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3.負けヒロイン、怒る

「……っ、クシュン!」


 堪えきれずに出てしまったくしゃみに、ヴィンセント様が驚いたように振り返った。


「――フェリシア修道女? 大丈夫か?」


 失礼いたしました、と答えながら、私は密かに鼻をすすった。

 真夏とはいえ、国の北端に位置するこの地の夜は冷える。昨夜、虫の居所の悪かった先輩修道女に言いがかりをつけられ、バケツの水を頭から浴びせられた。そのせいで少し、風邪気味だったのだ。修道服もまだ湿っている。

 何か言いたげな様子だったヴィンセント様が、不意に距離を詰めて来た。驚いて身を引きかける私の腕を掴み、怖いほどに真剣な表情で私を見つめる。


「……フィー。もしかして、他の修道女と、上手くいっていないのか?」


 無遠慮なその言葉に、思わずカッと頬に血が上る。何を思ったのか、ヴィンセント様は私の返事を待たず、言葉を重ねた。


「もし不当な目に遭っているのなら、然るべき相手にきちんと訴えるべきだ。……気付いていないのか? そのやつれ方は、いくら清貧を重んじる修道院とはいえ、尋常ではない」


 震える拳を懸命に堪えながら、私は誤魔化すよう笑った。

 最初に顔を合わせた時、ヴィンセント様の頬にあった殴られた痕は、少しずつ薄くなっている。新たに増えた様子はない。

 二人の間を吹き抜けた風が、湿った修道服に包まれた私の身体を冷やしていった。


「――ヴィンセント様は、なぜ、この地に来られたんですか?」


 問いに答えようとしない私に、微かに眉を(ひそ)めながらも、ヴィンセント様は私を真っ直ぐに見据えて言った。


「君に、もう一度会いたかった。会って、詫びて、それから……」

「それから?」


 畳み掛けるような私の問いに、ヴィンセント様は今度は答えない。逸らされた目線に、私の心の中の何かが、瞬時に音を立てて崩れ落ちていく。

 気が付けば私は、大声でヴィンセント様に詰め寄っていた。


「――誰のせいだと思ってるんですか!?」


 私の突然の怒声に、ヴィンセント様は息を飲んで目を見開いた。

 その表情すら腹立たしくて、言うつもりのなかったことまで、次々と口から溢れ出てしまう。


「王都から追放されたことは、私にも原因があります。そのことをどうこう言うつもりはありません。

でも、ここで同輩たちから白い目で見られ続けてるのは、誰のせいか……本当に分からないんですか!?」

「フィー、いったい、」

「――貴方のせいよ!!」


 そう叫び、私は両手で顔を覆った。


 言われるまでもなく分かっている。針仕事や水仕事に手先は荒れ、食は進まず指は枯れ木のよう。

 軽蔑され、爪弾きにされて。院長や副院長がいない日には食事も抜かれ、理不尽な暴力を振るわれる。

 自業自得なのは分かっている。

 それでももう、限界だった。


「私が皆からなんて言われてるか、本当にご存知ないんですか!?

……聖女様を傷付けて。王太子様を惑わせただけでは飽き足らず、こんなところまで追い掛けて来させて。とんだ恥知らずの淫婦だって……!」


 目頭が熱い。喉が引き()り、呼吸が苦しい。


 ヴィンセント様さえ、ここに来なければ。私は、「身の程知らずの元子爵令嬢」として、馬鹿にされるだけで済んだ。

 ……でも、ヴィンセント様は現れてしまった。そして周囲は、彼を、「身を滅ぼしても火遊び相手を忘れられず、ここまで追いかけて来た哀れな方」だと見ている。

 ヴィンセント様は、元王太子だ。そんな高貴な方に道を踏み外させ、こんな僻地(へきち)にまで追いやった極悪人だと、修道女たちは私を責め立てる。

 初めはヴィンセント様に暴力的に振る舞っていた騎士たちも、日頃の鬱憤をぶつけ続けるには「元王太子」という身分は尊すぎた。


 荒い呼吸を繰り返す私に、ヴィンセント様は傷付いたような表情を浮かべている。その顔が悲しくて、その表情に苛立って、涙が後から後から溢れてきた。


「――お詫びなら、もう十分です。そもそも、謝っていただくようなことなんてありません」


 俯き、私はそう告げる。ヴィンセント様がこちらに近寄ってくるけれど、私も同じだけ後ろに下がる。

 上げかけた腕を所在なさげに彷徨(さまよ)わせているヴィンセント様を、私は切り捨てるように言った。


「……失礼します」


 フィー、と私の名を呼ぶ声が響くけれど、私は振り返らなかった。



(さようなら、ヴィンセント様)



 あそこまで言えば、彼はもうここには現れないだろう。

 怒りや悲しみ、恥ずかしさでぐちゃぐちゃの胸の奥が痛いように感じるけれど、――きっと気のせいだ。

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