BLACK×BLACK ~最強の労働者~
「そろそろ上番の時間だよ。コナー、早く準備して!」
「ああ、すぐ行く」
コナー・トスは木の枝に引っかけていた黒のロングコートを面倒くさそうに羽織った。
この軍服は背面に軍のシンボルマークが描かれている。普段は一般人の羨望を集めるこの軍服も、帰属意識が希薄な彼にとっては無用の長物でしかなかった。
「また、降霊術の詠唱をミスったか……。畜生、やっぱ書物を読むだけじゃ難しいな」
魔導書を集落の村民に返してから、ポル・クラムに合流する。
コナーとクラムは集落のはずれにある物見やぐらで立ち止まった。
「おい、交代の時間だぞ!」
コナーは横柄な態度を崩さない。
降霊術が不発に終わったことに苛立っているのだ。
それでも小国・ラフボルの兵士は温厚な態度だった。
「ご苦労さん。まだ敵が攻めてくる気配はないよ」
「ありがとうございます。お疲れ様でした!」
クラムが深々とお辞儀をする間に、コナーは飛行系スキルを詠唱して監視の任務に移った。
「ごめんなさい。不愛想に見えるけど、彼に悪気はないんです」
「いやいやとんでもない。見ればわかるよ。彼はとんでもないスキルホルダーでしょう。膨大なスキルオーラが隠しきれてないよ」
「ええ、そうなんです。あれで人当たりもよければ指揮官になれるんですけどね」
適当な世間話を終えてから、クラムは物見やぐらへと飛び立った。
「おいバディ。くだらないことを話している暇があったら、感知系スキルで遠方まで警戒しろ!」
「わかってるよ」
クラムは唇をとがらせてスキルを発動する。それでも強大なスキルオーラが間近にあるせいで、うまく感知はできなかった。
コナーとクラムは同期で入隊したが、コナー・トスの潜在能力は士官学校の最先任上級教官をはるかに凌いでいた。言ってみれば彼は、国家戦力と同等のスキルを、士官学校に入学した当初から持ち合わせていたのだ。
だから傲岸不遜に振る舞ってしまうのは致し方がない。
が、それでもクラムだけは対等に接し続けていた。
「ねえ、コナー。また降霊術に失敗したの? やっぱり相性の悪いスキルなんじゃ……」
「戦場では個人名を使うな、俺のことはバディと呼べ。それに降霊術はいずれ成功させるつもりだ」
コナー・トスはそう断言する。
彼の軍靴は神経質そうにいつまでも床板を叩いていた。
「ここに1杯の水があります」
私はそう公園の蛇口をひねる。
空のペットボトルに水道水が溜まっていく。
「これを1,000円で売ってください。お前ならどうする?」
恒例になった新入社員の適性試験だ。
営業部に配属される社員は、とっさの場面でも機転の利く人物が求められる。
だから営業部を希望した新人には私が直接指導することになっていた。
「え、どういうことですか?」
「いいから俺に売ってみろ」
私は新入社員に水道水入りのペットボトルを渡した。彼は意味がわからないという顔でしばらく逡巡したが、やがて意を決したように口を真一文に結んでこう言った。
「こんにちは! こちらの商品は、ちまたで大流行している健康水となっております。ただし、こちらの水、そこらで市販されている水とは、違うんですねー。ミネラルウォーターよりも喉ごしがよく、そのままお飲み頂いても結構ですが、普段のお料理にお使いになられても、その違いに驚きになられることでしょう。栄養価も高く、その味も一級品ときています」
彼は、身振り手振りを交えて説明をしている。
そうやって身体全体を使って表現するのは、当人の必死さが伝わりやすく好印象だ。
しかし、そのような説得力を要する演説の場合は、赤いネクタイで実施するべきである。色彩心理学においてそれは常識だ。彼は青色のネクタイをしているが、それでは相手が冷静になりやすく、イエスを引き出せる確率が低下する。
「ここだけの話、あの有名な三ツ星ホテルとも契約しているんですよ。だれにも言わないでくださいね。需要が高まると物価が高騰しちゃってみんなに飲んで頂けなくなりますから……」
今度は声をひそめて秘密を打ち明けるような演出をとる。恋愛心理学では“ここだけの話”とは仲良くなりたい異性にはかなり効果的だといわれている。セールスマンと客という立場から、ぐっと距離を近付ける戦法なのだろう。
「私は日本全国のみなさんにご愛飲頂きたいのです。そしてそのお値段はなんと3,000円」
ほう……面白い新人だ。
そこまで頭が回るのか。
「3,000円なんですが、私はどうしてもあなたにこの味を知って頂きたい。ですから、社長には内緒ですよ。私の独断でお値引きをして1,000円でご提供したいと思います!」
私だけ優遇されているという限定条件。
それに声の抑揚や表情の明るさ、見事に及第点だ。
けど、それは一般企業における水準にすぎない。
「なげーよ。ここはスーパーじゃないんだ」
私はそうあくびを噛み殺す。
ここ最近は寝不足が続いていた。
うちの会社は完全歩合制である。
固定給では支払われないので、契約がとれないと、その月は給料がカットされてしまう。そうしたら文字通りのタダ働きだ。
だから社員は寝る間も惜しんで働く。
それでも残業代は出ない。
私たちは客層や貧富による地域格差を徹底的にリサーチして、販売地域移動願やセールス商品の変更届を出して、とにかく売るべくして売っているのだ。それができない社員はすぐに辞めていく。
端的にいえばここはブラック企業だ。
しかしこの就職氷河期に離職するのは勇気がいる。
地球は温暖化しているのに、就職率は氷河期を迎えているとは、どうやら地球は人類がお嫌いらしい。
本音を言えば、私だってこんな会社は辞めたい。
新しい就職口さえあればと毎日頭を悩ませている。
「水道水を1,000円で売る方法はいくつかある。まずは宗教的な洗脳やマルチ商法による顧客の増加。これは年間契約を結んでくれたご家庭に対してやってみろ」
こんな詐欺まがいの教育をする会社が優良企業なわけがない。それに騙されてしまったお客さんがかわいそうだ。それもあって弊社の離職率は99%を誇っていた。私には"社会"が悪いのか"会社"が悪いのかわからない。
「次に地の利を活かした販売方法。例えば、東京スカイツリーの全面ガラス張りになったお洒落なカフェで、おいしい水とでも称して販売する。そもそも水がタダで飲める日本は良心的すぎるんだ。海外では水は買って飲むものだろ。それなら外国人観光客の多い場所を狙うのは定石だ。お持ち帰り用に売店に置いてもいいしな」
それは、いきなり訪れた。
頭からサーッと血の気が引く感じがした。貧血だ!
