第一章 人を導きしもの 3
久遠は夢を見ていた。久遠は父親と母親に呼ばれて研教室に来ていた。普段と一緒で散らかっている。そこらじゅうに資料が山積みにされて、キーボードなどが埋もれている。資料はどれも古いもので、黄ばんでいて、独特の臭いを放っている。一度「捨てちゃえば?」と言ったら、両親にひどく怒られた。そのあと難しい言葉だらけのお説教をされたがよくわからなかった。ただ大事なものだということだけはおぼろげながら解った。大切なものなら、こんなに散らかしぱっなしにしなければいいのにと、大人の矛盾に不平を言ったものだ。だから、元々ここにはあまり近づかなかったが、近頃はまったく来ていなかった。さっきも扉が開くなりかび臭いにおいが鼻をついて、今も顔をしかめている。
「パパ、用事って何?」
久遠は文句を言う感じで言った。一刻も早くここから出たかった。そんな久遠を見て、父親は苦笑を浮かべて部屋の奥を見る。
「来なさい」
父親の声に呼ばれて、部屋の奥の扉が開いて長身の男が出てきた。目つきの鋭い男だった。
「この人、誰?」
久遠は見たことのない男を見て聞いた。怖がってもおかしくない厳しい感じの人なのに、久遠は不思議と恐怖を感じなかった。
「彼はヤクサ。今日からここで暮らすことになったの」
母親がヤクサの出てきた扉から出てきて言った。
「ヤクサ・・・」
久遠は無意識に呟いた。
「久遠、よろしくお願いします」
「は、はじめまして」
いきなり挨拶をされたので久遠の声は裏返ってしまった。両親がクスクスと笑い出した。
「ちょっと、やめてよ!」
久遠は頬をふくらまして父親を睨む。かわいらしくて、おかしい。
「すまん。くっくっ・・・・・・」
二人は笑いやむどころか、笑い続ける。
「もう」
久遠はふん、と顔を横に向けた。そこでヤクサは無表情に久遠を見ていた。冷たい印象は受けなかった、むしろ暖かかった。なんだかこそばゆくて、久遠は赤くなって照れ笑いを浮かべていた。
「初めまして、神名真綾です」
「ヤクサです。この子は久遠」
ヤクサは腕の中の久遠に視線を落として言った。ヤクサの腕の中で久遠はぐったりとしている。肌には汗が浮かんでいる。見るからにしんどそうだった。
「久遠さんの体調が悪いようなのでヒリュウで病院まで連れて行こうと思うんですが・・・・・・・」
そう言って結城は真綾にヒリュウのシードを差し出した。真綾は下を向いてそれを見て、少し躊躇うようにヒリュウを受け取った。そして顔を上げて怖いぐらいに真剣な表情で言った。
「それは・・・・無理よ」
「はっ?」
結城は真綾がすんなりOKしてくれるものと思っていた。さすがにこんなに弱っている子をほってはおけないだろうと。しかし、そんな推測は簡単に裏切られた。
「私もできることならしてあげたいわよ!・・・・ヒリュウは、さっきの赤いファールスに真二つにされたの。コアは無事だったけど、たぶん・・・いいえ絶対に展開してくれない・・・・」
真綾の声は震えていた。食いしばった歯の隙間から声を絞り出している結城は真綾の右手が強く握られて、震えていることに気が付いた。
「そんな・・・」
結城は自分の考えの甘さを悟った。
(ヒリュウの破壊は自分達の足止めが目的か。・・・・・ファールスまで使って襲ってきた連中があのまま逃げてくれるはずがないか)
「その人達を助けるどころか、私が助けてほしいわ・・・」
真綾は自嘲気味に笑った。
(うっ・・・、たしかにこの人は・・・・・)
結城はその先を考えないようにした。
「この近くに村がある。日が暮れる前に行こう」
突然そう言うと、ヤクサは真綾達の反応を見ずに久遠を抱いたまま、勝手に歩き出した。
「え?」
「え?」
真綾と結城の声がハモった。
「ちょっと、待って」
しかしヤクサは止まらない。久遠を抱いたまま森の中に入っていく。
「いきましょう、神名さん」
結城も歩き出した。ヤクサ達を見失うわけには行かない。
「また、歩くの・・・・・」
真綾は消えそうな声で言った。沈んでいた気持ちが、さらに沈む。それはもう底なしといった風に沈んでいく。たぶん今日は彼女の人生ついていない日ベスト三にはいっただろう・・・・・。
