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五章

 五章 神の結婚式

 

 ルカは始終無言だった。糸の切れたマリオネットのように、馬車の揺れに身を任せている。瞳孔は半ば、開いていて、人形の眼球みたいだ。私の人形――そんなフレーズが頭に湧いた。少しだけ、嫌悪した。

 夜通し馬車は走った。数回、馬を変えた。何度か、まどろみ、長く寝入ったりもした。却って、この定期的な揺れリズムが眠気を誘う。たまに、車輪が大石に乗り上げて、びくっとして目を醒ましてしまうのが、不愉快だが。

 何度か、ルカに話し掛けてみた。反応はない。

「つまらない……」

 なんでだろう。望みの物が手に入ったのに。どうして、こんな言葉がでたのか。

「どうしました?」

 セライが訊いた。

「何でもない」

「彼、どうするのですか?」

「私が……」

 ――私が飼う。

「が?」

「気にしないでいい」

「はぁ……」

「見えましたよ」

 御者がいった。今回は、日が見えているので、視認できる。馬車の窓から乗り出すと、石造りの豪奢な王都の(くるわ)が見える。真ん中に城門、囲むように張り巡らされた堀、ところどころ石壁から飛び出す哨戒塔。数日離れていただけだが、妙に懐かしい。

 もう、故郷は、ここだ。

 私の住む場所はここだ。

 居場所はここだ。ここしかない。

 そもそも、場所なんてどうでもいい。彼がいればいい。

 彼と――。

 今、王都にはアリサもいる。三人――。一緒? 約束――。

 考えないようにした。それが良策に思える。

 けれど、ルカはアリサに会いたがるに違いない。先が思いやられた。

 どうしたものかと頭を捻った。残念な事に妙案は浮かばなかった。

 馬車は城門前で停車する。

 衛兵が御者にパスの提示を求めた。この手続きは長い。お役所仕事なのだ。いつもなら、自ら、顔を出して、巫女だぞとアピールし、顔パスするのだが、今回は時間稼ぎが嬉しい。あえて、身を縮める。

 傍らを見ると、ルカは相変わらず、定まらない視線で平野を見ている。

 半時間ほどが経った。馬車は再度、動き出した。城門が開く重苦しい音が耳朶を打つ。

 馬車はわき目もふらず、神殿を目指す。あと、数分で着いてしまう。胸がざわざわする。苦しい。

「お帰りなさいませ」

 窓から聞き慣れた声。神殿付きの小僧だ。

「客間を……」

 エルダがいいかけて、いい終わらぬ間に、エルダが小僧と会話しているのと反対方向のドアが乱暴に開けられた。そして、ルカが飛び出す。思わず、エルダはいってしまった。「つかまえて」と。

 すぐさま、神殿付きの衛兵がルカを取り囲み、押さえつけた。ルカは先程までの無気力な様子が嘘のような、狼のように爛々たる目付きで周囲を睨みつけている。

「どうしますか?」

「客間に監禁して」

 エルダの言葉にルカは叫んだ。

「エルダ! 裏切るの!」

 裏切り。

 バカみたいだった。だから、いう。

「私は裏切ってない。ルカに協力したら、神を裏切るから」

「約束したのに!」

 なおも、ルカは絶叫する。

「それは、反故にして」

 エルダは背を向けた。

 悲しかった。まだ、糸は切れていなかった。新しい糸を繋げない。前の糸が切れるまでは。だから、神の結婚式を面前で見せてやろうと思った。

 湧いたのは悲しみであり、怒りだった。悲しみは、自分に。怒りは、自分と彼と、あの女に。

 

「出せ! 出せ!」

 ルカは客間の戸を叩く。扉越しの衛兵が、「黙れ」と怒鳴る。しかし、そんなの関係ない、一刻を争うのだ。

「出せ!」

 外れろ。しかし、蝶番は頑丈だ。

 折角、王都に来れたのに。

 ――憎いか?

「イイェデール?」

 杜の悪魔の声だけがする。姿はない。

「憎いか?」

「勿論だ……」

「妻を助けたいか?」

「無論……だけど、お前の杖は役に立たなかった!」

「なぁに、いまなら、有用だろうよ」

 目を落とした。杖だ。手に杖を握っている。何時の間に?

