急転
最上階に着くと『喫茶室』と流麗な字体の木の看板がかかった部屋に通された。
このフロアの7割を占める広い部屋で東西と南の三方全面がガラス張りで見晴らしがよく開放感がある。
内装は名前のとおりレトロ調だが機能美にあふれ、部屋自体の明るさも合わさり、全体としてはモダンな印象だ。
「ここは社食のようなものですが、平日は午後いっぱい軽食を提供していまして、社員の息抜きの場となっています」
羨ましい会社だ。
でも、僕がここに休息に来たら、仕事に戻るのを忘れそうだ。
西の窓際に置かれた真っ白なテーブルクロスのかかった長方形のテーブルへ案内され、席に着く。
富士山が良く見える席だ。
「本日シェフを務めますアイリスです」
進み出て名乗った白衣の存在に目を見張った。
アイナさんと比べて、つるっとした柔和な顔立ちで少し小柄にはなっていたが、明らかにアイシリーズだったからだ。
「アイリスさん、ですか?」
「はい。アイシリーズ・リリースキャンディデート・バージョン、通称アイリスです。お見知りおき願います」
アイリスさんは丁寧に頭を下げた。
「製品候補版ということは、販売が決まったのですか?」
「あ、いえいえ」
命さんが手を振って笑う。
「まだです。販売用の機体仕様が固まったところです。アイリスは、その最終確認のための試作機です。アイナと機体性能は変わりませんが、パーツを量産用のものに置き換えています」
「量産試作ですか」
「ええ。といってもまだ各パーツは一点ものですよ。これから調整して量産に向けての体制づくりに入ります」
「これが終わりましたら、ルームに戻ってまた分解される予定です」
アイリスさんが情報を追加する。
でも、その情報は要らなかったかな。
「それでは本日は、よろしくお願いいたします」
アイリスさんは奥に引っ込んだ。
「今日は、来月にございます要の誕生会に出す料理の味見をして頂こうと思っております。といいましても、一流レストランのシェフたちの厳しいチェックを受けてきた品々ですので、ご満足いただけるはずです」
誕生会か。
そういえば要さんも来月に誕生日が来ると言っていた。
「名字が変わると伺っていますが」
「やはりお話していましたか。ええ、前日に手続きをして、当日お披露目の予定です」
「なるほど。お披露目なんですね」
次世代お嬢様の一大イベントだ。
それは豪華に行われるだろう。本人の気持ちとは関わりなく。
ちょっと複雑な気持ちになって、僕は曖昧に笑った。
それを察してか、命さんが話題を変える。
「ここは週末などには、トークショーや演奏会が開かれることもあるんですよ」
「社員限定ですか?」
「ええ。ここで働いている方限定、つまりこの建物のセキュリティパスを持っている方限定ということになりますが。有名な歌手を招いてのディナーショーもありました」
ここからの夜景を眺めながら歌声に聞き惚れるのか。
なかなかいい福利厚生だ。
「いいですねぇ」
僕は、遥か遠くの山並みが茜色に染まっていくのを眺めながら、うなづいた。
そこに誘いの言葉が滑り込む。
「水谷さん、弊社へ移籍なさいませんか?」
「ええ……。えっ?」
あまりに自然なお誘いだったので、うっかりそのままうなづいてしまった。
慌てて命さんの方へと向き直った。
「いえ、その。それは一体……」
「水谷さんの周囲も色々と騒がしいことになってきております。我々としてはまた何かあっては困ります」
「それは、そうかもしれませんが……」
「母とも相談しましたが、警備などの都合を考えますと、お移り頂くのが一番良いだろうということになりました」
「いやしかし、そこまでして頂かなくても……」
「今回のユースギルドで水谷さんがあげられた成果は、このビルで進行しているプロジェクトをはじめ、敷地内の研究施設のどこに入るにも十分以上です。各グループのマネージャーの何人かともそれとなく話しましたが、皆興味を示していました。ご希望の業務にアサインできると思います」
ということは、あのロボット開発にも、だろうか。
僕の表情が変わったのを見て取ったか、命さんが微笑む。
「後日改めて、人事担当にご紹介しますね」
「え、あ、はい」
僕は素直にうなづいた。
「それはそうと、例の事件のとき、不思議な体験をされたそうですね。アニメのキャラに会ったと伺っているのですが」
そんなことまで鏑木さんは話したのか。
それは情報漏洩にあたるのではと思うが、有久保家にはそういう規則を容易く踏み越えがちな印象があって、今さら言っても仕方ないのかもしれない。
「ええ。穂村ソラに会いました」
「へえぇ。穂村ソラ……」
命さんが変な声を出した。
珍しい、というかそんな声、僕は初めて聞く。
あまりにおかしなことを言ってしまったからかと、慌てて言葉を足した。
「あの、ご存知ないですよね」
なにせ、十年も前に1クールしか放送のなかった作品だ。
「いえ、存じておりますよ。『熾天使少女穂村ソラ』ですよね。有久保グループがアニメ制作に参入した最初の三作品の一つですし、私も見ておりましたから」
なんと!見ていたとは!
