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お嬢様登場

 バス停で、大通りを行き交う車の流れを眺めながら待っていると、小竹さんが驚きの声を上げた。

「おい。CCRS9だ」

「CCRS9って、クラタの?」

「先月公道走行認可の下りたプロトタイプだよ」

 そのニュースは僕も詳細な解説をアルテクリエで読んだ。日本初の完全自律走行車だ。

 小竹さんの視線を追って板橋方面に目を凝らすと、記事で見た銀色の眼鏡ケースのような形の車体がこっちに来るのが見える。

「すごいなあ。こんなのに会えるなんてさすが、東京だ」

 僕の間の抜けた感想に、小竹さんが突っ込む。

「俺も初めてだよ。東京だからって何でもあると思うな」

「そうなのか?」

 CCRS9は運転席がない。だから、ほかの車と印象が違い過ぎて、一度見つけてしまうと見失うことがなかった。

「おい、変だ」

 小竹さんに言われるまでもない。

 車の流れを縫って、銀色の異形の存在はこちらへ近づいている。

 と、思う間に目の前に静かに停まった。

「どういうことだ?」

 小竹さんに聞かれても「わからないよ」としか言えない。

 両開きのドアの片方が開いた。

「やあ、はじめまして」

 黒スーツの中年男性が降りてきた。紳士的な笑顔を浮かべてはいるが、がっしりとした体格で左眼に黒い眼帯をしており、どう見ても普通の人には見えない。

「お二人とも、お乗りいただけますかな?」

 低音のよく通る声だ。

「いえ、あの」

「ぼ、僕たちは」

 断ろうとする。が、

「お嬢様がお待ちです」

 と言った右眼の凄味に思わずうなづいてしまった。

「は、はい」

「こちらです」

 案内されるままに、少し腰をかがめながら車内に入って、赤いソファーに腰を下ろす。

 こんなときこそフェアリーの出番だろうに、と思うがエリスは何も反応しない。

 通報くらいしてくれているといいが。

「および立ていたしまして、すみません」

 目の前には上品な薄緑のワンピースを着てつややかな黒髪を腰近くまで伸ばした若い女性が座っていた。

 歳は僕より少し上だろうか。言葉使いは丁寧だが、どことなく威圧感がある。

 その隣にちょこんと十歳くらいの女の子が座っていた。

 銀色のドレスをまとってカチューシャを栗色の髪にはめた少女は、何故だか僕をニコニコと見ている。

 眼帯の男が僕の横に乗り込むと、

「では、参ります。何かございましたらいつでもお申し付けください」

 と、丁寧なアナウンスが行われて車が動き出した。

 この声はたぶん有名声優の細木慶一だ。フェアリーなどには声を提供していないはずなのに。特注だろうか。

「申し遅れました。私は有久保命ありくぼみことです。この子は私のいとこの」

有久保要ありくぼかなめです」

「そしてこちらは、我が家の護衛頭の坂崎さかざきです」

「よろしくお見知りおきを」

 思いがけなくも丁寧で流れるような自己紹介だ。もちろん社会人見習いとしてはこちらも自己紹介をしなくてはならないが。

「あの、私は……」

「存じております。水谷津都さんと小竹由人さんですね」

 当然だろう。わざわざむこうから来たのだから、全てわかっているに違いない。

 しかし、どこかで聞き覚えのある名前だ。もしかして。

「あの、もしかして理事長先生では?」

 入学式での理事長の言葉は理事の人の代読だったが、有久保という響きが耳に残っていた。

「ええ、その通りです。私は、あなたが籍を置く名島工業大学を系列にもつ織幡学園の理事長を務めております」

 てらいのない声で、命さんは答えた。

「もしかして、うちの親会社の会長様で?」

 僕たちのやり取りを伺っていた小竹さんが恐る恐る尋ねる。

「LTWシステムツールでしたね。所属グループの持ち株会社筥松ホールディングスの会長も、確かに務めております。実務はほとんどCEOに任せており、私はお飾りですが」

 やはりあっさりと認める。

 しかしこっちとしてはもはや生きた心地がしない。とんでもない人に呼ばれてしまった。

「もしかして、このCCRS9は御社の?」

 声が震えそうだ。

「母の持ち株会社傘下筆頭の有久保銀行がクラタのメインバンクを務めておりまして、その伝手で制御ソフトウェアの開発をうちの系列で行っております。その関係から、公道での稼働試験を兼ねまして、半年間使わせていただいております」

