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一章

 一章 成人祝い

 

 アリサとルカとエルダは幼馴染だった。

 周囲を『悪魔の杜』という深く暗闇よりも暗いといわれる森林地帯が巡るひなびた寒村で三人は産まれた。

 アリサとエルダは女の子で、ルカは男の子だった。

 人口の少ない村にあって、子供の数もそう多くはなかった。また、農業を生業としている人の多いこともてつだって、家々の(のき)は近所といってもかなり遠く、家が隣接するということは滅多になかった。家と家の間には広大な農地か、牧草地が拡がっているのが常である。

 それでも、何の運命か、三人の家は隣り合っていた。

 その事実は必然的に三人を引き合わせた。

 加えて、誰の悪戯か、各家庭に子宝は一つづつしかなく、それぞれの誕生日もほとんど同じといっていいほど接近していて、数日の差しかない。

 歳も近く、他に遊び相手もなく、三人が仲良くなることに水を注すものなどあるはずがなかった。

 親たちが農作業に従事する中、三人で遊び、また、親たちが強制的に収穫を手伝わせたりしたときも、三人いっしょに抜け出して、近くの河原で水浴びをした。

 鏡なんて高級品を持つ人などいない貧乏な村、三人にとって、自分以外の二人の顔が自分自身の顔以上に馴染むほど、いつも顔を突き合わせていた。

 夢でみるのも、自分の姿ではない、自分以外の二人であることも多かった。

 たまに、ささいでどうしようもない始まりから、喧嘩もした。

 それでも、すぐ仲直りした。喧嘩しても、仲直りするのは当然の話だった。それが、彼らの世界観で、在り方だったのだから。

 それでも、彼らの世界は狭かった。

 たった、三軒隣で完結している小さな小さな世界だった。

 たまに村をあげての行事ごとがあっても、それは『特別な』ことで、『普通』のことではなかった。だから、やっぱり、世界は狭いままだった。

 いつの日か、大人になってもこのまま狭小な世界は続き、ルカと、アリサかエルダのどちらが夫婦(めおと)になって、子を産み、育て、また、小さな世界を連綿と続けるものだと三人とも無意識に思い描いていた。

 世界を、広い世界を知らないことは幸せだった。無垢であることの必須条件だ。

 祖母の語る昔のことも、遠い過去の記憶でしかなく、現実感がない。彼らには、現在が全てであった。

 巫女は王都の重要な神職で、自分たちには一生縁のないこと、そう考えていた。

 しかし、ことはいつも唐突に始まるもので、三人が数日遅れで順々に成人式を迎えた日、彼らが十五になった日、その数日前の話。

 

 アリサの祖母の提案で、三人の成人のお祝いは三家合同で執り行うことになった。

 すでに、エルダとルカの祖母は他界していて、年長者を敬う古風な村だから、誰も反対はしなかった。なので、すんなり決定は認可された。

 一日前から準備は始まる。パーティーには、それなりの用意が欠かせない。

「これ、どうしよう?」

 エルダは豚の子を捌きながら、呟いた。

 村の仕来りではメインディッシュとなる豚の子を捌くのは、成人式においては主賓の役目と決まっている。しかし、豚の子は大切な食料で、将来、大きく育つ豚をあえて子供のうちにバラすのは、それがお祝いごとであるからで、こういった機会がないかぎり、食卓に並ぶことはない。ご馳走だ。

 そして、それは豚の子の解体をする機会は滅多にない、ということも意味する。

 つまり、エルダにとってこれは初めてのことで、当然、戸惑いがあったし、やり方がよくわからなかった。

 だから、隣で関係ないフリをしているルカに助けを求めたのだった。

「首、切るんじゃない?」

 ルカは余り真剣でない様子でぞんざいに答えた。

「それ、鶏しめるときでしょう?」

 包丁を豚の子の上に置いて、エルダは少し険のある声でいう。そもそも豚は死んでいるから首を切る必要性はない。血抜きも先程完了している。今、彼女が悩んでいるのは、解体の仕方だ。

