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2.負けヒロイン、驚く

 聖ジョアン修道院での単調な毎日は、あっという間に一ヶ月が過ぎていた。

 早朝、夜課の祈り。朝食をとり、聖書を読む。

 朝七時頃には賛課の祈り、ミサ、また読書。三時課の祈り、就業、六時課の祈り、十二時前に昼食。

 再び就業、九時課の祈りを経て、十七時には夕食。十九時過ぎには就寝だ。


 小競り合いの絶えない隣国との境にある修道院を、訪れる人はほぼいない。私たち修道女が顔を合わせるのは、訓練で負った怪我の手当や薬を求めてやって来る、地元の騎士団員ばかりだ。その彼らも、娯楽のない土地を嫌ってか、入れ替わりが激しいそうだ。

 

 私は淡々と、命じられた仕事をこなした。時には繕い物が終わらず、消灯時間後にひっそりと自室で作業することもある。

 こんな辺境の地にも、聖女アンジェリカ様の評判は届いていたようだ。聖女様を(おとし)めようとした女に、信心深いとは言い難い修道女たちですら容赦(ようしゃ)なかった。食事を抜かれたり、修道服を汚されるのはしょっちゅう。

 騎士団員も同様だ。運んできた重たい荷物を私一人に押し付けてきたり、手当ての最中に卑猥(ひわい)な言葉を投げ掛けられたり。


 自業自得だと、諦めるべきなんだろう。


 油断するとこぼれ落ちそうになる涙を懸命に押し殺して、私は働き続けた。







 三ヶ月目に入る頃には、ここでの生活にも、冷遇されることにもすっかり慣れた。

 その日も訪問を告げる鐘が鳴り、私は黙って門へ向かった。いつもなら、古びた革鎧に身を包んだ騎士が数名でその辺にたむろしているけれど、今日は人影は一つだけだ。彼らと同じ革鎧を着ているから、騎士団員なのは間違いないけれど。


「あの……」


 やや離れた場所から声を掛けた私に、その騎士は弾かれたように振り返った。

 目が合い、私も息を飲む。


(ヴィンセント様……!)


 アメジストのような深い紫の瞳。間違いなく、かつての王太子、ヴィンセント様だった。

 美しい艶を誇ったハニーブロンドは、今は短く刈り込まれて、ややくすんでいる。白く滑らかだった肌も、日焼けして荒れている。頬はこけ、ところどころに殴られたような痣があった。


 驚きに立ちすくんでいたけれど、それはヴィンセント様も同じだったのだろう。一応下級貴族だった私も、今や労働に疲れ切り、手先だってボロボロだ。


 変わり果てたお互いの姿を見つめ合う、その無言の時間を破ったのはヴィンセント様だった。



「――食材を、運んで来ました。どこに運び込めば?」



 小麦の大袋が載った荷車の傍らに立ち、背負った籠には大量の野菜。剣より重いものは持ったこともなかっただろう、かつての王太子様は、本来なら数名で持つような大荷物を一人で運んで来たようだ。

 私は無言で蔵を指し示し、歩き出す。本当は手伝いたかったけれど、私みたいな非力な人間が手を出せばかえって危ないことは、この数ヶ月で学んでいた。肩に食い込む籠紐に、思わずもれたのだろう低い呻き声も、聞こえない振りをした。

 全ての食材を蔵にしまい終え、再びヴィンセント様を先導して歩く。門の手前で足を止め、無言で頭を下げた私に、躊躇うようにヴィンセント様が声を掛けた。


「フィー」


 かつてのように愛称を呼ぶ声に、私の胸の奥がギュッと音を立てる。目を伏せたままの私に、ヴィンセント様は消え入りそうな声で続けた。


「……こんなことに巻き込んで、すまなかった」


 何故だろう。非難の声より、嘲笑より、その謝罪の言葉が一番胸に痛かった。

 黙ったままの私に、ヴィンセント様も俯いてしまう。しばし、二人の間に気まずい沈黙が流れて、私は無言で(きびす)を返す。

 そんな私の背中に、ヴィンセント様は再び声を掛けてきた。


「フェリシア、また来る。その時は、また顔を見せてくれたら嬉しい」



(どうして……)



 そんな言葉が、ぐるぐると頭の中を駆け回る。どうしてこんなところにいるのか、どうして期待を持たせるようなことを言うのか。

 どうして、そんな言葉を口に出来るのか。


 振り切るように、けれど拒絶の言葉を口にすることも出来ず、私はその場を駆け去った。







 ヴィンセント様はその言葉通りに、五日に一度、修道院に食材を届けに来た。小麦などの大掛かりなものの配達は一月に一度なので、普段はもう少し身軽だ。

 この土地は狭く、噂はすぐに駆け巡る。孤立した私の耳にも、修道女たちのヒソヒソ話は入って来た。

 元王太子のヴィンセント様は王族の身分も剥奪されたため、騎士として生きていくことを決めたそうだ。お飾りの役職ではなく、平民に混じって厳しい訓練を受けて、最下級の地位からのスタートだった。

 そうして、自ら希望し、最も過酷と言われるこの北東の地の騎士団に配属された。

 長い平和を謳歌(おうか)するこの国で、ここは唯一、隣国からの不定期な侵攻に(さら)される場所だ。秋には飢えた獣が、冬には極寒が待ち受ける。そんな土地に元王族が耐えられるはずがないという、周囲の冷ややかな目をよそに、ヴィンセント様は真面目に働き続けていた。


 修道女たちは軒並み、ヴィンセント様を避けた。自然、食材の運び込みの手伝いは、私の仕事になっていた。




「フェリシア修道女」


 あの日以来、ヴィンセント様は私のことをそう呼ぶ。


「騎士様」


 私は一度も、ヴィンセント様の名を呼ばない。

 微かに悲しげな目を向けられても、私は気付かない振りを貫き通している。

 その目に見られる度、言いようのない感情に苛まれながら。

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