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部屋着の平日

 照明が作る朝の光に目が覚めるとどうにも気分が重かった。

「おはようございます。お加減がよろしくないようですが、いかがですか?」

 エリスがささやきかける。

「のどが少し痛い」

「では、セットしてください」

 僕は肩パット状態のエリスを両肩の上に置いた。

「測定します」

 という言葉の後に、すぐに「測定完了しました」と続く。

 超音波と近赤外線のスキャンは数秒で終わる。

「上気道に炎症を認めます。他の臓器には異常がありません。いわゆる軽い風邪と考えてよいでしょう。インフルエンザの可能性は低く、他の疾患の可能性もほぼありません。もし他の疾患であったとしても、48時間程度はこのままで問題ありません。水分と栄養を取って外出せずに安静に過ごすことをおすすめします。最短で本日19時までの治癒、明日7時までの日常復帰が予想されます」

 エリスの診断は、疾患治療総合ガイドラインに基づいた公式医療診断アプリと同じアルゴリズムが使われている。

 異議をさしはさむ余地はない。でも、

「でも、今日は午前中が会社で、午後に大学の講義があるだろう」

「会社にはすでに休みを申請して許可を得ています」

 こういうところの仕事が早さもフェアリーたちの特徴だ。情緒的な部分が入らないので、もめるということがない。しかも、フェアリーの判断による休業は、これを理由として不利益な扱いをした場合にただちに労働法規違反となる。

 今年一月には、違法な労働行為が発生するとその場でフェアリーが労働監督局に証拠提出し、翌日には使用責任者に出頭命令が出るというシステムまで整備された。

 このあたりの変化には企業側はかなり苦慮しているらしい。しかし、法人税が公共インフラ利用料へと置き換わり、社会貢献によっては実質無料化できるようになって以降、海外からも進出する企業は増えている。

「代わりの出勤日は?」

「来週月曜日の午前中に設定しました」

 月曜日の午前はゆっくりしたくて空けていたんだけどな。

「午後の講義は聴きたいんだけど?」

「アバターとしての参加をお勧めします」

「わかった」

 こうして部屋着のままの平日が始まった。

 

 台所に立とうとするとエリスが「症状が悪化する恐れが」とうるさく言うので、レトルト食品で朝食をとる。

 食べているところで、ミーミから

「風邪だって?まったく夜遅くまでふらふらしているから」

 と母の声が飛んできた。

「関係ないって!」

 言い返すが母には通じない。

「周りに迷惑でしょ。エリスさん、馬鹿をよろしくね」

 僕の言葉を取り合うことすらせず、エリスに言い渡す。

「承りました」

 エリスが返答し終わるより前に、部屋を出て行く音がした。出勤していったようだ。

 いつも思うけれど、母親って、どこもこんなふうに理不尽なのだろうか。

 本当にため息しか出ない。


 食器を流しに片付けて、毛布にくるまって板敷きの床に座り、ベッドに背中をもたれる。もちろん床の下もウォーターシールドシートが入っているからほんのり暖かい。

 正確には赤外線領域共鳴導電素材の効果であって、擬液性音響干渉導管素材の効果ではないから、ウォーターシールドのおかげというのは変なのだけれど、それらをセットにした厚さ8ミリの保護空間構築型防災機能性建築用パネルの商品名が「ウォーターシールドシート」パネルというのだから仕方ない。

「エリス、テレビつけて」

「了解しました」

 モニターに朝の情報番組が映る。

 明らかに興味本位なレポーターの声が耳に飛び込んできた。民放ではないので抑えめではあるけれど、特定の想定視聴者に迎合したつくりだ。

 テーマは、「ソノ」の裏側、だった。

 このテーマならば、無理もないかもしれない。

 一部でかなり話題になっているらしい。


 女の園という言葉から生まれたソノは、女性だけで構成される数名から十数名くらいのグループだ。

 気の合う仲間同士が共同して助け合って暮らすという女性たちの集団であり、ウタヒメシステムが完成し、その果実として女性が男性に頼ることなく生涯設計をできる社会が現実のものになって以降、増加しているらしい。