体温が急激に下がって手足が冷たくなる。
吐き気が込み上げると同時に目の前が赤黒い視界に変わった。
今は昼間のはずなのに光が見えない。
一瞬にして、極夜にでもなったのだろうか。
腹部に激痛が走っていることを知覚した。
いつから痛んでいたのだろう。よくわからない。
もうとにかく眠かった。
「お前のせいで、両親は、両親は!」
なんか声が聞こえる。
血にまみれた包丁を握って、新入社員が叫んでいるのだ。
もう生きてるのか、死んでるのかもわからないや。
いっそのこと死んだほうが楽かもな……
私の人生もこれで終わりか。
思ったよりも気持ちは静かだった。
夢も希望もないのだから当然かもしれない。
ただ無数の後悔は存在する。
どうせならもっと社会に役立つ仕事がしたかった。もしも来世があるとしたら、そのときは人に優しく、そして弱い人を助けてあげられるような人間になりたい。
「…………ねえ、起きてバディ!」
私は身体を揺すられた。
バディ……警察では相棒を意味する言葉だ。
だけど、私にはバディなどいない。
「不寝番が居眠りをしていたら、火炎系スキルで消し炭にされるよ」
不寝番? 寝ないで見張りをしてる人のことか。
全く困ったものだ。私はもう眠いんだ。好きにさせてくれよ。あと、火炎系スキルってなんだ。中二病かよ。
「私の感知系スキルでは、敵はもうすぐそこだよ」
うるさいな。私は重いまぶたを開ける。
そこには軍服を身にまとった小柄な女の子がいた。大きめの黒いロングコートで膝丈の辺りまで隠れている。その立ち姿には威容があって職業軍人を名乗られたら信じてしまいそうだ。
一方の私は物見やぐらの囲いに腕を乗せて寝ていたようだ。視線を前方に移すと眼下には一面の平原が広がっている。その途中には簡素な塀があるが、ちょっとした足止めにしかならないだろう。
夜中とはいえ見通しは効く。今夜は空が明るい。
「敵ってなんだ? ここはどこだ? お前はだれだ?」
私は矢継ぎ早に質問を浴びせる。足元を見ると、私も軍用の編み上げ靴を履いていた。服装も彼女と同じ黒のロングコートだ。
「なーに、寝ぼけてるの!」
つんと顔面をつつかれてムッとなる。
彼女はふんわりとカールした美しい金髪に、色白でつやのある肌を有していた。碧眼の大きな瞳は宇宙の壮大さを思わせる。
宇宙飛行士のユーリイ・ガガーリンの言葉をオマージュして「瞳は青かった!」と感嘆符をつけて叫んでしまいそうだ。
「すまん。しかし本当に記憶喪失なんだ」
そう顔を覆おうとして気が付く。私の手に趣味の悪そうな髑髏の指輪がついていたのだ。ヴィジュアル系バンドかよ! と思ってしまう。手首にも純銀のブレスレットがついていて、かなり邪魔だった。
「なんだこれは。外さないと目立つな」
白い月明かりに反射して、物見やぐらに歩哨が立っているのを確認されたら格好の的になってしまう。私はそれらの装飾品を取ろうとしたが、彼女に腕をつかまれて制止させられた。
「待って。それを外さないことを条件に、士官学校を首席で卒業させてもらえたんでしょ。主任教官のメンツをつぶすようなことはしないで!」
彼女はすごい剣幕だった。その小さな手には精一杯の力が込められている。私は静かにうなずいた。
「わかった。だけど本当に記憶がないんだ」
「ふう。また任務の内容を聞いてなかったんでしょ!」
「その通りだ。教えてくれ!」
「もう、最初からそう言えばいいのに……」
彼女は不承不承といった感じで質問に応じた。金色の髪の毛を掻き上げると、ふわりとフローラルの香りがした。
「私たちが護衛してるこの小国はラフボル。攻めてくる相手国は、現在のところ西半球で勢力を拡大してるレイスヴィッツ。ちなみにここは東半球だよ。大丈夫? 地理は苦手だと思うけどついてこれてる?」
ぶっちゃけ何もわからない。
だが、ここが異世界だということは理解できた。
聞いたことのない地名ばかりだし。
私なりに解釈をすると、ここは東南アジアでラフボルという名前である。攻めてくるのがアメリカ大陸といった解釈だ。もしこの世界が地球と同じならば、その両国は海を挟んでいるはずだが、もしかしたら地続きになっているかもしれない。とりあえず聞いてみる。
「海? 挟んでるに決まってるじゃん」
「それはそうだよな」
あとは科学技術の発展がどの程度かを知りたい。
敵は航空機で来るのか、それとも船舶を使うのか。車両はあるのかないのか。近接戦闘で用いる武器は弓矢か小銃か。刀か竹槍か。
「なにそれ。まだ寝ぼけてるの」
さすがに変に思われたようだ。だが、これからもずっとごまかし続けるのは難儀だから、もう正直に打ち明けるしかないだろう。
「いや、違うんだ。素直に説明しても信じてもらえないと思うが……」
私は自分の覚えている限り忠実に、転移するまでの経緯を語った。死因については記憶がないため、過労死と伝えておいた。
「ふーん」
彼女は訝しそうに碧眼の瞳を見開いた。
「まあ、スキルオーラに乱れはないし、ウソは吐いてないってことでいいか。でもあいつ、本当に降霊術を成功させたんだ。驚いたなー」
「降霊術?」
「うん、スキルの1つだよ」
スキルってなんだ? それに降霊術って。
「なんで俺は呼ばれたんだ?」
「固有スキルを得るためだよ」
「なんだそれは?」
「1人につき1回しか発現しない、固有のスキルのことだよ。あんたの魂を呼び寄せたのはユニークスキルを追加で得るためで……」
「いや、わけがわからないぞ。その説明だとユニークスキルとやらを手に入れられるのは俺だけじゃないか!」
「そうだよ。でもいずれその魂は彼のものになるでしょ。そうすればユニークスキルも彼の所有物になるよね」
うーん。世界観がわからないからなんとも言いがたい。
「じゃあ俺が転移するまでは、こいつは無能力者だったのか?」
士官学校を首席で卒業したと言うから優秀な人材なのかと思っていたが、そこはどうなんだろう。
「ううん、すごく優秀だった!」
「だったらなんでユニークスキルを欲しがるんだ?」
「彼は幼い頃に、両親を亡くしてるの。でもね、『蘇生』のユニークスキルがあれば、きっとまた会えるからって、すごく一生懸命にスキルを磨いてたんだ。けど、『蘇生』のユニークスキルは発現しなかった」
そういうことか。どれだけ強くても守れないものはあるってわけだ。あえて言及はしないが、なるほど、私でよければその能力を発現させてあげたい。
「理由はなんとなくわかった。俺でよければ協力しよう」
「ほんとに?」
彼女は両手を合わせて、私に顔を近付けた。
近い近い。けど、めっちゃかわいい!
