提案と評議
連休直前の午前中に第二回のユースギルドは設定された。
僕がお茶の水のビルの5階に余裕を持って到着すると、四人は変な顔をした。
「また、スーツなのか?」
長崎さんが怪訝そうに言う。
「この後仕事なんです」
「その会社、ちゃんと法律を守ってますか?」
揶揄するような顔の千川さんもグレーのスーツ姿だったりするのだが。
「大丈夫です。勤務時間は週二十時間に収まってます。二回続いたのはたまたまです」
「それならいいが。僕はもう二十五だから週に三十六時間稼働だけど、君たちはまだ仕事ばかりじゃ困るよ」
三十六時間って、上限いっぱいじゃないか。三十歳までの労働時間は平常時で三十時間のはずだ。
さすがに行政クランは忙しいと見える。
「でも、スーツじゃなくてもいいんじゃないか?」
デニムのパンツの小竹さんはあきれた声だ。
「暑くないの?」
すでに季節を先取りして半袖ブラウス姿の許斐さんも、からかい気味に言う。
たしかに四月の後半に入って暖かい日が続いてはいる。
「でも、このスーツは熱電変換繊維が入っていますから年中快適ですよ」
「君、そういうのが好きなわけね」
許斐さんが、うんうんとうなづいた。
他人を新し物好きみたいにいいますが、あなたのブラウスも昨年末発表されたばかりの形態保持繊維による新製品とお見受けしますよ?どうなんです?
と言いたい気持ちを僕は飲み込んだ。
前回うけた印象から抽出された何かが、この人と言い争ってはいけないと言っている。
「定刻だ。では、始めようか」
長崎さんの宣言で、会議が始まった。
「まず、提案を見ていこう。各自から提出された提案資料には事前に目を通していると思う。まずは水谷くんの提案だが、それぞれの意見を述べてくれ」
目の前の表示パネルに僕の提案したA4用紙2枚分の資料が表示された。
提案したのは、ウォーターシールドシートと空気の層を多用して断熱性と強度を確保し、接合部にはジークシートを入れて、ボタン一つで組みあがるテントである。電源には共電導熱電変換繊維と有機アンモニウム錯体型蓄電システムを使用する。
資料は各自の前に二つ置かれたA3大の透過型パネルに表示される。
前回の会議室は天井からの精密投影による表示で資料が次々とテーブルに表示される形式だったが、ここではこの書見台型パネルで表示が行われる。入力は手元のペンタブレットだ。
表示できる情報量は減るが、こちらのほうが首への負担が少なくて疲れにくい。
「自動化されたテントというのは、緊急時の対応にはよくても、ある程度の期間を超えて使うことは難しいのではないでしょうか」
許斐さんが口火を切る。
「しかもこの大きさのものだと、畳んだ状態でもかなりの重量と大きさがあるのじゃないですか?」
小竹さんが続いた。
「使用期間についてはそれほど問題にはならないかもしれません。このテントはある程度の強度があるようですし、断熱性能も期待できそうです。なにより、壁と天井で区切られた衛生的な空間が簡単に手に入ること自体に非常な価値があります。また、重量と大きさも資料の通りであれば、大人の男性が担いで運べそうです」
意外にも千川さんが擁護に回ってくれた。が、最後に付け加えてきた。
「しかし、これだけのものとなると価格面が気になるところです」
そこについても資料には書いているのだけれど、と僕は長崎さんの方を見た。
「意見、ありがとう」
長崎さんが引き取って話し始める。
「さて、僕の見るところ、問題になりそうなのは強度と価格だと思う。
たしかにジークシートを利用した自動組立型の個室型テントというアイディアはいい。壁や天井に空気の層を作って断熱性を上げるというのもいい考えだ。しかし、風雨や強烈な日差しにさらされる状況で、どの程度耐えられるのかは疑問だ。
ジークシートにそこまでの耐候性は期待できるだろうか。
水谷くんの試算した額は、半額を援助資金で賄うとする前提付きではあるが、生活基盤を失った人でも出せない額ではないだろう。しかし、短期間で破損してしまうようであれば、コストは結局高くつく。
そうなると、既存の緊急時対応用テントを上回るものにはならない。
以上が僕の考えだ。水谷くん、どうだろう?」
ようやく僕に発言権がきた。けれど、長崎さんの意見にぐうの音も出ない。
「ご意見、ありがとうございました。私の方からはありません」
長崎さんが、うむとうなづいた。
「では、つぎに小竹くんの提案に行こう」
小竹さんの提案は育苗シートとでもいうべきものだった。
共電導熱電変換繊維に蓄電機能を持たせたヒートセルという素材が最近発売されている。