「実は、原作の方とは懇意でして」
なんだって?
原作者の池之ミミズクさんは、この作品で同人から商業へ移ったが、寡作な方でご本人の情報もほとんど出回っていない。
「池之ミミズクさん、とですか?」
「ええ。実は母の古い友人といいますか……」
それは凄い!
いや、待て。
……ということは、うちの母親も知り合いである可能性がある!
そういえば、僕の本棚を見て変な顔をしていたことがあったような……。
「おそらく、今度のパーティーにもおいでになります」
それはそうだろう。
要さんの母親たちの友人でもあるのだから、こんな大事なパーティーに来ないはずがない。
と、頭のどこかでは冷静に分析していたのだが、僕は全体としては混乱の極みにあった。
声も震えている。
「そ、それは……」
僕の顔はよほど可笑しかったらしい。
命さんは口を抑え、声を上げて笑った。
そんな命さんも初めて見る。
「水谷さんもパーティーに出席なさいます?」
「ぜひ。お願いします」
力をこめて答えると、命さんはまた笑った。
その後運ばれてきた食事が美味しかったのは確かだ。
けれど、いろいろな想いが脳内に溢れてしまって、何を食べたかさえよく覚えていない。
翌日JJLSに出社すると、面談室に呼び出された。
というか、出社した途端に面談室という名前の別空間に転送されてしまった。
パーソナルレンタルオフィスからのバーチャルな出社ならではの強引さだ。
会議室風の背景の中、テーブルの向こうに座っていたのはひっつめ髪に地味な事務服姿の時田さんだった。
時田さんは経理担当のはずなのだが、何の呼び出しだろうか?
ありがちなのは経費請求のミスとかだろうが、心当たりはない。
そもそも、経費は全て、フェアリーのエリスが各システムとやり取りして処理しているから、僕には詳細がわからない。
「ごめんなさいね。呼び立てて」
「あの、僕になにか?」
「まあまあ。楽にしてちょうだい」
そう言われても、何が何だかわからないので落ち着きようもない。
「実は今朝、筥松ホールディングスから、あなたについての掛け合いが来たのよ」
「掛け合い?」
「そ。先方であなたの身柄を引き取りたい、と。つまり、移籍の打診ね」
早速命さんが動いたらしい。
仕事が速い。
「おや。心当たりがある?」
僕の反応を素早く見て取った時田さんが切り込んできた。
「ええ。その、お話は頂いていました」
「それで?」
圧迫感に気押される。
「あの……。よいお話だな、と」
僕がためらいながら口にした言葉に、時田さんはため息をついた。
「なるほど。あなたにその気がなければ、先方にお断りをいれる余地が、まあ僅かかもしれないけど、あるんじゃないかと考えていたのだけど。……すでに気持ちは決まっていたようね」
ぐったりと背もたれに身を預ける。
「何だかすみません」
「いいのよ。あなた自身の意思なら私たちに止める権利はないわ。それに相手が相手だものねえ。うちが難色を示しても本気で来られたら抵抗できないから」
その言葉もどこか投げやりだ。
親会社である筥松ホールディングスのやることには、理不尽と思っても逆らえないのだろう。
もう一回ため息をついたところで、また身を乗り出してきた。
「条件も破格よね?」
興味津々といった顔だ。
「そうなんですか?」
考えてみると、まだ、採用条件を含め具体的な話は全くしていない。
