王弟姫、かくも語れり
ジョワンの冷や汗
冬の夜明けは遅く、カーテンを開けたとしても外はまだ夜明け前、窓の外は暗闇である。ジョワンの肩が定位置である鳥は、この時間、ベッド横のサイドテーブルの上にちょこんと、止まっていた。ジョワンは、誰かに見られているような気がしていたが、それが鳥であることに気づいてほっとしていたが、それでも、ジョワンは、目が冴えて眠れないままに寝返りを打っていた。
「豪勢な夕食だったな」
リタに勧められ、用意された夕食は、ほぼフルコースであり、次から次へと食事が運ばれてきていたが、ダイアナは、運ばれてくる出される作法をみて、感心しており、リアエルは、そんなダイアナをみて、「メイド長が生き生きしてる」と感じて、また後で何か言われる気がしていた。
食事の合間合間にジョワン達が、一日でエヌグラントからスプリットまで来た事をリタは聞いて驚き、どうしてそんなに早く来られたのかをしきりに聞きたがっていたこと。ジョワンは、説明出来る範囲でと断りながらも、道中の出来事を話していた。リタにとって体験できないことばかりであり、興味深くその話を聞いていた。当然、今回の移動では、その手段としてユイキュル・エキスプレス社の移動機について話をする必要があったのだが、それ自体の仕組みについては、ジョワンも詳しく説明出来なかったのだが、リタは、目を輝かせて、それに乗ってみたいと言い出し、この場にいるユイキュル・エキスプレス社副社長であるダイアナは、ジンじぃが、かまわないと言えば、ご招待しますと、答えていた。食事も終わり、一息ついたところで、大佐は、リタから、本来、リタがいるべき屋敷に人気が無かったことと、屋敷の前にいた自称自警団のこと、聞いていた。そして、リタは、これまで街に起こったことや、バーグブレッド家の屋敷にいることを話し始めた。
「ええ、それは、父が王都へ出かけた翌日、それも突然、そして気がつけば、周りの侍女たちや執事たち、護衛の者たちまで、その行動に違和感を抱いて」
その話の内容は、確かに違和感を抱く不思議なものであった。
「2つの街区を結ぶ架橋工事の計画は御存知ですよね? 丁度1年ほどです。この計画が発表されて、2つの街区の住人達は、それ喜び、お祭りさわぎだったんです」
リタがジョワン達一行に、語った話は、一年ほど前まで遡る。ランベールにより二つの街区を結ぶ架橋計画が発表されたあと、しばらくして、イースト街区で住人の連続殺害事件が起こりはじめる。犠牲者が、二桁に届く前に、かろうじて犯人が捕まったが、それがウエスト街区の住人、しかも獣人であり、殺害された住人の遺体には、全て食べられたような損傷の後があったことが、両街区の住人に衝撃を与えることなった。そして、厳重な監視の下に、取り調べを待つはずの犯人がいつのまにか姿を消し、再び連続殺人事件が起こるにいたり、スプリットの街は、連続殺人犯の影におびえることとなる。結果的に、この事件が、イースト街区の一部の住人に、「獣人犯罪者は、野蛮で危険であり、逮捕より殺害を!」という過激な主張をはじめ、「獣人は、人を襲い食べる」と言った噂や「獣人は人と共存はできない。獣人は、1箇所に隔離すべきである」と言った過激な主張まで出始めることとなり、小規模ではあったが、獣人排斥デモが行われはじめた。それは、やがて、領主であるランベールに対し、両街区にまたがる架橋計画の中止を求める訴えとなっていった。ただ不思議なことに、この過激な主張が出始めた頃、何故か、連続殺人事件の発生がピタリと止まり、その後その話を聞くこともなく、不思議なことに、犯人が死んだという噂が流れはじめると、人々の記憶から、この事件のことが急速に消えてった。
「結局、連続殺人犯は捕まりませんでした。そして、二つの街区の住人達による争いも、川があることが、皮肉にも、全面的な衝突を起こすまでに至らなかったのです。そして、人々が落ち着きを取り戻した頃、私も父も、町の発展のために、住人の意見を聞きながら、丁寧に納得いく説明を行おうとしていたのです」
リタは、そう言うと、その後、街でおこった事件のことを語り出した。