恋愛の経験がほとんどない私は胸がときめいた。
「まずい。伏せて!」
「は?」
頭をむんずと鷲掴みされて、いきなり床に叩きつけられそうになる。とっさに手を突いたが、危ないところだった。
「なにしやが、る……」
と言った私の頭上を、氷の矢が突き抜けていった。
夜間とはいえ、そこまで寒い気候ではないし、空気中で水分子が凝固して襲ってきたとも考えにくい。つまりスキルとやらの攻撃だった。
「氷属性のアクティブスキル。私の感知能力でも、ぎりぎりまでスキルオーラを確認できないなんて……」
それとも隣にこいつがいるせいで、思念が乱れているのかしらと彼女はごちた。
「実際に気持ちがどう影響したのかはともかく、単純にスキルオーラが強すぎる人が近くにいると、感知は失敗しやすいのよね」
「今のは何だ!」
私はパニックに陥ってしまう。
慣れない環境のせいで、クレバーに頭が働かない。
「おい、何か迎撃用のスキルはないのか!」
「ジャスクーテ」
物見やぐらの下で、相手は呪文詠唱を行っている。
なんだこれ、まずい展開じゃないのか?
木柱が音を立てて凍り始める。冷気が足元からせまってきた。
「ちっ、フランメッ!」
彼女は火炎の球体を地面に向かって放った。
草原の一部が赤く燃え上がる。
しかし敵にはかすりもしていなかった。
やぐらの囲いにも霜柱ができている。
私は嫌な予感がして後退しようとしたが、足に根が生えたように動かない。「なにっ!」と思わず漏れた吐息が白い。
まずい。私がなんとかしなければやられる!
急げ、策を巡らせるんだ。
なんといってもこの男、士官学校では首席だったのだ。きっと強力なスキルを有しているに違いない。会話の端々まで思い出せ、なにかヒントになりそうな会話はなかったか。
「待って。それを外さないことを条件に、士官学校を首席で卒業させてもらえたんでしょ」
私が装飾品を外そうとしたときに彼女が発したセリフだ。つまりこの装飾品には何かがあるのだ。それもスキルと関係がありそうだった。
このままじゃどっちにしろやられる。
それならイチかバチか外してみるか。
「ファージ、スカルダ、ジョート……。はあはあ、火力の調整が微妙すぎて、氷属性の下級アクティブスキルが破れない。いっそ丸焼きにしてもいいのなら……」
額に汗を流して、苦しそうに彼女はつぶやく。
スキルにも上級や下級があるのだろうか。
いや、今はそんなことはどうだっていい。この窮地を脱することだけ考えろ!
私は髑髏の指輪をひとつだけ抜いてみた。どうせなら全部外してしまいたかったが、どのようなスキルが発動するのかわからない以上は迂闊な真似ができなかった。もしかしたら何も起こらないかもしれないのだし、全ては憶測にすぎないけれども。
指輪を引っこ抜くと、私の身体は発光した。
「え……。なに、このスキルオーラは」
彼女は眩しそうにしている。なんだか寒さを感じなくなってきた。これがこの男のユニークスキルなのだろうか。圧倒的なまでの全能感が身体中に広がる。私は氷属性のスキルホルダーをにらんだ。この野郎と敵がい心を込めて。それだけで相手は卒倒してしまったのである。
なんだか呆気なかったな。
私がそう指輪をはめると彼女はチョップをかましてきた。
「なにやってるの!」
「だって、ああでもしなかったら全滅してただろ」
「でもあんたのせいで、私たちの戦力がバレたかもしれないでしょ。あんなにスキルオーラを解放したら、遠くにいる敵に見つけてくださいと言ってるようなものじゃない」
「そういうものなのか? それにしても便利だな、スキルオーラって。なにも攻撃してないのに相手を倒せるんだな」
「それはあんたのスキルがLv.999だから成し得た荒業よ」
「そのスキルレベルってなんだ?」
「下級スキルが、Lv.1~Lv.49で、中級スキルが、Lv.50~99で、上級スキルが、Lv.100~Lv.149って言われてるのよ。あんたは装飾品を全て身に付けて、スキルレベルを抑えた状態でも、Lv.99はいってるわ。つまり中級以上の力を持ってるの」
「じゃあこの装飾品は、力を制御するための物なのか?」
「そうよ」
「ひとつ外すごとに桁が増えるってわけか。じゃあ仮に指輪を10個外したら、Lv.999,999,999,999ってことになるのか?」
「そんなに単純じゃないと思うけど……」
なんとも恐ろしい潜在能力だ。
これは案外、スキルオーラだけで圧勝できるかもしれない。
「これは案外、スキルオーラだけで圧勝できるかもしれない。って思ったでしょ?」
「なんでそれを?」
「スキルオーラと同じで、思念がダダ漏れよ」
「そうか。だったら気を付ける」
「ダメだからね、そんなことをしたら!」
彼女は私に釘を刺した。
「スキルオーラを使い果たしたら、死ぬんだからね!」
ただでさえ力をコントロールできていないのに、装飾品を全部取ったら確かに自殺行為になるだろう。危ないところだった。
「じゃあどうすればいい。俺はどんなスキルが使えるんだ?」
「あんたのユニークスキルは完全模倣よ。自分が見たスキルを完全に再現できる能力。試しに氷の矢を撃ってみて!」
塀の向こう側には巨大なイモムシがいた。のそのそと動いていて気持ちが悪い。かわいそうだが威力を最小限にして放ってみることにした。
「グレイソン」
「フランメッ!」
氷の刃がイモムシに届く前に、それは火炎の球体によって消滅させられてしまった。その火炎も空中で霧散してしまう。
「氷属性のスキルはおおむね習得できたようね」
「ああ。だけど、さっきの相手はおそらく偵察兵だ。こっちの居場所が割れたとなると、ここのやぐらに居続けるのは具合が悪いぜ」
「ええ、一旦下りましょうか」
「増援はいるのか? 最低でも東西南北の四ヶ所に歩哨は立たせたほうがいい。そして増援部隊の確立も必須だ。いつまでも敵がひとりとは限らないからな」
「うん、それは大丈夫。思念通信で連絡は取り合ってるから」
「だったらさっきはなんで援軍が来なかった?」
「あそこは私だけでも凌げると思ったんだもん」
「お前はバカか。敵は能動的に攻めてくるんだぞ。足を止めて、受け身で戦う俺たちが不利になるのは自明だろ。いいか、孫子の兵法と同じだ。敵の3倍の勢力があれば勝てるが、2倍であれば互角、対等の戦力であれば負けると思え!」
