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モデル

「そうなんだ。アニメも観てくれていたのね」

 サイン本となった初版本をビニール袋に包んで膝におき、僕は姿勢を正して「池のミミズク」先生と向き合っていた。

 せっかく笠野さんが持って来てくれたホットサンドイッチにも手がつかない。

 というか、笠野さんにちゃんとお礼をいえたのかも覚えてない。

「お母さまと一緒にご覧になったの?」

「いえ、母は全く」

「そっか。遂美つぐみちゃんはまだ許してくれないか」

 許す?

 なんだろう。

 そういえば、母は僕の本棚で『穂村ソラ』の本をみつけて変な顔をしていたが、何も言わなかった。

 長年の友人のようだし、作品を知らなくても、おそらくは絵柄を見れば友人の作品と分かっただろうに。

「母となにかあったんですか?」

「そうね。あなたの弟さんが生まれたころにね。……でも、それはお母さまから直に聞いたほうがいいわ」

 池浦さんはそれ以上は語ってくれそうにない。

 沈黙が数秒続いた。

「あの、穂村ソラってモデルはいるんですか?」

 とっさに口をついて出た。

 何よりもこの作品について聞きたかったことである。

 ミミズク先生は少し首をかしげてから微笑んだ。

「そうね。時間もあることだし昔話に付き合ってもらおうかしら。長くなるから、それを食べながら聞いてね」

 促されて、僕はようやくカフェラテに口をつけた。

 

「その人と最初に会ったのは、高校に入学してすぐだったわ。

 私ね、いまはこんなおばさんだけど、当時は大人しくて可愛い女の子だったのよ?」

 といたずらっぽく笑う。

「でも、痴漢に遭いやすくてね。

 その日も、朝の混雑する電車のなかでお尻に手が伸びてきたの。

 ショックで、『入学早々にまた』と凄く嫌な気分になったわ。

 けれど、急にそれがなくなって、同時に男性の、悲鳴のような唸り声がしたの。

 それで、パッと後ろを振り向くと満員電車のはずなのに空間ができていた。

 あれって、不思議よね。

 満員のはずなのに、どこにそんな隙間があったのかといつも思うわ。

 あ、それでね。

 その空間の真ん中に、ヨレヨレのスーツ姿の男性が右腕を抑えてうずくまっていたの。

 近くには同じ高校の制服を着た、背が高くて長く艶のある黒髪の冷たい目をした女性が立っていた。

 電車が駅に着くと、その人はホームに男性を蹴り落としてね。

 『私の後輩に汚い手で触るんじゃない』と低い声で言って、そのまま行ってしまったわ。

 それが、その人。

 ソラのモデルになった人なのよ」

「あの。それって、第一話の……」

「そう。あのマンガの冒頭3ページはまるまる私の体験ってわけ」

 なんと。

 穂村ソラのモデルは実在の人物だった。

 ……いや、まて。

 新入生の池浦さんを助けた手段は何だ?

 マンガでは、天使としての力で腕の骨を破壊したらしいことが次の話で暗示される。

 まさか現実に……。

 僕の疑問をよそに、池浦さんの思い出話は続く。

 