表面上、住人達も平穏な生活を取り戻したと思っていたのだが、今度は、ウエスト街区で住人による無差別殺人事件が発生したのだ。それは、昨日まで、互いに挨拶をしていた住人が急に凶悪な殺人鬼となり、獣人だけを、大人であれ、子どもであれ、男女区別無く殺害するという事件で起こった。しかも、犯人達は、殺害現場から消えるように逃亡、目撃証言からその自宅と思えるところへ、衛士が踏み込むのだが、そこで呆けているだけの犯人を衛士達の手で捕まえていった。取り調べでは、彼らは、皆、一様に「自分は何もしていない」「昨日の記憶が無い」といった主張を繰り返すだけであり、殺害された被害者のことを聞かされて、それが彼らにとって、親しい友人であり、その死を狂わんばかりに嘆き悲しむ者、そして、自らの命を絶つ者などがでるなど、無差別殺人事件とは言え奇妙な事件が発生したのである。
「異様な事件が、両方の街区で起こり、沈静化しいていた対立が、再度激しくなり、大きな衝突は無かったのですが、街中で小競り合いが起こりだしたんです」
リタが生まれてからこれまで、自分の住む街で、大きな事件などなく、特に、殺人事件など皆無といってよかった。ところが、突然起きた二つに異様な事件に、戸惑いを覚えていたこともあり、いつの間にか、彼女は、住人の心配ばかりするようになっていた。そんな中、リタの母親であるテッサ・デュ・スカルティエは、リタ同様に、この騒動で心を痛め、それが元で体調を崩してしまっていた。そのため、しばらく、治療のため温泉へ出かけることになり、リタは、ランベールから母親と一緒に行くように言われたのだが、リタ自身、それを頑として聞き入れず、「父様を補佐する」と、街に残ったのだ。
「私は、住民の衝突が起こる度に、できる限りそこへ行き、争いが起きないように双方の話を聞き、もし、けが人がいれば手当てをしたりしていました」
これまで、母であるテッサが行ってきた公務を代わりに行い。それ以上に、両街区の住人が集まる集会所や、市場に出向き、不満や、不安を、自分ができる限り聞き、改善できる点は、父親であるランベールに直談判をしたり、リタが怪我の手当てをした住人達の元へ見舞いに出かけたりしていた。その献身的な行動は、彼女の持つ生来のやさしさからなのか、それとも、彼女の持つカリスマ性なのか、短期間のうちに、スプリット両街区の住人から愛され、そして、絶大な支持をされ「スプリットの聖女」とまで呼ばれるようになっていた。そして、「彼女がいれば、この町に平和な日常が戻ってくる」そんな希望を住人達が抱いた頃、住人の子ども同士の些細な言い争いから、小競り合いとなり、住人同士の大規模な衝突が起こり、死傷者が出た。それが切っ掛けとなり、互いの報復合戦となるほどまでに、自体はエスカレートし悪化していった。それは彼女が出会い、知り合ったことで親しくなってきた人達も、同様にいがみ合うようになり、それが、彼女の心を痛めることとなった。
「私の大好きなこの町、スプリットに居住する全ての人達が、平穏で幸せな生活を送ってほしいのです。そのためなら私は、この身を捧げてでも、皆様を守ります」
リタのこの言葉が、彼女が「スプリットの聖女」と呼ばれる所以である。ランベールは、娘であるリタの活躍から、住人の安全確保と住民同士の衝突回避ために、王国港湾の警備兵力から、街の巡回警備へ要請をしたのだが、国王ロベールの弟、王弟であっても、しがない一人の地方領主でしかないことと、港湾警備が王国軍管轄であることから、軍への要請ができる立場では無かったことと相まって、軍管区上層部に直接的な働きかけるすることとなった。これが王国内の他の街であれば、軍への要請が無くとも、やりくりがついたのだが、この街が、これまで平和で安全な港湾都市ということもあって、街の警備をする人員は、他の街よりも少なく、その警備も、王弟陛下の人柄に志願してきた者のみであったからである。
「お父様は、軍管区の責任者であるトランフ少将に、街の治安維持への協力を求めたのです」
リタは、ランベールが、王弟である立場からの命令で無く、住人達のためのお願いとして、スプリットを含むこの地方の軍管区の責任者である、トランフ・F・ドナルド少将の元へ出向いたことを話し始めた。そこで、ランベールは、少将から
「王国軍の兵力を、私の一存で割くことはできない。もし、人員が必要というのであれば、中将以上の命令書を持参すればよい。ただし、ひと言言っておくが、命令書を持参したとしても我々には、住人保護などに回す遊びの兵力などない」