闇夜に川のせせらぎと虫の鳴き声が神秘的なハーモニーをかもしだしている。西と東、二方を山に囲まれた空間にぽつぽつと灯りが見える。民家の光だ。その間には水田が広がっているのがかすかにうかがえる。また、プラント・バーストの被害を受けなかったのだろう、西側の丘には風力発電用の風車が何基もそびえ立っている。人の数こそ少なそうだが、そこは人の営みの感じられる場所だった。ただただヤクサの後を付いていき、ここの光が悪夢樹の作り出した闇の隙間に見えた時は心底安堵した。結城は泊めてもらえる所を一人で探しに行き、真綾と久遠とヤクサは村はずれで火をたいて、結城が戻ってくるのを待つことになった。久遠を木にもたれさせて座らせ、ヤクサはその横に座っている。そして一人、真綾は焚き火の番をしている。最初は何かを呟きながら、ヒリュウを壊された腹いせに枯れ枝で焚き火をつつきまくっていたが、いい加減に飽きてヤクサを観察していた。その間、ヤクサは無表情に火を見つめていた。その目には炎が映って揺れていた。本当に透き通った目だった。無表情な顔と同じく、目からも何も読み取れない。
(不思議な人・・・・・)
枯れ枝で今度は真面目に薪を調節して真綾は思った。真綾の中で結城とヤクサがダブっていた。なぜかは解らない。結城は優男ぽいし、逆にヤクサは厳しいイメージがある。姿形も似ていない。唯一の共通点と言えば妙にタフな感じがする所ぐらいだ。
しばらく考えてもうひとつ思いついた。感情を表に出さないこと。結城はいつも微笑んでいるが、それだけだ。決して感情が表れているのではない。真綾は結城が心の底から笑っているのを見たことがない。
少しの付き合いなら、見せ掛けの笑みでごまかせれるだろうが、真綾はこの一ヶ月で結城のことがいろいろと解ってきてしまった。だから結城のことを知りたいと思ってしまった。今回のパートナーに結城を選んだのはそのためかもしれない。・・・・・そのおかげで、今こうして寝る場所に困っている。ヒリュウは壊れる。さっきのファールスのことも差し引いても、おつりがかなり出る。考えれば考えるほど気分が沈んでいきそうだったので、真綾は考えるのをやめた。
気を紛らわすために尋ねた。
「ヤクサさん、どうしてここのことを知っていたの?」
聞きたいことは山ほどあった。今回のことで唯一の収穫だった人型のファールスのこととか聞きたかったが、まさか最初からそんなことは聞けない。まずはあたり障りのないことから。
「貴方達に会う前に一度ここを通った」
(そんなところでしょうね)
帰ってきた答えもあたり障りのないものだった。真綾はこの機会を逃すまいと続けて聞いた。
「じゃあ、何であの連中に襲われてたの?」
それで会話が途切れた。いや、もともと会話と呼べたものではなかった。それでも、少しの間をおいて、ヤクサは立ち上がった。ゆっくりと近づいてきて、座っている真綾を見下ろして逆に聞いてきた。
「・・・・こちらも聞きたい、貴方達が何者なのか」
真綾が見上げたヤクサの目には感情の欠片すら浮かんでいない。
「私は神名真綾。郡山ラボの職員ってとこね。今、斥候に行ってるのは相良結城君。彼は益田ラボの人なんだけど、今はウチに研修に来ているの。・・・それで、あの・・・」
真綾はいっきに聞き出そうとした。が、
「悪いが、これ以上話すことはない」
ヤクサの口調は有無を言わさないものだった。
(自分からは言わないってクチか・・・。どうしたもんかな・・・)
もちろん真綾は退かなかった。これぐらいで引き下がっていたら、開発部主任なんてやってられない。
「じゃあ、ひとつだけ。あなた達ラボの関係者なんでしょ。さっきファールスを展開しているところを見たわ。私達連絡のつかないラボの様子を調べに来たの。それであなた達に会う前に米沢ラボに行ったわ。けどそこには何もなかった。何があったか知っている?」
「米・・・沢・・・・」
ヤクサの返答の代わりに、久遠の小さな呟きが耳に入った。真綾ははじかれたように久遠の方を見る。
「久遠、あなた何か知ってるの?」
