要が来た
それは四月下旬の日曜日の朝のことだった。
前日の寝不足を解消すべく、トマトジュースを飲んでから寝直した僕は、突然の「起きろー!」という声に飛び起きた。
部屋管理システムの完全管理で他人が入り込むはずのない部屋の中に、他人がいる。
それだけでも驚きで眠気が吹き飛ぶ思いだが、その他人がまたすごかった。
栗色のロングボブヘアにカチューシャをはめ、無邪気に得意げに見下ろしている少女。
例の次世代スーパーお嬢様、有久保要だ。
今日はドレスではなく、クリーム色のスカートにうす桃色のジャケット姿という、街中で見かける一般の小学生女子でも着ているような普通の服装ではある。
しかし、よくよく見れば仕立てがいちいち上品だ。
デザイナーによる一点ものかもしれない。
そして後ろには身長170センチくらいの、大柄な女性が従っている。
と、思ったがそれは間違いだった。
モスグリーンの少し変わったデザインの女物のパンツスーツに、つばのある帽子とサングラス。口元にはメタリックなマスクをつけ、もう春だというのに厚手のマントを羽織って、立ち姿に隙がない。
確かに女性に似たフォルムと存在感だが、それはロボットだった。
「な、なんなんですか!いったいこれは、どういうことです?」
「おはようございます、津都さん。お休みと聞いたので、遊びに来ました」
「あ、どうも。おはようございます」
いや、こちらの問いかけも都合も無視ですか?
僕はエリスに文句をつけた。
「エリス、どういうことだ?」
「ごく親しい方のご来訪でしたので、私の判断でお通ししました」
ごく親しい方、というのは家族などの本人の代理になれる人を指すはずだが、このお嬢様はいつそういう存在におなりになったのだろう。
「津都さん、お出かけしましょう」
お嬢様、デートのお誘いはもう少し駆け引きをしてからにされた方がよいですよ、じゃなくて。
「あの、朝ごはんがまだですし。着替えないといけないのですが」
「朝ごはんでしたら、アイナが作ってくれます」
「アイナです。よろしくお願いします。津都様、なににいたしましょう?」
紹介に預かったロボットが優雅にお辞儀をして、伺候してきた。
システムボイスではなく、人の話すような言葉をつかう。
しかし、聞いたことのない声だ。落ち着いていて品格すら感じられる低音なのに、若そうな女性の声。声優はだれだろう。
「じゃあ、いつもので。エリスに聞いてください」
「承りました」
そのまま台所、というか玄関のそば、へ向かう。
スーツ姿で料理するならエプロンを、と言いかけたが、ロボットだから油はねなどのミスは一切しないに違いないと思い返して、言葉を飲み込んだ。
かわりに、ニコニコとこちらを見ているお嬢様にお願いする。
「あの、お嬢様。着替えますので」
「はい。じゃあ、トイレに入ってます。それと、丁寧語やめてください。要って呼んでくださいね。じゃ」
なかなかむつかしい注文だ。
ともかく、日ごろトイレ掃除をきちんとする習慣があってよかった。
無地のTシャツと綿パンに着替え、リネンのシャツを羽織った。
着替え終わったところに、ロボットが料理をもって戻ってくる。
なかなかに手早い。
「要様」
ロボットが声をかけると水の流れる音がしてお嬢様が出てきた。
「はーい」
「手は洗いましたか?」
このロボット、お嬢様の保護者も兼ねているようだ。
「洗ったよ」
「では、津都様。要様に紅茶の用意をしても構いませんか?」
「あ、ええ。もちろん」
さらには優秀なメイド役でもある。
瞬く間に、テーブルの上に朝食の用意が出来上がった。
僕のほうには、スクランブルエッグに茹で野菜とトーストとコーヒー。お嬢様のほうには紅茶とスコーン。
僕のいつもの朝ご飯は目玉焼きに野菜炒めでトーストなのだが、エリスがちゃんと伝えなかったのだろうか。それとも、見た目を重視してアドリブをきかせたということなのか。AIの意思を忖度して悩むのも馬鹿らしいので深くは考えないことにしよう。
なんにしても、いい出来だ。盛りつけも満点だ。
しかし、どこからスコーンが出てきた?
