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不安  作者: 壇希
2/8

ひょっとこ

「最近、うちのコンビニが変なんだよ」


市内でコンビニを経営している井上さんが、私にそう漏らしてきたのは、ちょうど一年前になるだろうか。


「どうしたの?変な客に定着されちゃったの?」


「いやあ、そんなんじゃないんだけどさ……」


おかしなことが起こり始めたのは、二週間ほど前からだという。


「小さい子連れの客が来てレジ打ちしてるだろ?そしたら、客の子供が俺のほう見ながら変な顔しやがるんだよ」


「変な顔ってどんな?」


「こうやって口を窄めて横にひん曲げんだよ。それで俺と目が合うだろ?そしたら目も明後日の方に向けやがって」


まるでひょっとこのような顔だったという。


「たまたま落ち着きのないガキだっただけじゃないの?」


「いやあ、それが一人だと俺もそう思うんだけどさ、何人も続いてるんだよなあ。最近じゃ、小さい子供がレジに来たときは絶対あのひょっとこ面しやがるんだよ」


傍から聞いていると可笑しな話だが、井上さんは深刻に感じていたらしく、いつものおちゃらけた性格には不似合いな、深刻な顔を覗かせていた。


「最近店の売り上げも減ってきてるし、変な問題抱えたくないんだけどなあ。嫁の出産も控えてるってのに、困ったもんだよ」


そういうと井上さんは、どこか疲れたように力なく笑った。


その二か月後、私は久し振りに井上さんに会うことができた。


「どうしたの、最近顔見せないじゃん」


「ああ、店のアルバイト店員が何人か辞めたりしてね。仕事が忙しかったんだよ」


「そう、どこも大変だねぇ。まあ、たまには息抜きもしないとさ、顔が疲れ切っちゃてるよ?」


「ああ、……悪いね。……前にひょっとこの顔の話したの、覚えてる?」


「え?ああ、覚えてるよ、小さいガキがからかってくるんでしょ?」


「それがさあ、最近子供だけじゃなくなってきたんだよ……」


つい先日、井上さんのコンビニに女子大生が面接に訪れたのだという。辞めた店員の穴を埋めるために、井上さんが募集をかけたのだ。


「お待ちしておりました。さ、どうぞ中に入って」


井上さんは女子大生をレジの奥にある狭い事務所に通した。


「失礼します」


女子大生は少し緊張しているような様子だったという。


「明るくて真面目そうな子だったから、簡単な質問幾つかして、受け答え出来たら採用するつもりだったんだよ」


その女子大生は受け答えも何ら問題はなく、井上さんは彼女に、すぐにでも仕事に出てもらう気でいたという。


「あの……、隣の人は誰ですか?」


突然女子大生が涙声で聞いてきた。視線を落としていた井上さんが、えっ?と顔を上げると、女子大生は目に涙を溜めながら、井上さんの顔とその左隣に、交互に目を配っていた。井上さんの隣にはもちろん誰もいない。


「結局その子は採用辞退しちゃってさ。最後に聞いたんだよ、何見たの?って」


あの時、井上さんの隣にはひょっとこみたいな顔をした男がいたという。腰をかがめ顔を乗り出し、彼女の顔をまじまじと見ていたというのだ。


「……最近、日を追うごとに店の売り上げも減ってるしさ、その女子大生の面接の後ぐらいから、万引きの被害も出始めたんだよ。変なもんまで住み着いてしまうし。どうしちゃったんだろうなあ、はじめの頃は順調だったのに……」


「まあ、経営に波は付きものだから。あんまり深く考えないほうがいいよ」


その後、再び井上さんは姿を見せなくなった。私が井上さんに会えたのは、それからさらに二か月後のことだった。


「久し振り。……疲れてるね」


「ああ、色々とね……」


あの後、井上さんの店の売り上げはさらに落ち始め、それに比例するように万引きの被害が大きくなり始めたという。


「アルバイトの子も次々と辞めていっちゃうしさ……」


井上さんはバックヤードに籠ることが多くなっていったという。


「そんなことしてたら、とうとう万引きの被害額が売り上げに迫ってきてね」


井上さんは、どうにか万引き被害を食い止めようと、防犯ビデオを繰り返し再生するのだが、どうしても犯人が分からなかったのだという。


「アルバイトの子に聞いてもさ、さあって視線を逸らすんだよ。俺は軽く人間不信みたいになっちゃってね。こいつらが盗んでるんだって思って」


井上さんはバックヤードの防犯カメラの映像に噛り付き、店員を監視していたのだという。


「犯行の現場を押さえてやろうと思ってね」


一日中モニターを見ていた井上さんは、ふと顔に違和感を感じたのだという。バックヤードには、店内に入る前に身だしなみを整えるための鏡がある。井上さんはその鏡に目をやった。


「……驚いたよ、口が横にひん向いてて、まるでひょっとこみたいになってたんだ。自分で意識してたわけじゃないのに」


しかし、驚いたのはそれだけではなかった。


「俺の周りにスナック菓子の袋だとか総菜のゴミなんかが散乱してんだよ。それもすごい量の。驚いてもう一回鏡を見てみたら、俺の口とか手が油まみれになってんの。もうパニックになってね」


井上さんはバックヤードを飛び出し、レジにいる店員に助けを求めたのだという。


「……そしたらさ、店員が三人居たんだけど、俺の顔見た途端、そいつらがひょっとこの顔しやがるんだよ」


それからの記憶が曖昧なのだという。気が付くと井上さんは、自宅マンションの前まで帰ってきていたという。


「家には普通に嫁がいてね。俺が帰ると、何事もなかったみたいに夕食の準備してくれたんだよ」


井上さんが職場であったことを話すと、働きすぎだと笑いながら慰めてくれた。


「俺の食事を並べた後、嫁は食器を洗い始めたんだよ。俺の後ろで。俺はとても飯食う気分じゃなくてね、嫁の方振り向いたんだよ」


奥さんの前には小さな窓があった。その窓には、食器を洗うひょっとこが映っていたという。


「お面を被ってるのかと思ったよ。ひょっとこのでっかい黒目が、鏡みたいになった窓越しに俺のこと見てたんだよ」


その翌日、井上さんの奥さんは流産したという。




現在、井上さんはかつての店舗を畳み、新たな地で再びコンビニを経営している。以前ほどではないが、店の売り上げも上がり、ようやく経営が軌道に乗り始めた、と井上さんは笑った。


「ただね……、最近、万引きの被害が目立つんだよ」




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