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六章

 六章 天界

 

 清涼な風が吹いている。若葉が生い茂った木々に、青臭い草花が大地を埋め尽くしている。はるか、青天井が頭上に広がっているが、太陽の姿はなかった。あたり一面、明るいのに、光源がないのは不思議な気分だった。

 遠方に丘が見えた。その上には丸太小屋が建っている。

 くどい位に牧歌的だ。

 本当に神がいるのか、不安すら覚えた。

 勢い勇んで神への国への門を潜ったが、指針はない。とりあえず、この場所の情報をえるべきだ。ルカは、目前の丘を目指した。

 ルカが草を掻き分けるごとに、バッタが飛び出した。三角バッタも殿様バッタもいた。

 低空を蝶がかすめていく。その後を追うように、トンボが飛ぶ。トンボたちの色もさまざまだ、赤いのはアキアカネか、いや、ナツアカネも混じっている。オニヤンマの姿も見える。季節がバラバラだ。何か狂っている。これが、天界なのだと感じた。

 トンボが飛んでいるということは、近くに水場があることを意味する。

 案の定、しばらく進むと、ルカの耳はせせらぎを聞いた。

 軽く跨げるほどの細い川が草の絨毯の中を走っていた。気付くかなければ、足をハメてしまったかもわからない。そして、跨ぎ越せそうな幅しかないのに、小奇麗な橋が架かっている。

 どうせならと、ルカは、跨がず、少し、川縁を歩いて、わざわざ、橋を渡った。

 木製の橋は、軋みひとつあげなかった。

 草原から出て、明らかになった靴にも泥ひとつ、ズボンにも露ひとつついていない。気味が悪かった。生活臭、もとい、自然の臭さが不自然に感じる。

 そして、そのまま進んだ。

 それなりの距離を歩いたはずだが、息が切れないどころか、疲れも微塵も感じない。

 丘を登り、小屋の玄関に設えた呼び鈴を鳴らした。

 鳴らしてしばらくしてから、女が顔を出した。髪はクシャクシャで、気だるそうにルカを見た。目の下には青黒い、隈があったが、何処か、機嫌は良さそうに思えた。

「ここは、どこですか?」

 バカな質問だった。女も面食らって、目を白黒させて、しかし、きちんと答えた。

「高天原だよ。新人?」

「はぁ……」

「最近は、男も来るようになったのかい? 知らなかった」

 今度は、女が訊いた。

「男、いるじゃないですか」

 ルカは女の肩越しに、小屋の中に男の姿を捉えていた。だから、そう答えたのだが、女は、そんなバカなと眉を顰めた。

「あれは、土人形さ」

「土人形?」

「あんたは、どうなんだい? 試そうか?」

 女は妖艶に笑い、ルカのおでこを指で弾いた。

「痛っ! いきなり、何するんですか!」

 ルカは怒った。しごく、当たり前の反応だったはずだ。

 すると、ルカの反応がおもしろかったのか、女は腹を抱えて、大笑いする。不快だ。理不尽に不快だ。ルカは黒の杖を女に向けて、持ち上げた。

「待って、待って。悪かった」

 女は目尻に笑い泪を湛えながら、ルカの杖を押しやった。謝られたが、ルカは女を土塊に変えるつもりだった。だから、杖に念じたが、女が土に変わる気配はなかった。

「ほう、これはイカモノだねぇ」

 女は、そのまま、杖をなでた。

「あんた、無断侵入だね?」

 何もかも、見抜かれている気がした。この目の前の女が神なのか? そう思ったので、訊ねた。しかし、女は首を横に振った。

「神はもっと、深い場所にいるよ。ここは、楽園さ」

「楽園?」

「そうさ。地上で忌まれたものが、ここに来る」

「どういう意味ですか?」

「なぁに、そのうち分かるよ。どうせ、あんたは帰れない」

「帰ります」

 頑としていい切った。アリサを奪還して、帰るのだ。あわよくば、神を殺す。後顧の憂いは断つ。

 しかし、ルカの断とした思いはスルーされた。

「それで、何のために来たのさ?」

 女は上目遣いで訊く。クシャクシャの髪と目の隈、そして、だらしなくつけた下着姿が、彼女を下品に見せているが、顔立ちは悪くなかった。美人と形容しても差し支えないだろう。