「いただきます」
家にいるときのいつもの癖で手を合わせてしまった。
この「いただきます」は幼い頃に躾けられ、やらないと母に『やさしく』頭を撫でられたので、すっかり身についてしまっている。学校に行くようになったころから外ではしないように気をつけていたが、それでも何度かはついやってしまい、友人に笑われた。
はっとして見ると、お嬢様は一緒に手を合わせてくれていた。
意外といい子なのかもしれない。
僕らは微笑みを交わした。
では、いただこう。
まずコーヒーに口をつけた。いつものドリップパック製品なのに深みを感じる。
茹で野菜は、Aレンジで加熱しただけのはずなのに、しっとりとした甘みさえある味わいだ。スクランブルエッグは、ほぼ塩味だけなのに火加減と塩加減だけで絶品となっている。
「すごい!美味しいですよ、アイナさん」
「ありがとうございます」
アイナは如才なく頭を下げる。
「当然だよ。アイナはうちのスタッフが2週間つきっきりで指導したんだもの」
お嬢様は小学生にしてはちょっと気取ったふうに紅茶をたしなみながら、口を挟んできた。
どうやら付き添いのロボットが褒められたのを嬉しいと感じる一方で、癇に障ると感じた面もあったようだ。敬語を忘れている。
「調理に関しましては自動調理器具用料理データベースを参照させていただいておりますので」
アイナが落ち着いた注釈を入れる。
その様子は、まるで品のいいメイドが主人をフォローしつつ謙遜をしているようだ。
「しかしながら、申し訳ございません。野菜炒めと目玉焼きは材料と機材に合う適切なメニューを発見できませんで、エリス様の許可を得まして、材料に合って栄養素を最も活かせるメニューに変更させていただいております」
「いや、いい判断です。本当に美味しいですよ」
ピーマンとニンジンとキャベツで作る野菜炒めや、豚バラ肉を使った目玉焼きはやはり特殊なんだろうか。いや実は、どうやっても美味しくならないと遠回しに言われたのかもしれない。
それよりも、エリスだ。
また勝手に判断をしている。
もうだいぶ長いこと一緒にいるから、嗜好を完全に把握されてしまっているのは仕方ない。しかし、だからといって勝手に進めすぎだ。
もちろん、判断するというのはエリスたちフェアリーの基本機能ではある。
実のところ人間は、迅速で適正な判断ができないことが多い。だから、主人の代わりに適宜判断し、周囲とのコミュニケーションを適切に図ることで主人の権利と利益を守る、という設定がフェアリーたちの基盤AIであるスミレシキブの基本設計に組み込まれている。
この設定には倫理面や法律面、人道の立場からの異論も出された。
しかし、ウタヒメシステムの3千人評価にかけられて6割の賛成を得て導入が認められた。
認可に至った最大の要因は、フェアリーの基礎となっているムナカタギルド製人工知能「シキブ」シリーズへの信頼の厚さだと言われている。
アルテクリエに導入されて運営立てなおしの中心となったクレナイシキブや、ウタヒメシステムの基盤AIとして大きなトラブルを一度も起こさずに来ているユキノシキブが、数年にわたって積み上げてきた実績をもとに、国民の大多数から得た信頼である。
一方でその信頼に届かないからこそ、他社製の人工知能にはまだ、フェアリーへの搭載が許可されていない。
でも、このところのエリスの私への態度には何か行き過ぎたものを感じる。
食事の後、お嬢様にデートの行き先のリクエストを伺った。
「動物園がいい」と目を輝かせてお答えになる。
「少し歩いて構わないのでしたら井の頭自然文化園が最短となります」
エリスは私の質問にそんな返事を返した。
歩く?どういうことだろう。電車や地下鉄で行く前提なのか?
アイナさんは交通手段についてエリスにどう伝えているのだろう。
「あれ?お嬢様はここまで……」
「お嬢様じゃありません。要です!」
にらまれてしまった。結構気が強いようだ。
「すみません。要さんはここまでどうやって来たのです……、来たの?」
またにらまれたので、語尾を言い直す。
「電車と地下鉄とバスです」
そんなお嬢様らしからぬ手段で来たのだろうか。てっきり外に出たらあの怖そうな護衛がいて、狭い路地をCCRS9がふさいでいるのかと思っていたのだけれど。
しかし、バス停なんてこの近くにあったのか。
「もしかして、一人で?」
「はい」
お嬢様って一人では切符も買えないんじゃ、というのは偏見かもしれないが、よくご家族や周囲の人が許したものだ。
「大変でし……、だったんじゃない?」
「平気だよ。むつかしいことは全部アイナがやってくれるから」
敬語がすっかりとれた。敬語になっていたのは僕に合わせていたからなのかもしれない。
という考察は置いておいて、本当に一人で来たらしい。
確かに命さんも「私たちにも生活はある」と言っていた。そういうものなのだろうか。
ともかく出かけることにした。
洗い物は会話している間にアイナさんが片付けてくれた。
戸を開けて外に出ると、本当に誰もいない。手すりから下を見下ろしてもそれらしい人は見当たらない。