 淀みのない答えだが、天下の大自動車メーカーを系列同然に扱うとは、呆れるほかはない。

「そうそう。小竹さんの籍を置く横浜科学未来大学ですが、私の姉の夫が理事長を務めております。よろしくお願いしますね」

 微笑みながら会釈をされて僕と小竹さんは大いに恐縮した。

 

「命ちゃん、脅かしてばかりじゃない」

 銀のドレスの少女が、驚異のご令嬢をきつくたしなめた。

「あ、ごめんなさい。要」

 命さんもこの少女に向けては、何かがほどけたように柔らかい表情になる。

 要という少女もやはり、この歳で何かの役にあったりするのだろうか。

「私、津都さんに会うの楽しみにしてたんだよ」

「え……」

 少女から思いがけない言葉が出て、もともと回っていなかった頭がさらに回らなくなった。

「要。そういう物言いは、はしたないですよ」

「だって……」

 意味あり気なお嬢様たちのやり取りのせいで、小竹さんが何か言いたそうな顔で僕を見るが、わけがわからないのは僕も同じだ。

「従妹が妙なことを申しましてすみません」

「あ、……いえ、その大丈夫です」

 命さんに笑顔でそんなことを言われても混乱が増すばかりだ。

 でも、隣でむくれる少女の幼さを可愛いと感じる余裕はあったりする。

「お二人はこれから中野に向かわれるそうですね。お送りしますので、しばらく私たちにお付き合いください」

「その、よく私たちを、ご存知ですね」

 ためらいながら尋ねてみる。

「福岡から水谷さんが上京なさると報告をうけてより、要が会わせろとうるさいものですから、皆様の予定を調査させていたのです。そうしましたら、本日我々が赤羽から帰る時間とちょうど重なるとわかりましたものですから、車を飛ばして来た次第です」

 いろいろと突っ込みどころの多い話だ。

「なぜ、僕のことを?」

「私の母のことをご存じないですか?お母さまの旧姓は佐竹ですよね」

 母のことを逆に尋ねられるとは思わなかった。

「はい。佐竹遂美さたけつぐみです」

「私の母、有久保独ありくぼひとりが高校時代に大変親しくさせていただいていたと聞いております」

「そ、……そうなんですか」

 聞いてない。確かに母は地元で割と名の知れた私学である明仙学園で中学高校生活を送ったらしい。しかし、こんな御大層な一家と親交があったとは初耳だ。

「遂美様は要の母とも大変縁の深い方と伺っております。要などはこのところずっと水谷さんの話題ばかりで、私も正直手を焼いておりました」

「命ちゃん!変なことばかりいわないで!」

 少女が強く抗議する。

「あ、ごめんなさい。でも、会いたがっていたのは確かでしょう?」

「そうだけど。言い方!」

「わかるけれど、大人はそういう風に言うものなのよ?」

 お嬢様と次世代のお嬢様の攻防を、僕は頭がくらくらしそうな思いで聞いた。

 僕の母は一体、何をしたというんだ?

 僕の物心つく前にすでに父はこの世になく、母は女手一人で僕と弟を育ててくれた。

 頼りの祖父母も母の姉も早々に亡くなって、母は孤立無援の状況にもなったという。

 しかし、不幸中の幸い、というべきか、父の死亡保険金で今の実家であるマンションの一室が手に入ったのと、母が事務員として勤める会社でずいぶんと頼りにされていて、かなり無理を聴いてもらえていたのでなんとかやってこれた。