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 杖を振ってみた。

 客間の中央に鎮座する大きなテーブルが燃えた。そして、あっという間に廃に変わる。

 性能が向上している? どうして? でも、これもどうでもいい。

 ひとまず、ここを出ることが先決。

 大扉へ向って、杖をかざす。

 扉は音を立てて炎をあげた。

 すぐに炭になって、扉越しに立哨していた衛兵が目に入る。彼は、何ごとかと目を白黒させている。

「お、お前、魔法使いか! しかし、そんな話は……」

「そんなチンケなものじゃないよ」

 ルカは杖を振る。

 衛視は消し炭に変わる。

 今回はいける。

 廊下に飛び出す。

 左右を確認する。人影はない。

 が、神殿はかなり広いはずだ。アリサを探そうにも、手掛かりはない。神殿の職員に訊くしかあるまい。力づくで。

 ルカは、廊下に並ぶ戸を次々にあけた。しかし、誰もいない。ゲストルームしかない区画なのかもしれない。だから、廊下を進んだ。何度か、曲がり角を経ていくと、人のざわめきが聞こえ出した。何か、儀式をしているのか?

「あの、あなた!」

 背後でルカに呼ぶ声。エルダの付き人、セライだった。

「今から迎えにいこうと思っていたのですが? どうやって出たのですか?」

「そうですか……? 出してもらいましたよ、ふふふ」

 セライは訝る風に目を細めたが、深く詮索はしなかった。

「神の結婚式へ、あなたを招待せよとのエルダさまの命でしてね」

 探す手間が省けた。

 これ以上、むだに詮索されたくない。ルカは黒の杖を衣服の中にしまう。

「わかりました」

 ルカはセライの後についていく。狼の心を羊に変えて。

「ここです」

 広間。丸天井が遥か頭上にあり、数百人が会している。ひしめくではなく、結構余裕がある。祭壇の前の内陣にエルダが立っていた。ぐるりと人々が彼女を囲っている。背格好や風体から貴族もちらほら見える。そして、内陣障壁の裾に、もうひとり、女性がいる。薄い栗色気味の肩にかかり腰まで伸びた金髪、後姿でもわかる。アリサだった。彼女は、恰幅のいい男に両の腕を掴まれている。

 ルカが通されたのは、二階の回廊だった。いますぐ、アリサを助けようと、杖を振るった。が、杖はうんともすんともいわなかった。

 セライが杖を目にとめて、いう。

「無駄ですよ。ここには魔法障害が張ってあります」

「く」

 ルカは踵を返して、一階へ続く階段へ向おうとする。

 しかし、それはかなわない。

 背中に何かを押し付けられた。

 フリントロックの拳銃だった。

「お静かに」

 セライは冷静にいう。

 ルカも冷静になるようにつとめた。

 今までつっぱしって、失敗したのだ。命あっての物だねだ。我慢だ。唇を噛み切れんばかりに前歯が突いた。

 アリサは哀願するように、上目遣いでエルダを見た。そして、いう。

「ねぇ、冗談だよね?」

「それは、何に対して?」

 エルダは睥睨した。

「……全部」

 消え入りそうな声量だった。

「いい? アリサ。私は巫女。わかるよね?」

「うん……」

「そして、アリサ、あんたは選ばれた」

「ねぇ、どうして、私なの?」

「往生際が悪いよ、アリサ。皆のため、世界のために、天界に登る。名誉じゃない?」

「かもしれないけど……」

 アリサは言いよどむ。

「あんたが世界を救済する、どうして、不満なの?」

「だって、世界とかどうでもいいじゃない」

 アリサの声を聞いた周囲がざわめく。まさに、世界中を敵に回す発言だったのだから。

「なっ」

 エルダも言葉につまる。そんな様子をアリサはしげしげと見やって、続けた。

「欺瞞だと思わない?」

「そそそ、そんなに命がおしいの?」

 エルダは狼狽を何とか押さえ込む。アリサの突き刺さるような視線が怖かった。何もかもを、見抜かれている気がしたのだ。

「いいえ。私はルカと一緒にいたかった。もちろん、エルダ。あなたとも。だから、狭小な世界でいいのよ。神? そんなものはどうでもいいわ。だから、エルダ、教えて。私は命が惜しいわけじゃないの。なんで、私なの?」

「な、なんのこと? 神が決めるのよ?」

「そう……。なら、しかたないよね。だけど、私は悲しいよ」

 アリサはエルダを真摯な眼差しで見た。エルダは目を逸らした。

「愛する人が望まぬことに手を染めることが……」

 愛する人。多分、それはアリサにとって、幼馴染のエルダも含んでいた。

 アリサはルカとは正反対のことをいった。

 裏切り者ではなく、望まぬことに手を染めていると。

 私はどっちだ? 裏切り者か、それとも、神に使役されているのか?