「私はお前じゃない。ポル・クラムですー」
「そうか、ポル・クラム。クラムと呼べばいいか?」
「好きにして。ちなみにあんたの名前はコナー・トスだからね。これからはそう呼ぶよ」
「好きにしろ」
物見やぐらを下りて草原に立つと、また違った景色に見える。
目の前に広がる大自然に、私は息を飲んだ。
「そういえば、航空機も船舶も車両もないみたいだけど、こいつはどうやって海を渡ってきたんだ?」
「え?」
クラムはその美貌を歪めて私を見た。
「そんなの飛行スキルに決まってるじゃん。数あるスキルの中でも、飛行系は基本中の基本だよ」
「だったら最初にそれを教えろ!」
「もう何よ、偉そうね!」
新入社員の人材育成を担当していたせいか、デフォルトで高圧的な態度を取ってしまう。転生前の記憶が引き継がれるのも、こういったデメリットがあるようだ。
「教えてください」
「こうするのよ」
クラムは両腕を広げた。
「飛行系スキル……クーウォイカス!」
すると彼女の身体がふわりと宙に浮かんだではないか。私は目の前の光景を疑ってしまう。どんな物理法則だよ、カルト教団のアニメでしか見たことのない芸当だぞ。
さっきまで異世界転移の洗礼を受けていたはずなのに、私は飛行系スキルに釘付けになっていた。縦横無尽に低空飛行をするクラムはどこか嬉しそうだった。
「俺もやってみる」
私は腕を広げて、クーウォイカスと真似して唱えてみる。そもそもこの男、コナー・トスであれば、呪文詠唱なしでもスキルが発動しそうなものだと片隅で思った。
すると、1個天体ほどのすさまじい斥力で、大気圏まで身体が吹っ飛んだ。このままでは宇宙まで行ってしまう。
はあ? どうなってんだよ。いくらなんでも限度ってものがあるだろ。ヤバい、どうしよう。自分の強大すぎるスキルで死ぬなんて嫌だぞ。
そう思った瞬間、私は不随意反射的に叫んでいた。
人間がびっくりしたときに、「わーっ」とか「ぎゃーっ」と無意識に言葉を発するように、コナー・トスは「トイラフーリフ」と口を動かしていた。それは呪文詠唱の言葉だった。こんなときでもそれが出てくるとは、この男はよっぽど訓練されていたのだろう。
急上昇していく肉体が成層圏の辺りで停止する。とりあえず下降したい。そう願ったら、私の望む速度でフリーフォールが始まった。
地面に両の足が着く頃に、私は「助かった!」と胸をなでおろした。今でも膝が笑っている。こんな経験は二度とごめんだ。
「あはは。すごいね、戻ってこれた」
「笑い事じゃないだろ! 死ぬかと思ったわ」
そんなやり取りをしていて、私はブラック企業の社員だった前世を思い出す。もしもあそこで転移できていなかったら、こんな風に喜怒哀楽を表現することはなかったかもしれない。
「まあ、これに関しては慣れていくしかないね。スキルオーラを制御できるようになれば、私みたいに自由自在だよ」
そうか。飛行系スキルがあるということは前方のみならず、上空警戒も必要になってくるな。それにクラムの感知系スキルに頼ってばかりもいられない。私はそう心のふんどしを締め直す。
「だったら俺は、クーウォイカスの練習がてら、上空の監視をやってみる。クラムは前方の警戒を頼むぞ」
そうあぐらを掻いて身体を宙に浮かせる。スキルオーラの力加減がわかってきたのか、今度は変に吹っ飛ぶこともなかった。よかった、失敗を糧にちゃんと成長してる。
「えー、まずはご飯にしようよ。コナー」
クラムは黒のロングコートにある大きめのポケットから、戦闘糧食を取り出す。コナーとはだれのことだと周りを見回したが、私の名前はコナー・トスだった。
「ファージで温めておいたんだー」
そう缶詰めのプルタブを起こすクラム。そこからはホカホカと湯気が立ち上っていた。雑穀米とシシ肉の缶詰め。それと漬け物っぽい食べ物が入っている。戦闘糧食を食べるのは初めての経験だった。
「サンキュー! じゃあいっしょに食うか」
「うん、そうしよう」
私は喜んで口に運ぶが、米は固いし、味付けは濃いし、全然おいしくなかった。それでも彼女と食べているだけで不思議な満足感があった。お腹ではなく心が満たされるような感じだ。
「もし口に合わなかったらクッキーもあるけど……」
クラムはそう小袋を取り出す。その動作がなんだか女の子っぽくて、容姿だけではなく本心から彼女を好きになってしまいそうだった。
異世界に転移するのも悪くないな。
そんなことを考えたときに事件は起きようとしていた。
「なんだ、このスキルオーラは!」
「えっ?」
「7、8人くらいだ。こっちに向かってくるぞ。12時の方向だ」
「もしかしてコナー、感知系のスキルも体得したの?」
「説明はあとだ。とにかく救援に向かうぞ!」
宵闇を切り裂くように私たちは走り出す。
スキルで移動するというアイデアは出てこなかった。
敵の規模は1人を除けば大した戦力じゃなかった。しかし、グループリーダーなのだろうか。圧倒的なスキルオーラを纏ったやつがいるのだ。しかも感知されないように巧妙にその力を隠しているときた。相当の手練れの予感がする。
北の物見やぐらから南の物見やぐらを目指す。その間には小さな集落があった。そこは木造建築の平屋が連なっていて、ここを戦闘地域にしたら村民に余計な被害が生じてしまうと思った。
「はあはあ、大丈夫ですかー?」
見張り台から眺望しているはずの歩哨に声をかけてみる。
「おー、こっちは平気だ。敵が来る気配もない」
そんな呑気な返事がかえってくる。
そんなはずはない。スキルオーラは確実にこちらに向かって来ている。表情から察するに、クラムも気付いたようだった。
「厄介ね、敵はステルススキルを使っているわ。コナーがいなかったら見落としてたかも」
そうなのだ。それくらいに微弱なスキルオーラである。
加えて、かなり訓練された隠密部隊なのだろう。これほどまでに接近されているのに、未だにその姿を捉えることができない。
鋭利なワイヤーのような物が一瞬だけ私の視界に入った。糸のように細いそれが身体を縛り付けてくる。避けようとしたが遅きに失した。
くそ、こんなもの。そう飛行系スキルの呪文を詠唱するが発動しない!
