会食
渋谷駅を出て、少し前まではデパートが入っていたというビルの一階に着いたのは午前十時ちょっとすぎ。
若者向けファッションを中心としたモールのような構成なだけに、指定されたクローゼットサービスの店内も若い人や旅行者で混み合い騒々しかったが、通された店の奥は流石に静謐で落ち着いていた。
「本日担当いたしますスタイリストの桜川とメイクアップアーティストの前野です」
女性二人が丁寧に挨拶をし、彼女たちが用意した服とメイクのコンセプトを紹介される。
でも、何を言っているのか。同じ日本語のはずなのに意味がわからない。
それから着替えてメイクを施され、髪のカットや顔のマッサージまでされて、専用の通路から地下駐車場でハイヤーに乗せられた時にはすでに正午前だった。
車が数分走って高級感漂うビルの、またもや地下駐車場に滑り込むと、車止めに見知った顔が立っていた。
坂崎さんだ。
黒のスーツに黒の眼帯という威圧感のある姿で丁重な挨拶をしながらも、面白くなさそうな声で
「5分の遅刻ですな」と付け加える。
「すみません。これでも急いだのですが」
実際、こちらが連絡を受けて飛び起きたのが九時だ。朝ごはんもろくに食べていない。
さっきのクローゼットサービスのお店に入ったのが初めてなら、ハイヤーというものに乗ったのも初めてだ。
なれないことの連続なのだから、少しは多めに見てほしい。
「当家主人やお嬢様方はすでにお待ちです。こちらへ」
僕の多少抗議を含んだ視線を気にすることなく、坂崎さんは身を翻して奥へと促す。
重厚な雰囲気のエレベーターで最上階へと上がると、エレベーター正面のドアの前に要さんが立っていた。
ピンクのドレスが駆け寄ってくる。
「津都さーん」
と思ったら直前で立ち止まって頭を下げた。
「この間は、ごめんなさい。なんだか大変だったみたいで」
そして上目づかいで、様子を伺ってくる。
「怒ってます?」
「怒ってませんよ」
お嬢様の教育上は怒って差し上げるべきかもしれないが、こう可愛らしく来られては怒れない。
「やったー。アイナ怒られなかったよ」
「よろしゅうございました」
傍に立つ例のスーツ姿のアイナさんが柔らかく応える。
今のはもしかして、アイナさんの入れ知恵による演技なのだろうか。もしそうなら、それは非常に問題だ。
しかし、アイナさんも少し印象が変わった。前より大人びたようにみえる。そういう設定に変更したのだろうか。
などと、目まぐるしく感想が頭の中を駆け巡る間に、ボーイが開けるドアの奥から命さんが現れた。
ワインレッドのチャイナドレス風のワンピースを着こなしている。
「ようこそおいでくださいました。いきなりお呼び立ていたしまして申し訳ありません」
相変わらず丁寧な言葉ながら卑屈さなどは一切感じさせない、社交的で気品のある態度だ。
「いえ、お招きありがとうございます。何から何までご用立て頂き申し訳ありません」
「いえいえ。今回のことは全くこちらの都合ですので。もう少し早めにお知らせを入れたかったのですが、日程がぎりぎりまでわからない方がおられまして」
「日程がわからない方ですか?」
誰かに引き合わせようというのだろうか。しかもこのスーパーお嬢様が敬語を使うような人?
しかし、考え込んでいる暇はない。
「こんにちは。はじめまして」
命さんの後ろからコバルトブルーの同じ型のワンピースの女性が挨拶をした。
「命の姉の麗と申します」
「水谷です。よろしくお願いいたします」
「まあ、そのように硬くならないでください。水谷さんは、身内みたいなものなのですから」
こんな服装でこんなところで会食する身内がいたことがなかったから、それは無理です。
「命さん、このようなところで立ち話をしてないで、お席について頂きましょう」
「そうですね、姉さま。失礼いたしました、水谷さん。こちらへどうぞ」
「私が案内する!」
招き入れようとする命さんと僕の間に、するりと要さんが滑り込んで僕の手をつかんで引っ張る。
背中から手を添えてくるのはアイナさんだ。
「要。お客様に失礼ですよ?」
命さんが注意するが、次世代お嬢様は聞く耳を持たない。麗さんは、クスクス笑っているようだ。
あっという間にきらびやかなシャンデリアの下がる室内へ引き入れられた。
「おば様、水谷さんをお連れしま、し、た」
輝かんばかりに白いクロスがかけられたテーブルの前で、上座の小柄な壮年女性に意気揚々と話しかけた要さんだったが、女性の眼光に押されて声が尻すぼみになって後ずさり、ついには僕の後ろに隠れるようにする。
「水谷津都さん。ようこそおいでくださいました。お会いできて嬉しい限りです。私は、有久保の当主、独と申します」
ゆっくりと立ち上がった鼠色のカジュアルスーツ姿の女性は、醸し出す雰囲気とは違って気さくな雰囲気で話しかけてくれた。
といっても、いくら親しみやすくしてもらったところで、有久保のトップだ。
「あの、はじめまして。き、今日はよろしく、お願い、いたします」
こっちは、大ボスに出会ってしまった新米冒険者の気分で、これくらいの言葉を並べるだけでやっとだ。
「はじめましてでは、ありませんよ。赤ん坊の津都くんをあやしてさしあげたこともありますから」
「そう、なんですか?」
初耳だ。一体何者だったんだ、赤ん坊の僕!