 暑い日でも寒い日でも、「心配いらない。病気は私を避けて通るんだよ」と言って出社していた母の姿を思うと、このお嬢様たちと縁があるだなんてどうにも信じられない。


「すごいですよね。会社とか学園とかこの車とか、うちの母と結びつかないというか」

 無言でこちらを見る小竹さんの視線が痛くて、僕はとりとめのないことを口走っていた。

 少女がきょとんとした顔をする。

 しかし、命お嬢様は察してくれたようだ。

「母は何度かお母さまに助力を申し出たそうです。しかし受けてはいただけませんでした」

 少し、悲しそうに微笑む。

「それは、母が失礼なことを……」

「いいのです。有久保が財を得たのは第一次大戦のどさくさでした。そこから爵位を買ったり有力者を買収したり権力を使役したりと、あまり他人様に誇ることのできないやり方でここまで来ております。元々は室町時代初期に食い詰めて貴族の身分を捨てたほどの落ちぶれた家系で、今の身分は成り上がり以外の何物でもありません。軽微な助力であっても受け入れたくない、とおっしゃる方がおいでになるのも当然のことです」

 お嬢様にもいろいろと苦労があるらしいが、すごい家系だ。

「か、会長がそのようなことをおっしゃることなど」

 小竹さんがようやく会話に参加してきた。

「いえ、皆さんのご厚情あっての有久保家です。その御恩を仕事でお返しするのが流れをくむわたくしの務めと考えております」

「素晴らしいです。でも、会長がこのような街中まで車でおいでにならずとも」

 命さんの謙虚な言葉に、小竹さんがこれまでとはうってかわって積極的だ。

「私どもにも生活はございますので。それに、この車は荷重試験を兼ねていろいろと装備しておりますのでご心配には及びません。こちらの坂崎も元は傭兵部隊で鳴らし、拳銃で攻撃ヘリを落としたこともある剛の者なのですよ」

「そう、なんですか?」

 小竹さんが息をのむと、坂崎さんがニッと笑った。

「昔の話です。しかし、今でも若い者の十人や二十人には後れを取らんつもりです」

「すごい、ですね」

 絶句する僕たちに命さんは首を少し横に振って応じた。

「いえ、私たちはもうこの世界では古い人間です。これからは皆さんの時代だと存じております。この車が公道走行認可がたった5か月で下りたのも行政がウタヒメシステムへ変わり、相互政策評価による意思決定が行われるようになったからです。そして、それを支えるのが皆さんのような各クランに参加される人たちなのですから」

「いえ、まだ仮所属ですから」

 僕がはさむ言葉を命さんは押し切る。

「そうであればこそです。皆さんの教育にかかわるお仕事に携わっておりますことを、わたくしは大変栄誉なことだと感じております」

 華やかで丁寧で、しかし卑屈さなどは微塵もなく、堂々とした笑顔だった。


 ほどなく中野駅そばに車が停まり、僕と小竹さんは挨拶をして降りた。

 周囲には大勢の人がいたが特に騒ぎになることもなく、車は走り去る。

 東京というのはほんとうにわからないところだ。福岡であんな珍しい車が街中にいたら、ちょっとしたパニックになっている。

「玉の輿ってのもいいかもなあ」

 小竹さんの正直すぎるつぶやきに、僕は苦笑した。

「上映会の開演まで、あと42分です」

 エリスのピンポイントボイスが復活した。

「エリス。いままでなぜ停止状態になっていたんだ?」

「秘匿会談の申し入れが有久保家名義の署名付きで行われましたので停止を受け入れました」

 会話の秘密を守りたい場合、相手の意向と関係なく相手フェアリーへ停止を要求できる、という機能が存在する。ただし、この機能を行使できるのはごく限られた人だけだ。

「しかし、秘匿会談だからって、一言あっていいだろう。僕の身に何かあったらどうするんだ」

「問題ありません。坂崎様の心音と体温から敵対意思はないと判断しました」

 人工知能にしては僭越な判断だ。

 しかし、考えてみれば、エリスを開発販売しているのは筥松ホールディングス傘下の池浦共電導だ。

 ひょっとしたらお嬢様のフェアリーに特権キーコードでも割り当てられているのかもしれない。それでは何を言っても無駄というものだ。

 僕はそれ以上の追及をあきらめた。


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