「その先輩に私は憧れてね。

 いろいろと情報を集め始めたのだけど。

 先輩は。ああ、ここではソラ先輩と呼ぶことにするわね。

 そのソラ先輩は、佐山さんや有久保さんという雲の上の世界の人たちといつも一緒で、なかなか近づけなかったのよ。

 ソラ先輩は普通のお家の人だけど、あの二人はお嬢様で、周囲のガードがすごかったから。

 でも、幸運なことに、同じクラスにソラ先輩の妹さんがいてね。

 それで、妹さん経由でお話できるようになったわ」

「あの、ソラ先輩も電車通学ですよね。車内で話しかければ良かったのでは?」

「それが、ほとんど登下校時に見かけないのよ。妹さんに尋ねたんだけど『姉さんはワープするから』って笑ってたわ」

 なんだ……、それ。

 そういえば、ソラは空間にゲートを作って移動してた。

 いや、それはマンガだからで……。


「ソラ先輩って、話してみると、気さくで優しく思いやりがあってね。

 思慮深い落ち着いた話し方をする人だったわ。

 やっぱり、ちょっと怖い顔をすることもあるけどね。

 お嬢様方にも紹介してもらって、すっかりお友達になったの。

 そのおかげで、今もこんな場に呼んでもらえてるってわけ」

「ソラ先輩は、なぜお嬢様たちとそんなに親しかったんですか?」

「そこ、疑問に思うわよね。

 私もきいたけど、お嬢様方は『彼女は盟友』と言っていた。

 で、ソラ先輩は『あの二人は戦友よ』と言っていたわ」

「戦友……」

「確かに、共に何かと戦っているふうではあったわ。

 そうね。例えば。

 体育祭の準備のころだったと思うけど、学校からの帰りに別の友達と小倉駅のほうに寄り道したのね。

 その子が彼氏にプレゼントを買うっていうから、つきあったんだけど。

 ところが途中の路地で、ガラの悪い連中十人くらいに囲まれて、古い倉庫のような場所に連れ込まれたの。

 あの当時の北九州は治安が悪い街でね。

 気を付けてはいたんだけど、ちょっと近道をしようとしたのが間違いだったわ。

 その連中はどうやら、友達の彼氏さんとトラブルを起こしていたのね。

 私たち女の子二人にナイフを突き付けながら、

 下っ端に『あいつを呼んで来い。ボロボロになったこいつらの哀れな姿を見せつけてやる』とか言うの。

 私は人生が終わったと思ったわ。

 ところが、突然その場にソラ先輩と有久保さんが現れたの。

 本当に、突然私の傍に立っていたのよ。

 男たちは『なんだてめえは!』とか口々に叫んだけど、次の瞬間、全員が糸が切れた人形のように崩れ落ちたわ。

 ソラ先輩が『ちょっと寝ていて』と言った後に私は気を失って、次に目を開けたら学校の談話室のソファよ。

 時計を見たらまだ私たちが攫われてから30分も経ってなくて、何が起きたのか全くわからなかったわ。

 先輩たちに尋ねても、『もう決して、連中があなたたちの前に現れることないから安心していいわ』としか教えてくれなくて。

 実際、二度とその連中を見ることはなかったけれど。

 あれは、本当に驚いたわねえ」

 驚くのはこっちです!

 それ、単行本第三巻に載っているエピソード、そのままじゃないですか!

 アニメでは怯える少女たちの作画に変に力が入っていたせいで、今でも二次創作を見かけるあのシーン。

 あの話、創作じゃなかったんだ……。

「その時に、佐山さんが『やりすぎないようにお願いしたと思いますけど?』とちょっと怒りを込めた感じに言っていて。

 ソラ先輩が、『でも、お望みの結果になったわよね?』と小さく笑ったのね。

 それで、『ああ、この二人は本当に戦友なのかも』って、思ったわ。

 わかるかな?」

「あ、はい」

 いや、もう『戦友』かどうかより、池浦さんが気を失っていた間に起こったことが気になります。

 マンガではこの場面、この作品唯一の見開きで、男たちを業火で焼き殺してましたよね。

 アニメでは金縛りにした上で一人づつ額を指でついて霧のように蒸発させていたじゃないですか。

 そもそも原作は、この話までは怪奇系学園少女マンガ風でソラの力は匂わせるだけだったのに、ここで初めてその圧倒的な力を正面から描写し、以降は穂村ソラによる世直し物語へと変わっていくんです。

 重要な転換点ですよ。

 と言ったところで、当の池のミミズク先生自身が現場を見てないのでは仕方ない。

 あの成敗のシーンは流石に創作だったわけだ。

 

 ちなみに、アニメでは三話でこのシーンをやったので、ネットではもう少し溜めてからのほうが良かったという意見もあった。

 僕はアニメから入ったから、あれで良かったと思うが、確かに溜めたほうが作品としての面白さは増したかもしれない。

 

