八章
八章 御前にて
神とは人の姿をしているものか?
実際に面会するまでは分からなかった。
人間は、神の似姿といわれるだけあって、神は天使よりより一層、人間に近かった。
翼もない、ハイロゥもない。エルダの目前にいるのは、ただの初老の男といえば、それで罷り通ってしまうだろう、人物がやたら、背もたれの高い椅子に座っている。
「止めてくれませんか」
「何をだ?」
神は不機嫌だった。
「ルカを苦しめるのを、です」
「はっ」
神は嘲笑し、蔑みの眼差しでエルダを見る。
「お前ではないのか? 彼を苦しめたのは」
「――」
「黙るな、小娘」
「……だから、私がしたから、頼んでいるのです!」
「はぁ? 神に尻拭いをさせるとは、いい度胸だな」
エルダは奥歯を噛締めた。
「では、いわせてもらいます。そのような手段を与えたのは、あなたです」
神は眉間に大きく皺をつくり、ぐぅと押し黙る。
さっきの発言をそっくりそのまま鸚鵡返しにしてやろうと思ったが、ぐっと堪える。相手はただのおっさんに見えても、神なのだ。両脇に控える天使がそれを証明しているではないか。
そのまま、神は頬杖をついた。
そして、短く、「来たぞ」といった。
「りゃあああ!」
神の間の入り口の鉄扉が開け放たれた。正確には、何かにひしゃげられて、強引に開閉された。取れた蝶番が大理石の床に落ちて、きぃんと耳に悪い金属音を奏でた。
開け放たれた戸口から、姿を見せたのはルカだ。
彼は肩で息をしながら、神の間に一歩一歩、踏みしめるように歩きながら、入り込んだ。
「よくぞ、来た」
「……死ね」
ルカは杖を掲げた。
黒い腕が飛び出す。
腕は一直線に神めがけて、進む。
腕は神を握り潰そうと、広がった。
「ふん」
神は不敵に笑んだ。
黒い指は何かに当たって跳ね返る。
「止めろ、小僧」
神の前に見えない壁があるかのようだった。何度も黒の腕は神に掴み掛からんと飛びつくも、全部が全部ムダ骨に終わった。
「小僧、少し、落ち着け」
神は手をかざした。
ルカはその瞬間、体が縛られるのを感じた。
荒縄で両手両足を縛りつけられる感覚だ。
しかし、感覚のみで、縄などはない。
ルカは腕先の自由を失い、杖を落とした。杖は床を跳ねて、転がり、部屋の隅っこまで流れていく。
「くそぉ、アリサを返せ!」
ルカは喚く。
「それは、お門違いだ」
「何?」
「なぁ、巫女よ。これで、お前は自分で自分のケツが拭けるな」
「……エルダ?」
ルカは今になって気付いたようだ。
彼は、アリサを求めるあまり、盲目的に過ぎていた。
やや、驚いて、ルカはエルダを見遣る。彼は、エルダがルカの後を追ったことを知らないのだから、当然といえば、そうだ。そして、その時だった。
「待つがよいぞ」
ルカにとって、聞き覚えのある声が室内に響く。
この声、悪魔イイェデールのものだ。
声に続き、イイェデールは姿を現す。
杜であったときと全く同じ姿だ。
「何をしに来た?」
「結果を見るため以外に何がある?」
悪魔は、神に対して、怯む様子もない、ぞんざいな態度だ。
何かが引っ掛かった。
民間伝承や神殿の話と違う――。
「そんなもの、当についている」
「そうかね? 神よ。慢心に胡坐をかいているのではないか?」
「何をいうか、お前らのための措置だぞ」
神はふんぞり返る。
「手遊びの間違いではないか?」
「どうとでもいえ」
神はおざなりに、首を振る。
「タネ証しはせぬのか?」
イイェデールは神の横の天使を見ながら、そういった。
「いいだろう」
神はさもおかしそうに、笑いながら頬杖を解く。
そして、しかとルカを見つめた。
「こっちの巫女は知っているのか?」
「ああ」
「そうか」
「小僧」
「何だ」
ルカは犬歯を剥き出しにした。
「これはな、ゲームなんだ」
「は?」
「椅子取りゲームだよ。神というのは、神であるからして、敵がいない。いや、正確には、こいつらがいるのだがね」
目線で、神はイイェデールを示す。
「それでだ、こいつらが雌伏して、全然、かまってこないから、退屈したのだ。そこで、こいつと勝負することにした。霧で世界を埋め尽くし、民に生贄を求める。そして、その生贄を選ぶ存在だけは、こちら側で決める。当然、そこで、神の力を悪用する人間が出てくる。たとえば、この小娘だ」
「?」
「こいつは、恋敵を亡き者にするために、巫女の地位を利用した。勿論、その地位を与えたのは、私なわけだが」
「それがどうした?」