「立ち話も何だね。入りなよ」

 女は手招きをした。いわれるがままに、ルカは小屋に入った。

 小屋は外見に比し、嘘みたいに、中が広かった。貴族邸宅かと見紛う。

「えっと」

「ああ、これ? 下界とは世界の法則が違うんだよ。なんたって、神のお膝元だからね」

 女の後を追って、廊下を進む。背後からは、さっき見た男が追従している。女は、瀟洒な木製扉の前で止まった。

「お前、この……」

「ルカです」

「ルカを案内しろ」

 女は男に命じ、扉の中へ消えた。ルカも続こうとすると、男に腕を掴まれた。

「客人は、あちらです。エラさまは、後々来ますから」

 男の命令に従った。冷静に対処することが重要なことは、学んだはずだから。

 男に通された部屋は、見上げてしまうほどに天井高く、その天井からは、大掛かりなランプがいくつも下がっている。そして、床の中央に、桐の長いテーブルがあった。食卓であるらしく、淡いブルーと純白のチェック柄のテーブルクロスが掛かっていて、上座と下座の末端に、ディナーセットが置いてある。

「掛けていて下さい」

 椅子を引いて、示された。ルカは腰を沈めた。吸い込まれそうな心地のクッションだ。眠ってしまいそうなほどに、気持ちいい。

 少しだけ待たされた。正確な時間も分かる。壁に背を預けた機械時計があったからだ。機会時計によると、五分かそこらだ。

 再び姿を見せた女はさっきとは打って変わって、きらびやかだった。初見のどこぞの娼婦のような風体は払拭されていた。これこそ、どこぞの王侯貴族か、と思った。彼女は、ドレスの裾を床の真紅のカーペットに擦りつけながら、上座に座った。

 そして、男に「され」とつんけんにいう。

 男は消えた。去るのではなく、消えてしまった。最初、土に変化して、それが段々崩れて、人の形を成さなくなり、しまいには、床に解けて消えたのだ。

「な、な」

 驚くルカにエラはつまらなそうにいう。

「その杖だって、似たようなことが出来るだろ?」

 その通りだ。

 黒の杖は使うごとに強くなっている。

 最初は風圧だけ、次に、人間を焼き殺せるようになり、今は、魔法を阻害する結界の中でも使うことが出来る上に、一気に数多の人間を泥に変えることもできる。しかし、それらを完膚なきまでに、消し去るレベルには及ばない。

「そこまでは……」

「いずれ、出来るだろう。あんたの心がそのまま進むなら」

 彼女の言葉はまるで謎賭けだ。よく、真意が汲めない。

「それで、どうして、来たのだ、天界へ?」

「それより、あなたは天使か何かですか?」

「ははは、違うよ。きみと同じさ。元人間だよ」

「じゃあ、なんで?」

「それより、食事にしようじゃないか」

 エラはぱちんと指を鳴らす。

 すると、ディナーセットにさっきからそこにあったように、おあつらえ向きの料理が降って湧いた。前菜らしく、少量の野菜と肉の和え物だ。

「食べなよ」

「頂きます……」

 ルカは食事に口をつけた。そこそこおいしい。

「こんな魔法、見たことないです……」

「ないだろうね。私も、ここに来るまでは使えなかったしね」

「そうですか……」

「私の力はね、恨まれた分だけ使えるのさ。私は、人間だったころ、散々恨まれてね。なんでかっていうとさ、私がいい女だったから」

 何となくそれは分かった。このあけすけな態度も却って、好感を催す。

「誰の男を寝取っただ、たぶらかしただ、と醜女(しこめ)どもがわめく。飽き飽きするほどにね。そら、何件かは、私がやったさ。だけど、何でもかんでも、関連付けるってのは問題だね。恨み辛みの怨嗟を吐き散らすヤツに限って、(めしい)なんだよ。心の盲人さ。で、ルカ、あんたは、何故、ここに来た? ま、大方の見当はついているんだけどね」