真綾の声は無意識に大きくなっていた。しかし、反応が返ってこない。ぐったりとうつむいているので、久遠の表情は垂れ下がった前髪に隠れて見えない。よく見ると久遠の体は小刻みに震えている。
「・・・久遠?」
真綾は底知れない不安を感じた。女の直感がいけないと告げている。
「久遠、大丈夫です」
ヤクサの声は温かく、しかし表情には憂いが満ちていた。ヤクサは久遠にゆっくりと近づいて、手前で片膝をついた。そして両手を久遠の肩にのばす。急変したその場の空気に、真綾はただ事の推移を黙って見ているしかできなかった。ヤクサはそっと久遠の肩に触れた。その瞬間――
「いやぁぁぁぁ・・・・!パパ・・・・。ママ!」
久遠の顔が跳ね上がる。久遠は目を見開いて絶叫した。真綾は初めて、久遠の顔をしっかりと見た。正直見たくはなかった。そこには残酷な現実があった。頬はこけ、汚れた白い肌は乾ききっている。目のふちには濃いくまができていた。十代特有の目の輝きは失せ、死んだ魚の目のように単色だった。久遠は両手で頭を抱えて、何かを振り払うかのように頭を左右に激しく振った。真綾は左手で口を押さえて、おもわずあとずさった。悲しみ、恐怖、絶望、人の負が具現化したものを真綾は見ていた。過去の忌まわしい光景がよみがえる。久遠の声はあの声と一緒だった。プラント・バーストの日に何度も聞いたあの声。そう、この世で一番恐ろしい声、ゾッとするほど悲しい叫び、深く、鋭く、突き刺さった声。もう聞きたくない、忘れていたあの声を。
「久遠、安心して下さい。大丈夫です」
真綾が我に返ると、ヤクサは久遠を強く抱きしめていた。
「うわぁぁぁ・・・・」
久遠は絶叫しながら、ヤクサの腕から逃れようとして必死に暴れている。今の彼女にヤクサを振りほどく力があるとは思えなかった。
「放して!」
「久遠!」
ヤクサはさらに強く久遠を抱きしめた。目を閉じ、唇をきつく結び、顔を下げ、全身で久遠を抱きしめる。
「パパ・・・」
突然、久遠の声は途切れた。同時に久遠の体から力が抜け、まるで糸の切れた操り人形のように腕が垂れ、頭が後に傾いた。ヤクサは顔中にシワを作って、気を失った久遠を抱き続けた。
(この人達・・・、米沢の・・・・。何があったっていうのあそこで・・・・)
真綾の頭の中で何度も久遠の絶叫が繰り返された。真綾にはただ呆然と見ているしかできなかった。
久遠が気を失って、どれぐらい経っただろうか。たぶん二十分も経っていないはずだ。
「遅くなってすいません。泊めてもらえる所が見つかりました。――――何かあったんですか?」
久遠は座っているヤクサの腕の中で気を失っていた。ヤクサは相変わらず無表情。真綾はぐったりと焚き火の前に座っている。
「ちょっとね・・・・・。で、どこなの?一刻も早く久遠を休ませたいんだけど」
俯いて発せられたその声は疲れ切っていた。結城が行く前とは違う疲れなのは結城にも解った。
「村の中心です。お医者様だそうなので、診てもらえそうです」
この状況を不審におもいながらも詮索はせず、結城は真綾の後でヤクサに抱かれて眠っている久遠を見ながら言った。
「本当なのか?」
「ええ、薬もあるそうなので、久遠さんも少しは楽になると思いますよ」
「迷惑をかける」
ヤクサが本当にすまなさそうに言った。
「ヤクサさん、気にしないで下さい。こういう時はお互い様です」
結城はそう言って微笑んだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
真綾は無言でリュックを背負って立ちあがった。
「神名さん、持ちますよ」
結城は真綾に右手を差し伸べる。
「いいわ、探しに行ってくれたお礼よ」
結城は怪訝そうな表情をしたが、すぐに微笑を浮かべた。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
三人は歩き出した。日が落ちて、闇に支配された道を、結城の持つライトの放つ一条の光だけがぼんやりと照らし出している。その頼りない明かりの中で、真綾はヤクサを見ていた。ヤクサは腕に久遠を抱いて、無表情に前を向いて歩いている。
(まったく動揺していない。・・・・・今までにもこんなことがあったって言うの?)