「そうだね」

「そうだねじゃないよぉ。手伝ってよぉ」

 情けない声を出す。 

 それもそのはず、豚の子を捌いてそれぞれの部位に分け、きちんと食肉として解体できないことは成人失格を意味するのだ。主賓であるはずの成人を迎える若者に、こういった役目が負わされるのはそういう意味もある。食料を確保できても、それを用いる手段を知らない人間に大人として生きる術はないのだ、ということだ。

 それに、子豚を殺すのは男の子の役目で、つまりそれはルカの役目だ。ナイフで腹を割き、手で心臓を鷲づかみ、血流を止めて殺す。

 本当はそこからすぐに解体作業に入った方がいいのだが、さすがに、そこまでは大人たちも要求したりはしない。

 今は男女別で分担作業だ。

 細かいことや、合理性については、おいおい覚えていけばいいのだ。

 ようするに、ルカはすでに自分の成人式に際する仕事を終えていたというわけだ。

 今、こうしてエルダの捌きの現場に立ち会っているのは、成人式では男の子と女の子で別の役目とはいえ、大人になれば同時にこなすのだから、という理由による。

 だから、ルカがやる気のない回答をするのも当然といえば当然だった。もう、お役目はルカにとって、明日に備えることだけしか残ってはいない。

 けれども、必死なエルダにしてみれば、気分のいい返事と態度ではない。エルダは苛立った。

「でも、ぼくは」

「優しくないぃ」

「でもさ」

「でももへったくれもないぃ」

 目尻に泪が見える。今にも泣きそうだ。語尾も金きり声気味になってしまっている。

 エルダは駄々っ子のように子豚の脇腹を叩く。パンパンという音がした。

 エルダの焦りは臨界点にあった。

「アリサだったら手伝うんでしょ!」

 半ば叫ぶようにいい、ぷぃっと視線を背ける。

 ルカはばつが悪そうに頭を掻いた。

 そもそも、ルカに非難されるイワレはないのだが、アリサを引き合いに出すのは卑怯だとルカは思った。幼馴染であり、女の子である二人を、区別はしても、差別はしたくない、という彼のポリシーも彼を攻め立てる。どちらを取るのかといわれれば答えは決まっているけれど、エルダに嫌われるのもイヤなのだ。

 それに、成人の祝いの前日に喧嘩をしたくないとの思いもあった。ハレの舞台に、ネガティヴな感情を抱いて臨みたいとは思わない。

 だから、仕方なく、ルカは答えた。

「わかった、わかったよ」

 いそいそと傍観を決め込むために据わっていた丸太の山から飛び降りて、ルカはエルダと、解体のために平らな石の上に仰臥した豚の子の方へ歩み寄った。

 エルダは嬉しそうな表情でルカを迎えた。

 ルカは包丁を取り、解体作業を始めた。

 内臓を取り出し、分厚い皮を剥ぎ、上手く軟骨に切り込みを入れて、刃を食い込ませ、間接を千切り、肉を裁断していく、あっという間に豚の子はバラバラになった。赤い肉の塊となった胴体は、それぞれの肉としてブロックに分けられた。そして、石の上に丁寧に分類される。