「婚約者、いえ、妻ですね。妻を取り戻しに来たんです」

「ほう、若いね。うん、年の頃は二十歳前後かい?」

「はい」

「私は、幾つに見える?」

 少しだけ、ルカは考えた。

「同じくらいですか? ぼくと」

「そうさね、外見的には、でも、バアさんさ。生きた時間でいえばね。私は、半世紀前にここに来た」

「丁度、世界が霧に覆われた頃ですね」

「正解」

 パチンとエラはまた、指鳴らしをしてみせた。

「私は一番目の花嫁さ」

「本当ですか!」

「ああ、だから、あんたの嫁さんも無事なはずさ」

「よかったぁ……」

 ルカは大きく溜息をつく。

「あんたの嫁さんもさぞや、美しいのだろう? 恨まれるくらいだ」

「いえ……確かに、そうかもしれませんけど、欲目だと思います」

「謙遜することないぞ。美しさというのは、画一的ではないからね。それに、何も外見的な素養だけではないだろう? その娘も、そうじゃないのかい?」

「そうですね……。裏表のない人です。正直というか、ボケているというか。頭はいいんですけど……。結婚式前になっても、幼馴染のことをぼくよりも考えるような……」

「はぁん。無垢だねぇ。青いねぇ、カントリーガールさまさまだねぇ」

 うんうんとわざとらしく、エラは何度も頷く。

「それで、神の居所には、どうやって行けばいいんです?」

「それよりも、次さ」

 再度、エラは指パッチン。食いかけの前菜がきえ、プリモピアットに変わる。品はボロネーゼだ。

「食いなよ」

「そんな、悠長な……」

「私の誘いにのった時点で悠長だろう? 神の世界の流れは異質だ。何も焦ることはないよ」

「はい……」

「腹が減ってはなんとやら、というだろう? 食え食え」

 エルはいってから、快活に笑った。

 結局、ルカはフルコースに付き合った。

 完食は出来なかったが、腹は膨れた。

「そろそろ、教えてくれませんか?」

「そうさね、教えよう。ただ、あんたは、神を殺すのかい?」

「――」

「殺すのかい?」

 黙るルカに追い討ちのように、エラは訊く。

「ダメですか?」

「いんや、むしろ、そうして欲しい」

「え?」

「飽いた。もう、ここには飽きた。あんたが、神を殺せば、私もゲーム盤を降りられる」

 エラは背もたれに体重をかけ、大きく伸びを一つ。

「どういうことです?」

「下界はゲーム盤みたいなものだろう? 経済、政治、戦争、なんでもそうさ。そして、ディーラーは人間じゃない。この場合はゲームマスターといったほうがいいかな? 私は元人間、今となっちゃ、楽園の住人だけどね。でも、まだプレイヤーなのさ。だから、こうして、後続プレイヤーのあんたに色々、要らぬ威入れ知恵を授けて楽しんだりもする。ぶっちゃけ、それくらいしか、やることがない。あんたは、ほとんど、半世紀ぶりにまともに話した相手なわけだからね。で、いい加減、プレイヤーなのも飽きたのさ」

「何故ですか?」

「簡単な話さ。私は不老にして不死。ふつうの人間が死によって、ゲーム盤から降板するような事態に出会えない。そして、みずから、どうにかする気力はない。自堕落なんだよ、私は。本質的にね」

「――」

「じゃあ、そのあんたの妻……」

「アリサです」

「アリサちゃんの居所は、まあ、間違いなく、神の御前のはずさ。で、そこへ行くにはこれを持って、ただ、ひたすらに歩くこと」

 エラは何時の間にか手にしていた、ペンダントをルカに投げた。慌てて、ルカはキャッチする。サファイヤのようなものが嵌ったネックレスだ。

「ただ、ひたすらって……」

「悪魔の杜」

「え?」

「あんたは、あそこへ行っただろう?」

「はい……」

 何で知っているのだろうか? 天界から覗いてでもいたのだろうか?