いや、母の知り合いなのだから、そんなことがあってもおかしくはないのか。
「え、赤ちゃんの津都さん?どんな赤ちゃんだった?」
要さんが、即座に食いつくが
「要さん?今日の夕方はお行儀のお勉強をいたしましょうか」
独さんが笑顔のまま放った言葉に射抜かれて固まってしまった。
「お母さま?水谷さんが困っておいでですわ」
麗さんが、笑みを含んだ声でとりなしてくれて、ようやく席に案内された。
奥の独さんから見て、左側の入り口に近い方に麗さんと要さんが、右側の窓側に命さんと僕が座った。
向かいの席の要さんは、さっきしょげたはずなのに、もう気を取り直してニコニコとこちらを見てくる。
食事が始まった。
すぐにスープがそれぞれの前に置かれる。
女性たちが静かに飲むのを確かめてから、僕もスプーンを口に運ぶ。
様々な滋味が混ざっていながら澄んだ口当たりで、絶妙というほかないが、材料が何なのかもわからない。
ゆったりと振る舞う独さんが飲み終え、皿が片付けられ、サラダが置かれたところで、坂崎さんが入ってきた。
独さんに何か紙を示す。
「お願いします」
独さんが頷く。
それを聞いた坂崎さんが下がったかと思うとドアが大きくあけられ、ダークグレーのスーツの男性三人と女性一人を引き連れたベージュのパンツスーツ姿の壮年女性が入ってきた。
どこかで見たような顔だ。
女性は、思いがけない出会いの喜びを全身で表現するように挨拶した。
「久しぶりね。有久保さん、お会いできて嬉しいわ」
「こちらこそ、光栄です、今野長官。お元気そうで何よりですわ」
独さんが立ち上がって挨拶を返すのにつられて立ち上がった僕は、愕然とした。
今野?長官?
ということは、この人が科学政策委員会兼情報通信システム委員会担当の長官で、ウタヒメシステムの母と呼ばれ、一部の界隈で影の宰相とまで言われている、あの今野千早なのか?
よく知られたことだが、ウタヒメシステムは、アルテクリエの前身であるマンガ家や作家を支援するための会員制サイト『アーティ』の評価システムをもとにしている。しかし、実はそれは現在のギルドシステムと同じく『ムナカタ研究ギルド』での2年間の試行錯誤の中で作り出されたものだ。
匿名の篤志家によって2年間限定で設立された当初のムナカタ研究ギルドでは、所属の研究員たちに課すノルマを半年に一回の成果発表のみとしていたが、せっかく多様な分野の研究者が混在するのだから横の交流を持つ場が欲しいという意見が出て、余剰分の研究費を使っての「研究費争奪アイディアコンテスト」を毎月開くということになった。ただし目的は交流なので、アイディアをぶつける対象は自分の研究とは異分野であることという条件がついた。これが、門外漢の言いっぱなしではありながらも研究者ならでは視点は失わないという、良質のアイディアの投げ合い大会につながり、様々な思わぬ成果を生み出したのは周知のとおりだ。このやり方は、現在のギルドシステムでも「クエスト掲示板」や「お題箱」という形で継承されている。