 ええい。どっちだっていい。

 ようは、私の意志の問題だ。

「もう、いい残すことはない?」

 エルダはアリサに訊いた。彼女は、小さく首肯する。

「これより、神の結婚式を始める!」

 宣言した。

 どっと歓声が沸きあがった。

 その後、まったく意味の解せない言葉の応酬が何度か繰り返された。

 巫女はエルダ以外に数名いて、彼女らも参加した。

 ルカは考えた。どうにかして、セライの隙をつく方法を。式は長い。長丁場になれば、彼も疲れを露にすると思った。しかし、考え違いで、彼はいつまでも同じ位置で拳銃を構え続けた。おかげで、式は淡々と進む。

 歯痒い。

 階下の祭壇には神の国への階段が口を開けていた。式の中盤になって、姿を現したものだ。紫と群青がマーブリングされた色合いの空間が円形に出現しているのだ。式の終了と同時に、アリサはあそこに投げ込まれるだろう。

 冷静になれ。

 突っ走ってはダメだ。

 まだ、時間はある。いい聞かせた。

 

 アリサはずっと、悲しげに顔を歪めている。

 悲しいだろう。神の国などといっても、何があるのか分からない。見に行った人間なんていない。極楽浄土? それとも、阿鼻叫喚の煉獄の主閻魔が神なのかもしれない。神の姿を見た人間もいない。先が分からぬは不安だ。

 そして、現世がいかな、苦界とはいえ、誰しも土に塗れて生きている。地上には家族がいる。彼らと別れるのは悲しいだろう。大いに。

 だから、神の花嫁などと呼ぶ。

 本当は、河川に捧げる人身御供と同じだ。

 神に捧げる生贄だ。

 アリサがいった欺瞞という台詞もあながち、的外れではない。

 彼女が何をさして、欺瞞と謗ったのかは、分からないけれども。いや――、本当は分かっているのか……。

 エルダは主宰のはずなのに、儀式に集中できなかった。

 セライにルカをつれてくるよう頼んだが、そのことさえ、忘却してしまっていた。

 自分は強くなったはずだった。あんな村の残り香は全部消してしまったはずだった。

 過去こそが欺瞞だったのだ。しかし、純粋なアリサは、過去を真実と思っている。だから、今の自分を欺瞞と罵った。

 そして、彼女が悲しげな顔をしているのは、不安から来ているものではない。

 分かる。

 分かってしまう。

 分かってしまうから、辛かった。

「イールーシャーヘー」

 神への捧げ歌が遠くに感じる。

 自分が中心になっているはずなのに。

 孤独だ。

 霧に囲まれて、この大地は星が見れなくなった。

 星たちから見れば、孤独なのは、この星、この大地なのかもしれない。

 孤独は人間。

 人間、皆、孤独。

 そうかな?

 じゃあ、何の為にあの日、誓ったのだろう?

 もういい。

 投げ込んでしまえ。

 エルダはアリサの手を取った。

 周りがざわつく。

 なにせ、主宰の巫女が工程をすっとばしたのだ。

 捧げ歌が止む。

 一斉に、観衆や同僚がエルダを見た。

 彼女は、全部、ムシした。いないことにした。

 アリサを強引に、神官から奪い取り、走った。

「何? 何?」

 アリサは慌てた。

 ざまあ見ろと一瞬思う。

 アリサはなすがままに、神の国への階段まで導かれた。

「アリサ」

「――何?」

「さようなら」

 自分でも悪魔のような笑みだったと思う。アリサの怯えた顔がそれを確証づけた。

「あああ」

 アリサは悲鳴をあげた。

 関係ない。

 投げ込んだ。

 投げ込むというよりは、押し込んだ。

 半分くらい、押し込んだら、勝手に吸い込まれた。

 神も、さぞや待ち遠しかったろう。

 アリサは美人だ。

 そうだ。村一番とかではなくて。

 大変だったんだ。

 彼女を地下室においていた時、盛った小僧どもを遠ざけるのが。

 満足だろう? 神様。

 好きにしてやってくれ。

 神の名のもとに、私がしたように。

 神の名のもとに、メチャクチャにしてくれ。嬲ってくれ。

 私は虎の威を借りた狐だ。

 だけど、あなたは、虎だ。

 虎は狐を食え。羊を食え。

 屠れ。

 捌け。

「巫女様!」

 問い詰めるように神官がエルダに食って掛かった。

 いいんだ。

 こういうとき、何ていえばいいかなんて知っている。

 こう、いえばいいんだよ。冷静に。鉄面皮で。

「神が急げといわれた」

 案の定、神官は黙った。

 人間が定めた儀式のプロセスよりも、神の意思だ。

 神の意思こそ大事だ。

 それをなおざりにしようものなら、世界は再び、ずっと暗黒に染まるのだ。

 怖いだろう?

