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計画

「それはそうと、水谷さん。先週、スイミちゃんの誕生日だったでしょ?」

 突然、今野さんがそんなことを言ったので僕は何の話かわからず、戸惑った。

 独さんがたしなめる。

「他人様の親を捕まえて、ちゃんづけはないわよ」

「あ、いや。昔の可愛いスイミちゃんのイメージがあって、つい。水谷さん、ごめんなさいね。あなたのお母さま、先週お誕生日でしたでしょ?」

 今さら取り繕われても。というより「可愛い」という言葉が衝撃的でそれどころではない。

 うちの母が「可愛い」?

「あの……、スイミというのは?」と尋ねてみる。

「ええ。遂美つぐみさん。音読みするとスイミでしょ。学年でいうと私たちの二つ下になるんだけど、小柄で可愛らしくてひときわ目立つし、いつもみんなの中心にいて、頼りになって、人がついてくる、そんな子でね。私たちにとっては可愛い妹みたいなものだったのよ。それで、今はどうか知らないけれど、当時の小学校の教科書に「スイミー」という小さな魚のお話が載っていて、それを思い出すよねということになってね。みんなして、スイミって呼んでいたのよ」

 衝撃倍増だ。

 母は確かに小柄ではあるが、今は肝のすわったおばさんそのもので、そんな愛くるしい少女だったなんて想像もできない。

 ちなみに、スイミーは知っている。なぜかその話を描いた絵本がうちにあって、物心つくころに何度も読んでいた記憶がある。

 簡単に言うと、大きな魚に立ち向かうために、小さな魚が群れをつくり、大きな魚のふりをする話だ。スイミーは一匹だけ色が違う小さな魚で、大きな魚に食べられるばかりの仲間を救うために、群れ全体としてかたまることで大きな魚のふりで泳ぐことを提案する。そして自分が目の位置に入って群れの指揮を執り、ついには大きな魚を撃退するのである。

「それで、お誕生日した?」

 重ねてのお尋ねに、なんとか答える。

「あ、はい。いえ。おめでとうとだけ言いましたが」

「まぁあ!それだけ?」

「おば様。津都さんは男の子なのですから、そんなものですよ」

 大仰に驚く今野さんに、麗さんが素早くとりなしをいれてくれる。

「おめでとうを言うだけえらいわ」

 独さんの言葉には若干のとげがあって、早速命さんが反応する。

「あら、お母さまのお誕生日は私たち、ちゃんと毎年お祝いしていますけど?」

「型通りにすればいいというものではないわよ」

「まあ。では、次は少々趣向を凝らしますね」

「止めてちょうだい。お前たちの妙な趣向はいつもいつも心臓に悪いから」

「もう。お母さまはわがままです」

「母とは娘にわがままを言うものです」

「そんな常識はありません」

「そういえば、独は昔からわがままな人だったわ」

「あなたに言われたくない」

 参加者が次々と増えて会話が広がり、もはや僕が喋る隙がない。

 ちなみに、僕が母におめでとうを言ったのは、部屋にいればミーミで実家と繋がっている状況で、しかもエリスが『本日はお母さまのお誕生日ですよ』などと助言をしてくるから、言わないわけにはいかなかったためである。

 母の誕生日を祝うというのは正直なところ気恥ずかしくて、高校生くらいのころなどはそんな言葉を口にすることすら考えられなかった。

 ノックの音がした。

「そろそろ時間ね」

 今野さんが立ち上がる。

「では、また」

「ええ」

 独さんとうなづきあう。そして僕へ笑いかけた。

「娘がいろいろとまたご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」

 要さんも立ち上がってきちんと頭を下げてくる。

 僕も立ち上がった。

「いえ。こちらこそよろしくお願いいたします」

 なにがよろしくなのかわからないが、とっさの受け答えなんてそんなものだ。

 今野さんはかがんで娘に向き直った。顔を両手で挟んで言う。

「じゃあ、無茶はしないように」

「分かってるよ」

 言わずもがなの注意をうけたことに不満そうに返す娘の顔をさらに強く挟んでから、今野さんは一同に小さく頭を下げて、坂崎さんの開けたドアから出ていった。

 

