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よみがえる記憶

「じゃあ、遂美つぐみ。やってもらうわよ」

 涼子さんは高圧的だ。

「私に人殺しをしろというんですか?」

「それは大丈夫」

 涼子さんはさっと左手を頭上にかざすと、人差し指を振った。

 途端に砲撃が少なくなっていき、すぐに静かになった。

 がれきの陰から顔を覗かせる人がちらほらと出てきた。

「姉さん、まさか……」

 言いかけた母は、僕に向き直って「この人、舞を舞った?」と厳しい顔で問う。

 舞?あの踊るような動きなら、確かにそうも見えた。

「あ、うん。多分」

「なんてことを!」

 青ざめる母に涼子さんは冷笑するかのように、すでに降ろしていた左手で何もない空間をつついた。

「見せてあげる」

 波紋のようなものが広がったかと思うと、映像が映る。

 まず映ったのは船の窓からの景色のようだ。

 陽光が眩しい窓の外、海面がゆらゆらと動く。

 そのままカメラが引いていき、室内が見えてくる。

 そこに動くものはなかった。

 服を着た白骨体が、床に数体転がっている。

 白骨体は何とも言えない色の液体にまみれていた。

 

「これは?」

 映像は次々に切り替わっていく。

 どこも白骨体ばかりだ。

「あれらの船のいる一帯の炭素の最外殻電子にちょっと干渉したわ。油脂が変質する程度にね」

 油脂?

 細胞やその構成物は、油脂などで出来た膜で区切られている。

 変質すれば、膜は維持できない。

 それに油脂が変質するくらいなら、タンパク質の立体構造などもおかしくなるはずだ。

 互いを結びつけることが出来ないだろう。

 つまり、生命活動は崩壊する。

 全ては分解し、中の液体があふれ、生命は失われる。

 液体には消化性のものもあるから、残った構造物も溶ける。

「その顔は、何が起きたかわかったという顔ね。さすが津都君、優秀だわ」

 そう僕をほめると、涼子さんは母に言った。

「遂美、やってくれるわね。ちょうど報道のヘリも来たわ、恐る恐るだけど」

 確かにヘリコプターの音がする。

 見渡すと、数機、かなり遠いところを飛んでいた。

「わかりました」

 母はため息まじりにそういうと、少し小高くなったところまで歩いて右手を水平に払った。

 海面を埋め尽くしていた船が一斉に、爆発した。

 そして、黒煙を上げて燃えはじめる。

 僕は呆然とするしかなかった。

 

「姉さんにも、できるはずですよね?」

 戻ってきた母は、無表情で尋ねた。

「特定の化合物だけへの強い物理的振動の同時発生って、意外と難しいのよね」

 涼子さんは軽い感じで否定する。

 その他人事のような物言いが、誰かを思い出させる。

「さて、と。私はステージに戻らなきゃだけど。君は続きを見る気はないわね?」

 涼子さんの言葉に僕は、ただ頷いた。

「はい……」

 その通りだ。それどころじゃない。

「じゃあ、遂美と宗像に戻っていて。後で会いに行ってあげる」

 涼子さんはにっこりと笑う。

 ついさっき、どれほどの命を奪ったかわからないのに、茶飲み話を切り上げるような物言いだ。

「姉さん。私、こんな大きなもの持っていけないわよ」

 意外にも、母も落ち着いていた。

 というか、息子を「こんなもの」扱いはどういうことか。

「あ、そうね。ちょっと待って」

 涼子さんがまた指を振った。

 横の空間に黒々とした穴が開き、その先に見慣れた景色が見えた。

 実家のマンションの玄関前だ。

「ここを通って帰って?」

 空間をつなげたということだろうか。

 そんなことが出来るものなのか?

 

 というか。

「あの、助けないと」

 僕は周りを指さした。

 駆け回る人、大声を出す人、泣き叫ぶ人。

 周囲は大混乱だ。

 ただ、例によって僕らのいる場所には誰も来ない。

 向こうからは認識することすら出来ないのだろう。

「大丈夫よ。陸地側では誰も死んでいないし、大したケガをした人もいないはずだから」

 涼子さんはそう言って僕を立たせた。

 僕を縛っていた透明な紐のようなものが消える。

「じゃあ、またね」

 僕は穴に押し込まれた。

 

 バランスを崩して、手をついたのは玄関の扉だった。

 振り向くと母が立っていて、通ってきた穴はもうない。

「何をしてるの?カギは持ってる?」

「いや」

 実家のカギなんて、部屋に置いている帰省用のバッグの中だ。

「じゃあ、どいて」

 鍵を取り出す母に場所を譲ろうとしたら、扉が開いた。

「坊ちゃん、奥様。お帰りなさいませ」

 割烹着姿の中年女性が顔をだす。

「ああ、菅生すがおさん。来てたのね」

「勝手に上がらせてもらっておりました。お茶の用意が出来ていますが」

「ごめんなさい。いろいろあって、お昼がまだだったのよ」

「わかりました。炒飯でもおつくりしましょうか?」

「ありがとう。お願いするわ」


 僕は玄関で、中に入っていく二人を呆然と見ていた。

 菅生さんって、誰だっけ。

 なんで家の中にいた?

