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手落ち

直哉は、夜の静けさに紛れて結衣の部屋へと足を踏み入れた。

そこは、まるで時が止まったかのように――結衣が生きていた頃のままだった。




「結衣の部屋なんだが……そろそろ片付けないか? ずっとこのままというわけにもいかんだろう」

数日前、結衣の父が母にそう提案していた。


だが母は烈火のごとく怒った。

「何言ってるんですかあなた! 結衣が死んで、まだ一か月も経ってないんですよ! もう少しくらい……いいじゃありませんか!」


その一言で、部屋は今日に至るまで手付かずのままだった。


母の抵抗が無ければこの日曜日は父が率先して部屋を片付け、ゴルフの道具や趣味で集めている釣り竿などを庭の物置から運びこんでいた事だろう。




机の上には中途半端に終わった課題、壁には推しアイドルのポスターや友人と笑うスナップ写真。

ベッドの脇には、乱雑に放り出された携帯ゲーム機とカセット。




(……結構ガサツな女だったんだな)

そう心の中で毒づきつつも、直哉の視線は自然と部屋全体を巡る。


本棚に並んだ漫画は巻数がバラバラ、ジャンルも無秩序でごちゃ混ぜ。

窓際のサボテンは茶色く干からび、見るも無惨な姿をさらしていた。


(サボテンすら枯らす女かよ……)

半ば呆れながらも、妙に胸の奥がざわつく。


サボテンに水をあげる為に買われたであろう霧吹きは中身がすっからかん。


結衣が死んでからの20日前後でこうはならない、恐らくその何年も前からこうだったのだろう。





散らかった机の上、壁にかけたあった上着のポケット、引き出しの中――。

直哉は一つひとつを丹念に探りながら、結衣のスマホを求めて指先を動かしていった。




直哉は額に汗をにじませながら部屋を見回していた。

女の子が亡くなったあと、彼女が持っていた持ち物はどうやって部屋に戻ってくるのか――そんな素朴で、しかし切実な疑問が頭をよぎる。


(バッグだ……死ぬときに持っていたバッグの中じゃないのか?)


ひらめきのように思いついたその考えに突き動かされ、直哉は部屋の中に散らばるハンドバッグやリュックを片っ端から探りはじめた。だが、中身は化粧ポーチや筆記用具、よく分からないレシートばかりで、肝心のスマホは影も形もない。


「……クソッ、違うか」


舌打ちを噛み殺しながら、結衣の言葉を思い出す。

(学校から直接バイトに行くって言ってた……そうなると、やっぱりスクールバッグか!)




ところが部屋を見回しても、肝心のスクールバッグが見つからない。焦りで胸がざわつく。


その瞬間――階下からきしむような音が響き、二階へ向かってくる足音が耳に飛び込んできた。

(ヤバい……誰か上がってくる!)


鼓動が一気に跳ね上がる。直哉の視線がぐるりと部屋を走り、そして――上着の影に隠れるように掛けられている布地の一部を捉えた。


(……あった!多分あれだろ!)



目的のものがそこにある。だが、足音はもうすぐそこまで迫っていた。時間は――ほとんど残されていない。




ガチャ




物入れの隙間から、直哉は息を殺して見ていた。

結衣の母が部屋に入ってきた瞬間――その姿はまるで、力なく彷徨う影のように憔悴しきっていた。


「……結衣」


小さな呼びかけが、空気を震わせる。

母は窓を全開にして、閉ざされた空間に新しい風を招き入れた。薄暗い部屋が、ふっと生き返るように揺れる。


「今日はね、シャインマスカットを買ってきたの。好きだったでしょう? あなた」


机の上にそっと皿を置く手は震えていた。

直哉の胸の奥がざわつく――それは、もうここにいない娘のための献上のようで。


「甲府にブドウ狩りに行った時に……『一番下のだけ食べたい!』って言ってたじゃない。一番甘いからって……あれ、可笑しかったわね」


母の頬に笑みが浮かぶが、すぐに涙でにじんでいく。


(一番下だけ……なんて女だ)


直哉は小さく心の中で吐き捨てる。



「さくらんぼ狩りの時もね、『一番上の真っ赤な実がいい!』って……。お父さんが梯子から落ちそうになって……あれ本当に危なかったのよ」


(……やっぱり、わがままな女だな)


そう思いながらも、母の声の震えが痛いほど伝わってくる。


「でも……お父さんがやっと取ってくれたさくらんぼをね、『ママが食べて!』って渡してくれたのよね、あなた……」


言葉の最後は涙にかき消される。


母はひとしきり思い出を語ると、窓を閉めずに立ち上がり、シャインマスカットの皿を机に残したまま部屋を出て行った。


……静寂が戻る。

直哉はしばらく動けなかった。


(でも……優しい子だったんだな、結衣)



自分の中で抱いていた「わがまま娘」のイメージが、母の涙と一緒に揺さぶられていく。




結衣のスマホはスクールバッグの中にあった、すでに充電は切れていた。


そして、押し入れを出るとそろりそろりと階段を降り裏口から庭へ、そして道路へと移動する。




(よし……!)


胸の奥で小さくガッツポーズを決める直哉。

ようやく、ようやく手に入れた。


幽霊となった結衣が求めていた、あのスクールバッグの中身。

それは彼女の生きた証であり、今もなお繋がりを求めている存在の欠片だった。


「……ミッションコンプリート、ってやつだな」


誰に聞かせるわけでもなく、口元に笑みを浮かべる。



今までさんざん振り回された――わがままで泣き虫で、でも根っこの部分は優しい女の子。

その願いを叶えられたことに、直哉は奇妙な達成感を覚えていた。


(これで……喜んでくれるかな。まずは家に帰って充電しないと)



汗ばむシャツを気にしつつ、静かに屋敷を後にする。

歩いて二十分、まずは結衣のスマホを使えるようにするべく直哉は自宅アパートへと足取りも軽く帰って行った。




持ち帰ったスマホは少し型落ちのiPhone。

「高校生の頃から使ってたんだろうな……家は立派でも、最新型ってわけじゃないんだろう」

直哉はそう思いながらも、どこか安心した表情を浮かべる。


ある程度充電がたまると、画面が光り、パスコード入力画面が現れる。

電波は立たず、回線も既に解約されている様子だ。


折り畳み式のスマホカバーの中には、友人とのプリクラが貼られている。

「……可愛い子だよな……結衣」

胸の奥がじんわり温かくなるのを感じながら、直哉はスマホを手にベッドに寝転んだ。


気づけば2時間ほど眠ってしまっていた。

普段の日曜日よりも早起きしていたせいもある。


「ん……充電、終わったか」

つぶやくと、あの我儘で優しい地縛霊の待つ花壇へと向かった。




――一方結衣の実家。




その日の夕方――結衣の母が、今朝方持ってきたシャインマスカットの小皿を下げにやってくる。


「……?」


ふと目に入ったのは、スクールバッグの左右が逆になっていること。

直哉がきちんと元に戻したはずのバッグが、微妙に向きを違えて置かれていたのだ。


階段から上がってくる母の気配に急かされ、直哉は左右の向きまで確認せず物入に隠れた事による。


バッグの左端には、ブランドのロゴがプリントされており上着の後ろからわずかに露出している。


「結衣……? まさかね」



呟く母は首を捻って階段を下りるのだった。

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