と、言い放ったと、ランベールに同行していたスプリット警備隊の隊長からリタは聞いたという。ランベールは軍管区司令部で、暇を持て余している者が多数いることや、王国軍上級士官から、自発的な協力要請があったことなどから、期待していた分、それは落胆することとなった。また、トランフ少将は、その去り際、ランベールに
「そもそも橋など掛けず、ウエスト街区で騒いでいる連中の居住地区を隔離してしまえば良かろう?」
と、言い残したそうである。
少将が一部言うように、両街区の住人による衝突は、行き来が無ければ防げる事は防げるが、この町の構造上、役所がイーストに、商業区域がウエストに集中しているため、住人は川を渡る定期船を利用しなければならず、そのため行政サービスが滞ることが多かった。それを解消し、住人に対して等しくサービスを供与するために、領主であるランベールと住民との時間を掛けた話し合いの末、計画されてきたものであり、騒動後も計画への賛成者が多数派であったことから、計画中止とはならなかった。また、騒動のあと、ランベールやリタからの呼びかけもあり街は平静を取り戻していったこともあったのだが、獣人を嫌う一部の暴徒が過激集団となり、そこに架橋計画反対派が加わり、より先鋭化していった。そのため計画賛成派が襲撃を受ける事や、架橋現場での破壊活動を行われるといった事態が発生していた。当然、警備隊が、襲撃事件の現場に駆けつけるのだが、犯人はすでに逃亡した後であり、いたちごっこが繰り返されていた。このことが、「取り締まる気が無いのか」という反発を招き、さらなる憎悪の連鎖を呼び起こすこととなっていった。また、この過激集団による架橋賛成派の誘拐事件も発生しており、しばらくすると、被害者が町外れで解放されるのだが、解放されるまでの記憶を失っている者や、それまでと性格が変わってしまった者などが、次々と保護されていた。ただ、保護された者は、家族の元へ返されてはいたが、すぐに行方不明になるという事件も起きていた。
「それで、お父様は、ロベール陛下に、住人の安全確保の助力を請うために王都へ行かれたのです」
リタは、父であるランベールが、少将との話し合いが物別れになったことから、助力を請うために王都へ向かうことになったことを話した。話し終えた彼女の表情は、沈痛な面持ちであったのだが、鳥は、その空気を察したのか、リタの肩へと止まった。まるで、「姫さん、大丈夫か」と言わんばかりであったが、ジョワンは気のせいだと思い込むことでスルーしていた。
ただ、リタの表情をみた大佐は、宰相や王弟陛下から、この町の現状についてある程度は聞いていたものの、想像以上に事態が悪化していることを強く認識することとなった。同じように話を聞いていたジュワンは、それほど短期間に多数の人間が、互いを憎むようになることがあるのだろうかと不思議に思っていた。だが、そのあとリタの語る話は、さらに奇妙な内容であった。それは、リタの父であるランベールが王都へ出かけた後に起こった話である。
「そして、お父様が、出発された翌日、屋敷の門番の様子が、いつも違った感じがしたのですが、真面目な肩でしたので、何か理由があるんだろうと、それほど気には留めていなかったのです。」
リタは、初めに感じた違和感について話した。
「その翌日には、屋敷の庭の手入れをしてくれているじぃやの様子に違和感を抱くようになり、私が、窓からふと庭を眺めると、門番もじぃやも、感情のないような目で、私のことをじっと見ていて、それが、まるで監視しているような感じがして」
リタは、さらに違和感を抱く出来事があったことを話し、
「父様が、王都へ行かれて3日が過ぎた頃、執事や侍女達の一部が、私が感じた感情のない表情をしているような違和感を抱いて」
ジョワン達は、それを聞いて
「リタさん、王弟陛下が王都に行かれて、寂しかったからでは?」
と、聞いたのだが、
「いえ、それが、違和感を抱いたのが私だけでは無くて、仲の良い侍女が、他の侍女達の行動がいつもと違って、恐いと相談してきたんです。それで、私は、『後で詳しい話を聞かせてほしい』と言ったんですが、来なくて、仕方無く翌日、彼女に声を掛けたんですが、そのときには、もうその侍女も、他の侍女達同様に感情のない目で、『お嬢様、わたしの気のせいでした』と言われてしまい・・・気がつけば、屋敷の者達みんなが、感情ない目で私を見つめるというより監視するようになり、屋敷から一歩でも外へ出ようとすると、『お嬢様、外は危険です』と、出してもらえなくなりました。」