 見事な手際といわざるをえないものだった。

 エルダはその手捌きを驚嘆と尊敬の眼差しで見つめた。加えて、小さい拍手で快哉を送る。

「凄いや」

「そう?」

「うん――」

 ルカはやっぱり頼りになるね、の言葉をエルダは飲み込んだ。単なる感謝と褒めの言葉のはずなのに、どうしても喉に引っ掛かって出てこなかった。変な気分だった。

 ルカはそんなエルダの内情など露知らず、油と血で光る包丁と、ぬめる手を、布で拭きながら、「ごめん、全部やっちゃった」とすまなさそうに笑う。

「んぅん。楽できた」

 実際、言葉通りなので、非はルカにはない。

「それじゃ、ダメだよ。成人の祝いの意味ないじゃない」

 余りにエルダが嬉しそうなのを見、ルカは釘を刺すことにし、いった。

「いいもん。私はルカのお嫁さんにはならないんだし」

 また、そっぽを向く。

 ルカにとってエルダはちょっと扱いにくくなる傾向がここ数年あった。

 なぜか、すぐ怒るのだ。特に、アリサがいないときに。たとえば、今のように。

 理由が分からない、というのが彼の素直な感想だった。だから、最近はエルダにむやみやたらに謝っている気がしていたが、今回も再度、謝ることにした。

「ごめん」

「全然、すまなそうじゃない」

 だけど、彼女はいつもこうして、中々許してはくれなかった。しかも、今回のことは、謝罪はしたものの、それは物事を円滑に運び、有耶無耶にするための手段。

 折角、子豚の解体をしてあげたのに、とルカは思う。別に見返りが欲しかったわけではないが、これでは、徒労をした気分になって、気が滅入ってしまう。思わず、溜息が漏れる。

「だから、何で怒るのさ」

「怒ってない」

「――」

 怒ってるといおうとするも、それではただの押し問答になりそうで、ルカは大人の態度で応じた。明日が終われば、成人になるのだ。くだらないことで喧嘩してはいけない、その思いから。

 

 

「大変だった」

 エルダはアリサに詰め寄っていった。

「ごめんね」

 アリサはこともなげに、柔和な笑みで答えた。

 素直過ぎるレスポンスに、毒気を抜かれたか、エルダは「わかってるならよろしい」と小声になり、いった。

 アリサには人を和ませる何かがあった。なんだろう、雰囲気と呼べば的確だと思われた。

 もっとも、今回はアリサに悪い部分がある。

 成人式に望む若者で女性がすることは、子豚についてだけだ。だから、このたび、三家合同でする以上、豚の子の解体はアリサとエルダが手を取り合ってやらなくてはならないものだった。

 しかし、アリサは朝早くから姿がなく、かといって親たちにそのことがばれてはいけないので、アリサの不在を隠しつつルカは子豚を殺し、エルダは捌かなくてはいけなかったのだ。

 それでは、アリサは何をしていたのか? といえば、彼女が小脇に抱えるように持ったバスケットから察することができる。

 アリサのバスケットから覗くのは紫色の幾何学模様を茎が描く山菜。名前をリルムハという。珍しい山菜で肉の香付けなどに使うとよいとされている。彼女はこれを採りにいっていたのだ。

「これ、採りにいってたの」

 微笑みながら、アリサはバスケットを突き出す。

 揺さぶられたバスケットに空気が揺るがされ、芳醇な香があたりに満ちた。

「ねぇ、アリサ。今日何の日か覚えてる?」

「えっとね、(まえ)準備の日?」

 自信なさそうに答える。

「じゃあ、なんで、子豚の屠殺のとき、いなかったの?」

「あ」、とアリサの口があんぐり開く。ワザとサボったわけではなく、前準備との確証がなかったから、という事なのだろう。

 だらしなく広がった口、豆鉄砲を食らった鳩の目、その顔が示す意味は一つだ。

 今、思い出しました。そういうことが言外にありありと分かる。アリサは何でも顔に出るタイプだった。

「ごめんね」

 今度は十分すまなさの篭った謝罪が発せられた。

「じゃあ、何でさっき謝ったの?」

「雰囲気?」

 どうやら、エルダの「大変だった」の第一声に対し、返された「ごめん」にはそもそも謝罪の意味がなかったらしい。普通、こんな仕打ちを受ければ怒るところだが、長年の付き合いから相手の人物が分かっているので、エルダは何もいわず、ただ、ダメだぁと額を押さえた。

「そういえば、リルムハなんて珍しいじゃんか。どこに生えてたの?」

「えっとねぇ」

 アリサは人差し指を下唇にあてて思い出そうとする。

「西の森。あの蜘蛛の足みたいな木が一杯ある森、その入り口」

「ちょっと、アリサ、どこいってたのよ!」

 エルダがアリサに怒る。いや、正確には怒ったのではなく、心配ゆえにこういうしかない、というのが正しい。なぜなら、この村を廻る森は、『悪魔の杜』と呼ばれ、その名の通り、神に立て付いて、天界を追われた悪魔や悪鬼が住み着いており、一度踏み入れれば二度と帰っては来られない、といわれているのだ。悪魔に食われてしまって。

