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熾天使

 五月五日。

 風が緩やかに抜けていき、青空の透き通る、気持ちのいい日だった。

 午前中、世紀に付き合って新宿御苑を歩き回った。

 この御苑は映像で何度か見たことがあったが、実際に行ってみると思った以上に広く、一部は森のようで起伏もある。

 日差しのせいもあって、歩いているうちにすっかり汗だくになってしまった。

 東屋に座ると、木々を渡る風が爽快だった。

 

 午後、東京駅で世紀を見送ると、しばらくお堀端を散策した。

 そして夕方、地下鉄に乗った。

 沖野さんたちと待ち合わせるためだ。

 朝、世紀に指摘されて知ったのだが、僕たちのユースギルドへのカードの枚数はなんと3万枚を超えていた。

 3百万円分の評価をもらったことになる。

 まだ、ただのアイディアだというのに。

 月末締めの翌月末支払いなので入金は6月末からだが、これで最低でも3百万円があのギルドに入金されることになる。

 しかも、5か月間毎月だ。

 確かに沖野さんが言うとおり、「大したこと」になっていた。


 指定された駅で降りて指定された出口を出ると、目の前に指定されたコーヒーショップがあった。

 全面ガラス張りの店内に沖野さんたちがいて、入ろうとするとジェスチャーで押し止められた。

 すぐに三人の女性が店を出てくる。

 沖野さんと小川さん、そしてもう一人は少し二人よりも歳が上のようだ。

 背が高く、細身で髪が長い。

 三人とも落ち着いた風合いのカジュアルな服装だが、この人のは少し高級感がある。

「ごめんね。一人増えちゃった」

 小川さんが小首をかしげて笑う。

「角田と言います。よろしくね、水谷さん?」

 笑顔の美しい人だが、どこか冷たいようにも感じた。

「角田さん、才能のある人には目がないの。構わないですよね?」

「え、ええ」

 沖野さんに求められて、流れで同意する。

「じゃ、行きましょう?お店とってあるから」

 小川さんが腕をつかんだ。


 店というのは、そこから通りを一本入ってすぐの場所にあった。

 洋風の創作料理店だ。

 白く塗った壁に木枠の窓と木製のドア、随所に下がる植栽と、洒落た風情だ。

 入ると一番奥まった場所にあるテーブルに案内された。

 テーブルは明るい色の立派な一枚板で出来てる。

 コース料理が頼んであるらしく、すぐにスープが出てきた。

 ワインもある。

「二人から聞いたのですけど、水谷さん、凄い方なんですってね」

 角田さんが笑いかけてくる。

「いや、そんなこと」

「ご謙遜を。長崎さんが『今度のギルドの成功は水谷さんのおかげだ』って褒めてましたよ」

「そうそう。激賞してたよ」

 一体、あの人は何を話しているんだ?

 ギルドでのやり取りの詳細は、外に出さないのがルールだというのに。

「一長一短なアイディアを前にこれは次の会合まで持ち越しかなと思ったときに、それをうまくまとめて人工的な木を配るという方法を提案したんだって?人工的な木というアイディアは前から考えた?」

 小川さんが踏み込んでくる。

 どうやらかなり詳しく長崎さんは話したらしい。

「いえ、あの時もう少し何とかしたいと思って」

「その場で思いついたのね。凄いわ」

 沖野さんが引き取って、褒めてくる。

 僕は少し長崎さんに腹を立てる一方で、綺麗な女性に褒められたのが嬉しく、さらにはそんな自分をどうかと思う自分もいて、グラスのワインをひと息に飲んだ。


 サラダが出てきた。

 チーズがたっぷり振りかけられている。

「私も君のような優秀な人がギルドに欲しいわ」

 角田さんはこちらに身を乗り出すように話しかけてくる。

 大きな胸が強調される。

 いつの間にか、言葉遣いも距離が近い。

「何かギルドをもっているのですか?」

 どこかのギルドに一定期間正式所属すると、そのギルドの所属するクラン内で同じような仲間を募って独立し、自分のギルドを立ち上げることができる。

 しかし、若くしてそこまで行く人は多くない。

「法律クラン所属のね。だから、君とは属性が合わないけど。でも君の発想力は役に立つと思うのよ」

 なるほど、そういうことか。

 ギルドのオーナーの収入はギルドの成績に依存する。

 つまり、安定して成果を上げ続けることができないと収入が無くなることもあるわけだ。

 自分のギルドを持つということはそういうリスクを引き受けることでもある。

 だからコンスタントに成績を挙げてくれる人材は常に奪い合いだ。

 角田さんは僕のことを「分野違いだが使えるかもしれない」と値踏みに来たのだろう。

 僕はその時、そう思って一人納得していた。

 

 料理はその後、味噌仕立てでスパイスが効いたブイヤベースや、ゴボウの風味のナシゴレンが出てきたと思う。

 でも、正直なところあまり覚えていない。

 何よりも、女性陣が入れ替わり僕の出身やら専攻やら今後の予定やらを尋ねてくるのに対して、あまり具体的な地名を言ったりしないように気をつけたり、考えていなかったことを何とか考えて答えたりするのに精一杯だったことがある。

