遅い昼食
「さてと、当の本人は何をしているんだか」
「ご覧になります?」
母の言葉に、フライパンをゆすっていた菅生さんが答えると、シンクの上の何もない空間に波紋が広がり、映像が現れた。
先ほど涼子さんがやってみせたのと同じだ。
「それって、水鏡」
思わぬ言葉が自分の口をついて出た。
水鏡?
そうだ。僕はこれを知っていた。
幼い頃に、何度も見ている。
「ええ、そうです。そういえば坊ちゃんは昔、水鏡が言えなくてミーミとおっしゃってましたね」
え、ミーミ?
確かにこれは、遠隔地を結ぶ映像通信システムのミーミに近い。
僕はダイニングの片隅に置かれているミーミを見た。
「まさか、ミーミの名付け親って僕?」
「ああ、そうね。独さんが面白い名前でちょうどいいからって採用したのよ」
母が気のない返事で、水鏡を指でつつく。
面白いってなんだよ。
独さんのセンスがよくわからない。
というか僕、知らないところで世間に影響を与えていた?
「ああ、出てきた」
その言葉に水鏡を見ると、花崎菜々と一緒に涼子さんがステージに登場して、曲が始まったところだった。
楽しげに歌う姿は、五十代にはもちろん見えないし、朝町さんの設定年齢の三十代にも見えない。
許斐さんの二十代前半の顔、そのものだ。
いくらリアルタイムで映像を改ざんできるといっても、さすがに水鏡の映像にまでは干渉できないらしい。
「命さんたちは?」
僕がいなくなって慌てていないだろうか。
「独さんの娘さんたち?どこにいるの」
母が、客席にカメラを振る。
「二階席だよ。あ、ええと。その右の、手前。そう、その辺」
二階二列目のその席には、命さんたちの姿はなかった。
一列目に陣取っていた坂崎さんの姿もない。
全体的に二階席は空席が目立つ。
考えてみれば、当然のことだ。
あれだけの大事件が起きたら、要職にある人たちはのんびり座ってなどいられないはずだ。
そんな中で、要さんと笠野さんは残ってペンライトを振っていた。
「あ、要さん」
「へえ。これがあの要ちゃんなのね」
「知ってるの?」
「有久保でいろいろあったって話を、聞いていたからね」
なんだ、それは。
母はどこまで要さんの話を知っているのだろう。
それを尋ねようとおもったところに、菅生さんの声が割ってはいった。
「はい。出来ました。どうぞ、お召し上がりください」
水鏡は消され、目の前に熱々の炒飯が置かれた。
いただきますをして、昼食をとり、お茶を飲む。
気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
自分では冷静なつもりでいたが、やはり相当混乱していたようだ。
テレビをつけると各局が報道特別番組で沖縄の事件を報じている。
ちなみに、前にも書いた気がするが、我が家は食事中はテレビNGだ。
食事中は会話も、母がいると、その食卓のことと自分の近況報告に限られる。
ニュース映像として流されるのは、あの一斉爆発のシーンの繰り返しが多かった。
合間に現地に入った記者たちのリポートが入る。
それによると、ちょうどさっきまで僕等がいた辺りが一番被害が大きかったらしい。
確かに、映像に映し出される建物のほとんどが穴だらけで、いくつかは完全に破壊されてしまっている。
街全体でも相当程度の住宅や施設に被害がみられる。
だが、死者は今のところ確認されていない。
それどころか怪我人も、軽い打撲程度しか報告されていないという。
行方不明者は五人いて、その人たちは当時プレジャーボートで沖に出ていたらしい。
こうした安否確認は、フェアリーなどのシステムのおかげで迅速に情報が収集されている。
アナウンサーは「人的被害の少なさが奇跡的だ」と繰り返していたが、母は首を横に振った。
「さすが、姉さんよね」
その声には、あきれと、どこか腹立ちのようなものも感じられる。
「どういうこと?」
僕の問いに母は菅生さんの方を見た。
「あなたたちの仕業よね?私にこの子のことを知らせてきたのもあなただったし」
「ええ、そうです」
菅生さんは軽くうなずく。
つまり?
「菅生さんは、人間じゃないのよ」
「はい。私は。もとはこのあたりをさまよっていた精霊でした。涼子様の言葉によれば、空間AIというものなのだそうです」
精霊?空間AI?
「涼子様のご指示であちらの人々を守ったのは私たち、つまり私のコピーです」
菅生さんのコピー?