「おい、クラム。なんかに縛られて、スキルが使えないんだが……」
私は両腕を拘束されているせいで立っていることもままならなかった。
「まさか、拘束系の上級スキル?」クラムは私の異変に気付いて言う。「術者を倒さない限り、その拘束を破ることはできないわ……」
「だったら、また指輪を外してくれ。スキルオーラは自動で発動するからなんとかなるはずだ!」
確かパッシブスキルといったはずだ。
ONとOFFの切り替えができるアクティブスキルとは違い、常時発動するスキルとのことだ。これならスキル封じの被害は受けないのではないかと思った。
「ダメよ、スキルオーラを多様するのは危険すぎる!」
「だが……」
「ここは私に任せて!」
なんということだ。
最強に近い能力なのに彼女の足を引っ張っている。
だいたいこんなワイヤーがなんだというのだ。私は『蘇生』のユニークスキルを手に入れるまでは負けられないのだ。この男、コナー・トスのためにも。
「うおおっ!」
「心配しないで、コナー。私だって守られてばかりじゃないのよ」
クラムはじっと目を凝らす。
「ラディティクション」
そうして感知系の上級スキルを詠唱する。
「やめろ、これは罠だ……」
「見えた。敵は分隊規模しかいないわ」
そうクラムは口角を上げる。拘束系のスキルオーラを放っているのは、草かげに隠れているあいつだ。やつを叩けばこの術はとけるわ。暗示をかけるようにして自分に語りかけるクラム。
これは非常にまずい。
彼女は親分格の存在に気付いてないのか。
私には虎視眈々と誘い出そうとするリーダーの意図が手に取るようにわかっていた。敵の狙いは私ではなく彼女だ!
クラムを取引の材料に使うつもりだろうか。
だが、いくら罠だと叫んでも当人には届かない。
どうすればいい。そう物見やぐらを見つめる。2名の見張り番は異変には気付いているものの、現在の状況が飲み込めていないようだった。これでは助けも望めない。
「クーウォイカス」
クラムは飛行系のスキルを詠唱した。地面からつま先が離れる程度に浮遊する。
続いて、
「フオクイテッ!」
その言葉が、遅れて聞こえてきた。
彼女は音を置き去りにしたのだ。
それほどの高速移動で、クラムは、拘束系のスキルホルダーの背後をとった。
ここは戦場だ。殺すことに情けをかけている暇はない。
「フランメ」
だから彼女はその相手の後頭部を、火炎系のスキルで燃やそうとした。
「コルスカ」
はずだった。
「クオスド」
しかしその詠唱呪文が発動することはなかった。
「きゃあああ!!!!」
その代わりにクラムの絶叫が響く。
「超音速とは驚いたな。だが、私のほうが速いぞ!」
濃緑色のベレー帽に、カーキ色のミリタリージャケット。それに茶褐色の皮膚をした軍人が、蔑むような笑みを浮かべている。
「この野郎……」
私が縛られた状態で前に進むと、分隊の構成員がその行く手を阻んだ。積極的に攻撃を仕掛けてこないのは、私のスキルオーラを恐れてのことだろう。
「こいつらは俺たちが引き受けるぞ」
そう不寝番の2人が物見やぐらから下りてくる。
「お前は彼女を助けに行け!」
「すまねえ!」
私は礼を告げて前に出る。
そこにはぐったりと横たわるクラムの姿があった。
「てめぇ、何をしやがった!」
あまりの怒りに声が震える。
「なんだ貴様か。スキルオーラは強力だが、戦闘に関しては素人同然だったな。まあ相手をするつもりはないが、人質はもらっていくぞ」
そいつはクラムの軍服をつかんで片腕で持ち上げた。
「おい、質問に答えろ。何をした!」
それは想像以上に、低く殺意のある声になった。
「神経を麻痺させただけだ。心配するな、大事な人質だからな」
「人質……だと」
ああもう我慢できねえ!
悪いな、コナー・トス。
そして、ポル・クラム。
「俺、スキルオーラの制御をやめるわ」
指輪なんか外さなくてもいい。
そんなことをしなくても今あるだけの力を全解放だ!
この身体も段々と馴染んできた。手加減の仕方もわかってきたが、そんな姑息な手段はやめだ! 全力を尽くさないとこの相手には勝てない。だったら思う存分に暴れてやるまでだ。
「ムッ!」
その男は地面にクラムを投げ捨てて後方に跳んだ。ベレー帽を押さえて、ミリタリージャケットから小瓶を取り出す。中身の錠剤をごくりと飲み込み、苦しそうに笑った。
「ハハ……。貴様のその力、まだ増幅するのか! まるっきり底が見えんな」
「ああ、こっからが本気だ!」
私はスキルオーラを威圧的に用いて、拘束系のスキルホルダーをにらむ。だが、目を合わせるまでもなく、彼は泡を吹き、白目をむいて伸びていた。
いつの間にか両腕の拘束は解けていて、手足に自由が戻った。
「コルスカッ!!」
先に仕掛けたのは。
ミリタリージャケットだった。
稲光のように、一瞬で間合いに入り込む。
そして。
「ストムスラグッ!!」
絶命級の雷撃を浴びせてきた。
「スキルオーラ・守護の型!!」
私はスキルオーラで全身を守る。
ズドーンッ!! という轟音が大地を揺らした。
バチチッと電撃が目の前で滞留している。
やつの攻撃は私には届かなかった。
が、やつの狙いはそれで十分だった。
刹那的に視界を塞ぐことが、やつの目的だったのだ。
私はアッパーの要領でアゴに掌底を喰らった。
目の前がぐらりと揺れる。
そのまま顔面部をつかまれた。
まずい。地面に頭を叩きつけられる。
後退しようとしたところに、敵の足払いが炸裂した。
完全にバランスを崩した。
こうなったら、力ずくのスキルに頼るしかない。
「クーウォイカス!!」
重力に逆らって、身体が吹っ飛んだ。
宙に浮いているからダメージも受けない。
「なん、だと……」
ミリタリージャケットは顔をこわばらせる。
「出鱈目だ! なんだお前は!」
恐怖で声が甲高くなっていた。
「コナー・トス。士官学校の首席だ!」
私はドリルスピンを加えながら、急降下する!
