4.負けヒロイン、戸惑う
(――いやなんで!?)
四日後、当たり前のようにヴィンセント様が食材を運んでやって来た。私は思わず目を剥いて、野菜籠を背負った元王太子様を凝視する。
言葉の出ない私に、ヴィンセント様は籠を揺すりながら、にこやかに言った。
「おはよう、フェリシア修道女。今夏はトマトが豊作だそうだ」
そして勝手知ったる様子で、私を置いてさっさと蔵に向かっていく。慌てて後を追って走り出し、私はヴィンセント様の正面に回り込んだ。
「……どういうおつもりですか? 騎士様」
「ん? 私は団の中で一番の下っ端だからな。肉体労働も仕事のうちだ」
何かを吹っ切ったような良い笑顔。私は何も言えず、思わず数歩後退る。ヴィンセント様は「そんな歩き方をしたら転ぶぞ」と苦笑し、再び歩き出した。
蔵に食材をしまい終え、空の籠を右肩に引っ掛けながら、ヴィンセント様は言った。
「何か希望の品があれば言ってくれと、修道院の皆に伝えておいてほしい。贅沢な嗜好品は無理だが、野菜や茶ぐらいならなんとかなるだろう。手に入るようなら、持って来る」
(急に何なの? というか、次も来るつもりなの?)
半ばパニックになりながら考えていると、不意にヴィンセント様が顔を近付けてきた。私は驚きに目を見開く。
「……フィー。『迷惑』なのは、私のせいで、ここでの立場が悪くなるからか?」
直接的な言葉に、肩がギクリと跳ねる。ヴィンセント様は苦笑し、そんな私に丁寧に頭を下げてみせた。
「では、また。四日後に」
颯爽と去っていく後ろ姿を、私は呆然と見送ることしか出来ない。記憶にあるよりも逞しくなった後ろ姿は、振り返ることなく門の向こうに消えていった。
「何なの、いったい……」
思わず漏らした呟きに、答える人は誰もいない。
ヴィンセント様の言葉を、伝えた方も聞いた方も半信半疑に捉えていた。
けれど、ためしにと財務係の修道女が所望したロウソクの増量は、次の配達品に反映されていた。以来、毎回とはいかないものの、生活に必要だと申し出た品のうちのいくつかを、ヴィンセント様は運んで来てくれた。
今まではどこか冷ややかに、ヴィンセント様を遠巻きにしていた修道女たちも、秋になる頃には彼の訪問を楽しみにするようになっていた。「単純だな」と思わずにいられないけれど、食事を抜かれる頻度も段々減って来て、複雑な気持ちになる。
憮然とした表情を浮かべる私に、ヴィンセント様は今日も笑顔で布袋を渡してくる。中身はアルコールで、修道女の個室や食堂の清掃に使いたいと、看護係が頼んだものだった。修道女たちの居室は薄暗く湿りがちで、極寒の冬には体調を崩す者が多く出ると聞く。
更生施設の意味合いの強いこの修道院で、修道女たちの健康を気にかけ、要望を聞いてくれる騎士は稀だ。ヴィンセント様の去り際、陰で様子を伺っていた副院長たちが、涙を拭っていたのが印象的だった。
ある日、私は看護係の年配の修道女の部屋に呼ばれた。私の後ろには、同年代の先輩修道女が二人続いていてる。
部屋に集まった私たちに向かって、看護係の修道女は、いつものしかめっ面で告げた。
「冬に備えて、裏山の薬草を採りに行ってください」
私はその言葉を受け、首を傾げた。隣の二人も、物言いたげに年配の修道女を見ている。
風邪や腹痛、止血など、よく使う薬草類は一通り、彼女の指示で修道院内の畑の一角で育てている。わざわざ裏山まで行く必要があるのだろうか。
私たちの困惑を感じたのか、年配の修道女は重々しく続けた。
「今年の冬は例年と比べても、特に寒くなるとの予測です。風邪をこじらせる者も多く出るでしょう。肺の病によく効く薬草ですが、栽培が難しく、裏山に自生しているものを採集するしかないのです」
そういう事情かと、私は素直に頷いた。自生場所や、その薬草の姿を確認する。看護係の修道女は人数分、姿や特徴を記す絵を描いてこちらに渡してきた。
彼女は最後に、念を押すように言った。
「外套と、獣よけの鈴を忘れずに。昼食までには戻るのですよ」
私たちは揃って頭を下げ、彼女の部屋を後にした。
連れの二人は嫌そうな顔で、草むらをかき分けている。私はそんな同輩を尻目に、摘んだ薬草をせっせと籠に放り込んだ。彼女たちは時折ヒソヒソと顔を寄せ合っているが、私は聞こえないふりを続けた。
ヴィンセント様が便宜を図ってくださっている――というか、今までの騎士がサボっていた仕事に、真面目に取り組んでいるだけだが――おかげで、修道女の私への仕打ちは少しずつ落ち着いていた。釈然としない気持ちはあるものの、嫌がらせが減り、環境が改善しつつあるのも事実だ。
一心不乱に薬草を探していると、不意に、二人組のうちの一人が、背後から私を呼んだ。
「――ねぇ、フェリシア修道女。こちらに生えてるのも、同じ薬草?」
普段から素っ気なく、「ちょっと」「あんた」としか私を呼ばない同輩たちが、親しげに名前を口にするなんて。あとから考えれば違和感しかなかったけれど、その時の私はいくらか気を抜いていた。
二人組の同輩は斜面の淵に立ち、下の地面を指さしていた。私も横に並んで、じっと目を凝らす。
自分たちの身長の、倍ほどの深さの地面。そこには確かに、採集を命じられた薬草の群れがあった。
「……そうだと思います」
絵を見ながら頷くと、彼女たちはパッと顔を輝かせた。
「良かった! これだけ摘んで帰ったら、ペネロープ様に喜んでいただけるかしら?」
いつになく親しげな様子に、私も頬を緩ませてしまう。ちなみにペネロープは、看護係の老修道女の名だ。
王都の学園に通っていた頃、運動は得意だった。実家の領地は田舎で、子どもの時分は山道を駆け回ったものだ。つい、言葉が口をついて出る。
「私、採ってきます。そちらの籠をいただけますか?」
背負っていた籠を一人に預け、ほとんど空に近い籠を背負い直す。「気を付けてね」という心配そうな声に頷き、斜面に身を乗り出した。
その瞬間。
「――っ!?」
背後から籠を思いっきり押され、私は大きくバランスを崩した。
咄嗟に伸ばした手は虚しく空をかき、視界が目まぐるしく回転する。
身体が斜面を転げ落ちる。
「――っ!」
強かに身体を打ち付けて、落下はようやく止まった。強烈な目眩と耳鳴りに揺れる視界に、こちらを覗き込む二人組の姿。その口元に浮かんだ笑みが、歪んで見える。
そのうちの一人が、吐き捨てるように言った。
「いい気味。痛い目を見ればいいのよ。
……恥知らずの泥棒猫、こんなところでまで王子様を侍らせて。おまけに、王子様を利用して私たちに媚びるなんて。どこまで恥知らずなの?」
(ああ……全然、何も変わってなかったんだ……)
呆然と地面に横たわったまま、私はぼんやりとそう思い至る。
そんな私を置いて、二人は足早にその場を立ち去って行った。




