細菌と兵器
「問題は、砂漠菌ね」
許斐さんの指摘に一気に空気が重くなる。
「金属類は全てダメでしたっけ」
小竹さんが頭をかいた。
「はい。樹脂コーティングするか、半日に一回程度、隅々までのお手入れをしないといけないのですが」
千川さんは実際に体験したようだ。
「運用面から見て、不可能に近いな」
すでに行政の現場を知る長崎さんがため息をつく。
「ええ」
千川さんもうなだれる。
「なんとか殺菌できないんですか?」
僕の問いに許斐さんが首を横に振った。
「簡単ではないわ。菌は粘液をつくりだしてその中で増えるけれど、これが紫外線や酸・アルカリに強いのよ。さらにその何割かは芽胞という状態で休眠していて、これを覆う殻が特殊なの。本体も熱に強くて氷点下25度から摂氏80度くらいまで耐えるけれど、芽胞なら120度でも平気よ」
「唯一の対策が、V3の入った油の塗布なんだよなあ」
小竹さんはまだ頭をかいている。
V3の正式名称はどこかで聞いたが、思い出せない。何かに由来する長い名前だったと思う。こういう時にエリスがいるとすぐに教えてもらえるのだが。
と思ったら、長崎さんが砂漠菌についての検索結果をテーブルに表示して、全員の手元に配布してくれた。
白い机の表面にいくつものA5サイズのウィンドウカードが浮かび上がり、トランプのように流れてきて整列する。
カードはそれぞれが、画像や文章、動画だ。
長崎さんは、検索情報の利用を解禁するつもりらしい。
このへんのさじ加減はコーディネーター次第だ。会議中は一切の外部情報の利用を禁止する、というギルドに行き当たることもある。
砂漠菌という名前をタップすると、解説文が浮き出た。
砂漠菌の正式名称はバチラス・ヒルカケニス。枯草菌に近いらしい。V3はバリンという化学物質に三つ含むことに由来する通称だった。
解説図によると、V3は砂漠菌の細胞膜を通過しやすく、細胞内に入るとエネルギー産生系の競合関係を狂わせて不要なタンパク質を大量生産してしまうため、砂漠菌はエネルギー不足と不要物の蓄積のせいでコロニーごと壊滅する。
ただし、V3は空気中の酸素に触れると直ちに酸化されて機能を失うので、油に混ぜて塗布しても効力が数十分しか持たない。
「変な菌だよな。砂漠でしか生きられないなんて」
「湿度が高くなると、他の微生物との生存競争に負けてしまうので、最適環境が乾燥地帯に限定されるのです。そういう意味では、私たちはその他の微生物に守られているといえます」
長崎さんのつぶやきに、許斐さんが冷静な解説を加えていく。
「金属があると爆発的に繁殖するというのがまた謎だよなあ」
「それは空気中の水分を取り込んで固定した保護粘液内部に共存する金属酸化菌の働きです。キレートクラスターとてして溶出させた金属を液胞に取り込んで酸化反応でエネルギーに変えるのですが、この時放出される代謝物を砂漠菌はエネルギー源にして増えるのです」
手元の画面が変化する。許斐さんの手元画面がそのままこちらにコピーされている。
「水分も空気中の水分だけじゃないよね。水和物やある種の化合物に含まれる水まで」
「そうですね。水分の確保はこちらも、共生関係にある脱酸素脱水菌の働きです。特定の炭化水素化合物では分子式中のH2Oの部分を引き抜いて分子構造を破壊するほどなので、かなり強力です」
「強力すぎるよ。厚さ5ミリの鋼板に一日で穴をあけるんだっけ?」
「一日ではなくて、気温四十度の条件下で十八時間弱です」
許斐さんは、AIがオートで検索して探してきただけの資料から的確に情報を見つけ出して表示する。
「なんでそんな共生関係が成立してるのかなあ。砂漠菌がまるで脱酸素脱水菌と金属酸化菌を飼っているみたいなものじゃないか。しかも、この図では芽胞の中にかばっているようにも見える」
長崎さんが指す顕微鏡写真では芽胞の殻に少し隙間があって、そこに金属酸化菌たちが割り込むようにしている。
「わかりません。でも、微生物の世界ではそれほど珍しいことでもないですよ」
「そういうものか?」
「確かに困った存在ではあるのですが、地雷の無効化などに役立ってはいます」
困惑する長崎さんに許斐さんは菌の有用性をアピールする。