しかし、ここで大事なのはそこで用いられたシステムだ。ムナカタ研究ギルドは、宗像で古いビルを買い取った現実の建物に看板がかかってはいたものの、基本的には仮想の研究所として設立されている。研究者は全国に居住しており、実際に出勤するのは年に数度という人も多かった。そこでギルド事務局は、アイディアを投稿して評価しあうためのシステムを専用サイト上に設置した。これこそが、ウタヒメシステムなどの現在の評価システムの原型である。
私の聞いた話では、ムナカタ研究ギルドが2年目に入るころには《ダブルブラインドのランダムレビューとモデレートで評価し、評価値に応じて資格を付与する》というシステムの大枠は完成していたというから、最初に提案された案の精度はかなり高かったのだろう。
そのムナカタ研究ギルドの事務局長を務め、その後継として設置されたムナカタギルドの代表として活躍したのが、今野千早である。ただ、ムナカタギルドと同時に設立されたアーティがアルテクリエに改組し飛躍的に知名度を上げた際には、すでに各役職を辞任して表舞台から去っていたため、意外とこのことは知られていない。
その後、良質な意見の提供という社会参加への見返りとして生活費用を支給するアイディアが、ムナカタギルド有志によって試験的に実施されて成果を上げ、ウタヒメシステムという名前を得て、人口減少社会における社会保障サービスとして注目を浴びた。そこで、ムナカタギルドに呼び戻されて実証実験を指揮し、そのまま情報政策担当特命大臣を務め、システムの導入を主導することになったのが今野千早だ。世間的にはこのときの力強い仕事ぶりの印象が強いため、ウタヒメシステムの母と呼ばれることが多いわけだ。
一方で、業績が社会全体に与えた影響のあまりの大きさと、憲法改正を経て、議院内閣制という間接民主制がウタヒメシステムという評価システムを通じた準直接民主制へ移行した後も要職にとどまり続けている状況から、一部に影の宰相と噂する声もある。
たしかに言われてみれば、優し気でありながらメガネの向こうで光る瞳にスキを感じさせない様子といい、ちょっとオーバーな手の動きといい、映像で見る今野千早その人である。
が、なんでそんな人がここにいる?
「こちらでお食事ですか?」
「ええ、お隣の部屋で打ち合わせがてら。ところが来てみたら、有久保さんがおいでだというでしょう?これはということで、ご挨拶に参りました。時間までまだ少しありますので、少しお邪魔していっても構わないでしょうか?」
今野長官はそんなことを言って微笑んでみせた。
天下の今野長官でも、有久保家の威光にはかなわないということだろうか。
と、思いきや
「もちろんでございます。どうぞお席に」
麗さんが深く頭を下げて席を譲り、僕の隣にアイナさんが用意した席に移動した。
麗さんの席にゆうぜんと今野長官が座る。
さすがに堂々としたものだ。
が、さらにしかし。
「少し外していただけますか?」
今野長官の言葉に、ダークグレーの四人が退出した。
ドアが閉じる。
そのとたん、今野長官はテーブルに両肘をついてため息をついた。
「もう。疲れるわよ、これ」
「仕方ありませんわ。こうでもしないと面倒事になると言ったのはあなた自身ですよ」
独さんがぞんざいな言い方で応じる。
え?これはいったい?
二人の急な変化に戸惑う僕に、要さんが、そんな戸惑いが吹き飛ぶような言葉を、遠慮がちにぶつけてきた。
「あの、津都さん。この人が私の母、の一人です」
母?の一人?