 ドアが閉まると、まだ手をつけていなかったサラダが下げられ、新しいサラダが置かれた。

 温野菜で華のような模様が描かれて、明らかに前のものよりレベルが高い。

 どうやらさっきのサラダはダミーだったようだ。

 つまり、今野さんが来る時間は、きっちり計算されていたということになる。

 サラダが置かれている最中に、室内にいたのとは別のアイナさんが奥から現れて独さんに掌を見せた。

 そこに何か文字が浮き上がっている。

 独さんがうなづくと、そのアイナさんは店員と一緒に退室した。

「なんでしたの?お母さま」

「あれが、通ったそうよ」

「では?」

「16時からの会見に出るわ」

「わかりました。準備致します」

 独さんと麗さんの会話にただならぬものを感じてきょろきょろとしている僕の顔が可笑しかったのか、命さんが笑みを含んで教えてくれた。

「自動運転車の法案が採択されたのです。定足数を満たしたのですわ」

「というと、犬山中村案ですか?」

「ええ。犬山中村案で決着しました。自由所有を認める代わりに月二回の公認施設での検査です」

 犬山中村案というのは、犬山中村ギルドという立法系行政クラン所属のギルドが提出していた自動運転車に関する交通政策の法律案のことである。

 現在自動運転車は船橋坂下ギルド提案の暫定法によって一部地域で十月までの限定で特別な許可を得た場合に限り運用が認められている。つまり特例だ。

 正式な法律を含む交通政策全般の決定に向けて、各ギルドから提案が出され、ギルド間の討論の結果、先月末までに五つに絞り込まれた。

 宰相府はその中から、犬山中村案を採用したい旨を今月初めに表明し、三千人投票にかけられていたのである。三百人づつが無作為に選出されて二四時間以内の投票を求められ、棄権を除く総投票数が三千人を超えた時点で締め切られるわけだから、二十日あまりでの決着というのは早いほうだろう。それだけ世間の関心も高かったわけだ。

 犬山中村案の特徴は、自動運転車の所有と利用に制限を設けない点にあった。運転免許を持たない子供でも所有できる。

 そのかわり、自動運転車は厳しい管理のもとに置かれる。

 その一つが月二回の公認施設での検査だ。

 具体的には、各地の自動車検査施設へ指定時間に自動運転車が自分で検査を受けに行くことになる。

 検査施設としては既存の整備工場などを利用し、日常的な点検や修正などは認定機器による自動検査で対応する。

 これにより夜間の検査も可能となり、万が一の不備が見つかっても、遅くとも数日以内には全ての車のプログラムの修正や機器の交換が完了できるわけだ。

 なお、修正などをオンラインで行うことは逆に危険を生じる可能性があるとして禁止された。

 ただ、検査費用が高額になることが予想され、この費用負担や専用の自動車保険の負担(自動運転車専用の保険区分が別に設定され、所有者負担になることが決まっている)が、普及の妨げになるのではという危惧も出ていた。

 そうした懸念を宰相府が押し切って決断したのは、クラタがこの案への賛同を表明したことが大きいといわれている。

 そして、クラタの意思決定にはもちろん、この場にいる独さんが関わっているに違いない。

 個人的な興味はもちろん、自分の仕事に関わることでもあり、関心を持たざるをえない。

「あの、自動運転車を積極的には推進しないという感じでしょうか?」

 失礼とは思いながら、つい、訊いてしまった。

 麗さんが少し声を硬くして応える。

「規制が厳しいことを障壁ととらえるのは、短絡的です」

「まあまあ、姉さま。水谷さんはそういうことをおっしゃりたいわけではないと思いますよ」

 命さんがとりなしてくれる。そして、独さんの方をみてたずねた。

「お母さま、水谷さんにお話してもよろしいでしょう?」

「構いませんよ。どうせ会見で話すのですから」

 同意を得て、命さんが僕に微笑む。

「これは、もちろん、まだ内々の話ですが。クラタは、秋までに自動運転車の量産に入ります。すでに、部品調達やラインの構築は進めておりますし、いくつかのバス・タクシーといった事業者や保険会社への交渉もすすんでいます」

 僕は面食らった。

「ええと、つまり、個人向けには売らないということでしょうか?」

「売ります。でも、買う人は多くはないでしょう。保険料も当初は一般車両より高くなる予定ですから」

「バス・タクシー業界向けなら需要が見込めると?」

「『向け』というのは違います」

 命さんは、「何か勘違いしてませんか?」という顔をして見せた。

「あくまで一般向けです。クラタは子会社を設立し、そこが一括購入して旅客輸送ネットワーク業に乗り出します。一般から利用会員を募集して、利用距離に応じた月額利用料をお支払いいただくわけです。バス・タクシー業界の皆様には車両の保守や顧客対応にご協力をお願いしたいと考えてます」