 他にも悪魔に関わる逸話は枚挙に暇がなく、その話の全てが残酷無比な内容で、村人にとって、森は、恐怖の場所であり、よほどのバカか腕に自信のある戦士でもない限り、足を踏み入れようとは思わない。

 そして、実際に悪魔は住んでいる。

 自分達を堕とした神を憎み、雌伏のときをあの森で過ごしているのだ。そして、人間の魂を食らい、神への反抗の礎、材料にしているのだ、と村人たちは信じている。もちろん、エルダとルカも例外ではなく、村の住人である以上、アリサもそうであるはずだった。

 だからこそ、アリサの行動はバカのすることで、信じられない愚行なのだ。

 少なくともアリサはバカではないはずだった。

 料理のレシピは一回で覚えるし、山菜やキノコにはとても詳しい。それに、王都で出版された小難しい本を、仲良くなった行商人から譲ってもらうくらいに、字の読み書きだってできる。エルダとルカは字が読めないにも関わらず。

 そういった事実を踏まえて、客観的な評価を下すとすれば、彼女は村一番の才女のはずだった。

 だから、余計に難詰したくなるのも人情といえる。

「大丈夫だよ。悪魔さんは、森の奥深くにしかいないよ。入り口は大丈夫、あの森全部悪魔の杜ってことないよ」

 確信しているといわんばかりにアリサがいうので、エルダもそれ以上問いたださない。

 が、ルカは疑問を口にした。

「でも、何で入り口なら大丈夫って分かるの?」

「何回もいってるもの」

「ダメだよ、何回もいっちゃ。何が起こるか分からないし」

 優しくルカはさとすように、いった。

 アリサはそれに微笑みで答えてから、付け足す。

「何年か前ね、王都の冒険家が書いた本があるの」

 どうやら、彼女の確信は書物から来ているらしい。

 ルカやエルダには彼女の蔵書が読めないので、判断のしようがないのであるけれども。

「今度、読んであげるね」

 話が脱線しかかって来たところで、エルダがいう。

「まあ、済んだことはしょうがないね。私たちのお役目は終わったんだし、父さんにも母さんにもバレなかったし、結果オーライでいいかな」

 纏めた。

 そして、続ける。

「久々に河いこうよ。最近、収穫の手伝いで忙しかったし」

 少年のような表情で、人差し指を天に翳すエルダの提案に、ルカとアリサは一も二もなく頷いた。

 

 

 河は清涼な水を遥か遠く、地平線の先まで流し続けている。

 三人の祖父母の時代は、もっと綺麗だったのだと聞く。昔は、陽の光が長く照っていたから草木は今よりも繁茂していて、雨を落ち葉や根っこで浄化してくれたんだそうだ。

 けれども、昔を知らない三人にとっては、産まれたときからずっと、この河はこの姿で、透き通るようなこの水がより澄んでいたことが想像できない。

 川辺に着くと、跳ねるように、エルダが一番乗りで砂原を駆けて、河に飛び込む。

 走っている最中に最低限の衣装以外、放り投げるように脱ぎ捨てて。

 子供のような彼女に顔を見合わせながら、苦笑しつつ、ルカとアリサも続く。

 ルカは上半身だけ裸になり、ズボンの裾を捲り上げた。膝で捲くった部分をホールドして、ずれないようにする。

 準備が整って、エルダとルカが水掛合戦を始めてもまだ、アリサは河原にいて、丁寧に服を脱いでいた。

 きちんと折り畳んで、河原の小石たちに(まみ)れて鎮座する一際(ひときわ)、大きな石の上にそれを乗せてから、やっと二人の間に割ってはいり、既に、交戦状態の二人に、茶々を入れんと、無差別攻撃を開始する。

