施設案内
筥松ホールディングス本社ビルの正面玄関前で車を降りた。
半月ほど前にも訪れた場所だが、前回は黒服の男たちに両脇を挟まれるようにして、関係者入口から急かされて入ったのでこうして正面からは初めてだ。
ちなみに帰る時も同じように関係者入口から出たが、もううす暗くなっていて、あまり周囲は見えなかった。
だから、構内をはっきりと見るのも今回が初めてと言っていい。
ここは本社ビルという名前だが、ビルという言葉で思い浮かべる建物とは少し異なる。
どちらかと言えば、工場だ。
五階建て相当の巨大な箱型の建物から、十二階建てのタワーが屹立するという構造で、外見は昔の巨大ロボットアニメで主人公たちが所属する基地のようでもある。
ちなみに箱型の部分の屋上は空中庭園になっていて、時間帯を区切って一般にも開放されている。
そのため、外部から空中庭園へ出入りする専用の歩道橋があり、今も見上げると向かいの商業施設から人々が渡って来ている。
前回案内された命さんの執務室は、その空中庭園から一段高くなったところにある。
タワーは箱型の建物とのつなぎ目が少し出っ張っているが、執務室はその先端部だ。
「先日もお出でいただきご存知かと思いますが、このビルを含めた敷地内にはホールディングス本社の他、傘下の一部企業の管理部門や、研究部門、それに、共有工場が入っております。
共有工場は主に試作やワンオフの製品の製造を行うための工場で、ベンチャーの方々へも場所をお貸ししておりまして、時には傘下企業も含めた複数社が共同で開発試作を行うこともあります」
正面玄関を通り、天井の高いロビーを通ってセキュリティゲートを抜け、エレベーターホールへ向かう道すがら、命さんが会社の紹介してくれる。
その間、受付の人や、警備員、秘書と思われる人など様々な人たち行き会ったが、気品溢れる笑顔で会釈をしたり親し気に手で何か合図をしたりしていた。
お嬢様は恐れられるトップではなく、人気と尊敬を集める会社の顔であるらしい。
一緒に歩いていて気持ちがいい、と言いたいところだが、こちらにはその余裕がなかった。
速いのだ。
うっかり周りに気を取られると置いて行かれる。
命さんは背筋を伸ばして笑顔で話し続けているが、滑るような足取りで、速い。
密かに足自慢を気取っていた僕は戦慄していた。
この人に全力で早歩きをされたら、絶対に追いつけないだろう。
エレベータに乗り込んだとき、僕は少し息が上がっていた。
一方、命さんは息一つ乱していない。
「足、速いですね」
「あ、すみません。うっかりしてました」
うっかりであのスピードが出るものだろうか。
「なにかスポーツをしていたのですか?」
「いえ。これは母譲りでして」
「お母さまの?」
命さんの母の独さんは、小柄でいながら威厳のある様子で、とてもうっかり早歩きするようには思えない。
「まあ、ちょっとズルのようなものなんです」
命さんは口元を抑えて笑った。
ズルの意味を尋ねようとしたところで、命さんが「あ、ごめんなさい」と手で押しとどめるようにする。
そして少し首をかしげた。
フェアリーからの耳打ちがあったようだ。
「すみません。支度にまだ少し時間が必要とのことです。どこかご案内いたしましょう」
「いえ、お構いなく」
「そうおっしゃらず。せっかくですので」
会話の間にも上昇するエレベーターからは空中庭園や敷地内の他の建物、周囲の街並みなどが一望できる。
僕としてはこうした眺望だけでも恐らく一時間は楽しめるが、お嬢様はそれでは気が済まないようだ。
「そうですね。例えば……、ロボットはお好きでしょうか?全高4メートルほどの搭乗可能なロボットを開発していますが?」
ロボット!