またも馬鹿のような顔をしてしまっていたのだろうか。
「ごめんなさいね。びっくりさせるようなことばかりで。いろいろと事情があってねえ。こういう回りくどいことになってしまってるのよ」
今野長官が申し訳なさそうな笑顔を作って頭を下げた。
そして、要さんの頭を左手でつかみ、押し下げるようにして
「娘がなにかとご迷惑をおかけしまして、本当にすみません」と、さらに頭を下げる。
「ごめんなさい。今日の会食の目的は、水谷さんに今野のおば様を紹介することだったの」
隣から命さんが微笑みながら説明してくれた。
「ということは、さっきの偶然の再会みたいな会話は?」
「小芝居です。さすがお母さまと今野のおば様ですわ。惚れ惚れいたします」
麗さんが、楽しそうに言う。
「冗談じゃないわよ。ウタヒメシステムの導入発表記者会見の時でもこんな面倒な芝居はしてないわ」
「ウタヒメシステムの導入で芝居、ですか?」
「国民福祉サービスとして導入されたはずのウタヒメシステムが、結局は官僚システムや代議員制度の解体へとつながったでしょう。あれはすべて、今野のおば様やうちの母を含む数人の有志のグループによるシナリオ通りなのです。人工知能がアシストする推計学的直接民主制、いわゆる準直接民主制ですが、これへの移行こそが有志グループの真の目的であり、この移行による最大の被害者となるはずの官僚と議会の協力を得て平和裏に達成することが最大の課題でした。あれは、そんなことをまったく悟らせることのない素晴らしいお芝居でしたわ。私、放課後の高校の生徒会室で中継を拝見し感動しましたもの」
麗さんがとんでもない歴史の裏側を得々と解説する。
「もう9年になるかねえ。あのとき記者から『将来的にはシステム上で政策も討議することになるのでしょうか?』と質問が出たときは、もうだめかと覚悟を決めたけどねえ。まあ、なんとかなってよかったよ」
今野さんがため息交じりに懐かしむ。
ええと。そんなにほのぼのと懐かしまれては、聞いてるこちらが対処に困ります。
もちろん歴史の闇に興味がないわけではない、というかおおありである。が、すでに情報量過多で、正直言って消化不良だ。この上に更なる事実をたたみかけられてはゴールデンウイークが考え事で消えてしまうかもしれない。
それに、今はもっと大事なことがある。
「あの、他にも要さんにはお母さまがいらっしゃると?」
僕は話題を戻そうと、要点の確認をした。
それは、今野さんに話しかけたつもりだったが、身を乗り出すようにして返事をしたのは要さん本人だった。
「はい。あと二人。迦未子ママと大穂ママがいます」
「その方々は?」
「あの、会えません。迦未子ママは私でも会えないところにいて、大穂ママは亡くなりました」
会えないところというのは亡くなったというのとは違うのだろうか。
僕はとりあえず、当たり障りのない言葉をつないだ。
「それは……、すみません」
もう少し気の利いたことが言えるといいのだけれど。
要さんはしかし、力強く首を振る。
「いいえ、みんな傍にいてくれますから。ちっとも寂しくないというか。かえってうるさいくらいです」
どういうことだろう。傍にいる、というのは「精神的に」ということだろうか。
しかし、「うるさいくらい」というのは?命さんたちのことか?
つい、質問を重ねてしまいそうになるところに有久保の当主、独さんが、すっと割って入ってくる。
「迦未子というのは佐山迦未子といい、幼い時からの私の親友です。迦未子は私の兄の許嫁でした。生まれる前から互いの祖父が決めた関係でしたが、二人は子供の頃より互いに愛情のこもったやり取りをしておりました。しかし、兄は早くに病に倒れて亡くなり迦未子も自由にならない身になりまして、私たちはせめてものこととして、二人の愛の証を残したいと考えたのです。そうして、二人の遺伝子をもとに一人の子供を得ました。その子が要であり、彼女を産み育てたのが高校からの友人である、この千早なのです」
「あんた。今、私と迦未子の間に差をつけたわね」
今野さんが言葉尻を捕らえて絡む。
「あら、あなたは私と親友のつもりでしたの?」
独さんは冷静にいなした。
「はっ、ごめんだわ」
今野さんは心底嫌そうな顔になってぱっと反対を向く。この二人、相当仲がいいようだ。
「その作業を担当したのは」
命さんが母親のあとをひきとって説明を続けてくれる。
「当時うちの傘下の研究所に在籍していた昼掛大穂という研究者です。彼女は自分の卵子を受精のための器として提供したので、要さんのお母様は三人いることになったのです」
「昼掛さんですか、すごい方ですね」
とんでもない技術力だ。そして、極秘裏とはいえ、こんな生命倫理を踏み越えたことをやってのけたというのも、とんでもない。
といったことを、その成果である当の本人の前にして言えるわけがなく、言葉を飲み込む。
「そうです。すごい方だったのですよ。砂漠菌を発見したりとか」
命さんはその姿を思い浮かべるようにした。会ったことがあるようだ。
「砂漠菌ですか……」
そういえば、あの菌にはヒルカケという名前がついていたような。
「ええ。砂漠菌に関する一連の研究はすべて彼女の功績です。生きていればノーベル賞だって狙えたでしょうに。残念です」
今野長官が故人を惜しむ。
「事故だった、のですか?」
「新種の細菌を探しに出かけて、それきり。6年前のことです」
麗さんが神妙な顔で告げる。
声も自然と暗くなり、室内にじんわりと沈痛な雰囲気が漂う。
しかし、その自然さに、僕は逆に作為を感じた。
この人たちは一体、なんだろう。
だまってこちらを見ている要さんと目があったとき、ふと僕は、要さんが僕に伝えたがっていたことが分かった気がした。




