打上げと恋愛感情
9月最後の木曜日。
ユースギルドの最終回は、この日、大崎駅のそばのカフェの個室で行われた。
第六回の会合の際に行ったプレゼンは、検討の結果差し戻された。
もっとも、これは予想されたことだ。
内容を一部修正して第八回の会合で再度提案し、採用となった。
その後は、細目を詰めたり、フィードバックをもらって検討をしたり、という会合が続いていた。
今日はすでに決めることもなく、許斐さんの報告を聞くだけとなっている。
前の週に冬越に出向いたとのことで、開発現場などを見せてもらったそうだ。
ギボクと名付けられたその試作品たちが十数本、砂地に立てられて枝を広げている映像もあった。
あの時のアイディアがもう形になっているのかと思うと、感慨深い。
そんな報告も20分ほどで終わり、会合はそのまま打上げになる。
といっても場所柄、酒ではなくカフェパーティーだ。
「皆、お疲れ様。この半年は本当に凄い半年だったと思う」
長崎さんの言葉に一同がうなずく。
濃密な半年だった。
そして、半年で僕たちの状況は大きく変わってしまった。
今日、この曜日この時間のこの場所というのも、全員が集まれるギリギリのタイミングを各自のフェアリーたちが探った結果だ。
それくらい、身の回りにいろんな変化が起こり、それぞれが忙しくなっている。
ちなみに、個室があるカフェというのは今回初めて知ったが、ここは許斐さんが良く利用している店だという。
有名人の御用達でもあるそうだ。
「いつまでも一般人のつもりじゃダメよ?」
などと許斐さんは言っていたが、窮屈な身の上になったと思う。
各自の近況の報告になった。
長崎さんは、来月からは国際関係の政府機関に所属するそうだ。
「それと」
少し照れくさそうに付け加える。
「子供が生まれた。男の子だ」
「おめでとうございます!」
皆が口々に祝福をする。
長崎さんは一時期はずっと暗い顔をしていたが、本当に良かった。
鏑木さんが少し前に「例の事件はひとまずクローズだ」と言っていたので、そのせいもあるだろう。
次は僕で、転職について改めて話すことになった。
「結局、ロボット用のセンサ開発部門の所属になりまして」
喜び勇んで配属先に向かうと、今後に必要とされる性能とその実現方法についてのアイディア出しを課された。
「どうやら、現状把握のために新人が必ずやること、らしいのですが」
「まあ、そうだろうな」
長崎さんが合いの手を入れてくれる。
「それでもう二ヶ月近く、アイデアを練り上げては没をくらうことを繰り返してます」
「大変ねえ」
千川さんがうなずく。
彼女は、だいぶ言葉が柔らかく、フレンドリーになったと思う。
「来月からは、大学のゼミが始まるので両立できるか不安です」
と笑いをとって、僕は話を終えた。
小竹さんは、なぜか、音楽関係の会社へ入社していた。
意外と音楽に本気だったらしい。
いや、よく知りもしないのに「意外と」なんて決めつけてしまうのは良くないか。
そして婚約していた。
「相手は、原さんと言いまして」
どうやら、あの第三回会合の日に見た二人のうちの髪の長いほうの女性らしい。
(そっか、あの強そうな向井さんに勝ったのかあの人)
などと、遠い目になってしまった。
千川さんは先月、政治系の有名ギルドの所属になっていた。
実際、今月初めのニュースでは、政策提言をするギルド代表の後ろに立つ一人として映っていた。
それなりの人数のいるギルドであの目立つ位置に立つというのは、早くも信頼を勝ち得た証だろうか。
千川さんは、その野望へとも言える望みに、着々と近づきつつあるように見える。
最後は許斐さんだったが、
「ごめんなさい。後があるから」と、手を振って店を出て行ってしまった。
こうして、最終回の会合はあっけなくお開きになった。
店を出ると笠野さんが、陰からふっと出てきて隣に張り付く。
「ガードします」
ここへ来るときにも着いてきてくれた。
7月に入ったあたりから、有久保の調査部門が不穏な情報を入手するたびに来てくれる。
長崎さんたちも、最初は驚いていたが、いまはすっかり慣れてしまっていて何も言わない。
格好は式典のときとは違って、質素と言ってしまってもいいほどカジュアルだ。
今日は、白のシャツブラウスにベージュのロングの巻きスカート。
大体いつもこうした格好だ。
ただ、この巻きスカートの中には様々な暗器が隠されている。
そして、巻きスカートの下は短パンだ。
実際に暗器を使う姿や巻きスカートを捨てて飛び蹴りを放つ場面を、見ているのだから確かだ。
何故笠野さんが担当になったのか、尋ねたことがある。
「坂崎さんとかじゃ、ないんですね」と。
その時の答えはこうだった。
「お嬢様のご指示です。お前なら水谷様とカップルみたいに見えるでしょう、とのことでした」
これにはちょっとモヤモヤした。
いや、笠野さんは綺麗な人で、不平を言うとばちがあたるくらいではある。
しかし。
「おや?ご不満ですか?」
笠野さんはそんな僕の様子を見て、ふふっと笑い。
「もしかしたら、私でも坂崎でもなく、お嬢様に直に来てほしいとかお考えですか?」
と、冷やかしてきた。
「そんなこと考えてないです。第一、住む世界が違いすぎます」
と強弁したが、あまり効果は期待できない。
「そういうことにしておきましょうか」
笠野さんはそんなことを言いながら笑い、その時はすっと左腕を振ったのだった。
右手は僕の左腕に添えたままだ。
十数メートル先で、こちらに近づいて来ていた男がぱたりと倒れた。
何かを投げたらしいが、全く見えなかった。
どこからか、黒服の集団が表れて、男は回収されていった。
「彼ら、ずっといたんですか?」
「ええ。もちろん、あの男にも気が付いていたでしょう」
「じゃあ、どうして笠野さんが動くまで捕まえなかったんですか?」
「何もしていない人間を倒していい資格は、坂崎や私しか持っていませんから」
なんだ、その資格は。
「詳しいことは秘密です」
万事がこの調子だ。
長崎さんたちと駅で分かれて、タクシーに乗る。
「ご報告があります」
笠野さんは、こちらに顔を向けることなく言った。
「何でしょうか?」
「白川様の結婚式は来年6月に決まったそうです。いずれ招待状が来るかと思います」
「そう、ですか……」
呆然とするというか、釈然としないというか、複雑極まりない気分だ。
この話を初めて聞いたのは、夏に帰省した際の夕食のときだ。
弟が思い出したように言った。
「兄さんの同級生に白川さんっていたよね。僕の友達の村田が今度、彼女と結婚するというんだ。急な話でびっくりしたよ」
仮にも僕を罠にかけてまで付き合おうとした人が、3ヶ月足らずでどういうことだ?