「あそこと同じ原理だよ。ただ意思を持って進むこと。ただ、ここの場合は、それがないとダメだけれどね」

「わかりました」

「それじゃぁ、御武運を祈るよ」

 エラは手を軽く左右に振った。

「出口、分かるね?」

「はい」

 

 体が重い。凄まじい重圧を感じる。

 心臓が石みたいだ。息が詰まる。

 空気も淀んでいるみたいに、温い。粘着質だ。

 なのに、目の前にある風景は、清廉潔白を絵にかいたような場所。

 おかしいのは、目か、それとも目以外か。

 エルダは脂汗を拭った。

 ゲートを抜けてからというもの、歩き通しで、足がガクガクする。

 なんで、ルカはいないのだろう。

 確かに、彼が門を潜ってから、すぐに続いたわけではない。けれども、そんなに遠くにゆけるほどの(いとま)があったとは思えない。

 なにせ、天界は三百六十度、よく見渡せるのだから。

 木々はまばらだし、いくつか、丘があるが、どれも、たいして背はない。

「ルカぁ……」

 折角、勝利者になれたと思ったのに――。なんで、なんで、どうしてかな。

 エルダは足を動かし続けた。はっきりいって、それ以外に、どうしようもなかった。

 人っ子一人いない緑の草原で、迷う。

 業かもしれないと、ふと思い至る。

 天界は、きっと、私の罪深きを咎めているに違いない。

 でも、だからといって、どうしろと?

 私に何をしろと?

 死ねと?

 はてさて天界で死ねるのだろうか。

 エルダは舌を噛み切ろうと、歯茎を力ませた。

 うなじを冷や汗がつたう。

 ――。

 ダメだ。

 踏みとどまる。未練がある。

 私はまだ死するわけにはいかない。諦めちゃいけない。

「あらあら」

 人の声だ。どこだ?

 エルダは左右を見回す。誰もいない。

「ここだよ、ここ」

 音源は上だ。上空だ。

 顔をあげ、視線を空に向ける。

 天使を見た。

 軽い皮鎧と竹のサンダルを履き、青白い翼を二枚生やした人間。頭の天辺には、淡く輝く輪も浮かんでいる。絵本や聖典の挿絵、そのままだ。

「あ、あ、あ」

 仮にもエルダは神職だ。驚きは一入だった。

「迷える子羊かな、んぅ、飢えた狼かな」

 いって、天使は軽く鼻を鳴らした。

「――」

 エルダは目を閉じた。

 天界に忍び込んだのだ。望まれぬのに、門を通った。罰を受けるだろう。

 天使にはきっと逆らえない。

 が、罰が彼女に降りかかる気配は一行になく、エルダは、薄目に、天使の姿を確認した。

 天使は、目を閉じる前と同じく、中空でホバリングしている。

「どうした?」

「私を罰しないのですか?」

「されたいの?」

「……いいえ」

「なら、いいじゃないの」

 天使は、一度だけ大きく羽ばたいて、地に降り立つ。足が地につく瞬間、着地点の草花が避けるように動いた。

「なぜ、罰しないのです?」

「なぜなに、というものは、些細なことだよ」

 優しく飽和力のあるいい方だった。些細の一言がエルダを免罪されたと思わせた。

「……神は厳格ではないのですか?」

 エルダの言葉に、天使はわずかに視線を彼女からズラす。そして、ほんの少しだけ、考える風に顎に手を当てた。翼の付け根が微動した。

「昔はそうだったかもね」

「……昔? でも、今も花嫁を求めるではないですか」

「ねぇ、地上の人間たちは一回でも神の結婚式を取りやめにしたことがあった?」

 ない。過去、そんな事例はない。

「ないです……」

「一度、取りやめにしてみればいいんだよ」

「そんな、霧が……」

 エルダの言は正論だ。しかし、天使は首を横に振った。

「わからないよね? 実際、どうなるか」

「でも、神の定めたルールですから」

「ルールね。確かに違いない」

「――」

「でも」と天使は前置きして、人差し指を立てた。

「誰と誰の間のルールだと思う?」

「え?」

 天使の言の意味するものは何か?