 そして、その受け答えで喉が渇いて、ワインを飲んでばかりいたせいもあった。

 角田さんたちは、一人が話しかけながらもう一人がうなづき、残りの一人がグラスが空き次第にワイン注ぐという見事な連携で、まったくスキがなかった。

 そんなわけで、店を出るころには僕はアルコールがもうだいぶ廻っていた。

 

 たしか、角田さんが

「君に紹介したい人がいるのよ、もう一軒つきあえない?」と聞いたのだった。

 すっかり良い気分になっていた僕は言われるままについていった。

 エリスはすでに、店に入ったときに切ってしまっている。

 少し歩いてホテルのようなエントランスを入り、エレベーターに乗った。

 どう考えてもこれはマンションだよなと疑問を持ったのを覚えている。

 しかもかなりの高層建築だ。

 最上階でドアが開くと絨毯の敷かれた短い廊下があって、廊下にはドアが左右と奥の3つしかなかった。

 沖野さんが奥のドアを開けた。

「雪ちゃん。お連れしたわ」

「はーい」

 黒のミニ丈のジャケットに黒のタイトスカートというバーテンダーのような装いの細身の女性が出迎えてくれる。

「こんばんは。雪園です。ようこそ私の店へ」

 靴を脱いで入ると、内扉の向こうにはバーカウンターがあってそこに座るように言われる。

 雪園さんが、目の前にブランデーのロックを置いてくれた。

「ポールジローの二十五年です。お口にあうといいのですが」

「じゃあ、私はちょっと奥にいってるね」

 そんなことを言って小川さんが慣れた風に奥の扉へと消える。

 僕の両側には角田さんと沖野さんが座り、僕をつつきながら、さっき僕がした話を雪園さんにしていた。

 雪園さんがケラケラと笑う、その声が頭に響いた。

 

 その後の記憶がない。

 しばらく意識がなくなっていたらしい。

 つぎに気がついたとき、僕はソファーに座っていた。

 部屋は薄暗い。

 両腕を抑え込まれている。

 沖野さんと雪園さんだ。

 二人は上着を脱いで襟をはだけ、身体を密着させて腕を抱え込んでいる。

 さらに、頭や顔を後ろからなでてくる手があって、見上げると角田さんと目があった。

「じっとしていて。楽しいことをしましょう」

 角田さんも一枚脱いで体のラインがすっかり透けてしまっている。

 僕は意識はあるものの、陶然としてしまって体に力が入らない。

「すこし気分ははっきりしたかな?ちゃんと見てあげないと可哀想だからね」

 雪園さんが耳元で囁く。

 その手に、小さな瓶があって僕は状況を理解した。

 エルゲリースの中和剤を吸引させられたのだろう。

 男性にのみ筋力低下や意識混濁を引き起こすエルゲリース。

 それを少し解除してくれたわけだ。

 エルゲリースは、今や多くの女性が護身用に持ち歩いているというが、体験するのは初めてだ。

 筋力低下というより、感覚がふわふわとして意思がうまく筋肉に伝わらない感じだ。

 ただおかげで、沖野さんたちが密着させている女性特有の色々な個所の感触もどこか他人事に感じられるのはありがたかった。

 こんな状況でも脳は興奮に支配されず、普通に考えることができる。

 しかし、それも長くは持たないかもしれない。

 雪園さんは小瓶を脇に置いて太ももに手を這わせ、沖野さんは僕のシャツのボタンを外し始めていた。

 

 奥の扉が開いて、女性が出てきた。

「お待たせー」

 小川さんだ。こちらも下が透けるような服をまとっている。

 そして、振り返って扉の中からもう一人の女性を引っ張り出した。

 クリーム色のミニ丈のワンピースに緑のリボンを結んだ可愛らしい服を着ている。

 部屋の中でただ一人、まともに服を着ているので逆に変な感じだ。

「あら、その服にしたの?」

「これがいいんだそうです」

 角田さんと小川さんのやり取りの間、その女性はうつむき加減にこちらを伺っていた。

 その今にも消え入りそうな佇まいに、僕はどこかで見覚えがあった。

 どちらかと言えば地味で、目立たないタイプ。

 そう、印象こそ薄いが一時期はよく目にしていた人物だ。

 名前はなんだったか……。

「白川さん?」

 僕の言葉に女性は後ずさってますます消え入りそうな様子になる。

「あら、すごい。そうよ、君の中学時代の同級生の白川杏里ちゃん。最近私たちの仲間になってくれたの」

「良かったね、杏里ちゃん。さあ、念願の津都君にご挨拶だよ」

「早くしてください。じゃないと、私たちが彼をもらいますよ」

「さあ、もっと近づいて」

 押されるようにして白川さんが目の前に立った。

「あの、久しぶり。……ごめんね、津都くん」

「もう。何を謝っているの?」

 白川さんが絞り出すように言うのを小川さんが叱る。

「あのね、津都くん。杏里ちゃんは、ずっと君が好きだったんだって。だからわざわざ福岡から来てもらったのよ」

「君には協力者になってもらいたいんです。それで、お相手を探してあげたんですよ。なかなかモテたみたいじゃないですか。すぐに彼女を見つけられました」

 左右から恐ろしい言葉が甘く囁かれる。上からは

「私たちがきちんと指導して、君たちが気持ちよく過ごせるようにしてあげるから、杏里ちゃんが飽きるまでお婿さんしてあげて頂戴ね。しっかりと子供が出来るようなことをするのよ」