リタは、次第に屋敷の者達の奇妙な振る舞いと、そこに感じた違和感。気がつけば、見知った顔であるのに、彼女の知らない人達が、そこにいるという感じになっていた。それでも、彼女にとって、ただ一つの救いがあった。
「お父様は、王都へ向かわれる前に、もしもの時の護衛をと、派遣協会から女性騎士様を派遣していただいていたのですが、その方も同じように屋敷の様子がおかしいと言われまして、その方は、非常に愉快な方で、不安がる私を励ましてくださいました。」
リタは、屋敷で不安を感じていたが、護衛の女性騎士がいてくれたことから、気持ちが楽であったことを話していた。ジョワンは、その話に出てきた協会派遣の女性騎士のことが気になっていた、それは、ジョワンの知る女性騎士は一人しかおらず、ジョワンに取っては恐い存在だったからである。
「リタさん、協会から、どなたが派遣されてきたんですか?」
あ「騎士様ですか? そういえば、ジョワン君も、派遣協会からでしたわね。ええ、その方のお名前は、確か、ナインさんと言う方です」
「えっと、ナインさんって、まさかナイン・C・エシャロットさんですか?」
「はい、ジョワン君のお知り合いですか?」
ジョワンは、かなり動揺した様子で、
「えっと、僕の先輩です」
ジュワンが学生時代の頃、いたずらする度に、捕まって鉄拳制裁をしていた人物である。その先輩は来ていると聞いて、全身びっしょりになるぐらい、冬なのに汗が噴き出していた。
「ジュワンさ、君、急に、汗が凄いことになっているようですが、これを使われますか?」
リアエルは、ハンカチを取り出すとジョワンへと差し出すのだが
「い、い、いや、気のせいだよ、リアエル君、あは、あははは」
それを受け取るでも無く、何故か口調がいつもと違い崩壊していたが、
「で、ナイン先輩は何処に?」
ジョワンは、リタを見るも、執事が代わりに答える。
「騎士様は、今朝、早く、王弟邸の状況について報告に行くと協会へむかわれました。報告を言えたら戻るとの言われておりましたが、まだ戻られておりません」
やや、胸をなで下ろすジョワンであった。そんなやりとりを聞きながら、大佐は、騎士の手で協会へされたであろう報告について確認をした。
「リタ姫、それで、その報告内容については、ご存じですか?」
「はい、これから話すことが、おそらくその報告内容だとは思うんですが、私と騎士様の目の前で実際に起こったことです」
リタは、先ほど前に沈痛な面持ちとは違い。至極真剣な表情で、人がいるのに人気が無い奇妙な屋敷で体験した事を話しだした。
「それは、真夜中の事です。と言っても、異変が起きて以降は、屋敷の中は昼も夜も静寂なままなのですが」
それは、侍女までの様子が変わってしまった日の夜の出来事だった。リタは、突然の物音で目が覚め、何事かと思い、ベッドから出るや、部屋の扉を開けた。ただ、そこには、無表情な侍女が、「お嬢様、お部屋へお戻りください」と、全く抑揚のない声を掛けられ、それに驚いたリタは、慌てて扉を閉めた途端、一蹴侍女の姿が消えたように見えたのだが、その扉が荒々しく、開け放たれた。
『姫、屋敷よりお逃げください。私がお供いたします!』
『ナイン様、一体どうされたのですか?』
『先ほど、執事の襲撃を受けました。どうも、この屋敷の中で何かが起こってます』
『部屋の前の侍女は?』
その問いかけには答えない。
『話はあとです。急いでください!』
リタはそう言われて、着の身着のままではあったものの、手を引かれるまま、部屋をあとにした。
『どこへいくのですか?』
『派遣協会の方で姫様を保護するように、手配いたしたく思います」
ナインは、走りながら、リタの保護を優先すると言い。玄関へとひた走る。
『このまま正門を強行突破いたします。お急ぎを!』
『お待ちください。お父様から、『もしもの時はバーグブレッド家へ行きなさい』と言われておりますので、そちらへ向かってください』
『バーグブレッド家ですか? 承知しました』
『ナイン様、そこを曲がってください』
リタは、両親から教えられていた隠し通路の所へとナインを誘導する。その途中、なぜか、部屋の扉が開いており、中から、リタの部屋の外にいたはずの侍女が出て来たのだ。リタは、突然の事に驚き、悲鳴を上げる。
「それが、私の見ている前で、侍女が、突然、消えたんです」
「消えたって? 見間違いでは?]