小竹さんが考えたのは、これにセンサーや単純な回路を埋め込んでフェルト状にし、毛細管現象を利用した導水管と組み合わせてシートを作成しようというものだった。
土の上に広げ、その上に多少の土を盛ると、シートが温度や湿度を一定範囲に保とうとするので、過酷な自然条件を緩和して植物を育てやすい状態を維持できるようになる。
砂漠でも畑作ができるようになるというのが、売りだ。
「こんな素材があるんですね。面白いです」
千川さんが3D映像を弄り回す。
「ウオーターシールドシートの代替を狙って作られたということでしたね。各繊維が独立しているため、現状はルームAIによる中央管理が可能なウオーターシールドシートのほうが利便性がよく、普及に課題があるということだったと聞いています」
許斐さんが応じた。
この話に解説を加えるなら次の通りだ。
光を始めとする量子の実質は場の共鳴現象の観測であり、エネルギーの伝達は共鳴伝搬であるというのが、ムナカタギルドの持長身遊博士の打ち立てた共鳴電導理論の要点だ。
この共鳴は存在確率を伴い、ある場所で確率が1となると、別の場所の確率はすべてゼロとなる。
電磁場振動については、共鳴事象が空間を隔てて伝搬移行することが電磁波となるが、電導素材表面ではその特異現象として電気振動と磁気振動がハンドオーバーしながら伝搬するようになり、これが電気伝導が光速で伝搬する理由であるとする。
この理論は、結晶格子の振動などのコントロールを通して、共鳴伝達のロスをなくすことで電気抵抗を限りなくゼロに近づけることや、特定周波数の電磁波をそのまま電気エネルギーに変換することを、体系だてて計算できるようにした。
この理論をもとに同時に発表された当初の有機共電導素材は、そのコントロールを参照光と呼ばれる特定周波数の電磁波を用いて自己組織的に格子振動がそろうようにすることで各種の機能を実現していた。この技術が、ウオーターシールドシートなどの開発に結びついている。
しかし、用途が決まっているのであれば参照光による格子の整列が勝手に起こってくれたほうが使い勝手がいい。
そこで、水分子の共鳴吸収周波数に注目が集まった。
温度は原子や分子の振動状態の大きさを表すが、ほとんどが水から出来ている生命にとっての温度は水分子の振動に依存している。水分子の共鳴吸収周波数の電磁波を適度に多く与えられることで生命活動は活発になり、遮断されることで停滞する。その周波数の電磁波は赤外線と呼ばれる周波数帯を中心に複数あるが、これが少ない時に人は気温が低いと感じるわけだ。
この水分子の共鳴吸収周波数を参照光代わりにつかう素材は、気温が高い状態のときに機能して体感温度を下げるといった高機能繊維として最適である。そこで数年前に第一号が開発され、以後様々な素材が実用化されている。
ヒートセルはそれらを応用した次世代の高機能繊維だ。
繊維の一本一本がひとまとまりのセルと呼ばれる有機高分子のセットの集合体からできており、気温の高い時に熱を特定の赤外線として吸収して電気エネルギーに変換し、そのエネルギーを使って導水管から取り込んだ水を錯体の形で抱え込むことで蓄積する。気温が下がると今度は赤外線と水分子を放出して温度と湿り気を提供するというわけだ。
セルがそれぞれ独立に動作するため、管理の手間もいらない。
ただし、機能が高度になったために、逆に使い道が見つからないという課題が、発売後に見えてきたというのである。
しかし、生物系の許斐さんがなぜそんなことにまで詳しいのだろうか。
「あまりまだ普及していないということでしたら、やはりコストが課題となりそうですよね」
千川さんが慎重論を出してくる。
「たしかに価格はそれなりにしますが、支援資金を入れて量産すれば引き下げられるのではないでしょうか」
僕が意見を出すと許斐さんが首を横に振った。
「いきなり量産をするにはリスクがあるのではないですか?たしかに小竹さんの提出したシミュレーション結果ではうまくいっていますが、これが実際の現場でどの程度使えるのかは実証実験をして確認する必要があるはずです」
「みんな、ありがとう」
長崎さんがまとめに入った。
「みんなの意見はこの素材が新しすぎるということで一致しているようだ。
僕もこの素材は大変魅力的で、この使い方は今後大いに役に立つことは間違いないと思うが、すぐに投入可能かといえばそれは難しいのではないかと思う。また、水谷くんの提案同様に、耐候性への危惧もある。
最初に決めた、良いものを安価で提供することによる貢献という目標からは外れるのではないだろうか?