 とんでもない話だ。バス・タクシーの商売敵ともいえるビジネスに乗り出そうというのに、当の相手の協力を得ようというのだ。

「協力って、乗ってくるんですか?」

「現に各社から提携の内諾を得ております。一部の都市を除いて、どこの地方も高齢化と人手不足で、地域をカバーするどころか存続も危うくなっているような会社が多くなっていますから、お話をさせていただいた会社はどこも、非常に前向きな姿勢だったときいております」

 にわかには信じられないが、もしかすると協力の見返りがなかなかの金額なのかもしれない。いや、将来的な業界の再編まで考えてそれなりの話を持ち掛けているのか。

「しかし、会員は集まりますか?」

「利用料を年間で通常の車両の保有コストの半分以下に設定します。利用状況によっては十分の一以下になることもありえます。会員にならない理由はないでしょう?それに、対象はこれまで車を所有していた層だけではなく、子供やお年寄りなどの交通弱者にも広がります。需要は堅いと見ています」

「それだと、今度は逆に利用希望が殺到してサービスが成り立つほどの台数を確保できないことも考えられるのでは?」

「その通りです。そこで当初は、一部地域に限定してサービスを開始し、需給をみながら対象地域を増やす予定です」

「それでも、かなりの台数が必要では?」

「十一月のサービス開始時までには何とか一万台そろうかと」

「一万台も?いきなりですか?」

 命さんはまた少し笑った。

「可能ですよ。当初投入される車は、既存車種の助手席を外してコントロールユニットを設置し、両側面と上部、そして前後バンパーにセンサー類を張り付けただけのものになりますから」

「そんな!それでは空力が悪いし見た目も……」

「そうですね。しかし、市街地しか走らず、時速四十四キロを超えてはならない車です。空力特性の考慮は必要ありません。そして個人への販売が目的ではありません。見た目は重要ではないでしょう?」

 たしかにそうかもしれない。

 ちなみに、四十四キロというのは、「当面の間」ということで汎用の自動運転車に適用されている上限速度だ。

 ただし、これは有久保家が使っているCCRS9のような特別な許可を得た車は対象とはならない。現に、先日乗車したときもゆうゆうとほかの車を追い越していたから、60キロ以上は出ていたはずだ。