「きみならわかると思うけれど、巫女エルダ」

 エルダは無言のままに俯く。天使から視線を背ける。

 口はフランクで軽いが、言葉の探りがはっきりと分かる。眼前の羽をもったものは、人間の四肢を持っているように見えても、やはり、天使だ。そして、天使は伊達ではないと感じた。

「それで、きみは永劫にここで迷う気?」

 天使は話題を変えた。

「いいえ」

「じゃあ、何をする?」

「ルカを……」

「ルカとは誰?」

 天使はなぜか、問い詰め口調だった。

「幼馴染」

「嘘」

 天使は即座に否定した。

 そして、実際その通りだ。

「幼馴染程度で、きみはここまでしたのかな?」

「私が何をしたか、分かっているのですか?」

「天使だからね」

 理不尽な理由だったが、もっともだと思った。納得するしかない。

「でも、チャンスだった!」

 エルダは半ば絶叫した。天使は少しだけ、上体を反らした。

 叫ぶと、一気に疲れが湧く。さっきまで感じていた疲労感が再燃した。

「その体の重圧の意味もわかるね?」

「――これが罰ですか」

「いや。それは不可抗力みたいなものだよ。特に意味はない」

「なら、解いてください。ルカが探せない」

 キッと、エルダは天使を睨んだ。勿論、天使は天使ゆえに臆さない。たかが、一介の人間の睨みつけなど何処吹く風と差し変わらない。

「でも、その前に聞いておかなくちゃ。きみにとって、ルカとは何?」

 エルダは答えない。

 難しいからではない。

 いいたくない。

 けれど、天使はいわぬかぎり、テコでも動きそうになく、天界のことについても伺う機会を逸する。いうしかなかった。

「愛する人です」

「そう」

 柔和な笑みを天使は浮かべた。納得したようだった。

「これで、きみは、私たちの側だ」

「へ?」

「きみが悪魔の側に与しなくてよかった」

「それは、皮肉ですか……」

「いや、きみの行為は褒められたものじゃないけど、過去に誰もしなかったわけじゃない」

「え?」

「チャンスあれば、利用するのが人情だろう?」

 天使のクセに人情はないだろう、とエルダは思う。

 天使は続ける。

「ようは、人を殺すのに包丁を使うか、包丁を羊を捌くのに、使うのか、その違い」

 エルダは天使の比喩が解せなかった。

「神が与えた包丁で人を殺すなとはいわない、ということだよ。悪魔の包丁も、神の包丁もどっちも包丁には違いない。元来、羊をバラすための道具だ。そして、重要な点は、その包丁が神からの授かりものだったとしても、羊にとって、それは何だろうね?」

「悪魔の包丁ですか?」

「そういうこと」

 天使はぽんとエルダの肩を叩いた。叩かれた瞬間、体を電撃が駆け巡った気がする。そして、一気にこれまで感じていた重みが吹き飛んだ。羽のように体が軽い。背中に翼でも生えたみたいだ。背を振り返る。翼はなかった。気のせいだった。

「ありがとうございます……」

「なに。じゃあ、行こうか」

「何処へ?」

「神の御前だよ。アリサくんが待っているよ、ふふ」

「ルカは? ルカのところへは?」

 エルダは天使の衣服を掴もうと踏出したが、天使は彼女の手首をいなしたので、それはかなわなかった。勢いを殺されて、エルダは、「くそぅ」と小さく漏らす。天使の耳なら、聞えていただろうが、彼女は何も言及しないで、エルダの疑問にだけ答えた。

「いずれ、来る」

「ルカも天使に?」

「いいや」

「なんでですか?」

「ルカくんはね、陣営が違うんだよ。きみもわかっているはずだけど」

「あ……」

 そう、色々あって、失念していた。

 ルカは悪魔の杜で、悪魔に魅了されたのだった。

「ルカは……」

「彼は神を殺す気さ」

「そんな……」

「全部、きみが招いたことだよね?」

 天使は全てをみすかすような琥珀色の瞳でエルダを見る。

「止めないと」

「なぜ、止める? それは罪滅ぼし? 免罪符?」

「――」

「ふふ、安心していいよ。彼がどう思おうと、神は死なない」

「そうですよね……。人間ごときに……」

 殺されるような神はいまい。

 そんなヤワっちい道理はないはず。

「違う違う。悪魔もルールを弁えているって話さ」

「えっと、さっきから話が読めないのですけど……」

「説明してあげるよ、神の庭で存分にね」

 天使はいうが早いか、エルダを抱きかかえた。

「あっ」

 思わず、乙女らしい嬌声が漏れ出た。

 天使は女性の姿をしていたから、まさか、お姫様だっこされるとは思いもよらなかったからだ。

「それじゃ、おくればせながら、ようこそ、神の国へ」

 


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