以上が僕の考えだ。小竹くん、どうだろう?」
小竹さんが一つうなづいて話し始める。
「ご意見、ありがとうございます。私としましては、実証試験も兼ねた試験販売の形で持ち掛ければメーカー側の協力も得られるのではないかという思惑もあったのですが、確かに目的からは外れるかもしれません」
「なるほど。そのあたりは保留にして、次の許斐さんの提案に行こう」
長崎さんは話をつぎに進めた。
許斐さんの提案は、特殊な土を販売するというものだ。
この土の内部には、砂漠菌が抱え込んでいるような空気中の水分をため込む細菌がいて、その作用でどんな乾燥地でもすぐにゲル状になる。別の細菌がその水分と空気から窒素固定を行うため、この土をすきこんだ土地は豊かになるのだという。
この主役となっている二種の菌はムナカタギルドのバイオライブラリーに登録されている天然由来のもので、すでに実用性は許斐さんの実験室で確認しているとのことだった。
しかし早速、千川さんが難色を示した。
「この提案ですが、その土地に元々いなかったような生物を持ち込むのはルール違反です」
「新たな野菜などを持ち込むのと変わらないのではないでしょうか?」
僕が援護射撃をしてみるが、千川さんはにべもない。
「野菜の持ち込みは勝手に広がっていく危険がそれほどありません。しかし、この細菌たちは勝手に広がる恐れが明らかに高いように見えます。環境破壊は避けられません」
小竹さんが別の角度から異論をはさむ。
「生活困難な環境というのはすでに破壊されていると考えて、立て直すためには新たな環境を持ち込む選択肢も有効であるとは考えられないですか?」
しかし、ますます千川さんは憤りを募らせるばかりだった。
「人間の生活がたまたまうまく行ってないからといって、その環境は破壊されているとするのは人間側の傲慢なものの見方です。その土地にはその土地の理由があり、完全に変更してしまうのは多様性の破壊に他なりません」
僕と小竹さんは顔を見合わせた。
こりゃ、ダメだ。
「みんな、ありがとう」
微妙な空気をみて、長崎さんが早々とまとめに入る。
「大変有望なアイディアではあるけれど、やはり生態系への根本的な介入というのは慎重に考えなければならないことではある。
また、この細菌たちが実験室を離れた新しい環境のもとでどの程度の成果をあげられるのかという不安要素も考えなければならない。
それらの将来的なコストまで考えると、低コストでの貢献という目標には向いていないのではないだろうか?
