1-2 ヒロイン候補の1人目が現れる
摘む刈りの巫女は、鼻が利く。
刈るべき獲物のいる方向は、夜風と一緒に運ばれてくる匂いが、教えてくれていた。
長い髪を夜風に揺らしながら、月の明かりが届かない暗い木立の間でも、迷いなく駆け抜けていく。
通った鼻筋と、薄い唇。
闇を見透かすように大きく開かれた目は、鋭さよりも幼さを感じさせる。
体つきもひどく小柄で―――つまり巫女は、14、5歳くらいの年端もいかない少女だった。
身につけているのは、ほとんど黒に見えるほど濃い、深緑色の“巫女装束”。
夜の森の静寂を破り、走る動作にあわせてガチャリガチャリと鳴るかしがましい音の正体は、手足に装備された、ガチガチの鋼板製の手甲と脚甲。
額に付けているのは、厚手の鉢巻に横長の金属板を取り付けた、鉢金と呼ばれる額だけを守る簡易的な兜。
手甲も脚甲も鉢金も、実用第一で無骨なつくりだがデザインは共通しており、おそろいの装備のようだ。
金属の表面は錆止め加工のためか一様に黒ずんでツヤもなく、着ている濃緑の巫女装束とあわせて、見た目は完全に木々の陰に溶け込んでいた。
手に持っているのは、両手で扱うタイプの、いわゆる“大鎌”。
非常に大振りで、柄だけでも巫女の身長より長いうえに、取り付けられた刃も肉厚で大きい。
ただ、その外見は奇妙だ。
大鎌と聞いて思い浮かぶような、木製の柄に一枚の刃を取り付けた、単純な構造ではなかった。
形の違う金属の部品を縒り合わせてなんとか棒状にした鉄製の柄。
刃も一枚の鋼ではなく、板金や用途不明の鉄片を繋ぎ合わせてできており、スマートな切れ味と言うよりはノコギリのようにゴリゴリと挽き切りそうな感じだ。
まるで用途の違う部品同士を持ち寄って強引に大鎌の形に纏めたような、無駄に大きくてゴツゴツとした不可思議な得物だった。
小柄な少女が、それだけの重武装をして息も乱さず、明かりもない夜の森を駆けている。
姿と形は夜の森に溶け込んでいたが、手足の鎧の音だけは非常にやかましく響いていた。
■
ザザザザッ―――
そんな巫女の不意を打つかのように、月の光も届かない木立の陰から突然、鞭のようにしなる無数の“何か”が一斉に襲い掛かった。
月明かりすら頼りない暗闇の中であることを差し引いたとしても、目にも止まらないほどの速さ。
加えて、襲い掛かるタイミングも完全に一致している。
その“何か”は間違いなく、この場所で周到に巫女を襲う準備を整えていたのだ。
「……見つけた」
けれど、まるでそれを予知していたように―――すでに、巫女の手の大鎌は、薙ぎ払われている。
いびつな肉厚の刃に切り飛ばされて地面に落ち、陸に打ち上げられた魚のようにビチビチと撥ねるのは、森の中に相応しくない、タコやイカのような触手……のようだが、よく見ると違う。
側面に大小の薄い葉を生やした、巫女の腕ほどの太さはあるだろう、大きくて長い、植物の“茎”
切断面から撒き散らされた液体も、粘り気のある血液ではなく、茎の中を流れるさらりとした養水だ。
大きさを別にすれば、その形はシダ植物の葉と茎に似ていた。
森の深みから来る、異世界の歪みに影響されてしまった植物。
動物をも捕食して養分にする方向へと変異してしまった個体。
摘む刈りの巫女が、その名前の通りに“摘み”、あるいは“刈る”べく追っていた獲物。
緑曲霊と、総称されるモノだ。
■
「ここはハズレ、かな……近づけてるのは、確かなんだけど」
待ち伏せの“罠”を返り討ちにした巫女は、その場を離れて再び森の中を駆け出した。
最初に襲い掛かってきた大茎をすべて刈り取った後は追撃もなく、調べも終えたために、その場に居続ける意味がなかったからだ。
追撃がなかったのは、ごく当たり前のことだ。
緑曲霊に、“知性”はない。
あるのは、普通の植物と同じ“習性”だけ。
だから、今のように罠を張って獲物を捕食するタイプの緑曲霊は、罠を張ることしかしないし、できない。
茎は意思ある触手のように獲物を襲うが、それはあくまでも待ち伏せの罠として、指定されたエリアに入った獲物を不意打ちするという習性に従っているだけだ。
仕留められた獲物はその場に放置され、土に還って緑曲霊を育てる養分になる。