 そこまでは問題ない。

 世間の注目を引いているのは、一部のソノにおいて夫役の男性を女性たちが共同で迎えることがあると噂されていることだ。

 「夢のハーレム」などと、おもしろおかしい見出しをつけた記事が配信されていたりする。


 あるソノの内部を映したという、なんの変哲もないマンションの一室の映像から画面が切り替わって、かかわりを持ったという20代男性のインタビューが流れ始めた。

 男性は「捨てられた」と主張しているが、話にはあいまいなところもあり混乱も見られる。

 まあ、一言で言って、くだらない。


「エリス、変えて」

「はい」

 一瞬、アルテクリエチャンネルのロゴが表示され、サッカーグラウンドが映った。

 指定しなくてもアルテクリエチャンネルに変えてくれるのは、こればかり見ているからだ。

 実際、五年前の全国同時開局以来、民放はこれしか見てない。

「この番組、何?」

「三月末の、アイシー対二又瀬西高校のサッカーの試合です」

 なるほど、黒いユニフォームのチームは全員がゴーグルマスクと呼ばれる特徴的な顔だ。

「最初から見れる?」

「もちろんです」

 僕が見たがるような番組は、たいていエリスがメアに指示して保存してくれている。

「じゃあ、それを観よう」

「了解しました」

 三月末の試合で、もちろん結果は知っているが、一度観ておきたいと思っていた大事な一戦だ。試合が前半で終わっているから、ちょうどいいだろう。


「さあ、ついにこの日が来ました。吉武共電工業株式会社製アイシリーズ第四世代型アイシー、初の団体スポーツチャレンジが始まります。本日の種目はサッカー。対戦相手に名乗りを上げたのは、この冬の高校サッカー選手権準優勝、福岡県代表の二又瀬西高等学校です」

 実況アナウンサーが興奮をあおる。

 ただ、この口上はちょっと違う。二又瀬西は自ら名乗りを上げたわけではない。吉武共電が学校に寄付金を出すというので仕方なく受けた、という事情が地元から聞こえている。

 アイシーはすでにこの一月前、卓球で元世界王者をフルセットの末に破っている。そのせいで、様々な競技でいろいろなチームに水面下で対戦をもちかけたものの、機械に負ける不名誉を恐れて断られ続けていたという噂だ。

「身長150センチ、体重47キロ。小柄で華奢に見えるこのボディに、現代科学の粋が込められています。第一世代型のアイがトラックを走ったのはわずかに6か月前でした。そして、アイシリーズの動力である、導電性有機伸縮素材ジークシートがムナカタギルドから発表されたのはさらにそのわずか3か月前です。ジークシートと人型骨格のデータを与えられたムナカタギルドが誇る人工知能サクラノシキブが仮想空間内で組み上げてしまった完全自立型ロボット。それを現実世界に実現した初代のアイは小学生よりも遅かった。しかし、二代目のアイズは高校平均より速くなり、上体を巧みに操る術を身に着けた第三世代のアイミは短距離と中距離の日本記録を次々と破ってしまいました。そして、皆様のご記憶にも新しい2月14日、この第四世代アイシーが卓球で中国の元世界王者を撃破したのです。まさにバレンタインデーの惨劇ともいえる衝撃でした。そしてご覧ください。いまピッチにはそのアイシーが十一体、ベンチにも三体です。

 本日の解説は元サッカー日本代表、森畑さんです。どうですか、森畑さん」

「いや、すごいですね。すべて試作機ということですが、これは量産化もすぐじゃないですか?」

「それが、すでに第五世代型のアイコと第六世代型のアイラの試作設計が始まっているんだそうです」

「もう次世代機ですか。それも二つも!すごいですねー!」

「アイコには水泳を、アイラには極低温や超高温の極限状況での活動を行わせるとのことで、ムナカタギルドからは未発表の新素材の提供も受けているということなんです」

「スーパーマンでも作るつもりなんですかねえ」

「吉武共電工業の担当者の方に伺った話では、災害救助や警備などでの活躍を目指して開発を進めているとのことで、アイラの次か、その次くらいからの市販を目指しているそうです」

「いや、もう十分市販できるんじゃないですか。この開発ペースだと、それでも、年末には販売開始のニュースが聞けそうで、楽しみですね」

 なんだか吉武共電工の宣伝番組みたいだ。

 ピッチには、両チームがそろった。

「試合開始が近づいてきました。コイン・トスが行われます。どう見ますか、この試合?」

「試合前のアイシーのデモではパスの正確さが目立ちましたから、二又瀬西はパスコースを作らないようにしたいですね」

「なるほど。二又瀬西が風上を選択しました。両チームがピッチに散ります。今、アイシーのキックオフです。右から左へ攻めるのがアイシー。左から右へ攻めるのが二又瀬西です」