以上が僕の考えだ。許斐さん、どうだろう?」
許斐さんは冷静だった。淡々と感謝の気持ちを述べる。
「ご意見、ありがとうございました。細菌というものは適合さえしてしまえば、制限しても砂漠菌のようにいずれ広まっていくものですので、意図的に広めて時計の針を進めることも悪くないのではないかと考えて提案致しましたが、たしかに強引であると言われればその通りです。再検討したいと存じます」
長崎さんは言葉を選ぶようにまとめた。
「確かにこのアイディアを活かすもっとうまいやり方があるかもしれない。それはまた考えていくこととして、最後の千川さんの提案に行こう」
千川さんの提案は、規模の大きなものだった。
専用のアプリを入れた安価な携帯端末をタダ同然で大量に販売し、アプリから収集したデータを外部に販売するというものだ。アプリには個人が特定されるような情報は収集させないようにするが、必要を認めた場合に持ち主に周辺写真などの撮影をお願いする機能をつけて、データの質や量を確保し、販売価値を高める。
端末には最低限の機能しか持たせないかわりに、持ち主がお願いに応じてくれる限りは通信費を無料にするという。
当然、全員が懸念を抱いた。
「この計画でコストに見合う収入を得られるデータベースを構築するのには控えめにみても一地域で数十万人のユーザーが必要になるかと考えますが、それだけの資本を集めることもユーザー数を達成することも非現実的です」
許斐さんが懸念を的確に表現した。
「通信設備などのインフラも我々に用意できるとは思えません」
小竹さんがダメを押す。
僕は一方的にならないように、別方向から意見を出してみた。
「端末の販売ではなく、以前千川さんが出されていたような既存の端末に向けたアプリの配布と付加機能の課金販売という形にすれば実現可能ではないかと思います」
そう、前回の会議資料に添付されていた千川さんの提案書にはアプリ配布と書いてあったのだ。
が、この発言が逆に千川さんの癇に障ったようだった。
千川さんが立ち上がって語気荒く言った。
「お言葉ですが、通信機器もないような地域こそが問題なのです。誰もが求める情報に自力でたどり着ける状態を作ることこそが、人々が自分の力で立つための最も大事な点なのです」
提案者がこのタイミングで口をはさむのはルール違反だ。
「千川さん、反対意見は後に……」
長崎さんが押し止めようとするが、千川さんは止まらない。
「通信設備は既存通信会社のものを利用させてもらえばいいですし、端末もリサイクル品で十分です。提案書にも書いています」
そこに許斐さんが、凛として対応する。
「無茶だと言っているのです。衛星通信インフラを借用して、これをバックボーンに地上基地局を立てるというのは無理があります。リサイクル品を集めるにしてもそれらの設備にしても、必要資金は我々が集められる限度をはるかに超えます」
千川さんは、その言葉を聞いて僕を睨みつけるようにした。
「確かに、私たちがユースギルドのシステムを利用して集められる資金は、必要額に全く届きません。でも、ここにそれを可能にするような知り合いをお持ちの方がいます」
どうやら、有久保家のことを言っているらしい。
僕は小竹さんを見た。小竹さんは困ったように笑みを浮かべている。
資産家の知り合いができるのも考えものだ。
僕が反論をしようとした瞬間、
「そこまでだ」と長崎さんが立ち上がり、手を広げて割って入った。
「ユースギルドで話し合う計画は、あくまで事前に全体に割り当てられた資金から競争的に取得する額と、一般から集めたカードの枚数で決定される金額の、合計の範囲内で実行可能であることが前提だ。しかも、カード枚数で決定した金額については本来はアイディア料であり、自力での計画の実行を見送って全額を個人収入にしても構わないことになっている。これは、個人へアイディアの責任を負わせることで良いアイディアが出てこなくなることを防止するためだ。
こうしたルールの根底にあるのは、個人に一切の負担を強制せずに試行錯誤に報いることこそが課題の発見と解決への最大の近道であるとする、制度の設計理念に他ならない。
水谷くんの知り合いが大金持ちだったとして、彼や彼の知り合いに負担を求めたり、善意に期待しようとするのは、つまりはこの制度そのものへの挑戦となる。僕はコーディネーターとして、このようなことは到底許容出来ない」
千川さんは憤然として長崎さんをしばらく睨んだが、息をはき、こぶしをテーブルに軽く打ち付けて、言った。
「わかりました。水谷さんに関する発言は取り消します。すみませんでした」
千川さんが席につくのを見て、長崎さんはゆっくりと腰を下ろして手元の水を一口飲む。
そしておもむろに続けた。
「みんな、ありがとう。千川さんの提案は野心的ではあるが、我々の手にあまるというのがみんなの意見のようだ。
たしかに目に付く課題を一気に解決したい気持ちは理解できる。
しかし、この場の議題としては少々大きすぎる。
以上が僕の考えだ。千川さん、どうだろう?」
千川さんは、体を固くして静かに頭を下げた。
「ご意見ありがとうございました。そして、ルールを逸脱しご迷惑をおかけしました。思いが先走って無理を言いました。ただ、情報アクセスは解決するべき最大の課題であるとは申し上げておきたいと思います」
「そのあたりの課題も押さえておくとしよう。何かできることが見つかるかもしれない」
長崎さんは穏やかな声でまとめた。