 ところで、もう一つ気になることが……。

「あの、有久保……有久保独さんも、先生を助けにきたんですか?」

「え?ああ。この話、マンガでは登場するのはソラだけだものね。

 そう。実は有久保さんも結構すごい人で……」

 その先は聞けなかった。

「そこまでにしてもらうわ」

 噂をすれば影。

 有久保独さん、ご本人が池浦さんの喉元に万年筆を突き付けたからだ。

 といっても、キャップはついたままなので危なくはない。

 

「え、いつの間に?」

 僕は扉のほうを振り返った。

 十メートルちかく離れた扉の前では、淡い赤のドレス姿の命さんが頭を抱えるようにしていた。

 途中に立っている笠野さんが、口元を抑えて目を見開いている。

 衝撃を受けたという顔つきだ。

 

 位置関係を説明すると、僕は扉に背を向けていたが池浦さんは扉の方を向いて座っていた。

 池浦さんは、独さんが部屋に入ってきたのも見えていたはずである。

 それなのに、独さんは池浦さんが反応するより早く、近づいて言葉を封じた。

 そんなこと、可能なのか?

 目の前の独さんは、息も髪も乱してなければ、紫色の光沢のある鼠色のスーツにもシワ一つない。

 まるで最初からそこにいたかのようだ。

「それ、久しぶりに見ました」

 池浦さんが、独さんの手をやんわり押しのけ、立ち上がってにっこり笑う。

 僕もつられて立ち上がった。

 池浦さんは僕より少し背が低いが、独さんはさらに頭一つ小さい。

 しかし、そんなことを感じさせないくらい独さんの存在感は強い。

「お久しぶりです。有久保先輩」

 池浦さんが姿勢をただして挨拶をする。

「お久しぶりです」

 僕も頭を下げた。

 独さんは、

「よく来てくださいました、水谷さん」

 と愛想よく受けて

「そして瑞玖、あんた、相変わらずおしゃべりよね」と睨む。

「でも、肝心のところはきちんとぼかしましたよ。先輩、どうせ全部聴いていたんでしょう?」

 池浦さんは涼しい顔で受け流して、テーブルの上に置かれていた花を指差した。

 言われて初めてそこにあるのに気が付くような小さな白い花瓶に、黄色い花が申し訳程度に生けてある。

「ぼかし方が雑なのよ」

 独さんは万年筆をしまいながら、ちらっと僕のほうを見た。


 どうやら、池浦さんの話には意図的な省略がだいぶあるようだ。

 そして、各テーブルに置かれているこの小さな花瓶には、おそらくマイクが内蔵されている。

「おかげで、式を中座して飛んでくる羽目になったわよ」

「あら、中座して大丈夫でした?」

 独さんのとげのある言いぶりも池浦さんには全く響かない。

「私の出番は終わっていたの。後はうるはがやってくれるわ」

「頼りになるお嬢さんですね」

「まだまだよ。それで、話しておくことがあるの。来てくれる?」

「ええ」

 池浦さんが頷くのを見て、独さんが僕の後ろに目をやる。

「じゃあ、命。あとはお願いね」

「わかりました、お母さま」

「え?」

 振り向くと命さんがすぐ後ろに立っている。

 そこそこボリュームのあるドレスなのに、僕は近づいてくる気配を全く感じなかった。

 そして視線を戻すと、独さんと池浦さんは消えていた。

「え?」

 僕は再び振り返る。

 渋い顔をした命さんと、瞳をキラキラさせて主人の様子を見守る笠野さんがいるだけだ。

「今のは一体?」

 僕の問いに命さんが首を振る。

「ごめんなさい。説明はできない。そして今の出来事は他言無用でお願いするわ」

「え、でも……」

「どうあってもよ。お願いします。それに、君は知らないほうがいいわ」

 厳しい声でそう言われてしまうと、頷くしかない。

「わかりました」

 笠野さんも深々とお辞儀をして奥に引っ込んでいった。

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