 恐怖の威を借る。借る。借る。カル。

「はい……」

「結婚式は終了だ!」

 エルダは高らかに宣言した。

 すると、一気に心が弛緩した。

 邪魔者が消えたせいもあったかもしれない。

 ルカのことを思い出した。

 これで、やっと、彼を自由にできる。

 十数年、待った甲斐があった。

 思い出したので、階上を見た。

 ルカが見えた。彼の面は般若だった。

 その隣で、砕け散るセライが見えた。

 わけがわからなかった。

 この空間では魔法の行使はできないはずだ。

「エルダあああああ!」

 ルカが叫んだ。悪魔の雄たけびに聞えた。

 目尻が熱くなった。鼻むろが湿った。

 鼻水と泪が一緒に溢れた。

 ぐちゃぐちゃだ。いろいろ。

 床に膝をついた。

 周りが何も見えない、聞えない。

 取り返しのつかないことをしてしまった気がした。

 不安定だ。

 おかしい。

 なんで?

 なんで?

 私はこんなに、芯が脆いの?

 聖堂が立ち騒ぎ始める。式の不履行によるものではない。

 そういった戸惑いから発するものではなく、何かを恐れている感じ。

 理由はすぐに明確になった。

「エルダ……」

 ルカの声に呼ばれて、エルダは、顔を上げた。

 そのときには、もう、誰も騒いではいなかった。正確には、さわげる人間がいなかった。皆、土塊になっていた。全部、ルカがやったのだろう。彼は血まみれ、泥まみれだ。

「なぜ、放った!」

 怖いと思った。それ以外の感情が沸かない。

 断罪される。他の聴衆同様、土塊にされるんだと覚悟を決めて、口を引き結んだ。

 が、意識が飛ぶことはなかった。

「もう一回、開いてくれ」

 ルカは祭壇を顎で示した。

 祭壇のゲートはかなり小さくなっていた。人一人潜ってもはいれない大きさ。

「ごめん……」

 エルダは謝った。

 全ての懺悔を込めたつもりだった。

「開けない?」

「ムリだよ」

 実際、ムリだ。ゲートは年に二回しか開かない。

 儀式で開くのではない。

 ゲートの開閉にあわせて儀式があるのだ。

「わかった」

 ルカはそういった。しかし、それはあきらめの言ではない。

 彼は、狭まりゆくゲートに杖を突っ込んだ。

 瞬間、ゲートは膨張した。儀式もたけなわだったときと同じくらいに口を開けた。

 そして、ルカは躊躇いもせずに、足を入れた。すぐに、彼は吸い込まれた。

「あ……」

 エルダは声にもならない呻きを漏らした。

 この惨状をどう説明したらいいのだろう。

 悪魔憑きに襲われて、皆、泥に変えられてしまいました。とでも、クソ真面目に報告すればいい? ダメだ。疑われる。生存者はエルダひとりなのだから。

 最初、王都に来た時のように、彼女はきょろきょろ、辺りを見回した。

 見るところ、動くものはない。

 手近な、床に積った元人間の土をどけた。

 掘っても、掘っても人の肌色は出てこない。骨すらも出てこない。臓腑の内容物もない。全てが、人間を構成する要素の全部が、土塊になってしまっていた。ただ、名残惜しげに、彼らを包んでた衣服だけが、土になることはなく、土に塗れている。

 何人分も掘り返した。

 二階にあがって、セライの衣装を埋めた土も掘り返した。

 彼を示すものは、服以外、結局、何も見つからなかった。

 足音がした。

 騒ぎを聞きつけて、神殿の外で張っていた兵士が神殿内部に入り込んできたのだろう。

 神殿は王都の一割近い面積を領有している。だからこそ、彼らが騒ぎを聞きつけるのに時間がかかり、また、踏み入ってからも神殿中枢に到達するまで、時間を要したのは僥倖だった。逡巡し、答えを出す時間がエルダには与えられたのだから。

 エルダは、ゲートを見た。

 まだ、ゲートは無理を通せば、潜れそうな大きさだった。

 兵士たちが到達したころには、きっと閉じている。

 逃げることにした。

 神の国へ。


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