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五月四日

 翌日、朝早くから世紀が秋葉原に出かけたので、僕は昼過ぎに中野に出て、古書店などをはしごしていた。

 世紀には、昨日寝る前に「そんなに早く行っても店は開いてないぞ」と言ったのだが、新人声優ユニットGLMのイベントが午後にあるので、その整理券を入手する必要があるのだとかで、八時過ぎに僕が起きたときにはすでに出かけた後だった。

 話によると、整理券を得てから、武道館に行ってイベントグッズを買い、秋葉原に戻ってGLMのイベントに参加した後、また武道館に行ってライブを満喫するのだという。忙しいことだ。

 

 午後四時過ぎ、公園脇のカフェのテラス席でカフェラテを待ちながら荷物の整理をしていた。

 古い青年マンガ雑誌を数冊買っただけだが、カバンにうまく収まってくれない。

 

 人影が寄って来た。

 店員かと思って顔を上げたが、知らない女性二人だった。僕より少し年上に見える。

 背の高いかなりの美人と、丸顔でショートヘアーの可愛い感じの人だ。

 どちらも控えめではあるが洒落た服装で、親しみのある笑顔を見せていたが、隙がないと言えばいいのだろうか、そんな感じがする。

 美人系の方が艶のある黒髪を垂らして顔を寄せてきた。

 いい香りがする。

「水谷さんですよね?」

 なぜ名前を知っているのだろう。

「あ、はい」

「私は沖野と申します」

「私は小川です」

 可愛い系の人はそう自己紹介して、付け加えた。

「そんなに警戒しないでください」

 たしかに、自分でもかなり引きつった顔をしていると思う。

 そんなことを気にもとめず、美人の沖野さんは一気に踏み込んでくる。

「長崎さんと同じギルドですよね?」

「ええ」

「長崎さんと先日飲んだときに、すごい提案をした方がいたと聞いて、一度お話したいなと思っていたんです」

 あの人も、意外と口の軽い人だ。

 しかし、そんなことでわざわざ僕を探すだろうか?

「大したことは言ってないと思いますけど」

「大したことですよ」

 沖野と名乗った女性は笑った。

「そうでしょうか?」

「あ、まだ確認してない?カード、集まってるよ」

 小川さんが、可愛らしく人差し指を立ててウインクする。

 あのギルドへのカードが、そんなに集まっている?

「それで長崎さんに聞いたら提案の大枠を考えたのが君だっていうから、ねえ?」

 ねえ、と言われましても。

「お酒、飲める?」

 今度は小川さんが攻勢に出て来た。こちらは話し方の距離が近い。

「え、まあ」

「明日の晩空いてる?飲もうよ」

「あ、はあ」

「よし、決まりね」

 ええっ?