獲物を仕留めそこなったら、茎を配置しなおして、茎が損傷したならば生えそろうのを待って、改めて罠を張りなおすだけ。
相手は、単なる植物。罠を壊した獲物に改めて襲い掛かるような、選択肢のある“戦術”は使わないのだ。
そしてそれが、巫女がまた走り回っている理由でもある。
今の罠には茎だけがあって、本体である“根”がなかった。
緑曲霊は森のどこかの地中に根を張って、そこからものすごい長さの茎を樹上や地中を通して伸ばし、森のいたるところに今と同じような罠を作っているのだ。
罠をいくつ潰しても肝心の根を掘り起こさなければ、この土地に緑曲霊の脅威を残すことになる。
こうして夜の森を移動しながら罠を潰すのは、罠に使われる茎の配置が根の方向を推測する材料になることと、そして―――
「……」
夜風が、ゆるく吹き抜ける。
巫女は仔犬のように心持ち上向いて、小鼻をひくつかせた。
風に運ばれる緑と土の匂いが、強く、そして濃くなった。
「来る」
最初の緑曲霊の攻撃を、予知のような読みで迎撃できた理由。
そして、巫女が根を探すために森を動き回っている理由。
摘む刈りの巫女は、鼻が利くのだ。
■
巫女は、その嗅覚で緑曲霊の動きを察知して足を止め、両手で大鎌を構えた。
大小さまざまな鉄片や金属糸で織り成されてどうにか棒状におさまっているその柄は、金属製の手甲を着けなければ手のひらが裂けて傷ついてしまうほどに、ヤスリじみて荒い。
名前は、“草刈りの薙鎌”。
その通り、草を―――緑曲霊を刈るための、得物なのだ。
匂いだけでなく肌で空気を感じ、タイミングをはかる。
すぅぅぅっ、と。
次の攻撃までのわずかな時間に腹から深く息を吸って、呼吸と、意識を整えた。
ザザザザッ―――
「ひゅ―――ッ」
息を吸い終わった瞬間に、木々の幹を伝い地を這って、一斉に襲い掛かってくる大茎。
すでにここは、さっきと同じく緑曲霊の“罠”の中。
鋭く長く息を吐きながら、重装備を感じさせない動きで畸形の大鎌を従え、死角からの攻撃すら捌いて、舞うように茎を刈り取っていく。
刈り捨てられた大茎から吐き出される、水の匂い。
掘り返され巻き上げられる、土の匂い。
大鎌の巻き起こす旋風で弾ける、緑の匂い。
複雑に入り混じるそれらをまとめて嗅覚で把握し、逆にその匂いの流れが不自然に断ち切られ乱される様子から、無数の茎の不規則な動きを知覚する。
もちろん状況はかなり限定されるが、擬似的に空間自体を把握するようなものだ。
視界の利かない夜の闇の中で、摘む刈りの少女は、嗅覚を研ぎ澄ませて緑曲霊と戦う術を身に付けていた。
そして、それだけではない。
(ここの罠、他のよりすごく広いし、茎の密度も高いよね……たどり着けたかな、根がある範囲に)
茎は、緑曲霊の生長とともに根を中心に同心円状に広がってゆき、森のあちこちに罠を作る。
必然として、根に近付くほどに罠の数や、そこに配置される茎の密度は高くなっていく。
だから“根が存在する場所”を含んだ罠の広さと茎の密度は、相当なものになるのだ。
探し当てたかも、しれない。
そして根が近くにあるとすれば、巫女の嗅覚は何よりの武器になる。
根の匂いをとらえて探り出すために、密度を増して襲い来る茎を刈り取りながら、広大な“罠”の中を駆け抜けた。
■
踏み進むごとに襲い来る触手のごとき茎の数は増え、その太さも増す。
育ち方から推測しても、このあたりの茎の“樹齢”は相当なものだ。
(うん、もう間違いない。根は、近くにある)
進むごとに強くなるのは茎の数だけではなく、匂いも同じだった。
息を継ぐ間もないほどに激しい刈り取りの最中、それでも巫女は深く、長く、細く―――呼吸を、紡ぐ。
根の匂いを、とらえるために。
茎の猛攻に対して、走る脚も、刈り取る刃も、止まらない。
けれど暗闇の中ですべての感覚を、嗅覚を、一層研ぎ澄ましていく。
そしてついに―――
「……見つけた」
巫女の嗅覚が、“根”を嗅ぎ当てた。
■
横殴りの茎の攻撃をジャンプで避けるのと同時に手近な木の枝に大鎌を引っ掛けて、反動をつけて振り子のように体を枝の上に引き上げる。
枝の上に乗った状態から同じことを2度3度繰り返し、獣のように木々の上を跳んで移動して、ついには樹上にまでたどり着いた。