それは見たい。
「是非お願いします!」
「良かった。では、第7ルームへ」
命さんがフェアリーに指示を出す。
エレベーターが静かに止まり、すっと下に動いた。
「共有工場の各区間はルームと呼んでいますが、これから向かう第7ルームでは、南郷ロボティクスというベンチャーの方々と弊社の有久保エレクトロニクスの共同開発で、作業用ロボットを開発しています。今は初期段階の搭乗試験を行っているはずです」
エレベーターは3階で止まった。
降りると、広く真っ直ぐな通路があって中央を二人乗りの自動運転カートが行き来している。
通路は突き当りに何があるのかがわからないくらい長い。
「大きな工場ですね」
「工場としては小さいほうです。外からみるとそれほどでもなかったでしょう?」
たしかに、大きさとしては近くにあるショッピングモールと変わらない感じだが。
「でも移動にカートを使うんですよね?」
停車スペースに停まっていたカートに一緒に乗り込む。
「ええ。建物内ではご覧のように遠近感が必要以上に強調されますから、身体的な疲労より先に精神が疲労します。しかし建物としては単純な形のほうが使いやすい。ですからカートは、この場所を使う方への配慮というわけです」
命さんがパネルに触れると、カートは動き出した。
脇を歩く人よりは少し速いくらいの車速だ。
通路の右側には5、6、7、8と数字が大きく書かれた扉が並ぶ。
扉はそれぞれ幅5メートルほどだ。
数字はルームナンバーだろうから、目的地は7の扉だ。
6番の扉は半分ほど開いていて前を通りかかると、中に縦横3メートルで高さ50センチほどの物体がいくつか置かれているのが見えた。
似たものを資料で見たことがある。
「あれは、資源化フロートですか?」
「ええ。新しい膜が考案されたそうで、試作しているところです」
以前は二酸化炭素資源化の本命と言われた資源化フロートだが、今はほとんど見かけない。
ソロイルの実用化とともに姿を消してしまった。
資源化フロートは、ファンを回して高効率二酸化炭素吸収膜で空気中の二酸化炭素を取り込み、人工光合成器で二酸化炭素を蟻酸に変換し、さらに触媒反応でカルボン酸に変換してタンクに貯蔵する。
ファンを回したり人工光合成器の作動を補助したりするのは太陽電池モジュールから供給される電気だ。
効率は高く、あらかじめ二酸化炭素を準備する必要もないが、配線やファン、吸収膜や人工光合成器といった個々のパーツのメンテナンスが必要となる。
特に吸収膜が劣化しやすかったという。
一方で、ソロイルのシステムは、基本的に、単独で人工光合成行う機能を持つ有機粘性流体のゲルに二酸化炭素を溶け込ませ、大きな透明なカプセルに詰めるだけだ。
海上に放置し、太陽光と波による撹拌で数日かけて二酸化炭素が蟻酸やアンモニアに変わったところを回収する。
正式にはこの回収されたゲルがソロイルと呼ばれるもので、元の有機ゲルは光化学反応有機合成促進流体素材、通称プロフォオーケと言われるものだ。
ソロイルからは蟻酸やアンモニアが容易に抽出でき、それを発電用に加工したり、化学合成の材料にする。
実のところ、カプセル一つだけで見れば、時間がかかるうえに変換される二酸化炭素も8割程度と、効率は良くない。
しかし、ゲルを詰めて置いておくだけという手軽さは何よりの利点だ。
簡単に大量生産でき、あとはそれを広大な海洋面に数日放置すれるだけで、膨大な量のソロイルが回収できるからだ。
資源化フロートは大々的な発表の後、内海や湖での小規模な実証実験が何度か行われるにとどまっていたが、ソロイルは登場とともに小笠原諸島近海に大きなプラントがいくつも作られ、一気にこの国のエネルギー政策を転換させるまでになった。
今では資源化フロートをほとんど見かけない。
ここで新しい製品が開発されているということは、その状況を逆転できる可能性が出てきたということだろう。
新しい吸収膜というのはそんなに凄いのだろうか。
論文がないか今度、調べてみよう。
第7ルームに着いた。
人間用の小さな扉を開けてもらって入ると、警報音が鳴っていて、目の前をワイヤーで吊られた機材が移動していた。
床は遥か下にある。
「ずいぶんと上まで吹き抜けなんですね」
ワイヤーの先の天井はこちらもまた、遥か上だ。
