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実家のような部屋

 中野駅近くのホールでの上映会のあと、部屋近くの地下鉄の駅を出るともう夜十時をまわっていた。

 駅から十五分。細い路地を何度も曲がってたどり着いた三階建てのマンションは初めて見た時と変わらず周囲の三階建住宅に埋もれて存在感が薄い。

 角を曲がって建物が目に入ると、たどり着いた喜びのためではなく、「ちゃんとあった」と安堵するという意味での安心を覚えるほどだ。

 最近塗りなおしたらしい白い外壁によってもごまかせないほどに作りの安さがにじんでいる。こういう建物を、僕はここで出来た友人たちと「マンション風アパート」と呼んでいるが、それでも新世代改修は行われているので住み心地は悪くない。

 階段を上がって玄関前に立つと、エリスが部屋管理システムのメアと認証してドアが開錠する。

 同時に、ドア脇に置かれている宅配ボックスのふたがさっと開いた。

 その様子が昔やっていたゲームの宝箱のようでいつも笑ってしまう。

「スーパーに発注していた国産豚小間肉、ナス、キャベツ、ニンジン、米が届いています。野菜類は近県のもので、米は山形産です。それから、お母さまより煮物が届いています」

 エリスが受け入れデータを読み上げる。

 業者への配達指定時刻は夕方六時になっているし、宅配ボックスは保冷機能付きで六時間は安心ということになっているが、肉類を配達されるのはどうも割り切れない。

 しかし、引っ越しの際に一緒に上京してきた母が業者とそういう契約を結んでしまったので、状況を最大限に活かす主義のエリスは肉類が無くなったとみるや、僕の予定を勝手に検討して、勝手に発注してしまう。

 母もそこにさらに煮物を送ってくるなんて、どれだけ過保護なんだか。

 ドアの内側に目をやると、ボックスにチラシが数枚入っていた。

 大した情報量も訴求力もない紙のチラシを配るという営業手法がいまだに残っているのが不思議なのだが、まだこれが刺さる相手がいるのだろうか。


「津都、帰ったの?」

 靴を脱いで荷物を置くや否や、八畳の部屋に母の声が響く。

 通知機能などは設定していないのに、メアの点灯させた部屋のLEDの明かりが漏れてくるのに気づいたのか、部屋の物音に聞き耳を立てていたのか。

「帰ったよ」

 僕は観念して、ベット脇のミーミに触れた。

 姿見モードからドアが開くようなイメージが動いて、画面に母が映った。

 薄いピンクの春物のセーターと薄茶色の厚手のスカート。どちらも元ははっきりした色だったのかもしれないと思わせる微妙な色の薄さ。

 母のこの時期のいつもの格好だ。

「おかえり。遅かったね。何してたの?ご飯食べた?」

 いつも思うのだが、なんで一気にこれだけ話せるんだろう。

「今朝話しただろう。今日は上映会が」

「煮物届いたでしょ?」

 おまけにこちらの話を聞いてない。

「いまから温めて食べるよ」

「今からって。寝るのが遅くなるじゃないの」

「いいの!」

 ミーミは便利だが考え物だ。

 福岡の実家を隣の部屋のように感じられるのはいいけれど、四六時中こうでは一人暮らしをしている実感がない。

 母は言いたいことは言ったとばかりに、こちらに横顔をみせて食卓に向かって座った。書き物の途中だったようだ。

 周りに映る居間は、先月までそこに僕がいた時のまま乱雑だ。

 ショートヘアの頭を少しかしげて書類を書く等身大の母の映像を見ながら、僕は有久保のお嬢様二人を思い出してみた。

 この人とあの人たちが?

 どうも信じがたい。

「どうした?」

 急に、顔をこちらに向けた。

「いや、別に」

 少し躊躇したが、聞いてみることにした。

「母さん。今日、有久保命さんって人と街で会ったよ。要って女の子も。母さんのことを知ってたよ」

 母は振り向いて少し右の眉を上げた。嫌な話を聞いたという顔だ。

「あ、そう。あんまりあの人たちにはかかわりなさんな」

 やはり知り合いらしい。

「どうして?」

「なぜでも。第一、あなたには関係のない人よ」

 そうしてまた、書類に戻った。

 これ以上聞いても無駄だろう。

 僕はミーミに触れた。扉を閉まるイメージがうつる。

「あんまり夜更かししないのよ!」

 姿見モードになったミーミの向こうから母の声が飛んできた。

「わかってるよ!」

 僕は画面に映る自分の映像に向かって怒鳴り返してから、服を着替えた。


 冷蔵庫に冷やしておいた火の通った玉ねぎとニンジンを豚小間と小鍋に入れ、少し水を足す。そこに塩とオールスパイスを適当にふって下味をつけ、落し蓋をした。火は弱火だ。

 ご飯は炊けているし味噌汁は昨日のに火を通すだけでいい。

 小鍋の肉に火が通る間、Aレンジで蒸したものを冷凍しておいたカリフラワーを再びAレンジで解凍し、トマトとレタスと合わせてサラダにした。ドレッシング代わりにレモン果汁とシソ油をかける。