それは真綾には受け入れがたい、受け入れたくないことだった。
その建物は村の中心に、ぽつんと建っていた。周囲二百メートルにほかの建物はない。それに他が日本建築なのに対して、そこだけが洋風建築だった。白い壁が街灯に照らされて浮かび上がっている。かなり大きな建物だった。そして対照的に小ぢんまりとした、なぜかそこだけ和風な玄関の上に山下診療所、と書かれた看板がかかっている。いろんな意味で少しずれた場所だった。
「すいませーん。連れを連れてきました」
結城が呼び鈴を鳴らすとすぐに引き戸ががらがらと音を立てて開いた。中にはワイシャツの上から白衣を羽織った五十ぐらいの引き締まった体格で人のよさそうな男と、同じぐらいのエプロンをつけた小柄な女が立っていた。山下は四人を見回し、視線が久遠を見て止まったがすぐに顔を上げた。
「早かったね。困ったときはお互い様。お入りなさい」
山下は微笑を浮かべて真綾達を招き入れた。
「すいません。お世話になります」
真綾は安堵のため息をついて家の中に入っていった。
久遠は夢を見ていた。米沢ラボの後に広がっている庭で、久遠は唯と花飾りを作っていた。一面の花園、久遠のお気に入りの場所。この時代に花園というのは珍しい。ほとんどを悪夢樹が飲み込んだからだ。赤と黄色と白の花が二人の周りに広がっている。花の香りがいい。
「できたー」
唯は出来上がった花飾りを久遠の頭の上にのせた。白と黄のツートンでできたかんむりは綺麗に久遠の頭に納まっている。
「ちょっと、唯ちゃん」
「いいじゃない。似合ってるよ」
女の子らしいやり取りをしていて、二人は静かに近づいてくる人影に気が付かなかった。突然、久遠の頭の上から花飾りが消えた。久遠の後ろに、見るからにやんちゃそうな男の子が花飾りを右手に持って立っていた。
「きゃぁ!」
「こら、武!返しなさい!」
「いやだよ。ベーだ」
武は花飾りを持って走って二人から逃げた。
「唯ちゃん・・・」
久遠の消えそうな小さな声は唯の耳に届いていなかった。
「久遠!」
唯はきつい口調に思わず久遠は背筋が伸びた。
「はい!」
「わたし、取り返してくる」
そう言って唯は立ち上がって走り出した。唯は速かった。あっという間に武に追いついた。そして、武に飛びついた。二人が絡み合って転んだ。色とりどりの花びらが舞った。
「唯ちゃん!武君!」
久遠は駆け出した。花に包まれた二人は動かない。
「ぷっ、ははは・・・」
「あ、ははは・・・」
二人が同時に笑い出した。久遠はキョトンとする。
「あはははは・・・・」
二人はひっくり返って大の字になって空を仰いで笑い続けている。
「ぷっ、ふふふふ・・・」
つられて久遠も笑い出した。三人の笑い声は花園に響き渡った。無邪気な笑い声が幸せの音を奏でる。風が吹き抜けた。髪が乱れないように左手で押さえて、反射的に久遠は目を閉じた。再び目を開けた時、花びらが久遠を包むように舞っていた。蒼穹に赤が、黄色が、白が映える。笑い声は感嘆に変わった。
真綾と結城はリビングで夕食をよばれていた。どれもあっさりとしていておいしかった。まさか、温かいご飯にありつけるとは思っていなかったので、なおさらおいしく感じた。
「君達、獣か山賊かに襲われたのかい?妙に服が傷んでいるし、彼らなんて擦り傷だらけだし。それに、あの子はかなり衰弱していたが」
「ええ・・・、鉄のように硬い皮膚の奴に・・・」
人型の巨大ファールスなんてラボの職員でもなければ話せる内容ではない。
「そうか・・・。まぁ、君達にも事情があるのだろう」
山下は気にした風もない。
「すいません。色々としてもらって」
結城はすまなさそうに言った。それに婦人は微笑んで答える。
「気にしなくていいのよ。主人も私も好きでやったことなのだから」
「それに、私はそんなたいそうなことはしていないよ。彼女の栄養失調は治したけど、それは根本的な解決にはなっていない。彼女の衰弱の原因はたぶん心因性なものだからね。それを治すことは私にはできない。彼女と君達しだいだ」