「デスダイブッ!!」
この技に呪文詠唱は必要なかったが、今回はノリでそう言ってみた。なんか雰囲気とか出そうだし。
ミリタリージャケットは槍のように頭から地面に突き刺さった。殺す必要は感じなかったので、『スキルオーラ・守護の型』を発動しておき、目覚めるまでそのままにしておくことにした。
ユニークスキル『完全模倣』はかなり強力だが、近接戦闘では辛酸をなめさせられた。格闘経験が乏しいとはいえ、この先もスキルに頼った戦いが通用するとは思えなかった。
それどころか、ポル・クラムを危険な目にあわせてしまったことを激しく後悔する。大事な家族を失ったコナー・トスにとっては、彼女が唯一の救いなのだ。ユニークスキル『蘇生』を手に入れることもそうだが、それと引き換えに彼女を失ったら、この男はどうなる? 私はそう自責の念に苦しんだ。
「もう、なんて顔してんのよ! 憲兵団の人たちにもお礼を言わなきゃだよ。ボヤボヤしないで」
クラムは気絶から目覚めたのか、私に近寄ってきてそう言った。憲兵団とは、先程のやぐらにいた2名の歩哨のことだろう。彼らも彼らで強いらしく、あの人数をしっかりと片付けていた。
まあ、もしもやられていたら、『スキルオーラ・威圧の型』でその窮地を救うつもりだったが、その手間が省けてよかった。
というか、スキルオーラはあまり多用してはいけないんだっけ。そのときはクラムにバレないように使用しなければな。彼女は心配性なのだ。
「驚いたよ。強いんだな、君たちは!」
憲兵団の年配の男性は、私に握手を求めてきた。
私にとっての握手とは、会話の主導権をにぎるためのツールだったり、脈拍や手汗等の身体変化によって、その人物の心理状態を把握するために用いるが、彼は好意によってのみ、その手を差し出しているようだった。
「いいえ。あの人数を相手に健闘していただいたおかげですよ。礼には及びません」
その男性は1等下士官と名乗っていた。階級を教えられても困るが、かなり腕の立つ役職なのだろう。その隆々とした筋肉が、細かいドット柄を配したデジタル迷彩の上からでも見てとれる。
握手も力強いものだった。
「トルデリシャスには、君のように有望な若者が多いのか?」
私は、トルデリシャス? と首をかしげそうになったが、なんとか思い出した。確かトルデリシャスはコナー・トスの出身地だ。彼の地元がどんなところなのかよく知らないので、「ええ、まあ」と適当ににごす。
今いるこの小さな集落はラフボルだったかな。クラムは国と言っていたが、そんなに大きな土地面積ではなかった。それとも私が知らないだけで、領地はもっと広いのだろうか。
「トルデリシャスと軍事同盟を結べて本当によかったよ。私たちだけでは、レイスヴイッツと対等にやり合えなかったはずだ。ありがとう!」
レイスヴイッツは敵対国だ。
トルデリシャスやラフボルが東南アジアならば、レイスヴイッツはアメリカ大陸の辺りだと勝手に理解している。まあ、海を挟んでいるのだし、そんな感じの解釈でいいだろう。深く考えても仕方のないことだ。
「それならどうしてレイスヴイッツと戦争をすることにしたんですか? 国力に差があるのは自明でしょう」
私がそう尋ねると、「そんなことも知らないのか?」という顔をされた。もちろんだ。政治的なことはなにも聞いてない。
「ラフボルの領土は狭いが、これでもうちは資源大国なんだよ。そしてその主な輸出国は、レイスヴイッツだった」
「それなら友好国じゃないですか」
なぜ戦争を。と続けようとして、遮られた。
「そのときまではな……」
歯ぎしりをしつつ、1等下士官は表情をくもらせている。
「だが、その貿易をよく思わなかったレイスヴイッツの国王が、輸入品に関税をかけるようになったんだ。それだけじゃない。ラフボルの領土、領海にも不法で侵入を繰り返して、ここは自分たちの国だと主張するようにもなった。このまま抵抗しなければ、いずれラフボルという国は消滅してしまう。そこで、トルデリシャスと軍事同盟を結んで戦争を仕掛けることにしたんだよ」
なるほど、どこの世界でも似たようなイザコザはあるのか。
私がひとりで納得していると、クラムに大声で呼ばれた。
どうやら集落のほうに敵が出たらしい。
感知系スキルの発動を停止していたために気が付かなかったようだ。
「わかった。すぐ行く!」
私は憲兵に向き直り、
「そういうことなので」
と片手をあげてから、飛行系のスキルを詠唱した。
クラムも私に続く。
私は速度を抑えながら集落へと急いだが、それは彼女がギリギリついて来れるくらいのスピードだった。
木造建築の平屋が立ち並ぶ一角に来た。
そこでは暴力的なスキルオーラを放つ、デジタル柄の迷彩服を着た男と、その取り巻きが数人、下卑た笑いを浮かべていた。
敵国のレイスヴイッツ兵は、ミリタリージャケットか、デジタル迷彩を着用しているようだ。
「なあ村長。悪くない商談だろ?」
「断る!」
ボロ布を着用した老人はすぐさま突っぱねる。
村長というにはあまりにもみすぼらしい格好だ。
その隣には娘とおぼしき女の子が怯えて立っている。
「何を言ってるんだ。ここの集落は見逃してやるんだぞ」
「しかし、そんなことはこのワシが絶対に許さん。娘を嫁に出すなど認めぬわ!」
「歴史をひもとけば、政略結婚など腐るほどあるぞ」
「だからなんじゃ。これでもワシは村長、村人全員が家族だわい!」
唾を飛ばして老人は叫ぶ。
「血が繋がっていようといまいと、関係ないわ!」
「まあいい。禍根は残るが仕方ない」
スキルオーラが最も強力な指揮官らしき男は言う。
「力ずくだ。娘を略奪しろ!」
そう手下に命令を下した。
彼の取り巻きは、喜んで老人を囲む。
「行くよ、コナー!」
クラムは私の袖を引っ張った。
だが、私は動かない。動くつもりもない。
「待てよ、クラム。こうなることは村長もわかっていたはずだろ。もう少し様子を見ようぜ」
「でも……」
「心配するな。あの人のスキルオーラは並みじゃねえ!」
表に放出されているスキルオーラは微弱だが、その中にある潜在能力は計り知れない。間違いなく百戦錬磨の強者だった!
