5.負けヒロイン、窮地(きゅうち)に陥る
(――足、動く。腕、痺れてるけど、痛みはない)
しばらくの間、茫然自失で地面に倒れていた私は、その後なんとか身体を起こした。手足をざっと見て、異常がないか確認する。
熱を持つ額に触れると、激痛が走った。何かで切ったのだろう。それ以外は、無数の擦り傷と打ち身。不幸中の幸いで、捻挫や骨折はなさそうだった。
目眩はだいぶ落ち着いてきた。それでも、あの高さの斜面を登り切る自信は、さすがにない。あたりを見渡しても、どこをどう行けば元の道に戻れるのか、まるで分からなかった。
(日が暮れたら、こんな外套一枚じゃ心もとない。獣だって……)
真剣な表情で念を押していた看護係の修道女の姿を思い出し、思わず背筋が冷える。動き回って迷子になるのも怖いが、ここでじっとしているのも恐ろしい。
「大丈夫、大丈夫……」
懸命に自分に言い聞かせて、私はそろそろと立ち上がった。全身が痛むけれど、両足に力は入る。
考えていてもしょうがない。助かる確率を上げるためには、自分で行動するしかないのだ。
震えかける膝を騙し、斜面に手を触れながら、私は歩き出した。太陽はすっかり真上にのぼり、私の姿を弱々しく照らし出していた。
息が上がり、私はその場にしゃがみ込んでしまった。
怪我の出血に加えて、突き落とされたショックと、誤魔化しきれない焦りと心細さ。想像以上に、消耗してしまっていたようだ。足が動かなくなり、斜面にもたれ掛かって息をつく。
(どうしよう……)
木々の合間からのぞく薄青の空を、力なく見上げる。
南中を極めていた太陽が、少しずつ西に傾き始めていた。歩いても歩いても、一向に斜面の上に続く道が見つからない。
日が落ちてしまえば、秋とはいえ、寒さは耐え難いものになるだろう。冬を前にして、獣たちは食糧を食べ溜める時期だ。遭遇してしまったら、どうなるか。
呼吸が出来ない。手足が冷たくなり、全身がガクガクと震え出す。
(落ち着くのよ。まだ日没まで時間はある、頑張ればなんとか……)
早鐘を打つ心臓をなだめ、二度三度と深呼吸を繰り返した。内心で自分に言い聞かせて、なんとか立ち上がろうとする。
その時だった。
――ガサガサッ!
荒い呼吸を繰り返す私の前で、突然、茂みの一角が音を立てて揺れた。
「――っ」
思わず息を飲み、ギュッと目を瞑る。地面に根が生えたように、へたり込んだまま動くことが出来ない。縋るように、外套の合わせを握り締めた。
「……フェリシア!」
(ヴィンセント……様……?)
聞き慣れた声に名前を呼ばれ、私は恐る恐る目を開けた。茂みをかき分け、息を切らしながら駆け寄ってきたヴィンセント様が、掴みかかるように私の両肩に手を添える。
「フィー、大丈夫か!? ッ、その額……!」
青ざめた顔で叫び、ヴィンセント様は慌てて取り出したハンカチーフで私の額を拭った。血はだいぶ前に止まっていたけれど、優しいその手つきに、私の中の何かが緩んだ。
気が付けば私は、ヴィンセント様の腕の中で泣き出していた。
私が泣き止むまで、ヴィンセント様はずっと背を撫でてくれていた。
「フィー、もう大丈夫だ」
「怖かったな。よく頑張った」
私の耳元で繰り返し囁くヴィンセント様の声は、穏やかで力強い。温かな手とその声にようやく落ち着きを取り戻し、私は顔を上げた。
「ヴィンセント様……どうしてここに……?」
ヴィンセント様は小さく微笑み、私の髪を整えながら答えた。
「君が戻らないことを不審に思った者たちが、同行していたはずの二人を問い詰めたそうだ。はじめはしらばっくれていたようだが、最後には事情を話して……。話を聞いたうちの一人が、君を助けてくれと、騎士団に駆け込んで来た」
それを聞いて、居てもたってもいられなかった。
じっとこちらを見つめてそう呟くヴィンセント様と、その話の内容をどう受け止めて良いのか分からず、私は俯いてしまう。ヴィンセント様が苦笑を浮かべたのを、気配で感じ取った。
「ペネロープ様といったかな? 我々が心配になるほど焦燥されていた。早く戻って、無事な姿を見せてやろう」
そう言って、ヴィンセント様は私を促して立ち上がる。差し出された腕を頼りながら、私も立ち上がった。
私の怪我を気遣いながら、ヴィンセント様はゆっくりと歩き出す。手を繋がれたまま、私も黙ってその後ろに続いた。