「ここなら大丈夫かな……ちょっと不安定だけど」
木の上を生活圏にする獣がいたとしても、この高さにまで来ることは少ないはずだ。
それはつまり、動物をとらえるための緑曲霊の“罠”も、この位置には配置されにくいことを意味する。
もちろん可能性が低いだけで、罠の存在が皆無なわけではない。
巫女が数回の移動でそんな“罠の隙間”にたどり着けたのは、経験と勘、そして偶然が重なっただけだ。
とにもかくにも確保できた樹上の安全地帯で、巫女は根を掘り返す準備に取り掛かる。
これ以上に罠の密度が濃くなれば、茎の物量に対応しきれずに、不覚を取る恐れがある。
最後の一押しは、罠を避けて樹上から一気に地上へと強襲し、地中から根塊を引きずり出すのが良策なのだ。
ただ、地中にあるだろう根を引っ張り出すには、いかに肉厚の刃でも“草刈りの薙鎌”では形状的に無理がある。
だから、得物を変える必要があった。
手甲をつけたまま、巫女は緑曲霊の養液にまみれた大鎌の基部に触れ、その奇異な機構の一部に指をかけて引いた。
バコッっと、鉄板と鉄片の寄せ集めの基部が割れる。
同時に長い棒状の柄も大きな刃も、支えていた芯を抜かれたように崩れて、あっという間に大鎌自体が形を失ったのだ。
「よい、しょ……っと」
一見して本当の鉄板と鉄片の寄せ集めのようになった“元”大鎌を、今度は手馴れた手つきで寄木細工のように、左の手甲へ装着。
ガチャリと固定して、鎌を分解した時と同じように基部を操作すると―――バチン、と5本の“大爪”が立ち上がった。
月明かりがあるとはいえ、暗さで手元がほとんど見えない状況であっても、巫女の動きには全く停滞がない。
目をつむっていても組み立てられるくらいに、この得物の扱いに慣れているのだ。
「よし……ちゃんと、動く」
大鎌を崩して組み上がったのは、板金の手甲の上からさらに装着された、小柄な少女の左半身を覆うことができそうなほどの、広く大きな手甲だった。
先端には、人種の頭くらいなら簡単に握り潰せるくらいの長さと鋭さを持った、肉厚な5指の鉤爪。
内部を通る巫女の指の動きに連動して、鉤爪は1本1本が自由に動く。
名前を、“摘み取りの手覆い”という。
草刈り鎌から草の根抜き手袋へと変わった、緑曲霊の根を掘り返して根絶させるための、摘む刈りの巫女の得物の形態なのだ。
■
鉤爪手甲を準備し終えると、残るは“根”への強襲だけだ。
罠を起こさないように樹上から飛び降りて、根が埋まっている地点にピンポイントに到達。
落下の勢いを利用してそのまま“摘み取りの手覆い”で地面を穿ち、根塊を抉り出して、潰す。
当然、樹上にいる巫女には標的どころか落下すべき地面すら見えず、樹上から地面の間に存在する森の木々による枝葉の層は、地上からの匂いも音も曖昧にする。
頼りになるのは、ここに上がる直前までに得た、目と耳と鼻からの情報だけ。
巫女が最初から安全性が高いこの高度を維持して緑曲霊を探索しない理由は、単純に樹上からでは視覚でも、嗅覚でも、根を見つけることができないからだ。
「位置、確認よし」
事前に得た情報を頭の中で再構成し、根のあるだろう場所と、その深さ、土の固さ、そして掘り返すための角度と力加減を、綿密にシュミレートする。
希望的な楽観ではなく、経験と照らし合わせた冷徹な計算で、それは可能だと判断できた。
「じゃあ……いくよっ!」
全身をたわめて、“摘み取りの手覆い”を低く構える。
すうっ、と呼吸を整えて。
手甲や鎧の重さを利用し、足場の枝をバネ代わりにして、樹上から一気に降下。
木立の枝葉の層を突き抜けて露わになる、下草に覆われた暗い地面。
緑曲霊の根塊がある場所へと確信をもって振り下ろされるその先には―――
「ほぇ?」
全く予期しなかった“人影”がひとつ。
暗い色の髪の、少年の姿。
樹木さえ根っこごと抉って掘り返す“摘み取りの手覆い”の鉤爪は、まさにその頭上へと振り下ろされようとしていたのだ。
「ひゃっ―――えぇぇぇ!?」
少女はその夜の戦いの中では初めて、驚きのあまり年齢相応の―――というよりむしろ明らかに幼い、間の抜けた悲鳴を上げた。