九
「誰かこの部屋にずっといた?」
と寿々子が言った。返事はなかった。
「知らない間に片付いて、また食料と水がある」
もう寿々子は意見する気力を無くしているようだった。真砂子は痛々しく思いながらも、声が掛けらない。
「ここにあるのは要するに晩ご飯ってことでしょう。いただきましょう」
と、誰かが言い、みんなが三々五々、座り、従うように食べはじめた。餌であろうとなんであろうと、生きたければ食べて、休んでを繰り返さなければならない。悲しかったけれど、真砂子はお腹が空いた。食べずに済ませられそうもない。
物語のお姫様のように、悩み深くて食欲を失くし、痩せさらばえるのは存外難しい。まだ心と身体は正常に働いているから、生きようと身体が欲するのだ。それに逆らえるほど真砂子も、ここにいる女性たちも悟りきった年齢ではなかった。
二、三日過してみて、朝と夕方は食事が用意される。部屋や食堂、温水プール、トイレは、掃除がいつの間にかされている。服も着替えたもの知らないうちに消えて、各自の箱の中に補充されている。何もしなくてもいい、飼われている、その事実がはっきりと判ってきた。
食べて、喋って、寝てではいくらなんでもと、庭で体操や散歩をする者が出てきた。邪魔は入らない。ただ、柵から先はどうなっているのか、誰も乗り越えて確かめに行こうとしなかった。既に飼われている現状を受け入れてしまっているようだ。
真砂子も深雪も、企世子も自分たちが誰かから監視され、飼育されているのだと受け入れつつも、口に出したくなかった。
充喜が、羽化しかけていた蝶の蛹に触ってしまい、蝶になることなく死んでしまい、蟻にたかられていたのを、真砂子は思い出す。自分を飼っているのが気紛れで手荒な子どもでないことを祈りつつ、そんな莫迦なことがあってもいいのかと、苛立たしくなる。
情報を得る手段、何かを作り出す道具がない毎日で、他愛もないお喋りばかりで、何も考えないようになっていってしまうのだろうか。それが怖い。どんどんと知能が後退していったりはしないだろうか。知能が後退すれば、この状況に慣れ切って、今後どうされても唯々諾々と受け入れてしまうのかも知れない。抵抗も逃亡もしていない、手段が思い付かない。
「難しいことを考えても仕方ないよ」
深雪が言った。
「どうしたらいいかなんて、誰も考えつかないもん」
「バカになりたくないだけ。この世の中の悪意に負けたくない」
「悪意……。わたしは悪意しか感じない」
企世子は何のことだか判らないような顔をしながら、聞いていた。
「おまえは女だから、不細工だからって悪意にばかり晒されてきた。だから、男がいないこの環境は、怖くもあるけど、安心もできる」
「そうだね、わたしもおじいちゃんから女の子がそんなことしちゃ駄目だとか、こんなこともできないのかとか言われるのが嫌だった」
企世子が口を挟んだ。
「逆に男の人たちが、わたしたちと同じように男だけの環境に閉じ込められていたら、どう思っているのかしら」
「さあ……?」
「さあねえ、衣食住を世話してもらえるのなら、女なんかいなくてもいいと向こうも考えていたりしたね」
「有り得るね、日頃から女のくせにとか、ブスはあっち行けとか言っていたんだもの、のんびり過ごしているのじゃない?」
三人は笑い合った。
寿々子を食堂や庭で見掛けなくなった。隣室の女性の話だと、ノックしてみたら部屋から出たくないから放っておいてくれと返事があったという。彼の女なりに抵抗を始めたのだろう。逃げられないのなら、食を断つ。真似できないと、真砂子は肩をすくめた。
二日たっても寿々子は姿を現さない。本気で餓死するつもりなのかと流石に誰もが心配になってきた。さいわい、個室には鍵は備わっていない。真砂子たちや亜以子で寿々子の部屋の扉を叩いた。応答がない。
「寿々子さん、入りますよ」
大きな声を掛け、扉を開けた。
寿々子の姿はなかった。あるのは寝台だけで、ほかは片付けられたように何もなかった。反抗する者はここから連れ去られるのか?