「ええ、私も、そう思って、でも、不安で、それで、彼女が出て来た部屋の中を覗いたのです。それで、中にいなくて、気のせいなんだと思ったんです。で、ほっとして、ふと見回すしたら、さっきまで私が立っていた通路の所に彼女が立っていて、私、びっくりして、そしたら無表情な彼女が、突然、襲いかかってきたんです」
リタは、怯え、奇声を上げて襲いかかってくる侍女を避けることができなかった。その時、ナインが割って入るように侍女に体当たりをした。
「それで、なんとか彼女を避けて、隠し通路への扉を開けて、中へ入ると、ナイン様も、それを確認して、私の後に続いて滑り込まれて、それで、外から開けられないように扉を閉めようとしたんですが、その隙間に彼女の右腕が挟まり、扉の外に、他の気配もして、ナイン様は、咄嗟に剣を抜くと彼女の腕を”スパッ”と切り捨てたんです」
リアエルは、その光景を想像したのか、視線をそらしていた。普通なら、そこで血しぶきが飛び、リタも返り血を浴びたであろう事を想像していた。
「ところが、その腕は、床に落ちることも無く、すーっと消えたんです」
「消えた?」
「はい、でも、そのとき、私は、正直どうすれば良いかわからずいたんですが、外から激しく扉を叩く音を聞き、ナイン様が、私を引っ張ってくださり、暗い通路をひたすら外へ外へと逃げたんです」
リタは、ナインに手を引かれるまま、通路を走り、外気が肌で感じられるころ外へ出たのだが、そこは屋敷から少し離れた所であった。
「そのあとは、私が説明しましょう。夜中ではありましたが、屋敷の周りの見回りをしておりましたら、リタ様が、ナイン様に導かれるように、こちらへ来られるのが見えまして、それで、王都のご当主や、王弟陛下から、もしもの時は、お嬢様を保護するようにという言われておりましたので、こちらに来ていただきました」
バーグブレッド家の執事は、そのときの様子を答えていた。
「リタ様のお話を伺っておりましたので、念のため、リタ様のお屋敷の方へ確認に参りましたところ、確かに門番も、それに執事も様子がおかしく。リタ様、懇意の侍女も、ナイン様が右腕を切ったと伺っておりましたので、少々外から様子をうかがっておりますと、怪我も無く。」
執事は、言葉を続ける。
「ただ、リタ様が嘘をつかれるような事はございませんので、一日、お屋敷の様子をみておりましたら、夜が暮れても、屋敷に灯りがつかず、門番達も、まるで人形のように動かないといった、奇妙な事がございました」
王弟邸で何か異常なことが起きているのは確かである。リタは、執事が話し終わると、大きく深呼吸をして
「私としては、お母様が、今、温泉へ療養に行かれていて、居なかった事が幸いでした」
と言った。もし、テッサがいたら、確かに、屋敷から逃げ出すことは困難であったろう。話し終えたリタに対して、ジョワンは"切り捨てた腕が、消えた”と言うところが、気になった。
「リタさん、その部屋とか、お屋敷の中って霧が立ちこめてたって事は無いですよね?」
ジョワンが何を言いたいのか、気がついたのは、この場にいた大佐である。
「いえ? ジョワン君、何故そのような事を?」
「消えたって事が、引っかかって」
「お屋敷の中に、霧が立ちこめるなんて、ございませんわ?」
「そうですか。僕の勘違いみたいです。すいません。」
鳥だけが、ジョワンの肩の上で、リタとジョワンを交互に見つめていた。大佐は、いくつか疑問に思ったことを問う。
「ところで、リタ姫」
「はい」
「街中で焼け焦げた宿屋を見ましたが、あれも住民の衝突による火で焼かれたものですか?」
「いえ、あれは、突然の光に焼かれた聞きましたが、それ以外なにが起きたかわからないと聞きました」
「光ですか?」
「はい、目撃された方が大勢居たので、このまちの衛士の方々が聞き取り調査したのですが、それでも、何があったかわからないと」