その瞬間、アイシリーズの姿が思い浮んだ。
「ロボットとかアンドロイドなのですか?」
「ある意味では近いのですが。精霊をやっていたくらいですので、この空間に実体があるわけではないんです」
「え。でも、その姿」
「この姿は影です。実空間に投影した映像とでも言いましょうか。質量のある影とご理解ください」
なるほど、投影か!
恐らくは、別空間にもっと違う形で実体があり、それをこの空間に投射することで物理的な実体を得ている。
例えば影絵では、三次元空間で手をうまく組み合わせることでスクリーンという二次元平面に動物の姿を投影できる。
それに似た理屈だ。
こうした別空間からの投影について物理学の理論があることは知っていた。
しかし人類は、まだその別空間を観測することすら出来ていない。
相当なオーバーテクノロジーだ。
いや、まて。
ということは。
「涼子さんって、その別空間に行ったりしている?」
「行けるかは知らないけど、利用はしているわね」
母が、「お前という息子は、本当に変なことが気になるね」という顔で言う。
あきれるというより、うんざりという顔だ。
「ほら、ここに帰ってきたときの通路。あれもそれよ。一度行ったことがある場所なら、どこにでもつなげられるらしいわ。あと、この水鏡もね」
「水鏡は、私の本体がこの世界を観測するための機能に、外部からアクセスしているだけですけれど」
どうやら僕は生まれながらにオーバーテクノロジーのただ中にいたらしい。
テレビは国内外の反応も伝え始めた。
沿岸警備庁は、各地にいた民間船が一斉に不審な動きを始めたのをキャッチして対応しようとしたが、その一部に妨害されて動けなかったという。
防衛軍は、相手が民間船であり日本のプレジャーボートの存在も確認したため、攻撃に踏み切れなかったと釈明。
政府は、それらの民間船がすべて南岸連合国から来ていたとして、抗議と非難の声明を発表した。
一方、南岸連合国からは、まだ公式な反応はない。
専門家の解説によると、南岸連合国の富豪が島の一部をリゾート用地として購入したのが発端らしい。
僕は最近の忙しさでニュースを追えてなかったので知らなかったが、要約すると次の通りだ。
地元自治体の警告を無視して大きな桟橋や共同住宅の建設を始めるなど違法行為が相次いだため、今年の夏に警察の捜査が入った。
その際、警察の立ち入りを拒否するなど抵抗が激しかったため機動隊が動員される騒ぎにまで発展。
これに対して南岸連合国は「捜査は迫害である」として抗議し、向こうの国内では過激な世論が醸成されてきていた。
ただ、これらの動きには裏があって、南岸連合国としては、第一列島線に軍事拠点を作って対立を深めていた台湾を包囲することや、自国の漁船の中継港をつくること、周辺の海底資源の権益を獲得すること、といった狙いがあるらしい。
そして今回、性急な行動に出たのには、政策の失敗が続いた南岸連合国指導部が民衆の不満の目をそらそうと日本を敵視する宣伝をしてきたせいで、逆に過激な世論に押し負けたのが大きいらしい。
「また、やりすぎないといいけど」
母がため息をつくように言った。
「誰が?」
「姉さんよ。ちょいちょい、国を滅ぼしているからね」
物騒な話だ。
だが、涼子さんのオーバーテクノロジー振りを知ると、そんなことがあってもおかしくないとは思う。
そして、どうやら似たような力を母や、母の知人である有久保家の人たちも持っている。
そういえば何もないところから現れ、涼子さんに直に「やりすぎちゃ、だめ」と言った人もいた。
迦未子さんだ。
あの人は多分、要さんの遺伝上の母親である佐山迦未子さんだろう。
何なんだ、一体これは?
「あの、母さんも涼子さんも、どうなっているの?」
母はしばらく僕の顔を見て、答えた。
「そうね。もう、言うしかないか」
そして一呼吸おいて。
「姉さんと私は、1983年の6月19日。いや、正しくは6月20日か。この力をもらったわ」
「力?」
「私のは風の力で、姉さんのは水の力。もらったときの説明では、そうだった」
「水と風?誰に?」
「誰かといえば、ディオニュソスという神様だけど。あれは冠座の迷宮と呼ばれる装置の一部だったから、くれたのは迷宮そのもの、かな」
母は隣に立つ菅生さんの顔を見た。
「そうですね。本当に、あの迷宮からよく帰ってこられたものだと思います」
菅生さんは、しみじみとうなづいた。