「固有スキル……」
そう老人は目をつむる。
覚悟を決めたような静かな表情だ。
「氷属性スキル・グレイソン」
「火炎系スキル・フランメ」
「切断系スキル・シュナイデン」
氷、炎、風とバラエティに富んだ攻撃が繰り出される。老人は身動きをしない。
「全反射」
カッと目を見開いて、彼は両腕を水平に上げる。
するとそれぞれの取り巻きに氷の矢が突き刺さった。
続いて、火の玉が顔面を焼き、鋭利な風刃が両足を切断した。これらの技は、取り巻きの使ったアクティブスキルだった。
「…………んなに、ゲフッ!」
呼吸器系統を氷の矢で貫かれた取り巻きは、なにを言うこともできずに大量に吐血して、地面を赤黒く染めていった。村長はそれを無慈悲に見つめている。
「退散しろ。今ならお主の命だけは見逃してやる」
そう親玉に呼びかけている。
あのユニークスキルがあれば最強なんじゃないか。
私はそんなことを考えた。
「冗談きついぜ、村長。あんたのせいで俺の組は全滅したんだ。組員の生命なんかどうでもいいが、こうなってくると、これからの出世に影響が出るんだよ!」
「生きて帰れるだけ幸せと思うがよい!」
村長は促すが、
「いいや、やめだ! 女は生け捕りだの、人身売買だの、どうでもよくなった! お前ら全員、皆殺し決定だ!」
相手はそう甚大なスキルオーラを解き放つ。
彼を中心に突風が吹き荒れた。
このままだと黒のロングコートが飛ばされそうだった。
まあ、どうでもいいが、軍の支給品であれば返納義務とかありそうだな。なんて今更な心配を、私はしてしまう。
敵のスキルオーラ。一般的には強い部類だが、私にはなんてことのないものだった。得意になるのもいいが井の中の蛙である。だから厄介なのは、むしろ敵のユニークスキルだと思う。まだ明かされていないため、不気味な予感がする。
「固有スキル・魔方陣」
デジタル迷彩の男は呪文の詠唱を始める。
そのスピードはかなりのものだった。
「スキル封じの陣!!!!」
すると私たちの足元には奇妙なサークルが出現していた。
そこには数式だか化学式だかが描かれており、その術式に私はぞっとした。能力は知らないが、その半径はおよそ100m程度。陸上選手でもここからの脱出に10秒は要する。まあ、スキルを使えば一瞬だろうがな。
「無駄じゃよ!」
村長は私の思念を読み取ったかのように答える。
「このサークル内でのスキルの発動は無効化されておるわ!」
「その通り」
そうデジタル迷彩は快哉を叫ぶ。
「もうだれも逃がさねえぞ。それにスキルオーラも使えないはずだからな、覚悟しろよ!」
スキルオーラ?
試しに発動を試みたが、失敗に終わった。
この円陣のせいだろうか。
まあいいや。これは村長の戦いなんだし。
私には関係のないことだ。
「アクティブスキル・泥人形召喚」
やつは自分の作った魔方陣に、さらなる陣形を上書きした。
そこから岩石を無理矢理くっつけたような、巨大な化物が出現する。
見た目はいかついが、その動きは鈍重そうだ。
私はそう分析する。
ゴーレムは自己の力を試すべく、手近な家屋をひと殴りした。
それだけなのに、
ズドーンッ!!!! と建物から爆発が起きたのだ。
ビリビリと肌に伝わる衝撃が痛い。
これは周辺ダメージも考慮しないと危険だった。
「今回の相手はやばいよ。コナー」
クラムは真っ青になりながら、そう言う。
その破壊力は、前世でおなじみのダイナマイト級だった。
「俺のゴーレムは、そこいらのゴーレムとは一味違うぜ。なんせその原料は魔物の爆弾岩だからな」
魔物? RPGゲームに出てくる化物のことか?
プレイしたことはないが知識としては持っている。
爆弾岩はよく知らないが、たぶん爆発する岩なんだろう。
「それじゃあ村長さんよ。お手並み拝見といかせてもらうぜ」
敵の掛け声にゴーレムが反応し、指定されたポイントを殴っていく。その度に爆発が起こり、地面がえぐれていった。
狙いは村長だ。
しかし彼は反撃しない。否、できなかった。
魔方陣による結界のせいでスキルが使えないのだ。
「おいおい、逃げてるだけか?」
「悔しければワシに一撃当ててみなさい!」
デジタル迷彩はともかく、なんで老人もそんなに挑発しているんだ? これでは被害が拡大する一方じゃないか。
私はそう穴だらけの地面を見て気が付く。
ああ、そういうことか。
このじいさんは無策ってわけでもなさそうだ。
むしろかなり機転の効くタヌキのようだ。
しかし、それを許す相手ではなかった。
「焦れったいな。だったらこの娘を殺るか!」
眉間にしわを寄せて目標物を変更する。
狙いは先程の女の子に定まった。
「いけ、ゴーレム!」
私とクラムは戦慄した。
「まずい。ここからだと間に合わねえ!」
「やめてー!!!!」
私たちの絶叫をかき消すように爆音が全てを飲み込んだ。
ズドーンッ!!!!
その凄まじい衝撃に足を踏ん張らずにはいられない。
うっすらと煙が晴れていく。
そこには、娘をかばう形で村長が立っていた。
「ワシは最低な村長じゃ」
爆炎でさらにボロボロになった布をちぎって彼は言う。
その老体はひどく痩せ細っていた。
「大事な、娘すらも、守ってやれなかった」
「最後までカッコ悪いな、じじい!」
デジタル迷彩の男はそう吐き捨てる。
「お前のせいでこの村は滅びるんだよ」
「すまんな。守ってやれなくて……」
その立ち姿から、1筋の涙が零れ落ちる。
それは絶命の恐怖ではなく、自分の無力に対する後悔だった。
「村ひとつ、守ってやれなくて。本当にすまんかった」
老人は腕を広げてその攻撃を受けた。
再び、地面を揺らすほどの爆音が鳴った。
「おい、迷彩ゴリラ……」
私はそう前に出る。
念のため、指輪を1つはずしておいた。
「訂正しろよ」
「は?」
「訂正しろって」
そうスキルオーラを拳骨に集中させる。
「言ってんだろ!」
ゴーレムをぶん殴ると、その胴体が砕け散った。
瞬間的にやつは爆発を引き起こす。
だが、爆風は『スキルオーラ・守護の型』で防いでいた。
「どうしてスキルオーラを?」
「簡単な話だよ」
私は遠くで呆然としている術者に教える。
いつの間にあそこまで逃げたんだろうか。
「お前の描いた魔方陣。もうほとんど消えてるぜ」
そう地面を指し示す。
表土が陥没と隆起を繰り返したために、その術式は崩れていた。
「そのじいさんはここまで計算して戦っていたんだ。だから訂正しろよ。すいませんでしたって頭ついてあやまれよ!!」
私は柄にもなく激昂してしまう。
今にもスキルオーラが噴出して敵を圧殺しそうだった。
「嫌だね、それにそのじいさんはもうあの世に逝ってるだろ」
「逝ってねえよ」
私はクラムに視線を移す。彼女は黙って頷いた。
「テメエがとどめを刺す直前に、『スキルオーラ』の発動が間に合ったんだ。それにクラムのユニークスキルは『完全治癒』だ。絶命さえしていなければ助かる見込みは高い!」