このとき僕は全く状況が呑み込めず、動きが止まっていたらしい。
その結果。
「え、兄さん。好きだった、とか?」
弟にも母にも、大いに心配された。
違う、と言ってもこの手の話は、もう額面通りには受け取ってはもらえない。
そんなわけで、今年の夏休みは妙に気疲れするものになった。
ただ、そのおかげか、休み中、母からお小言をもらうことは少なかった。
そんなこともあって、笠野さんには何かわかったら教えてくださいと、個人的に頼んでいた。
笠野さんも福岡出身で、地元に友人が多いと聞いていたからだ。
「しかし、よくそこまでわかりましたね。有久保の情報網は使ってないのでしょう?」
「ご存知ないのですか?福岡の女には、県内全域を覆う広く浅いネットワークがあるのです」
「知りませんでした」
「冗談です」
してやったりという顔で僕を見る。
「でも、『知り合いの知り合いは貴方の知り合い』という関係性が安全を保障してくれるのは確かです。
誰かが悪意を抱いても『この人は誰々の係累だから、何かあればすぐに自分の周辺にも知れ渡る』と思えば何も出来ないでしょう」
騙されて腹が立つが、どこか真実味のある話だとも思う。
子どもの頃、母親同士の会話で、遠い地区の事件の噂話なのに変に詳しいと思ったことが何度かある。
「それで白川様ですが」
笠野さんが話を戻す。
「五月の連休にご友人と旅行に行く予定だったそうです。これはご友人から直に確認が取れています。
それが直前にキャンセルされ、連絡も取れなくなったそうです。
心配していたところ、五月半ばに突然本人から相談の電話がきたとのことでした」
「相談ですか?」
「はい。それが弟様のご友人である村田様と付き合いはじめたが、どう振舞えばいいかという相談だったそうです」
わけがわからない。
「五月の件がありますので私も変だと思いまして、『そんなに惚れっぽい方なんですか』とお伺いしました」
「それで?」
「白川様のご様子は『初めて見る浮かれようでした』とのことでした」
白川さんが浮かれている?
「僕には、浮かれている白川さん自体が想像できませんが」
「そのようですね。同級生など複数の方に伺いましたが、どなたも『あんな彼女を初めて見た』とおっしゃいます」
「何があったのでしょう?」
「出合いそのものは、ありがちで簡単なものです。
連休最終日の夕方、博多駅近くの路地裏でうずくまっていた白川様に、通りがかった村田様が声をかけたそうです。
白川様にも弟がいらっしゃって、村田様とは中学時代が同級。白川様とも面識があったとか。
村田様は、疲れた様子でよくわからないことを言う白川様を心配し、お世話をして、最終的にはご自宅まで送ったそうです。
それで、翌日になって白川様が『運命を感じた』と言い出したとか」
まさにあの日に出合いが起こっていたわけだ。
しかし。
「一体、なぜ……」
「ええ、変な話です。まずは白川様が何故その場にいたのか。現在、そのあたりの事情から調べております」
7階建てのマンションの前でタクシーは停まった。
先月、命お嬢様の紹介で引っ越してきたセキュリティに強いマンションだ。
降りると、笠野さんもついてきた。
「彼女役ですので、部屋までお供しますね」
いつもはそんなことしないですよね?
たしか。
「笠野さん。彼氏さんがいるんじゃ?」
「大丈夫。今はお仕置き中です」
ちっとも大丈夫じゃないが。
当然、エレベーターも二人きりなので、黙ってしまうと気まずい。
「彼氏さんは一体何を?」
「いつものことです」
「どんな方なんですか?」
「本当に、馬鹿でスケベで、気の利かない頼りない人です」
ひどい言いようだ。
でも、なんだろう。
まるで、ペットの駄目さ加減を話しているようでもある。
部屋のある5階に着いてドアの開いた瞬間、目の前から笠野さんが消えた。
と思ったら、僕の部屋の前に見知らぬ女性が倒れていた。
笠野さんが慣れた様子で、意識を失った女性を縛り上げていく。
「情報通りです。しかし、この建物の中にまで入り込むとは。手引きしたものがいるかもしれません」
その後、念のためにと僕の部屋の中を確認してくれた。
帰り際、笠野さんは何か思い出したようにクスリと笑って言った。
「縁というのは不思議なものです。水谷様にもいいことがことがあるかもしれませんよ」
「それは、どういう?」
「では、失礼いたしました」
笠野さんは、僕の質問に応えることなく、意識のない女性を肩に担いで立ち去った。