旋律を貴女へ……/恋愛(絵・千年示威さま)
千年示威さま(http://10366.mitemin.net/)のイラストに文章を付けさせていただきました。
ジャンル・必須要素は指定なしの作品です。
「……ねえ、今度はいつこちらへ来てくださるの?」
相手が竪琴を弾いていることなど構いもせず、アズラクはヤシュムの背にしなだれかかった。ヴェールの下に隠された豊満な身体が温もりを伝え、額の宝飾が揺れる。
柔らかな旋律が相まって、彼女の魅力を何倍にも引き立てていた。
ヤシュムは竪琴を弾いていた手を止め、横目にアズラクを見つめた。翡翠の瞳は自らが仕える姫の姿を捉え、答える代わりに指が旋律を奏でた。
「遠からず、帰ってきます」
歌うような声でヤシュムが告げたのでアズラクは満足そうに微笑んだ。楽師のたくましい背中にもう少しだけ触れていたくて、アズラクはそのまま話を続ける。
しかし。返ってきたのは忠告の言葉だった。
「姫さま、怒られますよ」
「あなたが? それとも私かしら?」
いたずらっぽく返した彼女をヤシュムはそっと引きはがす。
納得がいかないアズラクは、すかさず抗議の声を上げた。
「周りには誰もいないわ。心配いらないの」
「……いいえ、姫さま。もっと自覚を持ってください」
冷たくあしらわれ、アズラクは楽師に背を向けた。
森へ行こうと誘ったのは彼の方なのに、と心の中で不満を漏らす。
手を伸ばせばいくらでも触れ合える。それなのに、ヤシュムはひたすら竪琴を奏で続けていた。
「だってヤシュム。私たちはこんなに近い」
「それは昔の話でしょう。我々は大人になったのです」
楽師の釣れない返事に、アズラクはつまらなさそうに頬を膨らませた。
――昔。
ヤシュムの言葉がずしりと胸にのしかかる。
彼がまだ、楽師を目指して竪琴の練習をしていた時から二人は一緒にいた。あの頃はヤシュムの髪をアズラクが結ってやったり、お返しに覚えたての歌を聴かせてもらったりする仲だった。
年を重ねるごとに、いつしか二人の間に溝ができてしまったのだ。
アズラクは一国を背負う姫君として。
ヤシュムは国内随一の楽師として。
それぞれがぞれぞれに多忙になってしまった。
それが大人になるということならば、アズラクはそれに逆らいたかった。
だから、アズラクはまだ、各国の王から寄せられる求愛を断り続けている。
野暮な求愛の言葉よりも、ヤシュムの話が聞きたかった。彼が他国を訪問し、様々な国の貴族や王族に歌を献上している間に起こったことを、子供の頃のように時間も忘れて語り尽くしたかった。
「ねぇ……、ヤシュムは私が嫌いになってしまったの?」
アズラクの問いかけに、楽師は困ったように弦を弾いた。
彼の迷いをそのまま映し出したような音色は、木の葉が擦れあう雑音にかき消されてゆく。
「そんなはずがないでしょう」
「だったらどうして……」
「姫さま……」
アズラクだって、わかっていた。
彼が昔と同じ気持ちでいることを。できることなら何日だって語り明かしたいと思っていることを。
「今宵は姫さまのために夜通し曲を奏でますから。どうかそれで勘弁してください」
それが今の彼にできる、精一杯なのだ。
楽師と姫君は恋に落ちることさえ許されない。旋律が悲しみを遠ざけてくれることを願って、アズラクはもう一度だけヤシュムの背に身体を預けた。
アズラク…アメジスト
ヤシュム…翡翠
それぞれのイメージを石の名前に置き換え、アラビア語で言い換えた形になります。