ルカは吼えた。
「分からないか? お前らは、私とこいつの陣営に分かれて、戦っていたのだよ?」
「――」
「憎悪で動く人間をこいつの側に、そして、善意で動く人間を私の側に、まあ、最初はそうだったのだが、途中から崩れてしまってね、誰に助力を願うか、願わないか、だけで判断することにしたのだ」
「エラさんがいってたのはこのとか……」
合点がいった。
「ふざけるな……」
「私の勝ちだ。神」
イイェデールは不気味に、ほくそ笑む。
「ふざけるな、悪魔め」
神は指揮棒を振るように、人差し指を振った。
すると、部屋一杯に天使が溢れ出た。
ルカは体が緩むのを感じた。
徐々に荒縄に縛られた感触は解け、自由になる。
自由になった瞬間、駆けて、ルカは黒の杖を拾った。
「明け渡して貰おうか、神の座を」
「やらん!」
「それは、契約不履行だ」
「黙れ、悪魔。人が情けを掛ければ……」
神と悪魔のいい争い。
端からみると、実にシュールだった。
しかし、ルカはそれを観戦している余裕はない。
天使たちが襲ってきたからだ。
「来い」
黒の杖を構えた。
迫り来る天使を一匹一匹叩き落すなんて、悠長なことはしない。
黒の杖から伸びた腕は、以前より巨大化している。
数人まとめて、掴み殺すことも容易だ。
次々に、天使たちが光の粉になっていく。
神の顔に焦りが浮かぶ。
「くそっ」
神は椅子から立ち上がると、腕を前に突き出した。
黄色い光の輪が右手首の辺りで回転を始める。
「おい、神よ!」
イイェデールはそれを制止せんとしたが、神の左手から放たれた光刃に胸を切り裂かれ、崩れた。
「くたばれ!」
神は叫んだ。
神の腕から放たれた輪がルカを目指す。
主人の防御に回った黒の腕だったが、簡単に光のチャクラムに切り裂かれ、真っ二つにされてしまった。
チャクラムを避ける暇はルカにはなかった。
「ルカ!」
体当たりされた。
かなり距離があったはずなのに、エルダがルカを突き飛ばした。
エルダは光のチャクラムをモロに浴びて、血の花を咲かせた。
黒の腕すら、切断したチャクラムが、その程度で力を失うとは思えなかった。
しかし、エルダの背中を切ると同時に、チャクラムは姿を消した。
ホールに笑い声が木霊した。
イイェデールのものだ。
「神よ、お前の決めたルールは、この地では不幸になった人間が力を持つのだったな!」
「――」
「この遊戯の被害者、花嫁たちへの救済のつもりがとんだ茶番だったな!」
ルカは血の気が引いた。
散々、死ね死ねいっていたが、古くから一緒にいた人間が死にそうになっているのは別格だった。傍らに倒れこんだ、エルダを抱き起こした。
彼女は、薄っすら目を開けて、一言いった。
「アリサをよろしく」
そして、目を閉じた。
口元に、胸にルカは耳を当てた。
息遣いも鼓動もなくなっていた。
「神ぃ!」
ルカは杖を投げた。
杖は緩やかなカーブを描いて、神のまん前に落ちて、爆ぜた。
真っ黒な爆発が起こった。
全てを飲み込むような。
「これで、世界は私のものだ……」
イイェデールは小さく呟いた。
アリサは見ていた。
一連の出来事を。
わからない部分も多かった。
けれど、ふたつだけ、確かなことがある。
エルダは死んだ、そして、神も滅された。
そして、想像した。
神なき世界の行く末を。
そうこうするうちに、体が揺れを感じた。
主を失くした天界は崩れてしまうのかもしれない。
あたりも何時の間にか、ほの暗くなっていて、どんどん、光が失せていくのが分かる。
「ルカ!」
アリサはエルダを亡羊とした目で眺め続けるルカに駆け寄った。
「アリサ……」
「ここは危ないと思う」
アリサは冷静だった。
冷静というよりは、今することしか考えていないように感じた。
「英雄よ」
二人の背後で声がした。
「愛を憎しみに変え戦った男と、その憎しみを提供した女よ、また、機会あれば会おう」
それだけいって、霞のようにイイェデールは登場時の逆回しで消えた。
「出よう」
「出ようって……」
「私は直接ここに来たから分かるの、門の場所も」
「でも、地上が……」
「!」
アリサはルカの頬を張った。
じんじんした。
「来る!」
怒鳴られた。
ルカはエルダを背負おうとした。
それを、アリサは止めた。
「なんで」
「よがりかもしれないけど、分かるの、ね? エルダはたぶん、地上へ戻るのを望まない」
深くなった闇は、彼女の必死な顔も覆い隠していた。




