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直哉が家に着く――いや、着く前から。 スマホのバイブが小刻みに震え続けていた。 画面には、怒涛のLINE通知。 差出人はもちろん、地縛霊ヒロイン・藤本結衣。
『ねえ! 何してるの!』
「何もしてねえよ。これからKOストアで肉買って帰る」
『うんうん、あそこ安いよねー。でも今日は魚にしなさいよ、魚!』
「なんでお前にそんなこと言われなきゃなんねーんだ? 俺は肉の気分なんだよ」
『私は魚が食べたいんだもん!』
……理不尽。 これぞ、地縛霊の横暴。
(なんで幽霊に晩飯のメニューまで指図されなきゃなんねーんだよ……)
直哉はため息をつきながら、スマホをポケットに突っ込む。 しかし、バイブは止まらない。
『サバ!サバがいい!塩焼き!』
(鯖はなぁ・・・サーモンにしよ)
『あと味噌汁も!豆腐とわかめ!』
『あ、でも直哉の好みも聞くよ?一応ね!』
(一応ってなんだよ……)
直哉は思う。 この子、死んでるのに、めちゃくちゃ生きてる。
ある程度は覚悟していた。
暇で仕方ない地縛霊とラインでつながるってことは、多少の干渉くらいはあるだろうと。 でも――まさかここまでとは。
スマホの通知は、もはや日常のBGM。 画面の向こうから、結衣の“生きてるテンション”が容赦なく飛んでくる。
『牛肉とかダメだよ、魚にしなさいよ、魚!』
「……しゃーねーな」
ぼやきながら、直哉はKOストアで鮭の切り身を手に取る。 肉の誘惑を振り切り、魚を選んだ自分に、ちょっとだけ敗北感。
帰宅後、ご飯とインスタント味噌汁を添えて、 スマホでパシャリ。 そして、結衣に送信。
(……優しい! だから直哉って大好き!!!)
画面の向こうで、結衣は満面の笑み。 心の中で「好き」を隠す気なんて、さらさらない。
『そうそう! お魚の方が体にいいんだから!』
「まったく、うるせえな。好きなもんくらい食わせろよ」
口では文句を言いながらも、 結局は魚を選び、きちんと焼いて食べる直哉。
その不器用な優しさに――
結衣の胸は、ぎゅん、と甘く鳴った。
(……この人、ほんとにズルい)
幽霊なのに、恋する気持ちは止まらない。 むしろ、死んでからのほうが、ずっと鮮やかに心が動く。
「……でも結衣、お前食べられないだろ。いいのか?」
「うん! なんかね、私も一緒にご飯食べてる気分になれるの!」
直哉は、鮭の切り身をじっと見つめる。 分厚くて、脂が乗っていて、焼き加減も完璧。 口に運ぶと、じゅわっと広がる旨味に、思わず目を細めた。
(……そういうもんなのか。でも結衣が喜んでくれるなら、それでいいか)
二切れ入りだったので、残りは明日に回すことに。 塩焼きにするか、ホイル焼きにするか―― そんなことを考えていると、スマホが震えた。
『明日はね! 残った鮭でクリームパスタだからね!』
「……勝手なこと言いやがって」
そうぼやきながらも、直哉の脳内ではすでにレシピが組み立てられていた。
(クリームパスタか……そっちは盲点だったな。平麺のほうが合いそうだな……)
結局、結衣の提案を肯定してしまう自分に、苦笑い。
(……俺、完全に憑りつかれてんな)
でも―― スマホの向こうで、結衣はきっと満足げに笑っている。
幽霊なのに、今日の晩ごはんに口出ししてくる。 幽霊なのに、明日のメニューまで決めてくる。
そして、幽霊なのに―― 一緒に食べてる気分になってくれる。
(……ま、いっか)
直哉は、残った鮭をラップで包みながら、ふと空を見上げた。
そして結衣から送られてきたのは、案の定クックパッドのレシピURL。
「わーったわーった! 作ればいいんだろ、作れば!」
口では投げやりに言いながらも、今日の鮭バター焼きで満足感に包まれていた直哉。
その声色には、不思議と悪い気分は一切混じっていなかった。
結衣とのLINEが延々と続く中、不意に「プツ」と会話が途切れた。
「ん? どうした? ……アスパラガス買って来いってことか?」
明日のパスタの具材まで細かく指定していた結衣に返事をする。
しかし、そこから返信がない。
「おい」「返事しろよ」「何かあったのか?」
何度もラインを送るが既読もつかない。
(……まさか、何かあったのか? 結衣……!)
不安が胸を締めつける。
直哉は上着を羽織り、靴を乱暴に突っかけると玄関を飛び出した。
歩いて二十分かかる花壇まで、息を切らしながら走って十分弱で到着。
肩を上下させ、荒い呼吸の中で名を呼ぶ。
「……はぁ、はぁ……結衣……」
その前に、ふわりと空気が揺らめいた。
「結衣! いるのか!? 大丈夫なのか!?」
直哉がスマホを取り出すと、画面に文字が浮かんだ。
ト……トト……
『大丈夫だよ、直哉。もしかして、心配で来てくれたの?』
「お前、突然既読もつかなくてさ……どうしたんだろうって」
すると、予想もしないメッセージが返ってくる。
トト……トトトト……
『見て直哉、スタバ!』
「スタバ? ……スタバがどうしたんだよ?」
『閉店してるでしょ? だから時間でWi-Fi切れちゃうんだよ!』
「……っ!」
一瞬、頭が真っ白になる直哉。
てっきり結衣に何かが起きたのかと思い、悪い方にばかり考えていた自分が馬鹿らしくなる。
その肩に、ふわりと感じる柔らかな感触。
(私のこと、心配で走って来てくれたんだ! 嬉しい、嬉しい、嬉しいいいいい!)