「じゃ、連絡するから」

 反論をする間を与えず、二人は去って行った。

 入れ違いに学生バイトのウェイターがカフェラテを持って来る。

 時計をみれば、二人の出現からここまで、わずかの三分間の出来事だ。

「エリス?」

 呆然とカップを掴みながら、何かの情報を期待してエリスに問いかけてみた。

「今の二人についてですね。身元確認取れました。また、長崎様のフェアリーに関係性の確認も取れました。親しい関係であるとのことです」

「親しい?」

「そうお答えでした」

 フェアリーが言う「親しい」には、恋人関係も含まれる。

 そういうことなのだろうか?二人のうちのどちらとだろう。

「それと、たった今ですが、沖野様のフェアリーより待ち合わせの場所と時間について、打診が入りました」

 だから、早いって。

 そう感じながらも僕は応じていた。

「OKしておいて」

 なんのかんの言って、見目良い女性たちに誘われてOKしない男性はいない。

 しかも、長崎さんのプライベートというものにも興味がある。

 そんな言い訳を僕は自分にした。

 実のところ僕は、そんな風に考える自分を冷静に判断出来ているとおもっていたが、実はこのお誘いに相当気を取られていたらしかった。

 なんと僕は、カードの枚数をチェックすることすら忘れてしまっていた。


 夜、母のお小言をたっぷり聞かされてぐったりしていたところに吉報が飛び込んできた。


 ちなみに母の小言というのは、いろいろと枝葉はあったが、要は部屋を片付けろということであった。

 母はいきなりVRで僕の部屋を見渡して、落ちている服や本などを見つけては何故そこにあるのかを問いただしたのである。

 ミーミは簡易XRによる部屋間接続システムだが、実はVR機能もある。

 複数のカメラ映像と音波探査で立体的な空間をリアルタイムレンダリングして、そこにリアルな合成画像を貼り込むことで伝送情報の削減と違和感のない対話映像を作り出すというのがミーミの基本的な機能だ。だから、取得している情報量はかなりなもので、それを利用したVRシステムも当然可能である。このVRでは、相手方の部屋について、中心に立つ視点を作るまではいかないが、ドアからその部屋を見渡すような視点は得られる。

 しかし、ミーミ自体が十分臨場感のある会話を重たいゴーグルを使わずにできるため、オプションであったVR機能はほとんど普及しなかった。

 実際、母も「そんな無駄金はない」と言って買わなかった。

 ところが、今になって母はそのVR機能を手に入れ、僕の部屋をじっくり監査したというわけだ。

 しかし「狭い部屋なのに片付かないとはどういうことなの?」と言われたところで困る。

 狭い部屋だからこそ片付かないことだってある。

 さらに言えば、半分は世紀が荷物を広げたままにして行ったせいだ。

 だが、母にそうした理屈が通用するはずもなく、

「お前は小さな頃から全く」で始まるお小言を頂戴するしかなかった。


 吉報の話に戻ろう。

 それは世紀の指示を受けたフェアリーからのメッセージという形で届けられた。

「津都様、世紀様より伝達事項です。本日の花崎菜々ライブ終演後、ウタヒメシステム十周年記念ライブの開催とそのライブへの朝町すずの出演が発表になったとのことです」

「おぉお!」変な声が口をついて出た。

 そんな話が出るかも知れないと、どこかで期待はしていた。

 花崎菜々は昨年有久保系のレコード会社に移籍して、朝町さんとはレーベルメイトになっている。

 そして所属事務所はデビュー当時から同じだ。

 だが、期待が現実になると人はこうも感動するものだろうか。

 いや、まだだ。感動にはまだ早い。

 僕はカレンダーを表示した。

「開催日は?」

 まずは日程だ。


 世紀はだいぶ遅くなって戻ってきた。

 温めた夕食を食べる弟と向かい合って、僕はビールを飲みながら、ライブの話を聞き、吉報の話について語り合った。

 それで、少し興奮していた僕はふと、ムナカタギルドについて聞いてみたくなった。

 これまで弟に負けている自分を認めたくないという変な意地で避けてきた話題だったが、有久保の人たちの話に出てきた名前も気にかかっていた。

「話は変わるけど、昼掛大穂ひるかけおおぶって聞いたことってあるか?ムナカタギルドに関係あるらしいけど」

「昼掛さん?もちろん知ってる。ムナカタギルドには昼掛さんの名前のついた資料室があるくらいだし。でも、どうして?」

「有久保の人たちが親しかったみたいなんだ」

「へえ。そんなつながりがねえ」

 世紀はご飯を頬張りながら頷く。

「すごい人だったらしいな」

「そうそう。共鳴伝導理論の持長さんや価値情報論の冬越さんと合わせて、ムナカタギルドの三枚看板と呼ばれたこともあったみたいだよ」

「三枚看板?」

「そう。実際、三人は仲が良かったらしいんだ。というか、昼掛さんがフットワークの軽い人だったみたいで、いろんな人の研究室に出入りして、話し込んでたというよ。しかも、その頃のことを知る人の話では、研究上の悩みがあるときに昼掛さんと会話すると何日か後にブレイクスルーのきっかけがつかめるというので、幸運の女神とかギルドの守護神とも呼ばれていたらしい」