 Aレンジは電子レンジと出来ることがあまり変わらないのに高いと言う人がいるが、電子レンジよりきちんと熱がいきわたって静かだから、値段分のことはあると思う。

 僕は塩も砂糖もあまり使わない。料理をするようになったころからそうしてきた。

 素材の味が一番だと思う。

 肉が煮えてきたところで、醤油を少し入れてさらに煮る。

 そして電子レンジで母のタケノコの煮物を温めながら、食器を用意した。

「エリス、ニュースを映して」

「了解しました。あわせてミーミの音量を調整します」

 専用ハンガーにかかっているエリスからメアに指示が飛ぶ。録画していた夕方のニュースが窓際のモニターに映った。

 東欧の小さな国へのウタヒメシステムの納入が決まったというのがトップニュースだ。これで17ヶ国目だという。

 またアメリカやEUが文句を言ってくるのだろうかと思ったら案の定、アメリカの報道官による憂慮の念が伝えられる。

 小さな国の決定ではあるし、日本のような完全移行は予定もないという話なのだが、地理的な問題もあって国際社会への影響が大きいらしい。

 火を止めて食事を盛り付けた。

「いただきます」

 味はいつも通り。そして、母の煮物は味が濃い。

 大学の友人たちと味の話をしたときにある友人が面白いことを言っていた。

 親たちの年代はその親、つまり僕たちの祖父母の世代、が初めて工業的に量産された砂糖の恩恵を得たため、砂糖をふんだんに使う料理に慣らされて自分たちも砂糖をよく使う。砂糖を使うと合わせて醤油や塩などの塩分も多めに入れないと味が整わない。だから、親たち世代の料理は味が濃い。

 というのである。だったら、僕たちも濃い味好きになりそうなものだが、そうならなかったのは学校給食おかげだと、その友人は主張した。本当かよ、と僕らは笑ったが、まあ案外そんなものかも知れない。

 ニュースは沖縄からの米軍の撤退が予定通り夏までに完了するのにあたって、今後の沖縄振興はどうなるのかという企画ルポを流している。各ギルドからこれまでに上がっている政策で国民の評価上位5つはどれも振興予算を半額以下にするもので、ゼロとするという案も3位に食い込んでいるようだ。

 県の業界団体が代表団を作って陳情したのに対し、宰相府が政策決定はシステム上でなされることだからと相手にしなかった。そのことを、レポーターは少し憤慨したような口調で報告している。

 しかし、そこに腹を立てるのは考え方が古いとしか言いようがない。

 特定の個人に働きかけ情に訴えることで利益を誘導するという意味での政治は、もうこの国では過去のものだ。権限を持つ誰かではなく民意全体に向けて発信し過半数を納得させる、そういう政策提案をウタヒメシステム上で行うほかはない。

 今は、簡素で公正な透明度の高い世の中になってるのだから。


 朝町すずのライブビデオを流しながら食器を洗っていると、エリスのピンポイントボイスが耳に響いた。

「津都様、弟様です」

 手を拭いて、ミーミに触れると弟の世紀せいきが出た。

「津都君、ビデオの音デカ過ぎ。呼んでも聞こえないほどって、隣から苦情こないの?」

 僕は映像を一時停止するようエリスにジェスチャーしながら答える。

「この建物は新世代改修済みだから大丈夫だよ」

「ウォーターシールドシートってそんなにいいのかなあ。それと、すずさん好きだね」

 少し嫌味が入ってる。

「ほっとけよ」

「そのライブ、何年もの?」

「いいものは何回聞いてもいいんだよ」

「まあ、うちじゃ聞けないしね」

 今度はなんだか同情的だ。

 朝町すずはもとはあまりぱっとしない声優だったが、6年前の歌手デビュー後はそれなりに名前を知られるようになった。

 僕がファンになったのは5年位前だが、朝町すずの歌を再生すると母が「イライラするからやめて!」というので、基本的に家ではヘッドフォンで聴くしかない。もちろん、ミーミボックスなどという手段もあるが、それはお金とそれなりの広さの場所が必要だ。

 ついでに言えば、ウタヒメシステムが実家に入った時も母は、システムボイスをデフォルトの朝町すずによるシオリから、オプションだった岡垣まどかのヒカリへ変更してしまった。もう一人のデフォルトのフタバも「なんだか気に入らない」と巻き添えでお払い箱になっている。

「おまえ、こんな時間に帰ってきたのか?」

「うん。ちょっと忙しくってね」

「さすがムナカタギルドだな」

 世紀は三月に高校を卒業し、今月からムナカタギルドの補助研究員になっている。ギルド入会希望者には博士号を持った四十代までいるという競争率の高さだというのに、難なく審査に通ってしまった。