 しかし、「命さんは、クラタのことにずいぶんとお詳しいですね?」

 命さんからすれば、一応は他社のはずだ。

 命さんはさらに少し笑った。

「制御ソフトや部品はうちから入れていますから」

 なるほど、調達先として密接に協力をしていれば、計画の全容を知っているのは当たり前か。

「そういえば、部品のうちの部材の一つは御社で開発いただいておりますね。よろしくお願いいたします」

 ああ、やっぱり。関係ありだったか。

「いえ、こちらこそ。よろしくお願いいたします」

 なんとも言えない気持ちになって頭を下げた。

 そういうことなら、例の部品で流線型にこだわらなかったのに。


 サラダの後はもう、メインディッシュだった。

 お店の立派さから延々と料理が続くのじゃないかと身構えていたので拍子抜けしたが、考えてみればこれはランチだからそれが当然だろう。

 大きめの透明な餃子の皮みたいなものに煮込んだ牛肉が包まれている料理だった。

 見た目や盛り付けられている皿などからして中華料理風だが、一人一人の前に皿が置かれ、ナイフとフォークで食べるようになっている。なかなか多国籍な料理だ。

 お嬢様姉妹がチャイナドレス風のワンピースなのは、これに合わせたのだろうか。

 デザートは果肉を乳白色のゼリーで寄せたもので、これもどこか中華風だ。

 口に入れるとほんのり甘く、後味がさっぱりしている。

 アイナさんがティーカップに温かいお茶をサーブしてくれた。花の香りがする。

「今日は、何から何まで、ありがとうございます」

 女性たちの話が途切れた機会をとらえて、僕は改めてお礼を言った。

「いえいえ、お気になさらず。私どもの都合でおいでいただいたのですから」

 麗さんがにこやかに応じる。しかし、そのにこやかさに、今はどこか恐ろしさすら感じる。

「その服、良く似合ってますよ」

 独さんもにこやかに言う。だが、

「うちの例の会社のですの」

 と、命さんが割り込むと少し顔をしかめた。

「ああ、貸衣装のね」

「ですから、貸衣装ではありません。クローゼットサービスです」

「何が違うというの?」

 どうやら、クローゼットサービスについては親子の確執があるらしい。

「晴れ着などを貸し出すのではなく、日常のお出かけ着を貸すのです。お出かけの前に予約なく気軽に立ち寄って新品同様の服を借りて着替え、終わったら返して元の服で帰る。そういった会員制サービスです。しかも、コースによってはスタイリストのアドバイスや美容サービスも無料です。ただ、高い服を貸すのではなく、日常生活をアシストするトータルサービスなのです」

「貸衣装だって、いろいろな服を貸してたし、買取もできたわよ」

「場合によっては、ですよね。こちらは最初からどの服でも買い取り可能なんです。そして、服の種類と数、提供しているサービスの質が全く違いますし、料金も明確です」

「要するに、大資本の呉服屋による貸衣装ってことでしょ」

 独さんが無理な決めつけをしたところで、命さんは頃合いとみたのか引き下がる。

「そういう捉え方はできなくもありません」

 しかし、独さんほどのお人でもクローゼットサービスの凄さがわからないのだろうか。

 採寸データや色の好みなどの情報を登録した会員になるだけで、いつでも自分に合う服をコーディネートしてもらえて借りられ、クリーニングもせずに返せるというこのサービスは、会費こそ月一万円程度からといい値段がするが、若い女性を中心にこの数年で爆発的に会員数を増やしている。百貨店がこの数年で次々と閉店に追い込まれたのは、主力の婦人服でクローゼットサービスに競り負けたからだ、とさえいわれる勢いだ。

 いや、まてよ。

「なんだか、先ほどの自動運転車を使うサービスと、お話が似ていますね」

 つい、考えなしに思いつきを口にしてしまっていた。

 麗さんが間髪入れず的確に反応する。

「確かに。売るのではなく、サービスを提供するという点では同じです」

 姉妹ともに理解が速い。この人の夫は、毎日会話するのが楽しいだろうな、と思う。

 いや、この速さは人によっては苦痛かもしれない。

「しかし、メーカーが販売を目的としなくなくなるというのは、事業の縮小と考えるのが普通だと思いますが?」

 すこし、厳しいことを訊いてみる。

「たしかに、生産量は減りました。しかし、売上は総合的にみれば上がっています。今という時代、人々は所有に価値を置かなくなってきています。その中で、無理に物を売ろうとするのは時として、無駄な努力や無駄なコストともなりかねません。私どもは時代にあわせた適切な事業へと、舵をきったというだけのことです」

 あっさりと、よく練られた言葉が返ってくる。どうやら、その先も考えていそうだ。質問を重ねてみる。

「シェアリングのような方法もありますよね?」

「確かに、私どもの側も物を持たなければ、リスクもコストもさらに低いかも知れません。しかし、私としては、それは無責任に思えます。少なくとも私どもは、お客様にお約束した品質を保証するだけの社会的責任は果たしていきたいと考えています」

 なるほど。そういう考え方でいるのであれば、ユーザーに一番近い事業者たちを取り込んで再編するのは、最適解かもしれない。

「自前なら、提供できるサービスと品質も揃えられると?」

「ええ。それに、自前でものを持つと持たないでは、得られる情報の量と質が違いますので」

 ああ、そういうことか。

「情報ですか。ということは、ゆくゆくは人の生活全体を支援するサービスを提供すると?」

「そうしたことも行うかも知れません」

 麗さんはすました顔で微笑む。

「しかし、何もかもをサービスとして提供する企業というのは、まるで国家のようですね」

「いいえ。これはあくまでビジネスです。いわゆる社会主義的な大きな政府を私たちがやろうというのではありません。逆説的に聞こえるかも知れませんが、私は人が自律的に生きるために必要なのは、欲望と競争の泥濘だと思っています。バラの花をまきちらしたぬるま湯では人は腐るだけです」

 涼しげに言い切る笑顔に見とれていると、少々うんざりしたような声の独さんの言葉が割って入ってきた。

「ともかく。その服は似合っています」

 命さんが後をひきとる。

「では、お近づきの印に、プレゼントしましょう」

 断るという選択肢はなさそうで、僕は素直にお礼を言った。


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