 でも、疑問の一方で、懐かしさも感じている。

 昔、母が誰かと、こんなやり取りをしていたような気がする。

 短い廊下の向こう、ダイニングキッチンの入り口で母が振り返った。

「何をぼうっとしているの?早く来なさい」

 言われるままにダイニングに来ると、豚肉を刻みながら菅生さんがコロコロと笑っていた。

「坊ちゃんは、私を覚えてないですよね。涼子様が記憶をいじったから」

「ああ、そうよね」

 母が、そうだったという顔になる。

「こちらは菅生さん。お前は小学校卒業まで、お世話になったのよ」

「え?あの……」

「奥様、それじゃわからないですって。ほら、合い言葉があったでしょう」

「ああ。そうそう。ちょっと待って……」

 母はスマートフォンを取り出してメモを開いた。

 母は、フェアリーを使わずに、いまだスマートフォンを使っている。

「えーと、……ああ。『今日はお手伝いさんが来るよ』だったわ」

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 僕の脳裏を様々な情報が駆け巡った。

 

 それは、複雑な課題に四苦八苦しているときに、一つのアイディアですべてが繋がって解決策が見つかったような感じだ。

 推理小説を読んでいて、登場人物の一言で散りばめられていた謎のすべてがつながった瞬間にも似ている。

 

 目の前のこの人は、お手伝いさんの菅生さん。

 幼稚園や小学校から帰ってくると必ずいて、家事をしていた。

 夕方、6時過ぎに母が帰宅すると入れ替わりに帰っていく。

 すごく子供の扱いに慣れている人だった。

 当時、いたずら盛りの僕は何度かいたずらを仕掛けようとしてその度に完封されてしまった。

 いつしか僕は、わりと部屋で大人しく勉強する子供になったが、それはそのせいもあったようだ。

 そして同時に、涼子さんの記憶もよみがえった。

 本当にかすかな記憶ではある。

 幼稚園のころだろうか、何かの話をしてくれている姿だ。

「だから、お前はしっかりするのよ」

 言葉として思い出せるのは、最後のその一言だけだ。

 きつい目で言い聞かせてくる表情も思い出せる。

 その顔は今の許斐さんである涼子さんと同じだったが、年齢は今よりだいぶ上だと思う。

 

 いや、待て。

 あの『熾天使少女穂村ソラ』は、僕が中学2年生のときに放送されている。

 大学のころに入手した1話上映会の映像のなかの朝町すずの姿は、確かに二十代の女性だった。

 若返った?

 もちろん、リアルタイム映像すら改ざんできるというのだから、映像記録は改ざんされているかもしれない。

 でも、今の涼子さんも二十代前半に見える。

 本当の年齢は、といえば。

 母の姉だから、母より歳は上。

 有久保独さんたちと同学年だから、母の2歳上だ。

 母は今年四月に49歳になったから、51歳ということになる。

 さらにいえば、ソラの存在自体がおかしい。

 池のミミズク先生こと池浦瑞玖さんが母の友人で、ソラは先生の友人の姉がモデルだ。

 先生は、ソラは独さんや佐山迦未子さんの友人とも言っていた。

 一方で独さんたちにとって、母は友人の妹だ。

 総合すれば、涼子さんこそがソラだ。

 今日のことを考えれば、あのマンガは涼子さんにまつわる実話がもとになっていると考えていい。

 それを本人が演じたのか?

 若返って新人声優になりすまして?

 どういうことだ?

 

「ちょっと、津都。大丈夫なの?」

 いつの間にか僕は床に座り込んでしまっていた。

 母が僕の右肩をゆすっている。

「母さん。涼子さんって、……あの顔」

 僕の顔を覗き込んでいた母は、ため息をついて言った。

「ああ、姉さんの顔まで思い出したわけね。あの人、不老不死なのよ」

「不老不死?」

「まあ、本当に死なないのかはわからないけれど、歳はとらないわね。あの人、人間をやめてるから」

「でも、昔のほうが歳が上だったような」

「見た目の年齢を上げて行っては死んだことにして年齢を巻き戻し、別人になるのを繰り返してるのよ」

「そんなことが?」

「遺伝子発現をコントロールするとできるらしいわ」

 聞いたこともない技術だ。

 立ち上がった僕だったが、またしばらく立ち尽くした。


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