 と宣告される。

 これがあのソノというものかと、いつかテレビで見かけた話を思い出した。

 女性だけで暮らす人々の中で特に、偽りのハーレムなどといった煽り文句で一部のメディアに面白おかしく取り上げられる存在。

 そんな人たちが実際にいて、僕はそこに捕まったのか。

「あの、僕は結婚はまだ……」

「大丈夫。婚姻届なんていらないの。ご家族には親しい女性が出来たとだけ言ってね」

「その代わり、子供が出来たら養育費はきっちりと取り立てます」

「沖野さん、その方面のプロなのよ」

 ささやかな抵抗も左右と上からあっさり打ち砕かれる。

 その間にも、小川さんに押された白川さんの顔が目の前に来ていた。

 

 その時だった。

「何をしているのかしら?」

 湧き上がるような怒りと冷ややかな侮蔑という相反する感情を含んだ声が部屋に響いた。

 いや、この声はまさか……。

 同時に、部屋を覆っていた怪しげな空気が消えうせた。僕の手足にも力が戻る。

「誰?!」

 小川さんがこれまで聞いたことのないような低い声で威嚇する。

 身をすくめる白川さんを除く他の女性たちも、続いて声をあげ身構えた。

 僕はそんな女性たちに構わず、一気に腕を振りほどいて立ち上がった。

 そして目を凝らす。

 空気が一変したといっても、部屋の明るさが変わったわけではない。

 そんな薄暗い部屋の向こうの端。

 風によそぐカーテンの陰。

 待て、なぜ風が。窓は開いていただろうか?

 ここは高層マンションの最上階だ。

 吹き付ける風は強く、窓が開かない部屋も多いと聞く。

 しかし、そこから人影は現れた。

 白地にオレンジ色の模様が燃え上がる炎のように浮き上がるドレス。そして口元が開いた白い仮面。

 その異様さに気圧されたのか、女性たちが息を呑む。

 僕も、彼女たちとはおそらく別の意味で、息を呑んだ。

 よく知っている姿だったからだ。

 十年ほど前のアニメ『熾天使少女穂村ソラ』の主人公穂村ソラの衣装だ。

 朝町すずさん唯一の主演作品だ。

 穂村ソラは、普段は女子高生として生活しているが、悪を見つけるとその中心に乗り込んでひと息に成敗する。

 その成敗のときに身につけるのが、この炎模様のドレスだ。

 そして、唯一の作品イベントとなった一話上映会では、穂村ソラ役の朝町すずも実際にこの衣装を着た。

 僕がその映像を、作品のブルーレイボックスを買って観たのは割と最近のことだ。

 映像は、ボックスの特典だったが、そのためだけにブルーレイボックスを買ったと言っても過言ではない。

 観たときの感激は筆舌に尽くしがたいものがあった。

 何せ、朝町さんの出た作品イベントで映像が残っているのはこれだけだ。

 そして、コスプレを披露したのもこれまでのところ、このイベントの一回だけだ。

 

 近くに行こうとした僕は自分の体が動かないのに気が付いた。

 声も出ない。

 他の人たちもそうなのだろう。誰一人、身じろぎすらしない。

 そんな中、目の前の穂村ソラは両手をゆっくりと上げながら唱えはじめる。

「天に仇なす傲岸不遜よ。地に蔓延る迷妄無知よ……」

 これは、穂村ソラの決め台詞だ。

 抑揚まで綺麗に再現している。

 何より声だ。

 第一声を聞いた瞬間に感じたが、完璧だ。

 もはや十年前の朝町すず本人と言っていい。

 いや、さすがに本人のわけはないだろうが。

「……我が熾烈の炎にて浄化されよ。ニュエ・アルダント!」

 両腕が振り下ろされる。

 ニュエ・アルダントは燃える雲という意味のフランス語だそうだ。

 作中ではこの瞬間に白い六枚の大きな羽が大きく開き、辺り一面を透明な火炎が包む。

 しかし、この炎は人の体だけ、あるいは心だけを焼く炎であって、他のものを焼くことはない。

 人の身体を焼いても、煤さえ周りにつかない。

 この詠唱はイベントでも行われたが、もちろんその映像では羽も広がらなかったし、炎も出なかった。

 会場が映画館だったので、照明さえ変わらなかった。

 そして今回だが、詠唱の完成と同時に僕は炉の中で焼かれるような強烈な炎熱に包まれた。

 しかし、羽は見なかったと思う。

 そのへんははっきりしない。

 というのも、ここでまた、僕は気を失ってしまっていた。

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