 優秀過ぎて兄としては少し複雑だ。

「いや、僕はまだ見学みたいなものなんだけど」

 制度上、補助研究員は給付金付き学生だから、それはそうだろう。

「で、何の用だ?」

 すごい話を聞かされると嫌なので、本題に入るよう促す。

「実は5月の連休なんだけど、そっちに行くことにしたから泊めてよ」

「何かあるのか?」

「それがさ。花崎菜々のライブに通ったんだよ」

「へえ、そりゃすごい」

 売れてなくて大きなライブもここ2年くらい開けない朝町さんとは対極的に、花崎菜々はかなりの売れっ子声優で忙しすぎるあまり、めったにライブを開かない。だから、ライブチケットの倍率はかなり高い。

 システムボイスのフタバを担当してから人気が急上昇したので、仕事のない朝町さんと比較して「ウタヒメ(勝ち)」とか「勝ちさん」とか呼ぶ人もいる。

 そういう界隈で朝町さんは「残念さん」と呼ばれるそうだ。

 このあたりの事情と母のことを合わせて、弟は朝町さんの件では僕に同情的だ。

 それが、少し腹が立つ。

 視線をさまよわせた僕はふと、僕は壁にかかったジャケットの形に気がついた。

「世紀。あのジャケット、フェアリー用じゃ?」

「あ、言わなかったっけ?昨日来たんだ。今朝から花崎さんの声でアテンドしてもらってるんだよ」

 弟は少し惚気るような声だ。我が弟ながら情けない。

 先の心配をあまりしない性格で貯金なんかはそんなに持っていなかったはずだから、前払いされた給付金全額をつぎ込んだのだろうか。困った奴だ。

 しかし、このフェアリーがこんな身近でまた売れるとは。遅まきながらでも、池浦共電導の株を買っておくべきだろうか。

 その前に、確認しておくことがある。

「フタバじゃなくて、花崎さんなんだな?」

 シオリやフタバといった、システムで利用しやすいような音素に区分された声で収録されたシステムボイスとは違って、本人の普段のままの声を再現するリアルボイス版が今年一月に発売されている。

 ウタヒメシステムが発売されてから数年の音声技術の向上が自然な発話を可能にしたのだ。ついでに言えば、年末には感情表現まで行う完全リアルボイスシリーズが出るという噂もある。

「そうだよ。システムボイスじゃ味気なくて」

 弟はあっさり肯定した。

 リアルボイスはドライバソフト込みで、確か4万円ちょっとくらいするはずだ。後先考えないにしても思い切りよすぎだろう。で、また余計なことを聞いてくる。

「津都君のフェアリー、エリスさんだっけ?なんでシオリのまま?」

「朝町さんはシステムボイスっぽい声の方がいいんだよ」

 というか、エリスが普通に朝町さんの声で話しかけてくるなんて、想像するだけで背中がむずむずする。

「そういうもの?」

「そうだよ」

「ふーん。まあいいや。じゃあ、5月3日はお願い」

「ああ、わかった」

 弟は手を振ってミーミの扉を閉めた。


 皿洗いに戻ろうとするとエリスの声がした。

「津都様、一次評価の依頼1件、二次評価の依頼3件が来週までです」

 エリスはいつも何かがひと段落した後のような、気持ちの空白をつく巧妙なタイミングでリマインドをかけてくる。

 一次評価とはシステムが18歳以上にランダムで割り当てる、一般にはレビューと言われる、作品などの投稿に対する評価のことで、二次評価とは15歳以上からランダムに割り当てられる、評価に対する評価、モデレートのことだ。エリスはこういうとき公式名称しか使わないので、たまに「ん?」と思ってしまう。

 レビュー依頼のほうは、山陰のある寺に伝わる屏風絵の歴史的価値を力説する投稿について評価するというもので、読んだ感じでは投稿者は学生のようだった。モデレート依頼の方はまだよく見てないが、マンガに2をつけたレビューと、詩に4をつけたレビュー、ある波動方程式の解の解説に1をつけたレビューの3つに対して、それぞれの投稿への評価が妥当かどうかを判定するというものだったはずだ。

「わかったよ。これが終わったら片づける」

「では、ご用意いたします」

 やれやれ、これで片づけるしかなくなった。

 もちろん、レビューやモデレートが締め切りまでに出来ず、資格停止になったり原稿を投稿できなくなったりすれば、困るのは僕である。原稿や作品を投稿できない状態が続けば国民給付金の停止までありうる。せっかく第一種資格まで得たのに。

 だから、文句を言うのは筋違いなのだが、人間である以上は文句も言いたくなる。

 僕はため息をつきながら水を止めて、皿を拭く作業に移った。


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