 明日で大人になる。

 だから、今日は、めい一杯子供らしく遊ぼう。

 特に示し合わせたわけでもないのに、三人の中には言外のコンセンサスがあった。阿吽の呼吸ともいえた。これが、幼き頃より、朝に夕に共にあった者同士の繋がりあいだ。

 三人がはしゃぐものだから、魚たちは居場所をうしなって、逃げてゆく。その避難した(うお)の一部が跳ねて水面から飛びあがり、水の飛沫をあげる。撒き上がった水飛沫に刺さるような陽光がてりつけ、きらめく。

 ふと、見上げた空では、日光の先の太陽にうっすらと霧がかかっている。まだまだ、霧は濃くない。だから、闇の時間はまだ遠い。朝早くに用事を済ませた甲斐もあろうというものだ。

「楽しいねぇ」

「うん」

 何をするでもない、しているのだけれど、とてもくだらない。非生産的な行為。

 でも、それでよかった。

 大人になって、野良仕事に忙しくなって、バカなことできなくなっても、くだらないことできなくなっても、それは今の水辺で水を投げつけ、笑うことが、ただ、日々の畑を耕すクワを持ち、歌をうたって(うね)を造り、土を掘り返すことに変わるだけ。きっと、農具を片手に、積んだ麦穂を小脇に、笑いあう。そんな、未来は目先にあるように思われた。

 だから、これは三人の、子供たちの自らの手で執り行う成人の儀。

 家族で成人の祝いをしたあとに、村をあげて行う成人式の前座。そして、いっしょに生き、今も未来も永遠を望むための、子供時代への決別とまた、続く変わらぬ明日への誓いだった。

「うわっち」

 目に水を浴びて、エルダが呻く。

 してやったりとニヤつくルカ。

 それを眺めるアリサ、そして、不意打ちとばかりに、無防備なルカに一撃を浴びせ、不敵に笑う。

 子供たちの成人式はそのあと、太陽を霧が深く覆い始め、地上に黒いまだら模様が浮かぶまでやむことなく続いた。飽くこと知らぬ、無垢で純粋なガキのように。

 水掛に飽きたら、石を投げて、水切りの回数を競った。

 運動音痴なアリサは上手くストロークできず、三回を超えない。すぐに、回転数を落として、水面(すいめん)に落下するか、角度が悪く、水面(みなも)を突き破って、水中へ消えるか。どちらかだ。

 上手く水を切ることに成功して、ルカが七回を達成すると、エルダは負けん気も強くして、八回を出し、記録を塗り替える。

 新記録更新は延々と続き、果てはないように思われたが、最後には対岸に石が到達してしまい、かといって、跳ねる間隔を狭めると失速してしまい、数が稼げず、夜も迫ったということで、お開きになる。

 そして、川縁に横並びになって語り合う。

 川の流れを前にして、ルカを挟み込むように、エルダとアリサが並ぶ。両手に花を具現化したような光景だ。アリサもエルダもそこそこの器量よしだから、この表現も的を外しているともいえない。

「続くといいね」

 暗み始める空を見ながら、小さくぽつりとアリサが漏らす。小声だったが、川のせせらぎに負けることなく、その暖かな思いは隣の二人に届く。

「「うん」」

 ルカとエルダは同時に答える。

 アリサは続けていう。

「ずっとね」

「「いっしょにね」」

 今度は三人同時に、申し合わせたようにハモって、そして、お互い顔を見合わせる。

 それから、三人は手を取りあって、誓っいあった。そのときには、もう、世界は大分闇色に染まっていた。(よる)といってよかった。

 

 

「遅かったね」

 食卓にスープを並べながら、ルカの母は帰宅したルカにいった。声にはほんのりと、非難の感情ととがめるような色を帯びていた。しかし、ルカはそれを受け流して、食卓につく。

 そして、一応言い訳するように、いう。

「川遊びしてたんだ」

「そう、ほとほどにね」

 ルカの母は呆れたように肩を(すく)めてみせてから、すぐにルカから食卓に目を戻し、夕食の準備完了を確認してから、奥の寝室へ向って、「父さん、夕飯ですよ」と夫を呼んだ。

 木から切り出したハンドメイドのテーブルに並ぶのは水のような、ほとんど具材のないスープが三つと煤けた灰色のパンが半斤だけだ。パンは家族三人で分け合う。一日で一番、豪勢であるべき夕食にしてはあまりに質素だ。