「へえ。それはすごいな。それで資料室まで残ってるわけか」

「そう。そこは元は昼掛さんの研究室だったんだ。岡の地下でね。ほら、前方後円墳の真下にあたる場所なんだけど」

「ああ!あそこなのか……」


 これには若干解説がいるだろう。

 ムナカタギルドのある宗像には小さな岡がいくつもあって、ほとんどの岡の上に古墳や城跡がある。

 人々はそうした岡の麓で田畑を作り暮らしてきたという。

 有久保の出資を得たムナカタギルドはそうした岡の一つを買って研究施設を作った。

 頂上には前方後円墳があったが、ギルドは古墳の周囲に七つの研究棟を半円状に並べ、中央部分は公園にした。

 そして、古墳を覆うガラス張りの建物を建て、「宮の窓」と名付けた。

 もちろん、宮の窓を含め、公園部分は一般の立ち入りが自由だ。

 僕も何度か行ったことがある。

 非常に眺めのよい場所で、天気が良いと、川を挟んだ反対側の岡の間から玄海灘や立花山までを見通すことができる。

 しかし、聞いた話では、研究棟を含めた地上の施設よりも地下施設のほうが大きいらしい。

 各研究棟の地下をつなぐだけでなく、最下層は岡の麓よりも低くなるほど掘り込んで作られているという。

 昼掛研究室はそんな巨大研究施設の中でも、古墳の真下という要の場所にあるということになる。


「資料室って何があるんだ?」

「生命工学系の最新の専門書が並んでるかな。あ、あとドアがあるんだ」

「ドアがあるって、当たり前だろう」

「いや、それが隣の部屋に繋がるドアで、ずっと鍵がかかっているんだ」

「隣は何の部屋なんだ?」

「んー。わからない。開かずの部屋って、感じかな。『万』の古い字と『宮』って文字が、プレートに書かれているだけなんだ」

萬宮よろずのみやってことかな。誰かに聞かなかったのか?」

「僕の訊いた範囲では、正式な呼び名も部屋に何があるかも知っている人はいなかったよ。ただ、……」

「ただ?」

「戸口が空いているときにたまたま通りかかった人によれば、中はたくさんのサーバーラックに機器類が並んでいたって」

「ただのサーバールームじゃないのか?」

「かもね。でも、ギルドのサーバー室は別にあるんだ。変だよ」

「たしかにな」

 サーバー室自体は複数あってもおかしくはない。ギルドの中央付近なら基盤施設を置く場所としても適切だろう。

 ただし、サーバールームの隣の部屋というのは、普通は保守を委託されたシステム会社のエンジニアが作業や駐在しているものだ。

 僕もバイトでそういう部屋に行ったことがあるが、割とうるさくて落ち着かない場所だった。

「部屋が足りなくて、その部屋が昼掛さんの研究室になったわけじゃないよな」

「いや。それはないよ。それに今でも空いている部屋は結構あるから」

「そうなのか」

 つまり昼掛さんが自分で選んだのだろうか。

 それは、謎の機器類が昼掛さんの研究に関係していたことを意味する。

 一体、昼掛さんはどういう人だったのだろう?

 

 実はあの会食の後、昼掛さんについて調べたが、出身大学や論文などの表面的な情報しか得られなかった。

 生命科学系の人だというのは確かだが、発表されている研究論文は年若くして亡くなったにしては分野が幅広く、物理学や医学などの論文にも共同研究者として登場している。

 学術集会などにはほとんど出席していなかったらしく映像資料が全くない。顔写真も、履歴書に貼るような、スーツ姿で眼鏡をかけてカメラの方をやや冷ややかな表情で見つめる一枚が使い回されている。

 どのように生きた人なのか、本当の研究目的が何だったのかすらわからない。

 そしてこの部屋の話だ。

 どういう人なんだ?

 

「砂漠菌を発見したそうだけど、専門は微生物学なのか?」

「さあ。生命工学だと思うけど?」

 世紀はそう言って、味噌汁を飲んだ。

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