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桜の毒

在学していた高校の文芸部のために書いた作品です。

お題は『桜餅』です。

 このように桜が美しい夜でございますから、桜にまつわる御伽噺を一つ。

 私とて上様にお仕えする御伽衆の一人ですので、職務のために諸国を旅していると、いくつかの奇妙な噂を聞きます。そのうちの一つに、歳を取らぬ遊女というのがございました。

 古来より不老不死というものは俗人をひきつけてやみません。御仏が説く四つの苦しみに生老病死というものがありますが、まさしくその通り。一にこの世に生を受けること、二に年老いること、三に病気になること、そして四に死ぬこと。これらの苦しみの軛から逃れた者はこの世に誰一人としておりません。

 だからこそ、いつまでも若々しい遊女は近隣の町では有名でございました。

 と、そろそろ本題に移しましょう。

 京の都のあたりでしょうか、とある遊郭がございました。いにしえの都とも呼ばれる京にあるだけあって、古式ゆかしい遊郭でございました。というのも、権現様が征夷大将軍の地位にお就きなさった頃より前から商いを行っていたというのです。

 ええ、およそ四十年ほど前でしょうか。そして、その遊女は遊郭が建てられたときから客を取っていたというのです。つまり、四十年以上もその美貌を保っていたという訳でございます。

 いくら若作りしたところでその美しさは十年と保ちますまい。狐や狸ではないのですから、化粧でどうごまかそうとも、肌のつやや声のはりに衰えがつきまとうものなのですから。

 その遊女の名を枝垂太夫と申します。

 枝垂太夫は、遊郭が始まった頃に突如として現れたそうです。本来であれば年月をかけて遊女としての技と学を教わるものでありますが、枝垂大夫はなんと連れてこられた最初から客を取るようになりました。しかも、遊女として最高位に近い太夫として、です。無論、遊郭の中で多くの者が不満を持ちましたが、当時の遊郭の当主自らが女衒から買い入れることなく連れてきたため、誰も文句は言えなかったと聞いております。さらに、枝垂太夫は他のどの遊女よりも聡明で、かつ美貌にも優れておりました。

 どこから来たのか、でしょうか。

それについては、上様でなくとも多くの者が知りたがりましたけれど、当時の当主は誰にも口を開きませんでした。おのれの息子、つまり今の当主にすら語らなかったほどで、どこか高貴なお方のご落胤ではないかという噂が立つのも止むを得ませんでした。

 ただ、枝垂太夫には奇妙な癖がありました。

 自分の客には必ず桜餅を食べさせたのです。

 上様も食されることがあるでしょう。塩で漬けた桜の葉で餅を包んだ菓子でございます。

 なぜそんなものを客に食べさせたのか。

 はてさて、それはわかりません。なにせ、客に聞かれても、他の遊女に聞かれても、遊郭の当主に聞かれても、決まって桜餅が好きだからとしか申さなかったほどだったそうですから。

 それと、その遊郭には奇妙な噂がありました。

 その遊郭ではなぜか死人が出るのでございます。

 無論、身体の弱い遊女が薬の代金を稼げなかったり、あるいは客に病を移されたりして死ぬことは他の遊郭でも珍しくないことです。ですが、医者にかかることができるだけの金を持った客が死ぬこともありました。

 そのため、何回か役人が遊郭に入って死体を検める機会がございました。



 枝垂太夫?

 お主もあの女の客か?

いや、疑っている訳ではない。だが、あの女はたしかに美しい。拙者が務める代官所の者があの遊郭に通っていてな、何度も何度もあの女のところへ通い務めておるらしい。無論ながら、代官一人の禄などたかが知れておる。ゆえに、毎度別の遊女があてがわれるのだ。哀れなことに、やつは諦めることなく遊郭に通っておる。本気で枝垂太夫がおのれを慕っていると思い込んでな。

 話を元に戻そう。

 あの女はたしかに美しい。学があるというのもまことのことらしい。だがな、拙者はやつが妖魔の類ではないかとにらんでおる。

 いやいや、笑い話ではない。現に、遊郭で死人が出るところ常にあの女の陰がある。やつは自らの客に桜餅を食わせる。誰一人として例外はいない。つまり、やつはその桜餅に毒を仕込んでいるに違いない。

