正体
こうしたイベントではよくあることだが、ステージ中央奥には大型スクリーンが設置され、出演者の様子が映し出されている。
遠い席からでもステージ上の表情が分かるようにという配慮だ。
僕も、基本的には直にステージを見つつ、時々スクリーンで確認していた。
ところが、何か違うのだ。
ステージとスクリーンの朝町さんが、同じに見えない。
よく似てはいるが、別人ではないかという気がする。
スクリーンに映る朝町さんは、これまでの見慣れた朝町さんだ。
今年32歳の、年相応にしては若く見える美しい女性。
普段はほわほわとした喋り方なのに、急に鋭い指摘をする。
でも、ステージにいる人は、似てはいるがどこか違う。
花崎さんとのデュエットソング、そのサビのロングトーンで上を向いた朝町さんの顔が、ちょうどこちらに向いた瞬間。
僕は、はっきりと確信した。
目だ。
穂村ソラを演じている映像でも感じることがなかった、強い意志の力を感じた。
一人一人の心を見透かすような、気迫のような力。
でも、本当に別人だろうか。
もしそうなら、直によく見えているはずの1階席前方の人たちや、何よりも共演者が騒ぐはずだ。
しかし何も起こらない。
混乱する僕をよそに演目は進む。
各ユニット曲の披露の合間に、ウタヒメシステムの源流となったムラサキシキブの開発リーダーからのビデオメッセージや、各シキブシステムAIからの「挑戦状」という名のミニクイズコーナー。
そして、17人全員での十周年記念曲の歌唱。
あ、言っておくと。
確かに、ウタヒメシステムは、クレナイシキブが管理するアルテクリエを改修し、開発された全世代対応階層型社会保障システムだ。
新たに用意されたAIのユキノシキブが管理を担当し、その音声インターフェースにウタヒメが採用された。
ウタヒメシステムの愛称は、この音声インターフェースからきている。
だから、ウタヒメシステムの源流がムラサキシキブだと言うと、「シキブシリーズだから」と思うかもしれない。
しかしそれは少し違う。
そもそもムラサキシキブは、第五世代コンピュータ・プロジェクト関係の取り組みの一つだったムラサキ・プロジェクトのリブートだ。
ムラサキ・プロジェクトは、「青の先の紫へ」を合言葉に、エキスパートシステムのための対話型AIを作ろうという試みだったが、御多分に漏れず失敗した。
その生き残りにムナカタギルドのAI研究グループだった「式部」が合流し、文書作成AIを作ろうとしたのがムラサキシキブ・プロジェクトだ。
紆余曲折あって、プロジェクトは途上で解散したが、一方はシキブシリーズへとつながり、もう一方は歌唱を主とするAIのウタヒメになった。
だから、ウタヒメシステムは、両方の意味で、ムラサキシキブ・プロジェクトを受け継ぐ、正当な後継だ。
ただ、いろいろ事情があるらしく、こうしたことが表立って話されることはあまりない。
前半が終わった。
休憩のアナウンスと同時に、要さんはドアの外へ飛び出していき、有久保姉妹はまた人々に囲まれる。
坂崎さんは姉妹の近くに立ってさりげなく辺りを警戒する。
僕は、ふらふらと通路に出た。
そんなことをしては危険かもしれない、と思わないではない。
でも、半年も、いや生の朝町すずさんを見る機会を探していたという意味では数年前から、ずっと楽しみにしていた今日だったのだ。
それなのに……。
僕は少し、やけになっていた。
人波に流されるように、階段を降りロビーにきた。
声高に感想を話す人、グッズを買う人、この後の予想を話す人。
ロビーの外にはコラボフードを売る屋台があって、そこまでは会場の内側の扱いとなっている。
休憩時間が長めなこともあり、買い求めて食べている人も多い。
外は良く晴れて、海は凪いでいる。
遠くを通り過ぎる遊覧船が気持ちよさそうだ。
まだ午後3時前。
声優イベントやライブとしてはスケジュールが早い。
役所や企業の偉い人たちが多く招待されている特殊なイベントだからかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えていた僕は、ふとロビーの奥に目をやって愕然とした。
この混雑するロビーに、なんと朝町さんがいた。
手にコラボフードのソフトクリームを持っている。
そばには要さんがぴったりとくっついていた。
何かを言い立てる要さんを、朝町さんは邪険にあしらう。
実に親しげだ。
しかし、誰も二人に気がつかない。
さっきまでステージの中央に立っていた人物がそこにいるというのに。
皆、そこに柵や機材でもあるかのように二人の周囲を綺麗によけて行き来している。
その半径2メートルほど、不思議な空間が出来ていた。
僕はその不思議な場所に向かって歩いた。
謎を解明したいとか、別人の正体を暴きたいとか、一言文句を言いたいとか、思わないでもない。
でも、僕は、実のところ。
ただ自然と、そこにいなければならないような気がして、引き寄せられていた。
人混みをかきわけ、やっとのことで二人のそばにたどり着くと、僕はその不思議なスポットに引き込まれた。
本当に、吸い込まれるように中に入っていた。
すぐ後ろで「え?」という声がして振り向くと、笠野さんが驚いた顔で見回している。
おそらく僕の後ろをついて歩いて、ずっと警護してくれていたのだろう。
でも、今は僕のことが見えていないようだ。
「やれやれ。お前は私が見えているわけね」
その声にはっとして向き直ると、朝町すずその人の顔が目の前に迫っていた。
いや、朝町すずによく似た誰かだ。
「ね、ママ。水谷さんは他の人とは違うでしょ?」
すずさんの後ろから顔を覗かせて、要さんがまたとんでもないことをいう。
ママ?