山下は真綾と結城を交互に見ながら言った。
「わかっています」
答えて真綾は真剣な表情で頷いた。まぁ、口に物を入れたままでは説得力に欠けていたが、それでも山下は満足したようだった。真綾は最後の一口を飲み込んだ。フゥー、と一息つき、箸を置いて、ご馳走様と手を合わせる。「お粗末さまでした」と婦人が返す。
「あのー」
「なんだい?」
「この村に通信機はありませんか?」
「ここにあるにはあるが、壊れているよ。村には他にないはずだが・・・・・」
山下は顎に手をあてて思案しながら答えた。
「いえ、構いません。直してみます。どこですか?」
真綾の目が輝く、表情に出やすい性質のだ。寄せてもらった家に通信機まであるなんて、不幸だった分、ラッキーが続くな、なんて考える。
「屋根裏にある。来なさい」
山下は立ち上がって、階段に向かった。
「あっ、はい」
真綾は立ち上がりながら急いで残っていたお茶を飲み干そうとした。
「ゲホッゲホッ・・・」
気管にお茶が入って、咽てしまった。山下が立ち止まって振り返る。
「大丈夫かい?すまないね。気が利かなくて」
「・・・いいえ、大丈夫です、ゲホッ・・・・・・通信機、どこですか?」
「こっちだ」
二人が階段を登って行く。二人が見えなくなると
「真綾さんって面白い人ね」
少し笑い声が混じっていた。結城はどう答えたものかと一瞬迷ったが、自然と苦笑が浮かんだ。
「そんなことを言ったら、本人は怒りますけど・・・・」
結城は困ったように頬をかいて言った。
(さっきまであんなに落ち込んでいたのに・・・・、強い人なのかもしれないな・・・・・・)
「でしょうね。・・・・ところで、ヤクサさんに食事を持っていってもいいのかしら」
「はい、お願いします」
ヤクサは食事の席にいなかった。あれからずっと久遠の傍に付き添っている。
和室、部屋の中央に敷かれた布団で久遠は寝ていた。久遠の寝息は穏やかだった。横にはヤクサが正座していた。彼の無表情の下で深く悩んでいた。
(私だけで久遠を守りきるのには限界が来ている。すべてを話し久遠を彼らに託すか・・・・・。しかし・・・、やつらの狙いはたぶん、自分の持つオリジナルコアだ。次に襲われた時に彼らを巻き込んでしまう・・・・・・・・)
そこまで考えて不意にヤクサの思考は中断させられた。
「ヤクサさん。夕食を持ってきました。入ってよろしいかしら?」
襖越しに婦人が聞いてくる。
「すいません。お手間をおかけして」
すぅと襖が開いて、いい匂いが漂ってくる。婦人はわざわざ正座をして襖を開けていた。横に置いたお盆を持つと、立ち上がって和室に入ってくる。
「久遠さんのことも心配でしょうけど、あなたが体をこわしたら、彼女心配するわよ」
「・・・はい」
ヤクサは曖昧な口調で答えた。それに婦人は小さなため息をついた。
「ここに置いときますから、ちゃんと食べて下さいね。あとで引き上げに来ますから」
山下はヤクサの横に食事がのったお盆をそっと置いた。
「いただきます」
「召し上がれ」
そう言って山下は静かに出て行った。
ヤクサには婦人のそういった態度はありがたかった。今はまだ他人に事情を説明する決心がつかない。だから久遠や自分の事を詮索されても、返答に困っていたところだった。
(幸運だな・・・・・・)
「じゃあ、私は下に下りとくから。何か必要なものがあったら、呼んでくれ」
そう言って山下は階段を下りていった。屋根裏部屋は大量の埃が舞っている。通信機を覆っていた布を外したからだ。
「どうしたもんかな・・・・。コッホ、コッホ・・・」
真綾の前には通信機があった。かなり古いもので、見ただけで年季が伝わってくる。ここ十数年使われていないのは一目瞭然だった。
(こんな古いなんて思わなかったな・・・・・・・。それに埃すごいし・・・・。・・・・けど、やるしかないか)