毒というやつはたとえ少量ずつでも臓腑に蓄えられると聞く。やつもそのようにして客を殺したのだと拙者は考え、奉行に申し出た。

 だが、この申し立てはあえなく取り下げることとなった。

 まず、枝垂太夫には客を殺す道理がない。いくらやつが太夫とはいえ、全ての客が死人となれば誰もやつを買おうとはしないだろう。

 次に、どうやって毒を手に入れるのか。いくらやつが最高位の遊女とはいえ、あの遊郭から出ることは許されない。

 最後に、そもそもその桜餅は枝垂太夫自身も食べているのだから、仮に桜餅に毒があったとしても、客だけが死ぬことなどありえない。

 だが、拙者はあの女が殺したのだと信じておる。

 あんなことができるのは人ではない。あやつはきっと人の世を脅かすあやかしなのだ。

 だから、やつの罪が明かされた暁には拙者はこの座敷牢から出られるはずなのだ。



 このようにある代官は申しておりました。

 ええ、その通りでございます。

 いくら枝垂太夫が怪しくても妖怪だと断じれば顰蹙を買うというもの。しかも、枝垂太夫はただの遊女ではありません。最高位の遊女なのです。そして、遊女にはその地位に見合った客がつくのが常。そういった高貴な方々から反感を買えば奉行所そのものの恥となりましょう。

 結果として、その代官は気が触れたとして奉行所の座敷牢に閉じ込められたのでございました。

 さて、次は遊郭の当主の話でございます。



 ええ、枝垂太夫でございますか。

 言っておきますが、あたしがあなたを枝垂太夫に紹介することはありえませんよ。そんなことをすれば、あたしの首から危うくなります。なにせ、枝垂太夫に会うためならばいくらでも支払うとおっしゃる方々ばかりでして、あたしのわがままで押し通そうものなら親の仇よりも恨まれるでしょうからなあ。

 違うのですか。

 これは、失礼いたしました。

 まあ、そもそも、枝垂太夫自身が気に入らなければ誰も一夜を共にすることはできません。見込みのないお客様では、枝垂太夫の茶を飲むことすらありえません。あたしどもも心が痛むのですが、別の女でご満足いただくしかないのです。

 こんなことがありました。

 あるとき、大金を積んで枝垂太夫を買ったお客様がいたのですが、ひどく乱暴なお方で、他のお客様方にも大層迷惑がられておいででした。たまさか、枝垂太夫の体調が芳しくなかった日があったのですが、そのお客様は約束が違うと遊郭で暴れ回ったのでございます。

 無論、あたしもこの遊郭の当主でございますので、男衆にそのお客様を取り押さえるように命じました。ですが、そのお客様はどこかの家の家老のご子息でいらっしゃいましたので、あまり強引に事を進める訳にもまいりません。

 ですが、次の日、そのお客様が冷たくなって川に浮かんでおりました。

 あたしはすぐにわかりました。枝垂太夫の仕業だと。

 ええ、枝垂太夫に武の心得はございません。大の男を打ち負かすことなどできないでしょう。

 おそらく、枝垂太夫は別の客にその乱暴者のことを告げ口したのでしょう。

 ええ、もちろんです。

 枝垂太夫が美しくてもできることとできないことがあるでしょう。所詮は金子で身体を買われる遊女でございます。

 ですが、枝垂太夫の美貌はまさに男を絡め取る蜘蛛の巣なのです。

 ええ、とても同じ人間とは思えません。

 事実、枝垂太夫はあたしの父の代からここにおりますが、あたしが童の頃より全く変わっておりません。

 お客さん、妙なことを言いなさる。

 あたしはあの女を妖怪だなどと騒ぎ立てる気はございません。むしろ、枝垂太夫のおかげでうちの遊郭は繁盛しております。枝垂太夫の噂を聞いてわざわざ足を運ばれるお客様のほとんどは、枝垂太夫を買うことができません。けれど、代わりの遊女を見つけて派手に遊んでくださります。枝垂太夫がこの遊郭にもたらす富に比べれば、客に桜餅を食べさせることなど些末なことでございます。

 たしかに枝垂太夫は人ではないかもしれません。

 ですが、怪異ではございません。

 あたしどもに富を運んでくれる福の神でございましょう。



 と、このように当主は申しておりました。

 ええ、ええ、商人とは金にがめついものです。身分が低い者ほど卑しい心根を持つのは、いつの時代も、どこの国であろうと、変わることのない事実です。

 ですが、当主が枝垂太夫のことを福の神と呼んだのも無理もないことと言えるでしょう。

 事実として、他の遊郭よりも何倍も多くの収益を得ているのです。良くも悪くも、当主からすれば枝垂太夫は手放せないのでしょう。

 ともかく、その遊郭は大層繁盛していたのです。

 ところが、その数年後にその遊郭を訪ねてみると、そこは廃墟になっておりました。どうやら火事が起こったようで、多くの建物が焼け落ちていたのです。火事の被害に遭っていない建物も残ってはいましたが、どうやら誰も住んでいないようでした。