彼女のユニークスキルはさっき知ったばかりだ。
渡りに船のユニークスキルで助かった。
「さあ、訂正して捕虜になるか。意地を見せて死ぬか。どっちか好きなほうを選べ!」
「殺せッ!!!!」
彼は、即答した。
「戦士として、生き恥をさらすのはゴメンだ!」
「バカヤロ……」
私は下唇を噛んで呪文を詠唱する。
「クオスド」
それはクラムが失神した雷電系のスキルだった。
いくら戦場でも、そう簡単に人を殺せるはずがない。
私はつくづく甘い人間だ。一家を離散に追い込んだ私が、そんなことを言っても偽善にしか聞こえないだろうがな。
おもむろに指輪をはめる。
強さってなんだろう。
そんな疑問が生じていた。
村を救おうとしたこの村長は間違いなく、“強い部類”に入るだろう。だけど、私はどうだ? 私に同じことができただろうか。
「トルデリシャスの若い兵隊さん。どうもありがとう」
村長は優しく慈愛に満ちた笑顔を取り戻していた。
戦いの傷もほとんど癒えているようだ。さすがはクラム。
「ねえ、村長さん」
娘と呼ばれていた少女は、照れくさそうに老人のふところに飛び込んだ。
「ありがとう! カッコよかったよ」
村長は驚いた様子で口を開けたが、ぎゅっとその娘を抱いた。まるで我が子を抱きしめるかのように。
「心配かけてすまなかった」
その声は涙で震えている。
「今日はスープを作ってあげるからな」
「ううん」
しかし、娘は首を振った。
「今日は私が作る! だっておじいちゃんには長生きしてほしいもん」
老人の肩が小刻みに震え出した。
私はクラムに言って背中を向ける。
「私が大きくなったら、あんなやつら私がやっつけてあげるね。今度は私がおじいちゃんを守る番だよ!」
そう息巻く少女と老人の号泣が、私の心に強く残った。
「なあ、クラム」
私は払暁の空を見上げた。
東の雲はすでに明るくなっている。
私とクラムは持ち場である物見やぐらへと戻ってきていた。
眼下には簡素な塀と大草原が広がっている。
ここならば感知系のスキルで敵の急襲にも即応できるし、味方の救援には、飛行系のスキル・クーウォイカスを使えば間に合うだろう。
「その話は本当か?」
「ええ、本当よ。ユニークスキルは『完全模倣』でもコピーできないわ」
「……そういうことか。さっきから『魔法陣』を詠唱しているのに発動しないのはそれが原因か」
「うん。ユニークスキルは個々人に与えられた固有のスキルだからね」
「でも俺、コナー・トスは例外なんだろ」
「別人格を憑依させてるからね。ユニークスキルが追加で顕現する可能性はあるよ」
可能性はある……か。
私はなんとしてもこの男に『蘇生』のユニークスキルを与えてやりたいのだがな。
まあ前世の罪滅ぼしというかなんというか。
もしかしたら『蘇生』のユニークスキルで私自身が前世に戻れるのかもしれないのだし、ここは積極的に行動してみても損はしないだろう。
そう納得したところで、私の感知スキルが警報を鳴らした。
ん、なんだ?
かなり強力なスキルオーラが大群で接近している。
しかもすごいスピードだ。
空中戦闘はまだ不慣れだというのに、レイスヴィッツは人海戦術でも仕掛けてきたのだろうか。
さすがのコナー・トスでも分が悪いな。
増援を頼むか。
「おいクラム!」
言ってから、私は思考を訂正する。
いや、ここの地区は私たちだけで守った方がいいと。
私の任務はこの小国、ラフボルを護衛することだ。
一か所に兵力を集中させてしまっては、むしろ相手の思うつぼかもしれない。
クラムには孫子の兵法を説いたが、兵力なんかスキルオーラでねじ伏せてやる。
この指輪を2,3個も外せばこの領地一体にスキルオーラが張れるだろう。
その後で圧倒的な暴力を行使して叩きのめせば。
「このバカッ!」
頭にチョップをかまされた。
碧眼の目でにらまれるとつい委縮してしまう。
「思念がダダ漏れだっつーの!」
「なら話は早い! 今回は相当ヤバいぞ!」
私がそう取り乱して言うと、彼女はお腹を押さえて、ふふっと笑った。ふんわりとカールした金髪が揺れている。なんだ、錯乱系のスキルか? こんな切羽詰まった状況で笑えるはずがないのに。
「違うよ。コナー」
美人の笑顔には破壊力がある。
私はあやうく彼女に惚れてしまうところだった。
「彼らは味方だよ。トルデリシャスの援軍主力、『空中機動旅団』所属の『第32白兵戦闘特化連隊』っていう部隊なんだけど……」
「なんだそれ。……部隊名が長すぎて覚えられない」
「略して32連隊」
「最初から略してくれよ! これでも素人だからな!」
なんだかんだで馴染んではきたものの、軍隊に関する知識はブラック企業の社員時代に得たものだけだ。ご高齢の方はよく戦争の話をしてくれたから、それなりに知識はあるつもりだったが、部隊名なんか聞かされてもちんぷんかんぷんである。
まあ、異世界だから当たり前なのだが。
「わからないついでに聞かせてくれ。俺の所属している部隊も『32連隊』という認識でいいのか?」
「ううん。私たちの所属は王族直轄の隷下部隊よ。『中央司令部』の『特殊任務班』っていう名前よ」
ふーん、そう。
もう何も突っ込まないでおこう。
略して『中央司令部』と覚えることにした。
「じゃあ『32連隊』が到着したら、俺たちはお役御免ってわけか?」
「そうだね、任務は解除される予定だよ。その後に『中央司令部』に寄って、戦果を報告することになるんだけどね」
私はクラムをじっと見つめてから口を開いた。
「もしもこの戦争が終わったら、この世界は平和になるのか?」
「え?」
「そうじゃなかったら俺たちが戦争をする意義ってなんだ?」
競争社会にすることで生産性が上がるのは理解できる。
だけどそれが幸福とはどうしても思えないのだ。
「ふふ、珍しく哲学的なことを言うんだね。コナー」
「あ、ああ……」
そうだ。私はコナー・トスだった。
異世界に私情をはさむべきではなかったか。
「戦争の意義……ね。そんな未来のことなんて、だれにもわからないよ」
クラムの白い肌が陽光を反射して輝く。
「だけど未来は変えられる。平和は、作るものだよ」
「だったらさ。クラムはこの世界を平和にしてくれよ!」
私はそう拳を突き出す。
「俺は絶対に『蘇生』の固有スキルを手に入れるって約束するからさ」
草原がそよ風で揺れていた。
「クラムは世界の平和を約束してくれないか。もう二度と、悲しむ人の顔が見たくないんだ」
あの村長のような立派な人間が、余計に傷付かなくていい世界にしてほしい。
「なに言ってるのよ」
彼女は細い指で、私の顔面をつついた。
「その約束はどっちも私たちのものでしょ!」
クラムはごつんと拳をぶつけた。
「いっしょに築こうよ、平和な世界!」
「ああ、そうだな……」
人気が出たら連載する予定です!!