 センターサークルのアイシーはいきなり速いパスを右サイドへ出した。それをサイドを駆け上がったアイシーが走りこんで受ける。

「いや、さすが。大きな体の動きなしに、あのロングパスとは。体幹の使い方がうまいですね。」

「さすが卓球で元世界王者を破っただけはある、ということですね」

「しかもそのパスにきちんと追いつくんですよねえ。受けたボールが脚から離れないバランスの良さも驚きです」

「アイシーは無線やレーザーなどで連絡を取り合うことを禁止されています。接触回線での通信しかできません。もちろん、スタッフやコントロールシステムからの指示も緊急時以外は禁止です」

「純粋にお互いの動きを予測して動いているということですね」

「ワールドカップをはじめとした、全選手の動きのデータがある試合をもとにルールと戦術を学習し、そこから割り出した役割別状況別に最適な各個体の動きを抽出したんだそうです。そして個別のAIでチームを組んで、さらに学習を進めてきた、とのことでした」

 ドリブルで攻め込んだアイシーだったが、パスコースがないまま囲まれ、ボールごとサイドラインを出てしまった。

「この試合では、アイシーは人間の半径50センチに入ることを原則禁止されています。ゴールキーパー以外は人間が近づくと避けなくてはなりません。また、アイシーから相手にわざとボールをぶつけるような行為も禁止です」

「人間の側がハンデをつけてもらっているような感じですね」

「そこはやはり、選手たちに万が一にでもケガをさせるわけには行かないということですね。さあ、二又瀬西5番赤沢のスローインです」

 次の瞬間だった。

 近くの味方にむけ、緩やかな軌道で放り込まれたボールに猛然と飛びつく影があった。

 今や百メートルを世界記録より速く走るアイシーの一機が自陣深くから駆け込んできたのだ。そのまま逆サイドにロングパスが通る。

 パスはノートラップでペナルティスポット付近に帰り、そこに立っていたアイシーの足元に収まった。

 キーパーが飛び出すものの、アイシーが軽く脚を振ると、ボールはゴール左隅にあっさりと吸い込まれた。

「ゴォォォォール!前半4分。アイシー、見事な連携!右サイドバックの3番がパスカットして左サイドの8番に高速ロングパス。8番からのダイレクトパスを中央で待っていた11番が落ち着いて決めました」

「まあ、ロボットですから落ち着いているのは当たり前なんですが。たったパス2本で見事に決めましたね」

「ディフェンス陣が全く対応できていませんでした」

「11番が完全にフリーになってましたね。しかし、どうなんでしょうか。アイシーは試合開始時には3-5-2になっていたんですが、すぐにシステムがなくなりましたからね。二又瀬西は守ろうにも相手がつかめなくて混乱していたんじゃないでしょうか」

「そうですね。先ほど私、3番を右サイドバックと申し上げましたけど、最初と変わらないポジションにいたのはキーパーのほかには、その3番と、ゴールを決めた11番くらいでしょうか。ほかの機体はピッチを自由に走り回っています」

「しかもお互いの距離が近くならないように気をつけていますよ」

「どういうことですか?」

「自分たちはパスで戦うしかないんだということですね。パスで戦うなら狭いところに何人もいるのは人数が無駄になるわけです」

「人数ではなくて、機体数ですけど。しかし、それも正確なパスがあればこそですね」

「ええ。速く正確なパスとボールをきちんと受ける技術、そしてスペースに走りこむ速さ。これだけのものをメンバー全員が備えているチームというのは。改めて考えてみると、すごいを通り越して、怖いですねえ」