 不思議に思っていると、その更地で祈っている老人がいるではありませんか。

 話を聞くと、奇妙な話だったのです。



 あれは、半年ほど前のことであったか。

 どこからか呼ばれた祈祷師がこの遊郭に入った。なんでも、この遊郭にはおぞましい悪霊が憑りついていて、そのせいで何人も人が死んだ、と大層なお題目を並べたらしい。

 たったそれだけであれば、ただの笑い話で終わったのじゃろう。事実、金子を目当てにペテン師が祈祷師を騙ることなど珍しくもない。適当な呪文を唱えておけば祈祷師を名乗ることはできる訳じゃからな。

 ただ、幸か不幸か、その祈祷師は本物じゃった。

 祈祷師は、遠慮も怯懦もなく、遊郭の奥へと突き進んだそうじゃ。本来であればそんな闖入者は遊郭の男衆が止めるはずじゃったが、その祈祷師の気迫に負けて誰も止めることはできんかった。

 そして、祈祷師は枝垂太夫の部屋までやってきた。

 わしは、そのときの客であった。当然、祈祷師が枝垂太夫の部屋まで押し入ってきたときは、驚きとともに怒りが湧いて出てきた。だが、今思えばわしは枝垂太夫に魅入られていたのかもしれん。

 ともかく、祈祷師は枝垂太夫を睨みつけると魔を祓うように錫杖を鳴らした。

 じゃが、本当に驚いたのはその後じゃった。

 なんと、枝垂太夫は笑っておった。獣のように口が裂けた笑みを浮かべていたのじゃ。

 わしは腰を抜かした。

 枝垂太夫のために命さえ投げ捨ても惜しくないと思っていたのに、その笑みを見た刹那にその想いも溶け去ったのじゃ。

 あまりの恐ろしさにわしが慄いている間に、枝垂太夫はまるで地獄で死肉をついばむ烏のようにけたたましく笑った。枝垂太夫の姿が一瞬にして掻き消えたかと思えば、部屋から煙が出てきたのじゃ。わしは着の身着のままで一心不乱に逃げ出した。火はどんどん燃え広がり、ついには遊郭そのものを燃やし尽くした。

 祈祷師曰く、枝垂太夫は千年近く生きた桜の大樹が化けた妖魔であったという。

 だが、この遊郭を建てる際にその木を切り倒してしまった。そのため、桜の木は人間の女に化け、ずっと遊女として遊郭の中に住んでいたという。

 なにせ千年もの時を生きていたのじゃ、並の人間では勝てぬほどの知識を持っておった。また、もともとが妖魔であるがゆえにいつまでも若々しいままであったという訳じゃ。

 桜餅に使われていた桜の葉に弱い呪いが込められていたらしく、それを口にした客や遊女から少しずつ精気を吸い取っていたのじゃ。まるで宿り木が大木に絡みついて殺すようにな。遊郭で死人が何人も出たのも、残り少ない精気を枝垂太夫が全て吸い尽くして憑り殺してしまったかららしい。

 それ以降、何人もの商人が遊郭を建て直そうとしたものの、枝垂太夫の怨念がこもっているのか、そのたびに必ず火事が起こり、結局はこのような更地のままになった。今ではここに住む者は一人としておらん。



 老人はそう言って過去を忘れないように手を合わせて祈っていました。

 百年もの間使われてきた道具は付喪神となると申しますが、千年もの間生き続けた大木は神へと至ったのかもしれません。しかしながら、人が手前勝手に神を伐り倒したために、本来であれば福をもたらすはずの神が祟りを起こしたのでございましょう。

 桜とは実に美しいもの。この日ノ本において桜が嫌いな者などどこをさがしてもいますまい。

 ですが、桜の妖魔であった枝垂太夫が傾城の女の姿に化けて人の命をすすっていたように、美しいものには必ず毒を隠し持っております。

 ひょっとすると、上様の大奥にも毒を秘めた花が咲いておるやもしれません。

 さて、この作品のお題は『桜餅』。客に桜餅を食べさせる遊女のお話でした。ちなみに、桜餅に使われている桜の葉には微量の毒が含まれているそうです。無論、桜餅一つ分の毒は微量なので全く問題ないのですが、それでも毎日食べると内臓の機能を低下させてしまうらしいですね。そして、桜はこの毒を使って自分の周りの雑草を殺しているのです。

桜の木の下には死体が埋まっていると言いますが、人間もまた同様に醜悪さを自らのうちに飼っているというものです。


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