断を間違える。選んだのは射法――よりにもよって不得手なそれを、さっきまで使っていたからと言うだけの理由で。もちろん、この戦いが他人に見られているのは知っている。あまり多種類の夢は使いたくないと言う事情があったとはいえ。
「ウビィィィリャアアア!」
バリアが破壊される。不得手の夢、さらに動揺したことで効果など、ほとんどなくなってしまった。
「……」
反射的に一歩引いた。ゾンビのように襲い掛かる彼の爪がかすって、顔から血が流れ出た。
「――やってくれたね」
睨みつけた。だが、その瞬間には終わっていた。手にはナイフ。彼の死体は原形をとどめないほどバラバラになって血の池を作る。本来の霊王の獲物はこっちだ。
「まったく、油断大敵と言うやつか。ただの確認のつもりが、まさか敵に学ばされるとはね」
一筋の傷からは血が止まらない。夢――それも怨念のそれとあっては回復阻害がかかっていても不思議はなかろう。まごうことなき、”呪い”なのだから。
「しかしまあ、お笑いではあったわけだ。リーダーを支える部下の想い、どころか――蓋を開ければ死者の怨念の操り人形だったわけだ。まあ、あんな形で殺せばそりゃ恨むか」
霊王はそう言っても、本当のことを理解したわけではない。杓子定規的に現象を定義しただけだ。目と目を合わせてしっかりと殺した相手が、自分をどれほど憎むかなんて理解することは永遠にない。人間の気持ちなど、分からない。
――騒がしい声が聞こえる。騒ぎを聞いて駆けつけてくる別の部隊。
「これ以上の実験継続に意味はない。次は魔物相手に俺の性能を試させてもらおうか」
次に使うのは創法。次の階層への扉を作り、また次の階層へ。そして、たどりついたのは第8層――『ミカエル』。