実は脱酸素脱水菌がH2Oを引き抜いて分子構造を破壊するのは、主にTNT火薬などを代表とする炭化水素の硝酸化合物だ。強引にH二つとOを次々に引き抜いて、残りを二酸化炭素と酸化窒素に分解し、輸送タンパク質の働きで保護粘液表面まで運搬して外気に放出する。
砂漠菌たちは生育に太陽光や酸素が必要ではなく、地中でも他の微生物が邪魔しなければ繁殖する。このため、最初に確認された十年前からたった数年で、乾燥地帯に埋まる地雷や不発弾などのほとんどが分解されてしまった。
という解説記事も、図解入りで表示されている。
「でも、現地は大変なんですよ」
千川さんがいらだった声を上げた。本当に見た目と印象がちがう人だ。
「通常の工業製品が使えなくなったうえに、資源の採掘まで止まって、一気に貧しくなる国が続出しています。治安が良くなかった国はもちろん、それなりに良かった国でも治安悪化が目立ちます」
「それはここのメンバーは把握しているよ」
長崎さんがフォローしたが、小竹さんが迂闊な一言を放つ。
「でも、銃が使えないのに治安って悪化するもんなんですね」
千川さんのいら立ちがレベルが上がった。
「金属製の武器がなくなっても、暴れる人は弓矢とかこん棒で暴れるんです」
前近代的な武具を手に気勢を上げる群衆の様子が映し出された。
「国連が平和維持支援活動として現地の各政府にシールドバグを配っているのを知らないのか」
長崎さんがやんわりたしなめた。
途端に小竹さんの目が輝いた。シールドバグは得意分野らしい。
「ああ、それ。活躍してるって話、聞いてますよ。いいですよね。積載重量九十キロのクアッドコプターで、通常は5.5ミリ機銃を4門と22ミリ機関砲を1門装備で、連続飛行時間30分、地上固定後の連続稼働時間が15時間。地上設置状態では回転翼を収納し装甲を展開するので、交代や移動させながら運用すれば、遠隔で拠点制圧や監視防衛が可能。しかも安価で量産が容易。まさに新時代の戦術ユニットですよ」
手元には飛行するシールドバグの大群や、岩の上に六本の足を出して降り立ち全方位ににらみを利かせる様子、数台が連携して位置を変えながら歩兵集団を追い込んでいく演習の模様などが次々と表示される。数台のモニターに全周囲の中継画像とステータス画面を表示させて指示を出す小隊長たちと彼らが机を並べる大隊司令部の全体図という映像は最近公開されたドラマのものらしい。一方で、精密な自動射撃応答でシールドバグが対戦車ミサイルを撃ち落とすという機器メーカーによるデモ映像もある。
「ちっとも、よくないです」
千川さんが怖い顔をした。
「そんな機械に監視される人々の立場になってみてください」
街角に屹立するシールドバグから距離を置いて足早に歩く人々の画像が映し出される。
「でも、装甲のおかげで遠隔操作する兵士も落ち着いて対応するので、誤射などは少ないと聞いているけど」
「誤射がなくても、絶えず銃口がこちらを向いているんですよ。気持ちが落ち着くはずがないじゃないですか」
「あの?」
僕はおそるおそる割り込んでみた。
「なんでしょう?」
千川さんは、いい加減なことを言うと怒りますよ、という顔だ。
「砂漠菌がいるのに、なんでシールドバグは大丈夫なんですか?」
僕の単純すぎる質問に、なんだそんなことかという顔になる。
「それはですね。3時間で交代して基地に戻って整備をするんです。つまり一日8交代ですね。警備目的では、常時2台態勢が一般的なので、同じ機体が一日に2回出動するとして、1拠点で8台必要になります」
「大変な手間ですよね」
「それでも生身の兵士を貼り付けるより、よほど優秀で安価で安全だということで急速に普及してます」
「実は日本の国際貢献として、シールドバグの保守部隊を送ろうという話も出ているんだ」
長崎さんが、さすが現職という補足情報を足した。
会議はきっかり一時間で終了した。
いや、正確に言うなら、僕が遅刻したりしたので正味五〇分くらいだっただろうか。
インフラの整わない地域の生活環境の改善に資する製品を考案し安価に販売する案を作り上げることが、このギルドの目標に据えられた。
この方針は長崎さんによってシステムAIのチェックにかけられ、行政系クランが発行した人道援助についてのガイドラインに合致していることが確認された。
その上で、具体的な製品案と砂漠菌への対策法を次回までにそれぞれが検討してくることを、申し合わせた。