ルールを破ると、記憶は消える
タオルで顔をふく。
水滴が残る手でスマホを見ると、朝は必ずきてる彼女からのメッセージがない。
何かあったか?
昨日のことを思い出そうとするが思い出せない。
昨日は、ルールを破ってしまったようだ。
ルールを破った日は記憶が消える。
それが俺のルールだ。
【ルール1、朝起きたら顔を洗う】
彼女とケンカでもしたのか?
朝のルールを破ったなら、その日の記憶が消える事は分かって過ごす。
だから、何か覚えておく事があれば細かく手帳に残す。
手帳には何も書いてなかった。
じゃあ、夜のルールを破ったのか……。
【ルール2、深夜0時は必ず寝ている事】
記憶が消えると分かっている朝のルールを破った日ほど細かくはないが、何か忘れてはいけない事があれば手帳にメモがあるはずだ。
0時直前に何かあって眠れなかった時は最悪だ。
メモする間もなく、直前の出来事は忘れる。
何か、深夜に彼女とケンカして忘れていたりはしないよな。
手帳にメモがないのにケンカしている場合もある。
一方的に彼女が怒っていて、俺が気づいていない時だ。
この場合は、ルールを守って記憶があったとしても、俺自身が大事な事だと思ってないんだから、忘れてる。
記憶があっても無くても話を合わせるしかない。
でも——、
もし、忘れたい嫌なことがあったなら?
自分の意思で0時まで起きていたんだとしたら?
例えば、俺の方が彼女に怒っていて、原因を忘れたいと思っていた場合だ。
忘れたら許せる事。
忘れなければ許せない事。
——なんだ?
ただ、昨日の俺は許したいと思ったんだろう。
だったら深く考えない。
ピロロ。
『おはよう。寝坊しちゃったよ。急ぐからまたね』
彼女からだ。
なんでもないメッセージ、いつも通りだ。
俺は返信して会社に行く。
「こんにちは、また店に来てください」
駅で、知らない男性に声をかけられる。
覚えがない顔だ。
昨日か、他の忘れてる日に会ったのだろう。
俺は、曖昧に返事する。
それにしては親しげだ。
昼休み。
ピロロ。
『娘は、亡くなりました——』
彼女からのメッセージだ。
亡くなった?
——どう言う事だ!?
俺は彼女の家に行く。
本当に彼女は死んでいた。
葬式も済んで、ただ遺影だけがある。
「何が、あったんですか!?」
俺が聞くと、彼女の母親がスラスラと話しなれた様子で説明してくれた。
自殺——。
そんな、まさか。
今朝もメッセージが届いたのに。
「娘が予約投稿していたみたいね。昨日もそれであなたにメッセージが行って、ここに来たんですよ。その前も、その前も」
覚えていない。
記憶が消えたんだ。
彼女の死を忘れたくて、俺が自分で消した?
「あなたが私に記憶が消えるルールを話してくれたんですよ。ずっと昔に倒れて、極度のストレスで脳に負荷が掛からないように、ルールを作って暗示をかけたって」
ほとんど誰にもした事がない、俺の欠落の話だ。
「最初は驚きましたけど。こうして毎日のように忘れて来ていただけると、娘がどれだけ愛されて幸せだったのか分かります……」
涙声になる。
俺も、この秘密を話してまで、彼女の行方を探していた俺自身に驚く。
そんなに彼女が好きだったのか?
心にぽっかり穴が空いたようなこの気持ちが、愛——。
「また、来てください……」
彼女の家を出て、手帳にも何も残さず、0時のルールを破る。
そうすれば、まだ、彼女は生きている。
明日も俺は彼女を探す……。
たぶん、そう言う事なんだ。
そう言えば、一昨日の記憶もない。
その前も、その前も……。
俺はいつから忘れてる——?
記憶の欠落は愛の重さだ。
俺は静かに涙を流しながら、家に帰る。
0時まで時間がある。
この悲しみを忘れられるまで、あと4時間。
なんで、彼女は自殺なんてしたんだ?
俺はスマホのメッセージを見た。
彼女とのメッセージの往復。
その時に読まなければ意味のわからない短文のやり取り。
懐かしくすべて思い出せる。
——だんだん、意味のある言葉が続くようになる。
『おはよう。寝坊しちゃったよ。急ぐからまたね』
見えないのに、彼女の事情だけが浮かぶようなメッセージ。
“娘が予約投稿していたみたいね”
なぜ、彼女は俺へのメッセージを予約する必要があったんだ?
ドクッ、鼓動が早くなる。
手帳を見る。
緊張で紙が上手くめくれない。
今月じゃないもっと前だ、もっと——。
『彼女が浮気している』
——メモがあった。
腕から力が抜けていく。
力なくにぎった手で開かれたページに、住所らしきメモ。
店の名前と電話番号。
検索する。
覚えがない。
店長の写真があった……。
今朝会った男性だ。
俺はこの店に行ったのか?
鼓動が更に早くなる。
——思い出してはいけない。
何があった!?
手帳を見る。
『彼女と水族館』
このメモは覚えている。
行こうと約束して、でも、行った記憶がない。
そのメモの後に、『彼女が浮気している』とある。
もしかして、俺はこの日から、ずっと記憶がないのか?
……。
彼女の最期 の かお 。
ルールは絶対じゃない、ただの暗示だ——。
暗示が解ければ思い出す。
冷や汗が全身から吹き出す。
身体が自分のモノでないように重く、汚れている。
だから、俺は時計の針が0時を指すのを見た。
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