真綾は頭を振って、余計な考えを振り払った。今は修理に専念しなければならない。
「ひとまずばらしてチェックから始めてみよう」
真綾は意識して明るい声でそう言って、工具を持った。
翌日の昼頃、真綾達は村の西に位置する丘の上にいた。轟音が鳴り響いている。真綾達と見物に来た村人たちに頭上に巨大な青い翼がゆっくりと近づいてくる。 郡山ラボが所有する飛行可能大型シードアホウドリだった。
「よし。これでいけるはずだけど」
修理し始めてから二時間ほどが経っていた。
古い型だったので最初は戸惑ったが、真綾もそれなりに機械に対する知識を持っていたので、進みだすとすぐだった。あ〜あ〜とお決まりのマイクテストをして、周波数の調節ダイヤルを回して、郡山のそれに合わせる。
「こちら神名、郡山聞こえますか?聞こえていたら返事をして下さい。・・・・・こちら神名、郡山聞こえますか?聞こえていたら―」
『―ら郡山ラボ!真綾ちゃん・・・・ガガ・・ぶなの、連絡がないから心配してたんだ・・・・・ガガ・・・・』
(繋がった!)
真綾は踊りだしたい気分だった。通信状態はよくはないがこの通信機と地理条件からしたら上出来だろう。
『神名君か!無事なんだ・・・・ガガ・・どうなったんだいったい?』
『あっ、博・・るい。私が話してたのに』
琴音の不満そうな声が聞こえる。どうやら葉月にマイクを無理やりとられたらしい。
『葛木君!わか・・・・ガガ・・あとで代わるから少し待て』
『えー』
琴音の声は明らかに不満そうだった。まだ小言を言っているのが聞こえてくる。
「博士!今私達が置かれている状況を説明します!」
真綾はきつい口調で琴音を黙らせた。やっとの思いで連絡が取れたと思ったらこれである。真綾は軽い頭痛を覚えた。
「ヒリュウは破損。飛行不能になりました。詳しい話は後からということで、ひとまず迎えを寄こして下さい。・・あといろいろとあって連れができて、人数が二人程増えていますので、そこら辺のところはよろしくお願いします。現在地は―――」
そして、およそ十二時間後
(そりゃあコアを四つも使えばね・・・)
真綾はアホウドリがあまり好きではなかった。アホウドリはラボの初期のものでコアを四つも使っていて設定に余裕があった。真綾もヒリュウにコアを複数使いたかったのだが、許可がおりなかった。ようは、アホウドリが妬ましいのである。
(コアをあともう一つ使えたら最高速度とか、強度を上げれたのに・・・・・・・)
アホウドリが真綾達の前に、風車と風車の間に器用に着陸した。同時に拍手と歓声が起こる。
アホウドリの側面の扉が空気の抜ける頼りない音とともに上下に開いていく。
「それじゃあ山下さん、お世話になりました」
真綾は山下夫妻に深く頭を下げた。
「困った時はお互い様さ。暇があったら、また来なさい」
山下は微笑を浮かべて答える。
「はい、また寄せてもらいます」
真綾も微笑みを浮かべた。そして、アホウドリへと歩き出した。
(この人達に会えたのが、せめてもの救いだわ。ほんと、ヒリュウは壊れるし・・・・)
真綾は心の中で愚痴りながら、アホウドリに乗り込んだ。
全員が乗るとすぐにアホウドリは離陸した。真綾は窓から下に手を振りながら、目は横に座っているヤクサ達を見ていた。久遠は昨日よりはずいぶんましになったように見える。休んだからだろう。しかし・・・・、相変わらず生きているという脈動は感じられなかった。生きているような人形、そんな表現がしっくりくる。
(この二人をラボに連れて行くのが、正しい判断なのかどうか・・・・。あの連中を呼び寄せることになるのかしら?・・・・もしそうなら・・・・)
真綾の顔が少し厳しくなる。それに誰も気が付いていない。
(けど、やっぱりこの子をほっておくなんてできない)
アホウドリが速度を増す。その目的地は郡山ラボ・・・・・・
次回更新は2月1日を予定しています。