あの怖そうな人がいなくて一安心ではあるが、これはこれで不安だ。本当に大丈夫なんだろうか。
ちゃちなコンクリートの階段を下りて車一台がやっと通れるくらいの路地に出ると、とぼとぼと歩いていたお年寄りたちが一斉に無遠慮な視線を向けてきた。
当然だろう。
いかにも育ちのよさそうな見た目の要さんもだが、何よりアイナさんが目立ちすぎる。
そういえば、アイナさんについてあまり聞いていなかった。
「もしかしなくても、アイナさんってアイシリーズだよね」
「はい。私はアイシリーズ、タイプ7。生活支援型試作機です。ただし、要様専用としてのスペシャルパッケージとなっております」
要さんに話しかけたつもりだったが、答えたのはアイナさん自身だった。
あの試合から一月で、すでにアイシリーズは第七世代となり、特別仕様機が出るまでになっているのか。なんて開発スピードだ。
「要さん専用なんだね」
「そうよ。でも、今まではずっとうちのスタッフのところにいて、私のところに来たのは一昨日なの」
今度は要さんが答えてくれた。自慢するふうでもなく不満げでもなく、こういうことっていろいろとむつかしいのよね、と言いたげな思慮深い口ぶりだ。
「他にも『アイナ』がいるってこと?」
「そうだよ。あちらこちらで経験を積ませて、それを製品開発に活かす予定だから、私もいろんな経験をアイナにさせないと」
「お世話をかけます」
「いいのよ」
アイナさんが主人である要さんに頭を下げ、要さんがにこやかに手を振って応じる。その流れが実に自然だ。
もうこのまま製品出荷していいんじゃないかとも思う。
「今までのシリーズより体が大きいのはお手伝いが目的だから?」
「そればかりじゃないんだけど。稼働時間を伸ばすためもあるって聞いた」
そういえば、アイシーは連続稼働時間が1時間弱だと聞いている。大型化したのは電池を余分に積むためなのかもしれない。
「たしか吉武共電って独立系のベンチャーだったはずだけど……」
「もう!津都さんって、アイナの話ばっかり!」
「ご、ごめん。ほら、僕の専門がこっち方面だからさ」
まずい。怒らせてしまった。
要さんは僕の下手な言い訳を聞かずに、足を速めてどんどん先に行ってしまう。
その時だった。
わき道から男が飛び出してきた。ナイフを持っている。
男は要さんにとびかかろうとする。要さんは避けようと身をよじらせるがそれは体格差を考えれば意味のない動きだ。
アイナさんはいつの間にか要さんの数歩先に立っている。主人のほうを向いていない。
一方、僕は動けなかった。どう動けばいいのかもわからない。
しかし次の瞬間、男の足がもつれた。ふらふらとあらぬ方向によろめいていく。
手がけいれんし、ナイフを取り落とした。
表情は異様に歪んで、逆にどんな感情なのかの判断もつかない。
男は路地沿いのしみの浮いたアパートの壁にゆるやかにぶつかった。そうしてずり落ちるよう崩れ落ち、だらしなく仰向けに横たわった。
僕は要さんに駆け寄った。
「大丈夫?」
「平気だよ。少し驚いたけど」
確かに、サプライズパーティーを受けて少しおどろいた、といった程度の表情だ。
「もしかして、こういうことってよくあるの?」
「変な人が出てくるのはよくあるかな。いつもは、護衛の人がやっつけてくれるのよ」
さすがお嬢様。なかなかハードな生活を送っているらしい。
しかし、状況がつかめない。
「エリス、何が起きた?」
「BSWを検知しました。攻撃対象は3体です」
「BSWって、ブレイン・スタン・ウェーブのことか」
「はい。そうです」
脳のある場所を刺激すると相手の意識を喪失させることができ、それには特定の周波数の超音波でその場所を直に振動させるのが有効だという話を読んだことがある。
しかし、あくまでそれは噂とか都市伝説の類だと思っていた。
「BSWを検知って。エリス?」
「問題ありません。津都様に関しましては私がアンチBSWで防護しております」
「いや、そういう問題じゃない。なんでお前はそういう機能を積んでいるんだ?」
「仕様ですので」
仕様なのか?マニュアルにはそんな記載はなかった気がするんだが。
いや、そんな疑問は横に置こう。状況を把握しないと。
「発信源はどこだ?」
「アイナさんです」
僕ははっとして見上げた。
アイナさんはマントを広げて僕たち(正確には要さんと、ついでに僕を)をかばうように立っている。
要さん専用というのはそういうオプションが付加されているという意味だったのだろうか。この優美な機体に一体どれだけの機能が搭載されているのだろう。
アイナさんの後ろ姿を上から下まで見た僕は、足元に拳銃の弾のようなものが二つ転がっているのに気がついた。
狙撃もあったのか。ひょっとしたら刃物による襲撃はおとりだったのかもしれない。アイナさんはそれらすべてから、体を張って要さんを守ったわけだ。
そう、エリスはBSWの対象が3体だと言った。今頃は狙撃犯たちもどこかで意識を失っているに違いない。
「おい、兄ちゃん。どうした?」
まだ4月だというのにTシャツ姿の元気そうなお年寄りが声をかけてきた。
狭い路地に人が集まり始めていた。