スプリットの町は、古くからの石造りの頑丈な建物が多く、宿屋は、同様の造りでありながら王都にある歴史的建造物に匹敵するものであったのだが、それが焼け落ちたと言う事実は、そこで何か尋常ではないことが起こったという事実を物語っていた。
「なるほど、で、死傷者は?」
「幸い死傷者が無かったと聞いてます」
石造りの建物、その石が焼け落ちるという状態になったにもかかわらず、死傷者が出なかったと聞き、大佐は、過去、携わり解決した事件で、似たようなことがあったからか、それは幸いなことだと答えていた。ジョワンは何故、大佐が幸いなことというのかと聞くのだが、大佐は、過去に起こった事件の話をした。
「一人の人間が、恨みからか、石造りの建物全てを焼き尽くし、その中にいた無関係な何百人もの人間が巻き添えで死に、その災害を我々は防げなかった。当然犯人は、我々が逮捕したのだが、彼女は限界を超えた力の行使をしたことで、自分が誰なのか、そしてなぜそのようなことをしたのか、その正気の全てを失っていた。結局、何故そのような事件を起こしたのか、未だに不明のままなのだがね」
大佐は、遠くを見つめ、事件あらましを語った。ややその場の空気が重くなるのだが、そこは、若干空気が読めないジョワン君である。宿屋の貼り紙を思い出し
「そう言えば、宿屋廃業と書いてましたね」
「ええ、宿屋は、ハンスさんと言う方がされていて・・・・父が、再建のために、力を貸すと言っていたのですが、突然廃業すると言われまして」
「今は、どちらに?」
「自宅に籠もられてます」
「その方の詳しい自宅の場所を教えていただけますか?」
「どうされるのですか?」
リタは、大佐の意図が分からず聞き返す
「少し気になる事があるので、そのハンスさんと言う方に、話を聞きたいと思いましたので」
「それなら、私も同行してよいですか?」
「姫様、あなた様に危険が及びます故、何卒お辞めください」
執事は、リタを止める。
「ええ、本来なら協力を頼みたいのですが、今回は、私も危険だと思いますので、こちらでおまちください」
大佐も止める。二人に止められて、やや涙目なリタである。
「大佐、僕も一緒に行きます」
「いや、ジョワン君には、別の所に行って貰いたい」
「別の所ですか?」
「そうだ、派遣協会の支部に行ってもらいたい」
ジョワンは、協力に行ってほしいという大佐からの申し出に、若干引きつっていた。なぜなら、先輩に会うかも知れないからだが
「は、派遣協会の支部ですか?」
「そうだ、そして、これまで、そうだなここ二年の間に、この町に派遣されている協会員の職業リストをもらってきてほしい」
「職業リストですか? どうして、職業リストを?」
「まだ、はっきりしたことは、わからない。ただ、これまでの経験から、そこにヒントあるような気がする」
当然の事ながら、ジョワンより長く生きている分、勘が働いているのだが
「あと、行方不明になっている者がいないかも確認してきてくれるとありがたい」
「わ、わかりました。確認して、リストをもらってきます。と言うわけで、リアエルさん、留守番よろしく!」
当然、ジョワンについて行く気満々のリアエルは、ジョワンのひとことで、はっきりとずっこけた。それを見て鳥はやれやれという感じであった。
「そんなあ、私、リアエルは、ジョワン様のお供ですよ! 留守番なんて出来ませんよ!」
「だーめ、リタさんの話を聞いてなかったの?? 危ないからだーめ!」
「でもでも」
「”でも”も無いのだーめ!」
「ジョワン様!」
「リアエル君、私も危険だから、ここで残った方がよいと思う」
「あう、あう、大佐まで!」
端から見れば、必死のリアエルとジョワンのやり取りは、まるでバカップルである。
「ぷっ!」
これまで張り詰めていたリタの緊張感は、この二人のやりとりを見てとけたのか思わず吹き出していた。