「怖いですか」

「ええ、怖いです」

「二又瀬西のキックオフで試合再開です。二又瀬西は自陣にボールを回して慎重に様子を見ます」

「相手にボールを取られる危険性がわかりましたからね。相手の動きを確認するのと合わせて味方を落ち着かせようということでしょう」

 アイシー二体が前線でボールを追いかけるが、いくら100メートル8秒台で休みなく走れるといっても、全国準優勝チームのパス回しに追いつくことはできない。

 そんな中で自陣中盤で一人の選手がボールを受けると、敵陣へ向かってドリブルを始めた。

「さあ、ここで10番白石がドリブルを仕掛ける」

「白石君、決勝ではドリブルで3人を抜いてゴールを決めてますからね。注目ですよ」

「アイシーたちは接近が禁止されているので近づけないぞ」

 アイシーは進路上に立ちはだかろうとはするが、近づかれると避けるしかない。

「ペナルティーエリアが近づいてきた。これは止められないか」

 しかし、立ちはだかっていたアイシーが避ける間際に、小さく素早く脚を振った。

 ボールが選手の足元から消える。

「カットだ!白石のドリブルがわずかに大きくなったところ、ボールをカットした。すかさず前線へロングフィード!ディフェンスの後ろだ!オフサイドはない!」

「速いっ!」

「パスだぁ!ゴォォール!」

 ボールを取った時点では全機体が自陣にいたアイシーたちだが、ボールが味方の足元に収まったのを見た瞬間、三体が猛然と相手サイドへダッシュした。ディフェンスの後ろに出たボールはそのうちの左サイドを駆け上がった一体が受け、キーパーと一対一となったが、中央に走りこんで来たもう一体にパスつなぎ、その機体が無人のゴールにボールを蹴りこんだのだった。

「二点目です!前半まだ10分!2番がカットしたボールを6番がディフェンスの裏へ蹴って、受けた9番がキーパーが出たのを見て、中央の4番に戻して、4番がシュート。いや、ほんとにもう、役割というかシステムがよくわからないですね」

「全員がピッチ全体の状況を把握している感じですね。今だれがどこに行って何をするのが一番いいのかを全員が理解している、そんな気がします」

 ここからは一方的な試合になった。

 円陣を組んで考えを共有したアイシーが、何かを悟ったかのように、敵ボールを人数をかけて追う作戦に変えてきたのだった。

 休みなく俊足で走る機体に追われた選手たちはボールが脚につかなくなったりパスが甘くなってしまい、アイシーに次々とボールを奪われる。奪われたボールはすぐにゴールへと運ばれた。

 せめて一矢を報いようと、二又瀬西はドリブル中心に切り替え、さらにはドリブルする選手を左右から囲んで守る作戦で攻め込んだが、唯一接近禁止の例外であるキーパーを抜くことができない。

 そしてまたアイシーにボールがわたり、あっという間に点数が入る。

 40分の前半の残り10分間には、完全に足が止まった選手たちを尻目にアイシーたちが好き放題に走って、立て続けに6点が入った。

 小柄で愛らしいデザインのアイシーを「憎々しさすら感じる強さ」とアナウンサーに表現させるほどの圧倒ぶりだった。

 前半終了の笛が鳴った時、スコアボードには14対0の文字が刻まれていた。

 終了後すぐに、二又瀬西高校の監督からの申し入れが行われる。

 運営本部のテント前でしばらく協議が行われた末、試合の中止が決まった。

 これが、先月、世界で話題となった試合の一部始終だった。


 少し寝て、またレトルトの昼食をとった。

 13時半の少し前に、ミーミの前にテーブルと椅子を据えて、モードがアバターになっているのを確認する。

「接続してくれ」

「了解しました」

 講義室の全景が映った。左がわの後ろの壁に設定されたようだ。

 ということは。

「おっ、水谷。今日は犬で参加なのか」

 すぐ前の席に座っていた男がのぞき込んでくる。やっぱり吉野だ。

 同期では「一番変な奴」で通じる。

 こいつ、僕のアバターを覚えているのか。

「お前の後ろかあ」

「嫌そうにするなよ」

「お前がいるとせっかくの講義が台無しになる」

 こいつはなぜか講義中も動きがうるさい。ひどいときには話に集中できなくなるほどだ。

「ひどいこと言うなあ。風邪か?」

「そうだよ。講義中はこっちを向くなよ」

「向かねえよ」

 そこにチャイムが鳴り、ほぼ同時に講師が入ってきた。

 僕は吉野の妙な頭の動きに悩まされながら、共鳴電導素子の参照光による波長選択性についての講義を聴いた。


【更新履歴】

2019年8月12日「法人税の実質廃止・優遇付き定期寄付金制度施行以後」を「法人税が公共インフラ利用料へと置き換わり、社会貢献によっては実質無料化できるようになって以降、」に置き換え。

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