要さんの三人の母親の一人?
いや、それよりも僕はこの人をよく知っている。
それは。
どんなに変装しても、そして知り合いから「お前だったのか、気がつかなかった」と言われたとしても、親兄弟なら一目でわかってしまう。
あの感じだ。
このちょっと威圧感のある態度。
微妙に不機嫌そうな声音。
それでいてどこか優し気な笑みを浮かべた口元。
そして、あの強い意志を秘めた目。
口調も、いつだったか僕の腕をつかんでカフェに連行したときと同じ。
こんな人、一人しかいないだろう。
「もしかして、許斐さん?」
「そこまで見えているわけ?まいったわね」
偽朝町さんこと、許斐さんは頭を抱えた。
その後ろでニヤニヤと様子を見ていた要さんも、目を丸くする。
「すっご。今日のお化粧、完璧だったのに」
「化粧?」
「そうだよ。ママは、アンプから電子回路、大勢の人の視覚野までオーバーライドできるの。
でも、時々それが通用しない人がいるから、こういうイベントではお化粧もするのよ。
それを見破られるなんて初めて見た」
なんだ。何を言っている?
どういう意味だ?
「それは一体?」
「えっとね。つまり……」
「要、ちょっと静かにしてくれる?」
急に許斐さんの顔つきが険しくなった。
僕が口を開こうとするのも手で制する。
フェアリーから何か連絡を受けているようだ。
「……そんなこと、ありえない。……。……そうだとしても、早すぎる」
そんなことを呟いている。
それから顔に右手を置いて、中指で額をトントンと数回叩いた。
「迦未子?」
おもむろに、横の何もないところを向く。
「ん、行くの?」
呼びかけに応えて、白い着物姿の髪の長い女性がふっと現れた。
「ええ。守らないと。後をお願い」
「分かったわ。やりすぎちゃ、だめよ?」
「努力する。出番までには戻るわ。これはお前にあげる」
ソフトクリームを要さんに渡す。
そして許斐さんは僕に向き直った。
「お前にも、来てもらうわよ」
僕の腕をつかむ。
と思ったら、透明な紐のようなものが巻きついてきて縛り上げられた。
次の瞬間、僕は空中にいた。
空だ。
ステージ衣装姿の許斐さんに腕をつかまれ、空を飛んでいる。
横浜が、神奈川が、遥か下に遠ざかる。
でも、顔にぶつかる風もなく、気温の変化も感じない。
そのまま、超高速のエレベーターに乗ったかのように、日本列島全体が見わたせるところまで上昇した。
そして。
「あそこね」
許斐さんのその言葉に「どこ?」と問おうとしたときには、僕は強烈な日差しの下に放り出されていた。
雰囲気としては沖縄のどこかだ。
だが、分からない。
すっかり炎と黒煙に覆われている。
次々に飛んでくる何かで建物が破壊されていく。
砲撃だ。
エメラルドグリーンの海を覆いつくすように漁船のような見た目の船が集まっていて、そこから撃ち込まれている。
轟音の合間に悲鳴と叫び声が響く。
許斐さんは、僕を放り出すと海がよく見える場所に立って悠然と歩き始めた。
その動きは舞を舞うようだ。
すぐ近くで爆発が起きたが気にするふうもない。
というか、爆風のほうで許斐さんを大きくよけていく。
衣装も、そよ風すらないかのように、許斐さんの動きにあわせて揺れるだけだ。
これは一体何だ?この人は一体誰だ?
「来たわね」
許斐さんが空を見上げた。
すぐに風が巻いてパンプスがコンクリートを叩く音がする。
玉虫色を薄くしたような色合いのスーツ姿の小柄な女性が現れた。
母だ。
この服は、母が行事に出かけるときの定番。
そういえば今日は同窓会だと言っていた。
でも、なぜここに?どうやって?
「遅かったんじゃない?」
許斐さんの言葉に母が抗議する。
「姉さん、これはどういうことですか?」
また近くに着弾するが、爆風は母の手前で消滅した。
どういう物理現象だろう。
いや、それより「姉さん」って、それは許斐さんが僕の伯母ってことか?
衝撃の連続で、母と許斐さんの言い争いも頭に入ってこない。
「母さん。あの、この人は?」
母は許斐さんを睨みながら、顔をこちらに向けた。
「あなたの伯母の涼子」
すずさんであり、許斐さんである涼子さんは、僕に冷たく微笑んだ。
「そういえば、名乗ってなかったわね、津都君。私があなたの伯母だった佐竹涼子よ。お久しぶり。まあ、覚えてないかな」
祖父母の名前の隣にその名が刻まれた墓碑が、ふっと脳裏に浮かんだ。