結衣は見えないのをいいことに、直哉に思い切り抱きつき、頬ずりしていた。
「……おい、何してんだ? なんとなくわかるぞ」
『な、何もしてないから! 気のせいだから!』
(でも嬉しい……! 直哉、本当に大好き!)
「……大丈夫なら良かったよ。じゃあ、また明日な」
トトト……トト……
『うん! また明日ね! おやすみ直哉! 来てくれてありがとう!嬉しかった!』
直哉は少しバツが悪そうに視線を逸らしながらも、心の奥底では安堵していた。
(……何もなくて良かった。まったく、結衣の奴……驚かせやがって)
そう思いつつ、どこか温かさを抱えたまま、再び夜道を歩き始めた。
翌日、大学の午後の講義を受ける直哉のスマホは「お祭り状態」になっていた。
「もうバッテリー半分切ってるんだから!」
「直哉直哉直哉!減ってく減ってく減ってく!」
「残り1メモリ!早く来ないと死んじゃうTT」
「昨日の夜持って来てくれればよかったのにいいいいいいい!」
LINEの通知は、もはや救難信号というより空襲警報。
至急スタンプが爆撃のように画面を埋め尽くしていく。
(……あぁ。ほんっと、うるせえ)
そう思いつつも、直哉は結局コンビニで金を下ろし、買い物をしてバイトへ。
一時間前から結衣の既読が途絶えているのは、バッテリーがついに落ちた証拠だろう。
そして夜。バイトを終え、花壇に駆け付けた瞬間――
「直哉ぁぁぁぁぁ!!」
飛びついてくるような感覚に思わずよろめく。
その勢いのまま結衣の文字が画面に溢れ出す。
トトトトト……トトトトト……
「遅い遅い遅い!もうスマホ死んじゃったんだから!責任とれーっ!オニ!冷血漢!」
「どう責任とれってんだよ!つけっぱにしてりゃそりゃ落ちるだろ!」
「でも!私スマホ無かったら死んじゃうもん!」
(もう死んでるじゃねーか)
――口には出さない。さすがに。
「わーった!……そんなお前に、良いものを買ってきた」
「良いものって何よ?この放置魔!人でなし!」
(はぁ?放置魔って何だよ?)
罵倒が飛ぶ中、直哉が取り出したのは黒光りする長い筒。
まるで爆弾のように見えるそれに、結衣の目が丸くなる。
「……!直哉、それ……!」
「ああ。大容量モバイルバッテリーだ。昨日のやつの6倍。これならそうそう切れねぇ」
「わぁぁぁぁぁ!!!」
飛び上がるように喜ぶ結衣。透きとおった腕が直哉の首に絡む。
(やっぱり……優しい……優しすぎる……!大好き!)
「……ついでに貸せ」
「え?」
結衣のスマホを受け取り、直哉は何やらアプリをDLし始める。
「なになに?何してるの?」
「まあ見てろ。お前、暇なんだろ?普段」
数分後、画面に現れたのは――ネトフリのログイン画面。
数字とパスワードを入れると視聴可能な作品がズラリと並ぶ。
「ネトフリ、1回線増やしといた。これで同時に観れる」
ぶっきらぼうに言う直哉。けれど耳まで赤い。
「…………っ!」
結衣の感情は、一瞬で爆発した。
「ありがとう直哉ぁぁぁ!!大好き!!今日は映画観る!!一緒に観るの!!」
「……暇つぶしになると思っただけなんだが……」
「直哉は何好き?アニメ?映画?私は何でもいいよ!じゃあ決まり!キメツの一話から毎日一緒に観るんだから!」
「毎日はやめろ。死ぬ」
「ダメ!観るの!!」
こうして地縛霊と生者の“遠隔おうちシアター”が始まった。
直哉は家に戻り、結衣は花壇の裏でLINEで実況し合いながら同時再生する。
「今の!見た!?すごいよね!」
「あー、うん」
「絶対ちゃんと見てない!巻き戻して!55:49!」
「わかったわかった!」
そうして二人で動画を見ながら騒いでいると気づけば閉店時間。
スタバの看板の明かりが落ちる。
「……そろそろじゃないか、結衣」
時計を見やる直哉から入るライン、もうすぐスタバのWi-fiが落ちる時間だ。
「……うん。じゃあまた明日、待ってる」
「了解だ。おやすみ、結衣」
「……おやすみ、直哉」
看板の光が消えて薄暗くなった街角で、一人取り残される結衣。
ほんの数分前まで一緒に大騒ぎしながらアニメを見ていた記憶が嘘みたいに遠くなる。
ふいに大好きな直哉が遠くなったような錯覚に陥る結衣、連絡を取りたくても取れない、取る手段が何もない自分の無力さに涙が出る。
「直哉ぁ……早く会いたいよ……寂しいよぉ……」
膝を抱え、透明な頬を伝う涙。
一方その頃、直哉もまた自室で――
(……アイツ絶対、泣いてるな)
無言で予備の大容量バッテリーを充電器につなぎながら、結衣のことを考えていた。