「ええ。各ルームは全て地上から5階部分まで吹き抜けです。大きな空間が必要ではない場合に限って、3階部分に床をとりつけて2層に分けているのです」
手すりにつかまって下を覗くと、モスグリーンの機体が三体並んでいるのが見える。
重厚な見た目だが、意外とほっそりとしている。
一台のロボットは頭部が外されていた。
「あれですか?」
「はい。あれがテスト中の試作機です」
先ほどのパーツはそのロボットの頭部だったようだ。
頭部パーツの移動が終わったところで別の警報音がした。
ヘルメットのようなものをかぶった人が操縦席で何かしている。
周囲で動き回っていた数人のスタッフが退避した。
操縦席の人物が右手のレバーを動かすとロボットは前に歩き出した。
足音は意外と静かだ。
「随分と簡単な操作で動くんですね」
「ええ。右レバーを前に倒すと前進。後ろに倒すと後退。左右に倒すとその方向に曲がります。左レバーはスピードですね。屈むのは右レバーの薬指付近にあるボタンを押します」
ロボットは屈んで、床に置かれたコンクリートブロックを持ち、立ち上がった。
「重そうなものを軽々と持ち上げますね」
「有機ロボティクス素材による人工筋肉ですから」
去年発表されていた新素材のことだろう。
それなら、あの腕の太さでも大型重機並みのパワーがあるはずだ。
「しかもスムーズというか、手早い」
一連の動作には無駄な動きも不自然な休止もなかった。
「ええ。人間が細かく指示する必要がないのです。モニタ上でターゲットマーカーをセットしてボタンを押すだけですから。一連の操作も左手の親指だけで完結できるようになっています」
「それだけですか?」
驚きの声を上げると、命さんが少し笑った。
「こうした操縦も本当は必要がないのです。アイシリーズの技術を使っていますから」
「あ、そうですか」
それは納得だ。
というか、なぜ考えつかなかったんだろう。
筥松ホールディングスが関わっているのだから当たり前じゃないか。
「モニタなどを見ながら音声で指示するだけでも十分動かせます。しかし万が一のことを考えて、無理して人間を介在させているわけなんです」
「なるほど。でも、ロボットは人間が搭乗してこそですよ」
つい言葉に熱が入った。
「それがロマン、ですか?男の子ですね」
命さんがクスクス笑う。
ロボットは腰だめの態勢になった。
金属の回転音がしてスルスルと前進を始める。
足にローラーがついていてそれで動いているらしい。
回転音が徐々に激しくなってスピードが上がっていく。
ルーム内に置かれたコンテナなどの障害物の間を縫うように、スラロームをしながら周回し始めた。
速い。
しかも腕には先ほど持ち上げた重たそうなブロックを抱えたままだというのに、まるでサーカスのオートバイのように、狭い場所も自在に走り抜ける。
肩を叩かれた。
振り返ると命さんが何か言っているが、ローラー音で聞こえない。
と思ったら急に声が聞き取れた。
「行きましょう」
命さんのフェアリーがピンポイントボイスで中継してくれたらしい。
ルームを出て扉を閉めると、普通に会話ができる。
「準備が出来たそうです。会場へご案内します」
「はい。あの、あのロボットは作業用ですか?」
「ええ。災害復旧など多くの現場で役立つはずです」
「そうですよね」
それはそうだろうと思う。
しかし、実機を見てしまうとイメージが浮かんでしまうこともある。
自動運転のカートに乗りこんだとき、僕は言葉を選んで尋ねてみた。
「こんなこと言ってすみません。でも、例えばこのカートの技術と同じものがシールドバグなどに応用されて戦場を変えたように、あのロボットも……」
命さんは、すぐに理解して後を引き取った。
「そうですね。戦争の道具になるでしょう」
何でもないことのように言う。
もしかするとすでに何度も議論してきたことなのかも知れない。
そして、きっぱりと言い切る。
「もちろん、うちはそんなことはしません」
「ですよね」
僕はそこで「変なことを言ってすみません」と言って話題を終えるつもりだったが、命さんは僕の目を見て続けた。
「ただ、あれほどの性能はなくともすでに似たようなロボットの開発は世界中で行われています」
「え?それは、つまり……」
命さんは前を向いた。
「すでに脅威はある、ということです。私たちはそうした脅威への対処も考えておかなくてはなりません」
その顔に笑みはなかった。