「お二人は、仲がよろしいんですね」
「いやいや、リタさん、さっきの話を聞いたら、普通、誰だって、リアエルさんの事を考えれば、夜ならまだしも、昼間は、外を連れて歩くなんて、目立つから危険です」
いまのスプリットでは、ジョワンの言うことが正論ではあるのだが、リタには、それが羨ましかった。
「ところで、皆様、このあとはどうなさるのですか?」
「姫様、私が、この子達連れて、うちの会社の事務所に戻って、朝まで過ごそうかと存じます」
リタは、執事の方を見ると、執事は、軽く会釈する。
「それでしたら、こちらのお泊まりになりませんか? 私のお屋敷ではありませんが、かまいませんよね?」
「はい、リタ様、当家でお泊まりいただいても問題ございません。ダイアナ様、カーネル様、ジョワン様、リアエル様、すぐにお部屋をご用意いたします」
「え、それは、大変申し訳ない。私たちは、ソロソロおいとまいたします」
とダイアナは言うのだが、言葉とは裏腹に『え、そう! ありがたい!』と言う態度である。
「そう言わず、そうだわ、ジョワン君、リアエルさん、王都のこととかお話ししていただけません?」
「王都のご当主様より、いかなる方であろうとも、お客様のは、十全なおもてなしをするようにと言われております。それに、もうお部屋のご用意もできましたので」
「そこまで言われるのでしたら、お言葉に甘えて!」
ダイアナはウキウキである。
夜も遅くなるまで、リタは、ジョワンやリアエルから、いろいろな話を聞いて、驚いたり、笑ったり、そして、ジョワンの鳥にも名前を、色々考えたり
窓の外は、夜明け前の薄明かり、眠れないジョワンは、ベッドから降りると、窓のそばへ行き、カーテンを少し開けて、外をみていた。
「今日も、一日大変だな」
「ピュル!」
「おまえの気に入る名前ってなんだろうな?」
「ピュー!」
ジョワンのひと言ひと言に、鳥が相づちをうっていた。
スプリットのプラウと港もノワイエ港も夜が明けても霧に包まれることが、非常に多く船乗り達に取っては厄介である。それは沖合の海流の影響なのだが、そのおかげで冬でも比較的温暖であった。ここは、陸路と海路の交わる交易都市の一つ、今でこそ、チエーロにその貿易取扱高では、負けてはいるが、多くの人が行き来する所であり、川によって街が二つに分かれていることが、その名前の由来である。
夜も明け、街が賑わいを取り戻す頃、街中の商人組合、冒険者組合、魔術組合、魔法組合と色々な看板が上がる組合通りと呼ばれるところがあった。『弟子派遣協会』と少し焦げ目の付いた看板に、『スプリット支部(仮)』と書かれた紙が、貼られていたみすぼらしさ満載の小屋が、空き地にあり、恐らくは火事の後であろう、その片隅には、黒ずんだ残骸が山となっていた。とは言え、小屋の中からは、いつも元気な声が聞こえ、周囲の組合職員達も、日常感を満載だった。
「シュートの理事長に、支援要請のだしたの?」
今日も、派遣協会スプリット支部長のユリカの声が、小屋から聞こえ
「あっと、まだで~す! 忘れてましたぁ」
「ナインさんから連絡は?」
「ないで~す」
事務担当のミリー元気な声が聞こえてくる。
一週間ほど前、ここには、派遣協会支部の建物があったのだが、突然の火災に見舞われていた。ただ、周りに被害を出すことなく。なぜか、協会建物だけが燃え落ちていた。幸いなことに協会関係者に、死傷者が出ていなかったことから、王国内の各支部へ窮状をしらせるために、勤務している職員を向かわせたり、街との交渉に出ていたりとしており、今はユリカとミリーの二人が留守番と言う状況であった。
「ミリー、私が昨日預けた申請書類一式、支援要請の書類なんだから、一刻も早く理事長に届くように出してきて!」
「ハーイ、じゃあ、ウィルさんとこに行ってきまーす」
ミリーが元気よく、ウィルのいる事務所へと駆けだしていった。