「知らないの?お給料は今の倍以上よ、有給休暇も一年目からバカンスが取れるくらい付くって。こう言ってはなんだけど、新卒同然のあなたには有り得ない待遇なのよ。最近は海外企業の影響でたまに見かけるようになったけど、ちょっと前の日本なら夢物語の世界の話だわ。一体何がどうしてこうなったの?」
そう言われても。
僕は、現在進行中のユースギルドでの得票状況について話した。
今朝の時点でもう集まったカードは二十万枚を超えている。
「そう。二十万枚も。なるほど。君は実はとんだ逸材だった、というわけね。もっと早くそういう情報は欲しかったわ。まあ、私の調査不足かあ」
最後は呟くようにして、がっくりとうなだれる。
その様を見て、僕はずっと抑えていた疑問を口にした。
「あの、時田さんがなぜこういう話を?」
「え、私?」
「はい。経理担当ですよね?」
「そっか。君はまだ入ったばかりで知らないか。実は経理担当は表向きの姿というか、人事と兼務なのよ」
「兼務?」
「そ。経理をしながら人事部の監察担当を兼ねているのよ」
「かんさつ?」
「お目付け役ってことね。せっかく入ってくれた人材がちゃんと活躍できているか、上司や制度に問題がないかを見張るのがお仕事ってわけ。だからいろんな用事にかこつけて、あちこちに顔を出し、重要な局面では面談もするのよ」
そういえば聞いたことがある。
若年人口の減少が当面続くと言われる中で人材不足の深刻化は進む一方だ。
だから各社の人事はいかに社員の定着を図るか知恵を絞っており、マンツーマンの相談体制を構築しているところもあるらしい。
この会社もそうだったのか。
「一応言っておくと、これは社内報とかにも書いてあることなのよ?詳細はぼかしてあるけど」
すみません、読んでませんでした。
「ともかく、おめでとう」
唐突にお祝いを受ける。
これで面談は終了なのだろう。僕は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それで、週明けには向こうに出社ということになるわ。それまでにこちらの片付けをお願いね」
「あ、はい」
「じゃ。ちょっと、待って」
時田さんが机上に投影されたボタンを押す。
「榎本さん?入ってちょうだい」
「失礼します」
榎本さんが時田さんの隣に現れた。
「先ほど伝えたとおり、水谷君が今週で退社となります。今週は片付けと引継ぎが済み次第、会社都合の特別休暇としますがそれでいいかしら?」
「問題ありません。彼はまだ入ってひと月ほど。特に引き継ぐようなこともないので、休暇は明日からとして貰って構いません」
あっさりと言う。
引継ぎどころか片付けるようなものもないのは確かだが、ちょっとあっさりしすぎじゃないだろうか。
「相変わらずクールねえ。怒ってるの?」
僕を気にしてか、時田さんがからかう。
「そんなことはありません。それに、これは彼とってはいいことです」
「あなたにとっては?」
「少々痛手ですが、予測の範囲内です」
時田さんがこっちを見て片目をつぶる。
「と、まあ、こういう人なのよ」
「え、ええ」
僕は曖昧にうなづいた。
榎本さんは少しムッとしている。
「と、いうことで、今日一日よろしくお願いしますね」
「はい」
時田さんに言われて僕は二人に軽く頭を下げた。
榎本さんが退出し僕も退出しようとしたところで、時田さんが付け加えた。
「あ、水谷君は、退勤前に人事に出頭して。最後に手続きがあるから」
「わかりました」
こうして、僕は転職することになった。