 それもそのはず、メインの食材は明日のために控えているのだから。いくら、辺鄙な農村とはいえ、毎日毎日、ここまで安い食事というわけではない。ちゃんと、理由はあるのだ。とはいっても、普段は、ここに主菜として、燻製肉や、焼き魚がほんの少しだけ添えられる程度のことなのだけれども。

 呼ばれたルカの父が、ゆるりとした足取りでキッチンに顔を出し、家族が揃う。

 家族三人で、食膳の祈りを捧げ、食に付く。

 食べ初めてしばらくして、ルカの父は口を開いた。

「エルダとアリサはちゃんとできてたか?」

 見届け役だったルカに、父は聞いたのだ。

「うん、多分ね」

 自分がやったとはいわない。

 その答えに、頷きながら、満足したようにスープを一口啜り、父は続けた。

「どっちが手際がよかったかい?」

 困る質問だった。アリサの手際は見てないのだから。

 けれども、ルカの答えは決まっていた。

 アリサは料理上手だ。三家で唯一、年長者が生存しているアリサの家で、五十年食事を作ってきた自分の祖母を感嘆させる腕前を彼女は持っている。河魚なんて一瞬で三枚におろされるし、その手並みから察すると、アリサがいれば、ルカが手伝う必要性なんて皆無だったろう。そもそも、エルダの出る幕がなかったはずだ。

 だから、ルカは「アリサかな」と答えた。

 再び、父は満足げに首を縦に振る。そして、いう。

「そうか。いつかな、おまえたちの子供を見れるのは」

 そう遠くない。父の言葉はしばしからはそういった思いが滲み出ている。

 村の基準でいえば適齢期は十七歳。あと、二年の話。

 ほんとうに、そう遠くない未来。

「ごちそうさま」

「ふふ、明日は楽しみにしていなさいよ」

 食事を追え、自室へ向おうとするルカの背に、ルカの母は力の限り腕を振るったといわんばかりにいった。腕を腕まくりするようにクの字に曲げている。

 きっと、そうなのだろう。急遽、調理場となった納屋から漂ってくるおいしそうな匂いをかげば。まだ、下準備のはずなのに、この出来栄え。明日が楽しみだと、ルカは思った。

 そして、揚々とした気分のままに、自室で眠りに着いた。

 とても快適で、涼しい晩だったせいか、気持ちゆえか、ルカは深く満足に睡眠を取ることができた。

 

 

 成人祝いの朝。霧も明けぬうちから、大人たちはいそいそと起きだして、支度のために、納屋へいってしまった。

 三家の並ぶ軒先には、年季を感じる大テーブルとそれを囲って十個の大小さまざまな、丸木椅子が親子のように、並んでいる。テーブルには、どこから持ってきたのだろう、高そうな青に白のチェックが入った布地のクロスがかかっており、そよ風に端から垂れた部位を揺らす。

 残されて、ただ待つ身のルカとエルダとアリサの三人は、それぞれ隣り合わないように座る。

 隣に座るのは親族だからだ。

「早くぅ」

 間延びした声で、待ちきれないとエルダはいう。

耀(かが)よう太陽に」

 アリサはよく分からない難しい単語をいいながら、空を見上げる。

 彼らを祝福するように晴天が広がっていた。

「雲なき青の絨毯、なんて、いい天気」

 いって、嬉げにアリサは微笑を浮かべた。そして、肩に纏わり付いた肌理細やかな銀の髪を手櫛でとく。

「嘘みたいだよね、夜はあんなに黒いのに」

「早くぅ」

 ルカとアリサの会話など何のその、ひたすら、「早く」を連呼するのはエルダ。足をバタつかせ、退行してしまったガキンチョのようだ。子供のうちに、子供らしい拙さをフルスロットルで発揮しておこうという算段かも知れない。

「そうだね」

 ルカはエルダの「早くぅ」にではなく、アリサの言に首肯する。

「でも、元々、夜って暗かったのに、明るかったのかなぁ、本当に」

 祖母の言葉を頭の中で反芻しながら、ルカは答える。

「だね。日は暮れて、また、昇る。ほんとうは、隠れるものじゃないんだって、そういう話だけど」

「うん」

 アリサは頷く。

「星見てみたいな」

 遠く地平線の(きわ)に見える僅かな雲を見ながら、感慨深く、ルカは呟いた。

「私も見てみたいな。月には兎や蟹がいて、満月の晩はきっと、昼のように明るいんだよ、多分。月と太陽って双子なんだもの」

 少しロマンチストなアリサ、その横顔をルカは(いと)おしげに眺めた。

「昼はもっと長かったんだよね」

「うん。昔は雄鶏はずっとずっと早く鳴いたんだって。日時計も一周したらしいしね」

 日時計が一周する。それは、きっと長い時間。

 たった、三分の一回ったところで、暗闇に隠れ、使い物にならなくなる日時計なんかとは違う、時間。そして、満月の晩は日時計という名前なのに、月がきっと陰をつくって、夜の時間を報せてくれるのだろう。

「早くぅ」

 駄々をこね、テーブルを叩き始めるエルダにアリサがいう。

「今日で大人になるんだよ?」

 アリサが咎め半分、茶化し半分にいう。

「違うよ。明後日の村のお祭りでだから、いいの」

 正論か、はたまた、屁理屈か。上下の歯列をかみ合わせ、イーをしながらエルダはいう。

 子供っぽいなとルカはエルダを思う。同じ歳だけど、かまってあげないとと思わせる妹みたいな存在。そして、ルカにとってアリサはかまって欲しい、相手だった。同じ感情でも、欲するベクトルの向きが正反対。

「早くぅ」

 もう何度目の「早くぅ」だろう。

 そう、ルカが思ったとき、鼻腔をくすぐる(かおり)が空気に運ばれてやって来た。

 昨日、バラした子豚の、脂の焼ける臭いと豚特有のうま味から発する唾液を誘発する匂い。

「早くこないかなぁ」

 匂いに懐柔されて、今度はアリサがいう。

 もう、いつの間にか三人とも待ちきれなくなっていた。知らず知らずに涎が唇をこじあけて顔をだしそうなくらいだ。

 匂いはぐんぐん強くなる。匂いが迫ってくる。料理が放つ胃へのボディーブローだ。三人が完全ノックアウトされそうになったとき――

「はい、おまたせ」

 本当におまたせだった。

 三人は雁首揃えて、声の方を向く。

 最初に、アリサの父とエルダの父が大皿にのった焼豚を担いで登場した。

 その後にサラダボウルやスープ桶をもったアリサの母にルカの母。加えて、木編(あみ)の食器籠を担ぐエルダの母、酒樽を抱えたルカの父。最後に総司令官のごとく威厳を漂わせ、殿(しんがり)として構えるアリサの祖母が続く。

 それぞれの料理が発する芳香がシンフォニーを奏でる。

「やっと、来たぁ」

 待ってましたと身を乗り出すエルダを片手で彼女の母はやんわりと、制止させ、食器を並べ始める。

 てきぱきした大人たちの所作で、あっという間に料理は大テーブルに出揃う。

 きちんと配膳されたご馳走は、涎を必死で堪えるルカたちに、早く食べてくれといわんばかりの訴えをしているかのよう。立ち上る湯気と芳香がそう、暗示しているようで、堪らない。

 そして、皆が席に付き、アリサの祖母の、成人祝いについての、やや長い訓示めいた長口上の後、本格的に、成人祝いは始まった。とはいっても、三家族総出の晩餐――とはいっても昼――だが、これがこの村の各家庭における一般的な祝儀だ。

 王都の貴族からすれば、テーブルに居並ぶ品々は、とてもご馳走ではないかもしれない。日頃、口にしている並の料理がただ、量が増えただけと映るかもしれない。

 けれども、三人のハレを祝うには、それぞれの料理は十二分な家族の愛を内包していて、大人への門出を祝すにおいて、存分に事足りるものであることは確かだった。


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